第2話 弘前家

 弘前家というのは、昔からの旧家の流れを受け継いでいる家だった。

「うちの先祖は、明治の元勲の一人で、長州藩では有名な、維新志士だった」

 という。

 歴史的には、さすがに教科書に出てくるほどの有名な人ではないということであったが、いわゆる、

「裏の世界」

 では、その力は有名だったという。

 特に維新、新政府というと、

「尊王攘夷のためには、少々の荒っぽいこともしてきている。暗殺などもその一つで、決して表に出せないこともたくさんある」

 ということで、そういう、

「裏の仕事を請け負っている仕事人」

 というような集団があったようで、その集団を束ねていたのが、弘前家の先祖だったという。

 だから、歴史上、決して表に出ることはなかった。表に出てしまうと、明治政府の正当性ところか、その存在すら否定されかねないことになり、歴史がひっくり返ることにならないとも限らない。

 いくら、

「暴力を権力がものをいう時代」

 だとはいえ、何でもありというわけではない。

 それだけに、裏であっても、正当性を重視する以上は、秘密にしなければいけないことは、必死で守るということだ。

 そのため、新しい世になって、そんな、

「裏の仕事を請け負っていた」

 という連中が、粛清されたりしたものだ。

 そんな粛清に加わった連中も、実はその後、抹殺されたりしている。

 昔の殿様が、城を作ったりした時、その責任者を、毒殺したりしたという話を聞いたことがあった。

 秘密の抜け穴など、すべてを知っている設計者や、重要な人物は抹殺しなければ、

「いつ秘密がバレるかも知れない」

 ということになるのだ。

 いくら、暗殺者を暗殺する役目とはいえ、悪に関わった人間には、生きていられては困るのだ。

 つまり、

「一番あくどいのは、表では正義の仮面をかぶっている連中だ」

 ということを、どれだけの人が知っているだろうか?

 刺客とでもいえばいいのか、あるいは、剣客と呼ばれる人たちは、幕末の京都などには、たくさんいた。

 日本が開国したことで、最初は、

「攘夷だ」

 ということで、

「外国を打ち払う」

 ということを目的にして、幕府が結んだ、通商条約であっても、

「そんなものは関係ない」

 ということで、各地の武士が荒れ狂っていたりした。

 そもそも、平和な世が260年近くも続いてきたのだ。そのために、いくら身分制度で一番上の階級にいるとは言え、武士というのは、下級武士になればなるほど、その日の食事も困るくらいだったのだ。

