第4話 営利誘拐の果て

 警察に行くと、誘拐専門の部署に、執権は通された。そこには、専門家というべき部隊が揃っていて、相談に行くと、

「相談に来られたのだから、警察が何もしないというわけにはいかないんですよ。もちろん、誘拐された被害者の救出が一番なので、ここから先は、専門家である我々に任せていただきたい」

 ということであった。

 当然、警察の上の方にも事情が話され、

「すべてを、極秘に」

 ということで、捜査が勧められることになった。

 まずは、昔のように、逆探知の装置が用意されたが、実際には、今の時代、ケイタイであったり、スマホであったりと、昔とは連絡方法も違っているので、警察の方もいろいろ考えるところがあるだろう。

 ただ、スマホなどでは、GPSなどもあるので、警察の機械がどこまで相手を特定できるかということを考えると、犯人としても、誘拐というのは、リスクが高い犯罪なのではないかと考えるのだ。

 しかも、誘拐というと、捕まった時の罪が結構重いことを考えると、こちらもリスクが高すぎるというものだ。

 それなのに、誘拐をするということは、警察側の刑事が考えるに、

「身代金要求というよりも、どちらかというと、もっと奥の深い、そう、復讐が動機としてあるのかも知れない」

 とも考えていた。

 誘拐というのが、そもそも時代に合わない。確かに、切羽詰まってお金が必要な時は、リスクを犯してでも、誘拐だったり、強盗などが手っ取り早いのだが、誘拐などは、基本目的は、身代金である、

 そもそも、誘拐のリスクで一番の問題としては、

「一番逮捕される可能性があるのは、身代金の受け取りの場面である」

 と、よく言われているではないか。

 これは、隙という問題で、

「まるで将棋の世界の話のようではないか?」

 と言えるであろう。

「将棋で、一番隙のない布陣というのは、どういう布陣であるか、分かるかい?」

 と言われ、それに答えた内容として、

「一番隙のない布陣というのは、最初に並べたあの形なんだ。だから、一手打つごとにそこに隙ができる」

 というもので、つまりは、一種の、

「マイナス思考」

 と言えるだろう。

 さらには、そのマイナス思考に合わせて、

「攻撃を仕掛ける時に、どうしても守りに穴ができる。そうなると、その守りの穴がそのまま隙ということになる」

 ということである。

 誘拐も、それまでは必死にバレないようにしていても、身代金を受け取るという、目的達成が近づくと、それまでいくら警戒をしていても、わずかな隙が生まれ、それが警察にとって唯一で実に、

「限りなくゼロに近い」

 と言われる可能性の中で、警察も必死なのである。

 それだけに、犯人のちょっとした隙が下手をすると、警察の視線と重なってしまうと、案外簡単に逮捕されるものなのかも知れない。

 それだけに

「身代金を受け取る瞬間が危ない」

 と言えるのではないだろうか?

 それを考えると、犯人のリスクは、本当に高いと言えるのではないだろうか?

