忌み名

森本 晃次

第1話 誘拐事件

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年8月時点のものです。実際の事件と類似部分はありますが、作中の事件は、あくまでもフィクションです。実際と違っていても、それは当たり前のことだとご了承ください。


 営利誘拐などというと、昔は結構あった。特に一番大きな事件としては、かつての、

「各種食品業界への挑戦」

 と言われた事件があった。

 その事件は、ちょうど、昭和の終わり頃の事件で、今から思えばほぼ同時期に、

「老人を狙った詐欺事件」

 というものがあり、昭和の最期を飾るにふさわしいと言えるような二大事件があった。

 詐欺事件の場合は、今でこそ、

「オレオレ詐欺」

 などと言われ、今では、

「振り込め詐欺」

 などというようになったが、当時は、老人を狙うというのは、ある意味、

「盲点」

 であった。

 あるいは、

「人道的に許されない」

 ということで、犯罪の世界では、タブーであり、

「パンドラの匣」

 だったのかも知れないが、実際に誰かが開いてしまうと、もうそこから先はタブーではなくなるのだ。

 同じくらいの時期だったか、令和になってまで、

「元ソーリの暗殺事件」

 を発端として、悪徳宗教として、再度クローズアップされたことがあったあの宗教である。

 こちらは、

「霊感商法」

 などと言って、

「ツボや置物、腕輪などを、数十万などという金で買わせる」

 というものであった。

「それらのものを身につけていれば、幸せになれる」

 とかなんとか言ったのだろう。

 実際に詳しくは知らないので、何とも言えないが、今でも同じことが起こっているという意味で、

「まったく成長しない宗教だ」

 といってもいいだろう。

 もっとも、団体の代表のような人が出てきて、テレビで、

「過去から現在において、我が教団は、そのような霊感商法を行ったことがない」

 といっているのだから、信じる信じないと人それぞれであろう。

 その教団がやっていたかどうかは別にして、新興宗教にはありがちな詐欺であった。

 しかし、もう一つの、

「老人をターゲットにした詐欺」

 を行った団体は、別に宗教団体ではない。

 一種の慈善事業団体とでも言いたいのか、一人で孤独な老人のところに行き、情に訴えるのだ。

「俺の死んだ爺さんを思い出す」

 などと、いかにも孫ができたかのような方法だったり、さらには、オンナを近づけて、

「色仕掛け」

 で迫ったりもしたものだった。

 当時といえば、核家族化が進み、一人暮らしの老人というのも増えてきた。それを狙うというのは、ある意味、

「悪の天才:

 といってもいいのだろうが、許されることではないだろう。

 一人暮らしの老人に、社員の女をあてがって、養子縁組をさせ、

「私が死んだら、養子にした娘に遺産をすべて送る」

 などという遺言書を書かせたりして、さすがに毒を盛ったりまではしなかっただろうが、少しは身体に悪いものくらいは与えただろう。

「老人が欲しがるから」

 などと言えば、いいとでも考えたのだろうか、脂身の多いところだったり、老人には危ないものでも、

「知らなかった」

 と言えば、何とかなるとでも思ったのか、それくらいのことはあってもいいような気がするのだ。

 そこまで露骨なことをするのは、本当の保険金詐欺であろう。

 この時の犯罪は、保険金詐欺というような、実際に毒を盛ったりするものではなかった。ただ、

「老人の良心を踏みにじって、なけなしで貯めた金をむしり取る」

 というやり方が、卑劣だといわれたのだ。

 組織ぐるみでやっていることも問題で、逆に組織ぐるみであれば、そんなに焦ることもないと考えていたに違いない。

 だが、その組織も、

「いつかはバレる」

 とは思わなかったのだろうか?

 ある意味、

「ある程度まで儲ければ、そこから先はアッサリと手を引く」

 というやり方が、詐欺師ではなかっただろうか。

 組織でやっていたとしても、

「最初から証拠を残さないように、事務所であったり、社員をすべて、架空の状態にして、危うくなったら、すぐに手を引くことにできるようにする」

 というのが、いいやり方なのではないだろうか。

 それを考えると、世間にバレて、社会問題になるまで、やっているということは、

「実にお粗末」

 と言えるのではないか。

 昔からいうではないか、

「引き際が肝心だ」

 とである。

 戦争にしてもそうではないか。

「やむを得ず戦争を始めるとしても、どの時点で妥協するか」

 ということが問題なのだ。

 かの大東亜戦争でもそうだったではないか。

 戦争を始める前、政府は必死で外交努力をしてきた。しかし、陸軍の独断専行のために、引くに引けないところまできて、しかも、戦争を扇動しているのは、陸軍と世論。いわゆる、