 だからこそ、

「戦でも起これば、自分たちの出番だ」

 ということになる。

 しかも、

「戦になって勝つことができれば、褒美だってもらえる」

 というものだ。

 だから、この世の中で戦がないことにうずうずしている武士もいただろう。

「武士は桑子と高楊枝」

 などというのは、幕府の緊縮政策の中での、

「贅沢禁止令」

 などに対しての、

「武士の誇りを守らせるため」

 という意味で使われたのか、あるいは、

「武士にいうことを聞かせるための言葉で、皮肉を込めて言われるようになったのか?」

 のどちらかであろうが、

 少なくとも、

「江戸幕府の財政が、次第に乏しくなっていった」

 ということを示しているのだろう。

 そんな体制であったが、世の中は戦もなく平和であった。ただ、財政がひっ迫していることで、その時々の老中や旗本などが考えた政策で改革をしようとするのだが、

「前任者のここが悪かったので、ここを変えて」

 というようにしていくと、一つ前の改革に戻ることになる。

 さらにそれが失敗すると、また、改革をその一つ後にすることになるので、結局、両極端なところを、いったり来たりしているだけで、一向に物価が落ち着くことはなく、結局、

「時代がまた古い時代に戻った」

 というだけで、世の中の人たちから、受け入れられるはずなどなかったのだ。

 そんな時代を逆走している間に、時間だけが過ぎていき、最期には、外国からの、

「艦砲外交」

 によって、無理やりに開国させらてしまうのだ。

 ただ、

「最初は外国を打ち払う」

 ということを目的にしていた連中が、世界の情勢、特に清国のように、諸外国から食い物にされたり、東南アジアの国のように、植民地化されてしまうのを目の当たりにすると、

「外国の脅威」

 というものをひしひしと感じないわけにはいかないだろう。

 だからこそ、

「尊王攘夷」

 つまり、

「頼りにならない幕府ではなく、天皇を敬って。攘夷を実行しよう」

 という運動から

「尊王倒幕」

 という発想になった。

 つまりは、

「幕府を倒して、天皇中心の中央集権国家を作り、外国と渡り合えるくらいの国にする」

 という考えである。

 つまり、この時から、

「幕府に見切りをつけて、新しい政府を作る」

 という考えが芽生えてきたのだ。

 幕府はただでさえ弱腰で、このままなら、外国のいいなりになりかねないと思ったのだろう。

 その先鋒が、長州藩であり、薩摩藩だったのだ。

 そもそも、長州も薩摩も、

「攘夷」

 ということでも、その先鋒であった。

 だからこそ、打ち払い令によって、関門海峡を渡る船を砲撃した長州藩だったが、そのせいで、

「四国艦隊連合軍」

 から下関を占領されるということになった。

 その時に、外国の力をまざまざと知ることになり、攘夷派が一掃され、討幕派が台頭してくるのだった。

 薩摩藩は、

「生麦事件」

 の報復で、イギリス艦隊から、鹿児島を砲撃され、敗れたことで、同じように外国にはかなわないと悟ったのだ。

 だからこそ、仲が悪かった薩摩と長州であったが、坂本龍馬の説得と、利害関係の一致で、薩長連合が成立した。

 それにより、ここに、倒幕運動が現実化してきたのである。

 ここまでが、幕末のざらっとした歴史であるが、その頃の時代は、本当に暗殺などが横行し、志士同士が殺し合うなど、日常茶飯事だった。

 さらに、幕府用心の暗殺や、まだ残っている攘夷派を一層するために行う暗殺などが、世の中で蠢いていたのだった。

 特に京都などではかなりの暴動が起きたりして、問題化している。

 その裏で行っていた暗殺隊を率いていたのが、

「弘前家の先祖だ」

 だったのだ。

 弘前家の、一部の人は、政治に参画し、時代を動かしてもきた。

 ただ、それができるというのも、裏で動いていた人たちがいたからで、弘前家では、そんな先祖を決して粗末には扱わない。

 それが、弘前家の伝統だったのだ。

 そんな弘前家だったので、

「明治の元勲」

 として、明治政府の中枢に入っていた。

 さらに、陸軍、海軍が創設されると、いち早く政治の舞台から、軍の方に鞍替えしたのだ。

 そもそも、暗躍していた連中が活躍できる場面が、軍にはあった。初期の軍というのは、ひょっとすると、同じような暗躍していた連中が、軍を率いてきたのかも知れない。だから、統制も取れていて、軍としては優秀だったのだろう。

 元々の士族と言われる、

「江戸時代では、武士だった人たち」

 は、廃刀令があったりで、武士としての誇りも何もかもがなくなってしまった。

 そのため、西郷隆盛の、

「西南戦争」

 などというものを中心として、

「秋月の乱」

「萩の乱」

「佐賀の乱」

 などと、そのほとんどが、西日本に集中しているというのも不思議であるが、しかも、またそのほとんどが九州というのも面白いものである。

 そもそも、薩摩藩、佐賀藩、長州藩、土佐藩が、明治政府のほとんどの役職を独占しているのだから、それも無理もないことだと言えるだろう。

 それだけ、明治政府の政策に、政府の要人であるお膝元の武士というのが、どれだけ煮え湯を飲まされたのかということが分かるというものだ。

 きっと反乱軍は、

「幕府を倒す時は、自分たちが最前線で頑張ったのに、明治政府などになって、廃刀令などで、自分たちの居場所をなくされてしまうというやり方に、我慢ができないというのも、当然だ」