 警察は、弘前家にやってきて、いろいろな装置のセットをしたが、その間、誰も無口で、緊張感だけが漲っていた、

 さすがの、弘前家の面々も、皆顔が青ざめていた。

 といっても、弘前家では、当事者以外に家族がいるわけではない。しいていえば、誘拐されたつぐみの母親は、かなり狼狽えていた。

 どちらかというと、富豪の奥さんにありがちの、

「世間知らずの奥さん」

 だったからだ。

 奥さんは、とりあえず、興奮状態ということもあり、医者に鎮静剤を注射してもらい、しばらく眠ってもらっていた。

 その間に、犯人からの要求を待つことになったのだが、その間というのは、実に長いもので、

「数時間は経っただろう?」

 と思っていても、

「まだ30分も経っていない」

 などということも当たり前にあった。

 だから、実際には、この時点で、

「拷問」

 だったのだ。

 そんな拷問を受けなければいけない時間を過ごし、帰ってくるかどうか分からない相手を待ち続けるのが、どれほどの苦痛なのか、それが問題だった。

 考えるだけでも、ぞっとすることなので、警察を含めたその間、精神的にかなりやられてしまい、寿命が数年縮んだといっても過言ではないだろう。

「これも犯人の狙いか? そう考えれば、本当に身代金目的なのかも疑問だ。復讐なのかも知れないな」

 と刑事が考えたが、逆に、

「それなら、何も誘拐などという方法でなくても、他にいろいろやりようがあったはずだ」

 と言えるのではないだろうか。

 誘拐というのは、やはりそれだけ、

「まわりを巻き込む」

 という意味でも、理不尽な犯罪だ。

 それを考えると、誘拐捜査と言いながらも、刑事は、誘拐自体を、疑ってかかっている節があった。

 さすがに狂言は考えられないと思ったが、

「どうも、単純な誘拐事件ではないような気がする」

 とも考えたのだ。

 ただ、それには、あまりにも、何も分かっていない。

 誘拐というのも、ポストに、

「娘を誘拐した」

 という手紙が届いていたという、アナログな形での事件の発覚だった。

 だから、本当に誘拐なのか分からないが、正直、手紙が届いたその日から、娘が行方不明になったのも事実で、それを調べようとしても、いくら財閥系の金があるといっても、捜査能力には限界がある、

 当然、警察のような、捜査権がなければ、どうしようもないのだ。

 民間であれば、探偵であっても、警察権がなければ、何もできない。それが、

「法治国家」

 というものだろう。

 だから、警察に相談したのだが、警察には、執権のような、手放しに信用できる人がいるわけではない。

 確かに、警察上層部を動かして、その捜査を最優先で行うことはできるだろうが、こと、誘拐ともなると、

「人の命に係わる」

 という、デリケートな部分を孕んでいる。

「それを考えると、

「警察を上から縛るというのも、致し方のないことなのかも知れない」

 と思うのだった。

「警察の捜査を、いかに進めればいいか?」

 口出しはできないが、執権に、警察とのパイプ役になってもらうことで、幾分かの安心感があった。

 そのおかげで、捜査のやり方が決まっていったのだった。

 捜査のいろはをまるで分かっているかのような、執権だった。

 だが、執権として君臨した人間を、捜査に取られてしまうと、

「実際の今までの執権の仕事を誰が行うのか?」

 ということが問題であった。

 会社の仕事に対しては、執権の息子で、次期執権の呼び声の高い、執権の息子が行うことになった。

 今の執権は、当主がずっと君臨しているようなわけではなく、すでに、40代のうちに代を譲られていた執権で、年齢は40歳を少し超えたところで、

「そろそろ、息子に職を譲ろうかと思っているところなんですよ」

 といっていたが、

「どうせなら、わしの息子への襲名と同じ時期に行わないか?」

 ということを当主から言われていたので、今のところ、待っている状態だった。

 だが、この執権継承について、息子にその詳細を伝えていなかったので、息子も、

「どうして、親父は俺に継承してくれないんだ?」

 と思っていたようだ。

 今までであれば、息子が大学を卒業すると、実際に他で研修を行い、そして弘前家に戻ってきてから、数年、つまりは、25歳から27歳くらいまでに、継承されるというのが、今までの歴史だったのだ。