「マスゴミ」

 であった。

 戦争中、

「情報統制させられた」

 といって、被害者面をしているが、実際には、国民に世相機運を煽ったのは、何と言ってもマスゴミだったのだ。

 もっとも、中国兵による日本人の大量虐殺などがあったことで、国民感情が、

「中国を懲らしめろ」

 ということになったのも事実であったが、米英に対しての戦争も煽ったのは、マスゴミだった。

 政府は、それでも戦争にならないように努力をしていたのに、実際の情勢を把握することができないのか、それとも、分かっていて。新聞を売るために、国民を煽るというやり方をしたのか。

 どちらにしても、

「その罪の重さは深い」

 と言えるだろう。

 そこで政府は、

「戦争になった場合は、先制攻撃で、相手をまず徹底的に攻撃し、相手戦意をくじいたところで、講和に持ち込む」

 というやり方を採用したのだった。

 しかし、軍の戦法は成功し、各所で連戦連勝、相手をどんどん倒し、占領地域を拡大していった。

 南は、オーストラリア手前まで、西はインド付近までと、太平洋も西半分近くを占領するところまで行った。

 本来なら、そこで講和に持ち込めば、少しは違ったかも知れないが、世論の反響と、

「あまりにも勝ちすぎた」

 という事実が、政府の目をくもらせた。

「これでしか、日本が助かる見込みはない」

 といって始めた戦争だったのに、実際には勝利に奢ったのだった。

 まず問題は、最初の、

「真珠湾攻撃」

 だった。

 そもそも、まんまとアメリカの作戦に引きすり出されて、戦争の舞台に上がらされたということも分からずに、しかも、諸事情により、宣戦布告が遅れたということから、アメリカ国民の戦意をくじくどころか、

「日本、許すまじ」

 ということで、半日から、大統領の思惑通りに、戦意高揚の国民の支持を受けることができたのだ。

 さらに、占領地域の広さが問題だった。

 継続中のシナ事変でも、

「宣戦を拡大すればするほど、補給が難しく、収拾がつかなくなる」

 ということが分かっているはずなのに、占領地域を死守しようとする。日本の軍備や人数で、とてもできるはずのないことを、やろうとするから問題だったのだ。

 要するに戦争などのようなものは、

「いかにうまく戦争を終わらせることができるか?」

 ということが問題なのだ。

 これは戦争に限らず、離婚にも言えることだ。

「離婚というのは、結婚の数倍の労力と、体力がいる」

 と言われるが、まさにその通り。

 最初から、後ろ向きなのだから、結婚生活が危なくなった時点で問題なのである。

 とにかく、

「始めることよりも、いかに収拾させるかということが問題だ」

 というのは、ある意味どこの世界でも言えることであろう。

 だが、大東亜戦争の時の政府がそうだったように、詐欺行為の方も、

「うまくいっている今、最盛期の状態で手を引くというのは、なかなか難しい」

 と言えるだろう。

 最初から、彼らが、詐欺行為に走った時、

「ある程度まで儲けることができれば、危なくなる前に、すべての証拠を隠滅して、さっさと手を引こう」

 と考えていたのであれば、少しは違うだろうが、詐欺を行う連中で、少なくとも社会問題になってしまうと、そうもいかない。

 そういえば、戦後すぐくらいのミステリーブームと呼ばれる時代にあった、

「詐欺師集団を描いた社会派ミステリーであるが、戦後、学生数人で、詐欺集団をつくるのだが、そこでは、いろいろな取り決めのようなものがあった」

 というものがあった。

 まず、

「同じ手は、二度と使わない」

「どんなにうまくいっても、目的以上に深入りはしない」

「被害者に同情をしない」

 などというもので、共通して言えることは、

「相手に悟られたり、警察が証拠として握ることができないように、うまく逃げれるようにしておくこと」

 それが大切だというのだ。

「法律で裁かれてしまうと、もうどうしようもないが、逆に法律以外では裁くことができない民主主義の世の中」

 ということを考えると、

「詐欺師にとって大切なことは、いかにうまく相手をかわすこと」

 なのである。

 それが巧みにできるのが、

「詐欺師の詐欺師たるゆえん」

 であり、相手に対して非情になれなければ、詐欺師というのは、立ち回ることができないともいえるであろう。

 それを考えると、昭和の最期にあった詐欺事件は、

「詐欺師としての立ち回り方を間違えた」

 ということになるだろう。

 結果、マスゴミが押しかけて、ごった返している中、恨みを持った男が、社長を殺害するという悲惨な事件を引き起こすようなことになってしまった。

 最終的にどうなったのかは、途中があまりにもセンセーショナルだったこともあって、世間に対しては、結構曖昧に終わったのではないだろうか?