 ということなのであろう。

 それが、新政府の中での亀裂であり、一歩間違えると、新政府が瓦解してしまうことになるだろう。

 そのためにと、さらには、

「外国に追いつけ追い越せ」

 ということで掲げられた政策が、

「富国強兵」

 と、

「殖産興業」

 だったのだ。

「国を富ませて、軍備を整え、外国からの侵略に備える。そのためには、産業を興し、金を儲けなければいけない」

 という考えであった。

 そのための、安全保障の問題から、朝鮮を開国させ、清国と一触即発になりながらも、何とか戦争ができるくらいになるまで、二つの政策を推し進めていき、

「実際に戦争すると、圧勝だった」

 というものである。

 そこから、日本は軍部が台頭してくることになるのだが、当然その間に、弘前家はどんどん裕福になってくる。

「まるで財閥並みだ」

 というほどになっていた。

 ただ、明治に発展した富豪は、なかなか生き残れないものだったが、弘前家は生き残った。

 まるで、三井、三菱財閥並みだったのだが、そこまで強烈に印象に残っていないのは、どうしても、

「軍に属していて、そちらでの影の活躍が目覚ましかったからだ」

 ということである。

 軍の作戦のほとんどに関わるという要職に代々就いてきた。ただ、陸軍でいうところの。

「陸軍三長官」

 という形で名が残っていないので、分からないだけだった。

 陸軍三長官というのは、

「陸軍大臣」

「参謀総長」

「教育総監」

 の三つの役職で、実際にも、その三つすべてを歴任した人は、数人しかいないのだ。

 それほどの役職なのに、

「弘前家から、誰も出ていないのは、不思議な限りだ」

 ということであった。

 ただ、時代が大正から昭和に移ってくる間に、それぞれの職に就いた弘前家の人間もいた。

 当時は、

「陸軍大臣と参謀総長の兼任は憲法違反ではないが、許されない」

 としていた。

 理由は、

「権力の一極集中」

 ということであったが、巷では、

「弘前家の人くらい人徳があったり、優秀であれば、許されるのではないか?」

 と言われるほど、弘前家というのは、世論も味方につけている家系だったのだ。

 それも、

「決して力があっても、表に出ようとはしない」

 という姿勢が謙虚に見えるのか、政府にも信頼され、もちろん、軍部では、最上級の力を持っていた。

 ただ、どうしても、破れない壁があった。

 というのは、

「これだけ国民から慕われているわりには、天皇からの信任が、それほど厚くない」

 ということであった。

 天皇とすれば、

「ここで私が認めてしまうと、やつらが、増長しかねない」

 という思いがあったからだろう。

 それは実は正解だった。昭和に入って激動の時代になってくると、弘前家でも、表舞台に出たいと思う人が出てきて、世の混乱にさらに相まって、時代を間違った方向に導いているようだった。

 それが、

「大東亜戦争」

 という形で現実化してしまったといっていいだろう。

 時代が進むにつれて、財閥が危機に見舞われることもあった。

 大正時代においての、

「第一次大戦中の特需の反動」

 であったり、その後においての、関東大震災における、首都機能の大打撃。さらには、昭和に入ると、世界恐慌、昭和恐慌などという恐慌に、輪をかけたような、東北地方における大凶作。

 それによって、

「農家の人は、娘を女郎に売らないと、その日の暮らしも立ち行かない」

 とまで言われた時代だったのだ。

 世界恐慌などでは、お金を。

「持てる国」

 同志で、

「ブロック経済」

 などという、裕福な国だけで形成したブロックがあった。日本などのように、資源のない国では、さらに貧乏になり、世界においての貧富の格差がさらに激しくなる。

 それが、遠因となって、さらなる世界大戦を引き起こすことになるのだが、さすがに今度は日本も相手が悪い。

「英米蘭中」

 という、世界最高峰の国を相手に戦争を仕掛けるのだから、まるで、清国の西太后が、

「義和団の乱」

 の際に、九か国と言われる多国籍軍に、宣戦布告をした暴挙と似ているのではないだろうか?