 しかし、今回は、息子が28歳の誕生日を過ぎても、継承されるという様子がない。息子が、

「いったい、どうしたことなのだろう?」

 と思ったとしても、無理もないことだろう。

 だが、実際には、父親も認める。

「立派な息子」

 だったのだ。

 ただ、疑心暗鬼なところがあるようで、そのことを父親も少しは気にしていて、

「猜疑心が強い人間にならなければいいが」

 と思っているようだった。

 ただ、この執権という仕事も、

「どこか猜疑心のようなものがないと、うまくいかない」

 ともいえるだろう。

 猜疑心というよりも、警察のように、

「まずは疑って掛かる」

 という、

「石橋を叩いて渡る」

 というそういう性格ではないと、やっていけないということになるのであろう。

 それが、今までの幾多の危機を乗り切ってきた手腕に繋がり、

「他の人と同じことをしていては、生き残れない」

 という、まるで動物の本能のような勘が鋭い男でなければいけないということを証明しているのであった。

 今までの執権は、ほとんどが、その気質を持っていた。もちろん、時代時代で、性格も違ったことであろう。

 しかし、脈々と受け継がれている家系の遺伝子は、

「どんなことがあっても、守り抜く」

 という精神の元に動いているようであり、その力を時代ごとに、いかんなく発揮してきたということになるのだ。

 そのおかげで、今年28歳になる執権の息子、まもなく、次の執権になるであろう彼が、今回は、執権代理ということで、執務につくことになったのだ。

 そして、肝心の弘前家の方だが、

「現社長は、少し体調を崩されたということで、副社長である、息子が社長代理として君臨することになる」

 ということを、会社内に通達していた。

 彼も、次期社長間近ということで、誰も意義はなく、むしろ、

「二人の同時就任の予行演習のようなものではないか?」

 と会社内では、まさか、裏で誘拐事件が動いているなどと知る由もなく、好き勝手なことを言っていたのだ。

 だが、それは、

「敵を欺くにはまず味方から」

 という言葉の通り、誰も誘拐事件に気づくような社員はいなかった。

 気づいたとすれば、それは超能力者ではないだろうか? まさか、犯人が会社内にいるとすれば、隠す方がいいのか、社員にバラして、混乱を招く方がいいのか、それによって、社内に犯人がいた場合であれば、性格的なものは分かるというものだ。

 実際に、会社の方でも、うまくいっていた。

「これなら、今すぐにでも、二人の就任発表があってもいいのではないか?」

 という、何も知らない連中は、好き勝手なことを言っているという感じであったが、何よりも、若い二人が安心したのは間違いなかった。

 だが、下手に喜ぶのは不謹慎だ。そもそも、二人は目立ちたがりなところがあったので、笑顔を見せるだけで、大っぴらな喜びを表現しようとしないことに不信感を抱いた社員もいたが、まさか、裏で誘拐事件が起こっているなどとは思ってもいなかっただろうから、おかしいとは思っても、それを口にすることはなかった。

 ただ、執権代理の方は、次第に憔悴していくのが分かる人には分かったかも知れない。それが、わざとなのかどうなのかを分かった人もいなかった。

 なぜ、彼が憔悴するのかというと、

「彼は、社長の孫娘と仲が良かったからな。本当なら結婚してもいいんじゃないか?」

 という話もあった。

 確かに、孫には男の子がいなかったので、

「誰かを養子として迎えるのであれば、執権家から養子を貰うことで、うまくいくので会はないか?」

 と、いわれていたが、そういう通り一遍の話でかたがつくというものでもなかった。

 というのは、この弘前財閥というのは、

「執権がナンバーツーでいることが、これだけの長期政権を作り、そして、時代を乗り切ることができたのだ」

 といわれるのだった。

 つまりは、

「息子が養子に来てしまうと、今度は執権家が断絶してしまう。今はこれでいいかも知れないが、それ以上、執権家が成り立たなくなると、弘前財閥もその存続が危なくなってしまう」

 ということになるという危惧があったのだ。

 そんな状態を考えると、次の世代の問題よりも、さらに次の世代という、先々のことをどうしても考えるのが、当主というものだった。

 これを一番危惧しているのが、今の当主である、広崎社長だった。

 息子に代を譲らないのには、

「私の代で、この問題を解決しておきたい」

 という気持ちがあったからだ。

 男の子が生まれても、時すでに遅くであり、養子を貰うしかないというのが、実体であったが、どうすればいいのかということの解決にはなっておらず、執権の方としても、頭を悩ませているところだった。