 それを思うと、事件だけがクローズアップされ、最期は尻すぼみだったような気がする。だが、こういう事件こそ、尻すぼみはありがちなのではないだろうか?

 さて、昭和の終わりの同時期にあった犯罪として、このような詐欺事件とは別も意味で、センセーショナルなものがあった。

 事件としては。こちらの方がはるかに大きかった。まずは、某菓子メーカーの社長が誘拐されたところから事件は始まった。

「誘拐しておいて、身代金を要求する」

 というどこにでもある事件であるが、誘拐されたのが、大手企業の社長というところに問題があった。

 その社長は、無事に(?)解放されたが、さらに、別の食品関係の会社の社長を誘拐してみたり、

「会社の商品に青酸カリを注入した」

 という脅迫を掛けてきたりした。

 実際に、スーパーから、青酸カリ入りの食品が見つかり、世間を驚愕させた。

 もっとも、被害が出ないように、

「いかにも怪しい」

 とうう状態にすることで、実際に被害が出ないようにしていたのだ。

 犯人の目的が、

「金欲しさ」

 ということであれば、それでいい。

 または、会社に対しての何らかの復讐である場合にも、不必要な殺生は犯人たちにも、意にそぐわないものだと言えるだろう。

 だが、それは結果的に分かったことであり、

「青酸カリ入りの食品が見つかった」

 ということで、世間はパニックになった。

 当然、その会社の食品を買う人は激減して、身代金どころではない。

「犯人による復讐」

 というのが動機であれば、その時点で、ある程度の復讐はかなっていると言えるのではないだろうか?

 だが、実際にはそれだけで収まらず、他の食品会社にも同じようなことを仕掛けていた。そうなると、

「これは本当に、復讐なのだろうか?」

 ということになる。

 そこでいろいろな説が生まれてくるわけだが、

「愉快犯ではないか?」

 というものだが、単独犯なら愉快犯もありえるが、これだけ大規模な犯罪に、愉快犯というのもおかしい。

「本当に復讐が目的なのだろうか?」

 つまりは、そんなにたくさんも会社に対して恨みがあるというのだろうか?

「木を隠すには森の中」

 と言われるが、本当の目的を隠すために、他の犯罪を重ねているとすれば、ありえなくもないが、発覚した時、それらすべての罪を追うわけなので、現実的でもないような気がする。

 もう一つ考えられるのは、

「最初の企業だけが、真犯人で、後の事件は、模倣犯ではないか?」

 というものである。

「犯人は、うまく相手を脅迫することに成功した。じゃあ、俺たちも似たようなことをしても、犯行をそいつらに押し付けることができるのではないか?」

 というものである。

 しかし、これも現実味に掛ける。

 なぜなら、最初の犯行。つまり誘拐にしても、青酸カリにしても、かなりの期間、そしてお金を使って、用意周到な準備が必要である。

 事件は立て続けに起こっているのだ。あまりにも時間がない。

 しかも、準備をする前に、人間を集める必要がある。どこにそんな時間があったというのか。もし、それができたのだとすれば、あまりにも、

「できすぎなのではないか?」

 と言えるだろう。

 それを考えると、考えられるいろいろなことは、

「帯に短したすきに長し」

 つまりは、

「一長一短あり、どれも信憑性に欠ける」

 ということであった。

 つまり、この昭和の最期の方で起こった、二つのセンセーショナルな事件。

 どちらも華々しく世間を恐怖のどん底い叩き落すだけの効果はあった。

 しかし、詐欺事件の場合には、

「引き際がうまくいかなかった」

 ということであったり、もう一つの事件は、

「広げすぎて、収拾がつかなくなった」

 ということであろう。

 ただ、もう一つの事件に関しては、

「すべての嫌疑において、時効が成立してしまった」

 ということである。

 今の時代における凶悪犯、たとえば殺人などは、今でこそ、時効というものは存在しないが、昔は15年で時効が成立していたのd。

 ちなみにこの時効というのは、

「被疑者が海外に滞在していた時期は、その時効の失効は停止する」

 と言われている。

 つまり、一年間海外にいたことが証明されれば、時効は全体で、15年ではなく、16年ということになるのだ。

 そのことを知らずに、15年経ったからといって、ノコノコ出てくると、逮捕されることになるのだ。

「せっかく、15年間、逃げ通したのに。

 といっても後の祭りなのだ。

 そもそも、犯行を犯して、よく言われるのが、

「海外に高飛び」

 ということを言われるが、それはあくまでも、捜査が一番厳しい状態で日本にいれば、逮捕される可能性が高いからである。

 海外には、日本の警察力は通用しない。よほどの国際テロ組織でもない限り、国際的な操作はできないのだ。だから、警察が手を出せない間に、日本でもほとぼりが冷めて、捜査本部は解散し、

「迷宮入り」

 ということになり、一段落する。

 そこで日本に戻ってこれるというわけだが、実は時効というのは、ここから始まるのだった。

 この海外にいた時間を計算していないと、サッカーなどでいう、

「ロスタイムで、得点を入れられてしまう」

 ということになる。

 さすがに、犯罪を行おうとして、海外逃亡というところまで根回しができる人が、そんな時効の盲点を知らないというのもおかしな話ではないだろうか?