 もっとも、その時の九か国の中に、日本も入っているのだが、無謀さという意味でいけば、同じだったであろう。

 ただ、日本の場合は、戦争をせざるを得なかったのだが、清国が義和団の時に、

「なぜ宣戦布告をしなければいけなかったのか?」

 というのが不思議で仕方がない。

 そんなことをしたものだから、北京は、あっという間に多国籍軍に占領されるという馬鹿げたことになったのだった。

 日本も大東亜戦争で、仕方がなかったとはいえ、戦争に突入し、前述のように、

「辞め時を間違えた」

 ということで、

「日本本土の無差別爆撃」

「各占領地においての、軍、民間人関係なしの玉砕」

 さらには、

「原爆投下」

 という悲惨な状態での終戦となったのだ。

 それでも、ソ連による、

「シベリア抑留」

 などという悲惨な状況はまだ続くことになるのだが、戦争に負けた後での、抑留というのは、ある意味、死を意味していたのかも知れない。

 日本は無条件降伏を行い、占領軍から日本を、

「いかに民主化するか?」

 という問題の中、

「軍拡や軍部独走の最大の原因の中に、財閥の存在がある」

 と言われ、財閥の解体が行われた。

 さらに、貴族などの爵位の撤廃なども言われたことから、財閥や、かつての貴族や華族と呼ばれた人たちは、完全に没落した。

 さらには、農地改革も行われ、昔の地主なども衰退していき、戦後の混乱で、かつての権力者は、見る影もなくなっていった。

 それを弘前家は何とか逃れてきて、戦後は細々であったが、生き残ってきて、高度成長期において、完全復活を遂げたのだ。

 平成などからこっち、バブル崩壊や、リーマンショック。さらには、

「世界的なパンデミック」

 などがあり、日本では、

「失われた30年」

 などと言われたが、それらも、何とか乗り切ってきたのだった。

 そんな歴史を、時代とともに乗り越えてきた弘前家であったので、今でも、昔と変わらない生活だった。

 少々の贅沢は当たり前、無駄とも言えるくらいの広い屋敷の中には、洋館もあれば、異本家屋もあり、さらには、中華風の屋敷もあった。

 もっとも、中華風の屋敷は、先々代の当主がお好みだったようで、その時に贅を尽くして建てたのだった。

 先々代というと、時代としては、バブルの時代くらいだっただろうか。それくらいの贅沢は、それほど珍しくもない時代だった。だが、さすがに昔の大正時代にいたという成金。いわゆる、

「第一次大戦の時の、特需成金」

 と言われた人のように、当時の百円札の束を燃やして、玄関先で、芸者のために、足元を照らしてやるなどということはないだろう。

 あの風刺画は、実は本当のことだったという。今であれば、数百万という札束を、足元を照らす明かりの役目として、一瞬にして火をつけるようなこと、できるはずもないだろう。

 100円札1枚が、今の金銭感覚では、30万円くらいというから驚きである。今だったら、車が買えるお金である。

 それを思うと、大正時代とはいえ、産業界において、軍需産業というのは、特需の中でも相当なものだったのだろう。

 何と言っても、その時代に開発された兵器も多く、しかも、塹壕戦ともなれば、持久戦であり、消耗戦でもあるのだ。

 いくら兵器があっても足りないというものだ。

 開発間もない兵器だから。一個だって高いはずだ。それが、どうしようのないくらいに消費しても、まだ決着がつかない。どれだけの消費をすれば気が済むというのだろう。

 そんな時代とは違うが、バブルの時代は、ある意味似ていた。

「とにかく、神話のようなものがあって、やればやるほど、金になるというわけである」

 つまりは、

「事業を拡大すればするほど、需要があって、作った分だけ、金になる」

 というわけだ。

 だから、どんなに経費が掛かろうとも、作りさえすれば、金になる。儲けがどんどん膨らんでくるというわけだ。

 しかも、それまでいくつかの神話があった。今では考えられないような神話である。

「お金があれば、銀行に預けておけば、利子だけで生活していける」

 つまりは、

「バブルの弾ける前は、一千万円銀行に預けていれば、年間利子だけで、40万円増える」

 というわけだ、

 今であれば、一千マ円預けたとしても、年間、数千円、いや、数百円しか利子がつかない。二、三人の家族で、一日の食費と変わりないくらいではないだろうか?