 このことは、会社内でも、誰も分かっていることではなかった。

 何しろ、

「執権職という余計なものがうちの会社にはある」

 と思っている社員がいっぱいいたからだ。

 確かに他の会社にはないかも知れない。代々続いてきたという、そのどちらも世襲だというのは、それだけで、

「まるで、包茎制度のようではないか?」

 と思われていた。

 今の民主主義の時代、世襲などというのは、昔の財閥でもありえないことだったのだ。

 正直、かつての財閥が、

「世襲でやってきた同族会社」

 として、成立できたのは、バブルが崩壊するまでのことだった。

 バブルが弾けると、神話はことごとく崩れていき、財閥系や銀行と言えども、

「吸収合併しなければ、生き残っていけるわけはない」

 といわれたというのは、前述のとおりである。

 そんな時代において、それでも、世襲でいけているのは、

「この財閥のように、トロイカ体制を気づいてきたからではないか?」

 といわれているが、本当にその通りであろう。

 政治体制も同じことで、

「親の基盤を息子に受け継がせる」

 ということを、平気でやっているのは、地元民としても、

「その方が都合がいい」

 と思っているからではないだろうか?

 誘拐事件は、その間、進展することはなかった。

 せっかく警察が介入し、犯人からの連絡を待っているというのに、身代金の要求はおろか、犯人から何も言ってこないのだ。

「やっぱり狂言誘拐なのか?」

 とも思えたが、その割に、肝心の娘の行方もまったく分からない。

 警察も、誘拐犯からの連絡を待っているだけではなく、被害者と目される女の子の捜索を怠らなかったことも言うまでもないだろう。

 何しろ、被害者は大財閥の一人娘、警察関係にも顔の利く、財閥の令嬢なのだ。警察の威信もあるし、

「できるだけのことを全力で行う」

 というのが、当たり前のことだった。

 しかし、捜査は秘密裡に行われていたし、緘口令も敷かれていることもあり、そんなに大っぴらにはできない。さらに、捜査は、警察でもVIP向けともいわれる、特殊部隊、他の国でいえば、

「大統領親衛隊」

 とでもいえるような、最新鋭の部隊で行うようになっていた。

 そのせいで、警察内部で、少しだけ不協和音のようなものがあった。

 陰で特殊部隊が動いているとなると、他の一般の仕事にも支障をきたす。しかも、絶対的な秘密裡ということであれば、それもさらに拍車をかけるというもので、捜査も少しぎこちなくなっていた。

 だが、いくら特殊部隊とは言いながら、法治国家においては限界がある。

 警察ならではの、通り一遍の捜査方法では、なかなかうまく捜査が進むはずもなく、状況が好転するということもなかった。

 捜査をすればするほど、暗礁に乗り上げるというか、行き詰ってしまうのだった。

 それを考えると、

「警察というのは、探偵のようにはいかないんだな」

 ということであり、それを感じたのは、執権職、その人であった。

 だが、なぜか、相手の術中に嵌っているように感じられた。

 それは、執権が考えるに、

「この俺の考え方を見透かされているかのように感じる」

 ということであった。

 今回の捜査は、民間人でありながら、執権職の男が、特例として、

「捜査に口を出してもいい」

 ということであった。

 警察としても、彼がどれほど優秀であるかということも分かっていて、有識者として、今までも敬意を表していたという側面のあった。

 だから、ある程度の捜査方針には、彼の意見も多大に含まれていた。

 その意見に反対の人間もおらず、むしろ、

「さすが、有識者」

 ということで、警察が感心するくらいだったのだ。

 それなのに、犯人たちは、そんな執権のやり方の裏を綺麗にかいていたのだ。

「どうして、こんなに裏目裏目に出るんだろう?」

 と、紙一重であったが、どうやら、相手が証拠をもみ消しているのが分かるようで、相手も、

「相手にとって不足なし」

 というくらいに、途中から、まるで、

「怪人二十面相」

 のごとく、行き着いた先において、

「また二の足を踏んだね? 警察諸君」

 という手紙を置いて、あざ笑っているのだった。

「ちっくしょう。こいつは一体どういうつもりなんだ。まるでこちらの手口がすべて分かっているかのようではないか?」

 ということで、相手が頭のいい連中であるということは、明白のようだった。

 ここまでくれば、

「さすがに狂言誘拐というのはないだろう?」

 と思った。

 誘拐のリスクの高さや、わりに合わないということに関しては、犯人が一番分かっているだろう。それでも敢えて警察に挑戦してくるということは、

「愉快犯であったり、狂言誘拐の類ではないだろう」

 と言えるのではないだろうか?