 それを思うと。

「事実は小説より奇なり」

 と言われるのも、無理もないかも知れない。

 そういえば、なるほど、今の時代は、さすがに、昭和末期のような、二つのセンセーショナルな事件に近いものは出てきていない。

 それは、ネットの普及であったり、手口がいたちごっこをしたりする中で、犯人も、

「あまり犯行を目立たせないように」

 ということをもくろんでいるからではないだろうか?

 ただ、営利誘拐というのは、

「割に合う犯罪」

 なのだろうか?

 犯罪というものを、

「割が合う」

 という物差しで測っていいものかどうなのかであるが、難しいところではないだろうか?

 誘拐というのは、殺人までいかないまでも、

「人を拘束し、自由を奪う」

 という罪、さらには、

「脅迫された人の精神的な迫害」

 という罪、さらに、

「金銭を要求するという脅迫罪」

 それらが、まずは基本である。

 さらに、これが会社社長などであれば、業務妨害的な犯罪にもなりかねない。

 そういえば、ある大学の刑事訴訟法のテストで、

「ひき逃げの罪状について述べよ」

 という試験があった。

 これも、複数の罪が並走する。

 一つは、

「業務上過失致傷罪」

 である。

 これは通常の傷害罪よりも、

「免許を持っている人間が、運転するという業務の上で行う事故なので、それだけ罪は重い」

 というものだ。

 もう一つは、逃げているわけので、

「放置した」

 という罪である。

「救護義務違反」

 さらには、

「事故報告義務違反」

 などがある。

 さらには、

「危険防止措置違反」

「現場に留まる義務違反」

 などの罪が、重複することになる。

 つまり、ひき逃げをしてもすぐに自首しないと、これだけの罪により、免許取り消し処分、さらには、懲役刑などという問題になってくるだろう。

 さらに、事故が原因、あるいは、放置したことが原因で死亡したとすれば、

「人生が終わった」

 といってもいいだろう。

 基本的にひき逃げをする人のほとんどは、

「飲酒運手をしたから」

 ということが多いのだろうが、その場で警察に通報していれば、

「飲酒運転」

 だけの罪になり、他の付随した罪がついてくるわけではない。

 それを考えると、

「ひき逃げは、割に合わない」

 と言えるだろう。

 ただ、ひき逃げは、とっさのことなので、判断が鈍るのはしょうがないかも知れないが、誘拐は、少なくとも、念入りな計画が必要である。当然のことながら、

「誘拐というのも、切羽詰まって行うことだ」

 といえるが、リスクがどれほどのことかを考える必要がある。

「大金が必要でそのためには、犯罪も辞さない」

 ということであれば、その金額にもよるが、高額であればあるほど、選択肢は狭まってくるのである。

 誘拐を計画し、実際に誘拐に成功したとしても、どこから漏れるか分からない。

 しかも、誰が見ているか分からないし、今の時代であれば、いたるところに防犯カメラがあるので、昔のように、

「誘拐する」

 という、第一段階でも、相当に難しいと言えるだろう。

 下手をすれば、

「誘拐未遂」

 という中途半端な状態で捕まってしまい、結局お金を取ることもできず、それどころか、起訴されてしまう可能性もある。それを考えると、実際に割に合わないといってもいい。

 昔だったら、数人で車に押し込むというような乱暴なこともあったが、目撃者は防犯カメラの存在、さらに、共犯者が必要になってくる。

 もし、誘拐に成功したとして、今度は身代金の受け渡しが問題だ。いかに警察に逮捕されるにお金を取ることができるかである。

 それに成功したとして、では、人質はどうするか? まさか、殺してしまったりすれば、

誘拐殺人ということになり、情状酌量の余地はなくなってしまう。しかし、まともに返してしまうと、脚がつく可能性は大きいではないか。それを考えると、正直、

「割が合わない」

 と思えて仕方がないのだった。

 そんな営利誘拐であったが、

「今時、営利誘拐だなんてね」

 と言われるかも知れないが、実際に起こったのだ。

 弘前家というある富豪の館に住んでいる、令嬢である、

「つぐみ」

 という女の子が誘拐されたのだった。

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