 これだけ利子が違えば、銀行に預けてもしょうがないというものだ。

 しかも、もう一つの伝説として、

「銀行などの金融機関は、絶対に潰れない」

 と言われていた。

 しかし、実際には、ボコボコと潰れていった。それも当たり前のことであり、市場が、事業拡大して設けるための資金を銀行から借りる。そして、銀行もどんどん貸すわけだ。しかも、少しでも貸し付けた金で設けたいということで、

「過剰融資」

 なるものを行う。

 つまり、貸付金利で設けようということだ。

 バブルの間はそれがうまくいき、そのおかげで、今でいう、

「自転車操業」

 が、実にうまく軌道に乗るわけである。

 本当は、

「負の連鎖」

 となっていることに誰も気づかない。

 冷静に考えれば、今だった誰にでも分かるはずなのに、あの頃は、

「金が金を生む」

 と言われても誰も分かったりはしなかっただろう。

 金銭的な面でもそうだが、

「上を向きさえすれば、何とでもなる」

 という感じだった。

 だから、今では、

「ブラック企業」

 と言われるくらいの社員に対して、重労働を課すなどというのは、当たり前のことだった。

 そんな時代において、よく売れたのが、滋養強壮などのスタミナドリンクだった。

 そのCMで流行った言葉が、

「24時間戦えますか?」

 という言葉だった、

 だから、24時間連続勤務、数日の徹夜くらいは当たり前。その代わり、ある程度までは残業手当も出た。(もっとも、出ない、今のようなブラック企業もあっただろうが)

 しかし、当時は、

「やればやるだけ成果が出る」

 という時代だった。

 成果を出せば出世もできる。出世をすれば、給料も上がるというわけである。

 そんな時代を、

「バブル経済」

 とはよく言ったものだ。

 実態のないものを動かして、そこで金銭を得て、儲けるというのだがら、普通に考えれば、そこかで行き詰まるということくらいは、容易に想像がつくというものだ。

 実際に、これが危ないと、誰が気づいたのだろう。何があって、神話が崩れたというのだろう? そのあたりの情報は知らなかった。

 しかし、神話が崩れたのは間違いないことで、やはり、貸付金が焦げ付いて、銀行が潰れたことが、

「神話崩壊」

 として、世間で、やっと危ないことに気づいたのだろうか?

 銀行というのは、金を貸し付けて、貸し付けた会社が儲かるから、その化した分の利息で儲かるわけだが、貸した相手は金を返してくれない。つまり、不当たりを出したり、事業がうまくいかなくなったりしたのだろう。

 そうなると、銀行も、自転車操業がうまくいかなくなる。

 巷の中小偉業や零細企業は、首が回らなくなって、

「銀行から金を借りて、何とかその場をやり過ごそう」

 とおもうのだろうが、銀行も尻に火がついてきている。貸した金も返ってこないのに、返ってくる保証のない貸付など、できるはずもない。

 それまで自転車操業でうまくいっていたものが、一つが崩れると、回らなくなる。

 つまり、

「油が切れた、自転車のチェーンと同じで、錆びついてしまって、まったく動かなくなるのである。

 それがバブルの時代だった。

 そこから考えたのは、

「儲からないのであれば、いかに節約をして、出ていく金を減らすか?」

 ということであった。

 時代は、節約時代になった。会社では、余分な電気を消す。残業はしない。そうなることで、それまでは残業が当たり前だったので、時間が余る。そのため、差うカルチャーや、スポーツジム、さらには、英会話などの習い事にお金を使う人が増えてきて、今のサブカルブームの走りはその頃からだったと言えるだろう。

 ただ、もう一つ今の時代に悪影響を与えたものとして、

「非正規雇用」

 という問題である。

 誰にでもできるような仕事は、安い賃金で、アルバイトや派遣社員にやらせるというやり方だった。

 そんな時代が当たり前になってくると、さらに、リーマンショックなどというさらに、不況に追い打ちをかける時代が起こると、今度は、

「人件費削減で、簡単にクビが切れる。非正規労働者を解雇しよう」

 ということになるのだ。

 正社員などであれば、簡単には首が斬れない。しかも、斬ってしまうと、仕事にもならない。そうなると、簡単にクビが切れて、簡単にクビを挿げ替えられるようにしておけば、会社としても、

「派遣社員を、保険として雇っておける」

 というものだった。

 だから、その頃、

「派遣村」

 などと言って、正月、住む家もなく、ネットカフェに寝泊まりをしている人たちや、公園でホームレスになっている人のために炊き出しを行ったりしたボランティアがあったというようなことがニュースになったのだった。

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