 もちろn狂言でも、愉快犯でもないとすれば、

「犯人がいて、被害者がいる」

 という、普通の事件となるはずなのだが、犯人も、被害者も、その姿も、気配すらも感じられない。

 つまりは、

「犯人がいたとして、その目的は何なのか? 恨みだとすれば、誰に対しての恨みなのか? もちろん、あるとすれば社長なのだろうが、社長を苦しめるためとはいえ、娘を誘拐するということに、罪悪感を感じないという極悪非道な犯人なのだろうか?」

 ということである。

 しかも、誘拐されたということであるのに、

「いったい、いつ、どこで誘拐されたというのか?」

 というほど、誘拐の影が見えてこないのだ。

 被害者は、忽然と姿を消し、犯人も何も言ってこない。普通であれば、犯罪を効果的ならしめるためであれば、一旦計画を実行すれば、電光石火のごとくことを勧めるだろう。

 周到に計画されたことであれば、迅速に行えば行うほど、警察の裏を掻いて、うまく逃げきれることもできるだろう。

 しかし、最初の誘拐をしたという連絡だけど、その後まったくの小康状態だというのは解せないというものだ。

 時間を掛ければ掛けるほど、事件は、荒くなってくる。

 相手に余裕も与え、警察の追及も厳しくなるだろう。

 彼らとしても、そうなってくると、今度は人質が、足手まといということになる。

 そうであれば、何のための誘拐だったのか? ということになるわけだが、

「相手を長い間苦しめる」

 ということくらいしか思いつかない。

 もし、それが目的だとすれば、他にもやりようがあったのではないか。何も誘拐に絞る必要はないだろう。それを思うと納得がいかなかった。

 そもそも、こうなってくると、犯人たちが、本当に最後逃げようと考えていたのかどうかということも怪しいものだ。

 つまりは、

「だからこそ、犯人のプロファイルがまったく見えてこない。どういう人間で、何を考えているのか?」

 ということである。

 そうなると、捜査の範囲も限られてくる。いわゆる、

「通り一遍の捜査」

 しかできないということであり、相手も、警察のぐずぐずさをあざ笑っているとしか思えない。

 そのためだけに犯行を犯すなどということは考えられない。

 すると、

「やつらは一体何が目的なのだおる?」

 というところに戻ってくるわけだ。

「身代金なのか、復讐なのか? 復讐だったとすれば、他にもやりようがあったのではないだろうか?」

 と、そんなことを考えていると、次第に、大きな輪の中で、考えが、グルグル回っているだけになってしまう。

 しかも、その輪が次第に小さくなっていくようなのだが、それは、焦点が絞られてきたというわけではなく、

「まったくとらえどころがないので、しょうがなく、捜査を狭めるしかない」

 ということだった。

 分かってきての、捜査縮小ではないだけに、やっている方も理不尽さを感じていた。

「このままどう捜査すればいいのか?」

 と、警察は完全にお手上げだった。

 これが、もし、財閥の絡む犯罪ということでなければ、

「警察としては、捜査本部を解散するしかない」

 ということで、被害者の捜索だけは続けるであろうが、犯人逮捕の目的である捜査本部は解散せざるを得ないだろう。

 警察というのは、そもそもが公務員、いわゆる、

「お役所仕事」

 でしかないのだ。

 そんな捜査だったが、警察の方としても、さすがに、

「手を引きたい」

 と思っているところでもあったのだ。

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