3-3 白紙の街へ

 小麦畑はどこまでも広がっており、水平線は黄金色と群青の二色で引かれている。街へ向かうなら、定規で書いたような一本道を歩けば迷わずにたどり着くだろう。

 周囲を見渡すが、パルケの姿は見当たらなかった。


「パルケ! どこだー!?」


 つい十数秒前まで近くにいた者の名を叫ぶ。その声は遠くまで響いたが、返事はなかった。


「…………」


 マクベスはわずかに揺れ動いた麦の穂に視線を合わせた。


「はぁー。どうやらオレたちも、本の中に閉じ込められちまったみてぇだな」


 マクベスは本に書かれていた絵と文を思い出す。ソアンとクレディアの二人は、白紙の街へ向かったと書かれていた。


「さて、脱出の手がかりと二人を探しに行くとすっか」


 マクベスは小石を拾うと、綺麗なフォームを描き、小麦畑に投げ入れた。


「いたっ!」


 隠れていたパルケが声を上げ、黄金色の穂を掻き分けながら姿を現す。不機嫌な顔で少しだけ赤くなった額をさすり、奇襲の失敗に苛立っていた。


「ちぇっ、油断も隙もない奴!」

「残念だったな、髪色でごまかせると思ったら大間違いだぜ」

「少しくらいのんきにしてくれてもいいだろ! 全然たおせないぞ!」

「殺されてやる道理はありませ〜ん」


 理不尽な発言を聞き流し、マクベスは先に道を歩く。言い換えれば、あえてパルケに背中を見せて歩いた。


「俺って強いはずなのに……背中を見せてるお前を斃す方法が見つからない。理不尽だ」

「殺した方がいいからって理由でつきまとわれてる、オレの立場の方が理不尽だっての」


 マクベスは自身の置かれている状況を口に出し、


「……そりゃあ心配されるよな」


 図書館を出ようとしたときに見た、クレディアの顔を思い浮かべる。


「とりあえずあの街に行こうぜ。ここにいても何もねぇだろうしな」


 マクベスの指示に、パルケはおとなしく従った。二人は導くように伸びた道を歩いていく。近づくにつれ、街が外壁や時計塔、全ての建築物が主に白色で統一されていることに気づいた。薄い灰色もあるが、太陽の光でできた影でそう見えているものもあり、何もかもが白色で物と物の境界線が曖昧に感じられる。


「なんだかまぶしい……」


 パチパチとまばたきするパルケ。目がチカチカとしているのはマクベスも同様で、遠近感が狂ってしまいそうになる。

 街の入り口には二つの支柱にアーチ型の看板が掛けられていた。街は柵と鎖で囲まれ、それを境目に薄い灰色のレンガ道が広がる。文字だけは真っ黒で、他は壁も屋根も白と薄い灰色が使われ、街路樹の姿は無い。あたり一面がホワイトとグレーだらけで、目が痛くなる。

 それでも規模に見合う程度には栄えているようで、住人たちが道を行き交っていた。人間、エルフ、ドワーフ、獣人、その他様々な種族の住人が、それぞれの日常を送っている。彼らの髪色や瞳の色も全て白というわけではないが、やはり服装は白系統だった。


「外観はともかく、普通の街に見えるな。一応は」


 マクベスは警戒しながらアーチをくぐった。特に異常は見当たらず、手招きしてパルケも入るよううながした。

 スキップのような足取りでパルケも街の中に入る。周囲を見回し、しょげた顔でうつむいた。


「文字が全然読めない」


 パルケが落ち込むのは無理もなかった。看板のほとんどの文字は現代語で書かれてはいるが、ミミズがったような文字で、マクベスでも読みづらいものばかりだった。

 近くにある案内板には、“白紙の街へようこそ”と大きな文字で街の名と歓迎の意を示していた。


(白紙の街……絵本の中で、ソアンとクレディアが向かった場所はここだな)


 マクベスがアーチの文字を睨みつけるように凝視している間、


「……うーん?」


 パルケは怪訝けげんそうな顔で周囲を見渡していた。その視線は文字ではなく、道行く人々を捉えている。

 そんな中、通行人を避けながらマクベスたちへ近づこうとしている者がいた。蹴り飛ばされないよう、縫うように道を横断して、二人の前で立ち止まった。

 背丈は一メートルに届かないほど。茶色の毛並みに黒い瞳が愛らしいその男の子は、犬が二足歩行をして服を着ているような見た目をした獣人だった。暖色で揃えられた服装の色が、この街ではやけに目立つ。


「こんにちは! お兄さんたち、観光に来たの?」


 一瞬だけ返答の内容を考え、マクベスは答える。


「まぁ、そんなところだな」

「やっぱり! 今日はいつもと違う日だなぁ。今まで外から人なんて来なかったのに、お兄さんたちで四人目だよ!」


 嬉しそうに尻尾を振る獣人の男の子に、パルケが矢継ぎ早に質問する。


「! なぁお前、他の二人はどこにいるんだ? 髪の長い少年と尻尾と翼を生やした女だったか? 俺たち、そいつらを助けなきゃならないんだ! 金のたいててっ!」


 金のために! と続けようとした言葉を、マクベスは足を踏みつけて阻止した。


「とまあそういうわけで、二人の行き先を知ってるなら教えてくれねぇか?」

「うーん。少しお話はしたけど、どこへ行ったかまでは知らないなぁ」


 男の子がそう告げたとき、どこからか重低音の鐘のが響いた。ゴーン、ゴーンと近くの時計塔が十二時を知らせる。すると住人の何名かが、何かを思い出したかのように一瞬立ち止まり、街の中心部へ向かっていった。


「あっ、そろそろ帰らなきゃ。じゃあね、お兄さんたち!」


 男の子は両手を振り、細い路地へと姿を消した。


「なぁマクベス、どうやって二人を探すんだ? かなり広い街だけど」

「そうだな……」


 考えていると、マクベスは視界の隅に宿屋の看板を見つけた。やはり看板に描かれた絵はあまり上手とは言えなかったが、ベッドと食器だと認識できる程度には特徴を捉えていた。


「パルケ、あの本の内容って全部見たのか?」

「ああ、見たぞ」


 パルケは親指を立て、輝く白い歯を見せる。


「どんな内容だったか覚えてるか?」

「文字はあまり読めなかったけど、最初の数ページは男の子と女の子が描かれてたな。他には……茶色の獣人と、悪そうな顔した男が二人。あと髪の長い女がいたかな」

「ソアンとクレディアが描かれていたページまでに、この街──白紙の街について何か記述はあったか?」

「いや、少なくとも絵には無かったぞ」


 マクベスは顎をさすると、次に指をパチンと鳴らした。


「サンキュー。とりあえずの方針は決まった。宿屋を巡るぜ」

「別にいいけど、なんで宿屋なんだ?」

「オレたちはソアンとクレディアが本に描かれていたから、本の中に異空間があって、そこに閉じ込められたと仮定できた」


 宿屋に向かって歩きながら、説明を続ける。


「だが二人は違う。あのとき描かれていたのは、兄妹らしき二人組や獣人といった人物だけ。本の中に閉じ込められたと考えるより先に、魔導書の力で見知らぬ土地に飛ばされたと考えてもおかしくはねぇだろ?」


 マクベスの話を、パルケは静かに聞いていた。街に入ってから妙に落ち着きのある死神に少し違和感を覚えたが、物分かりが良くなったのか気がかりなことがあるのかの判断がつかない。

 まずは自身の考えを、パルケに伝えることにした。


「調査のために拠点を作るなら、オレたち冒険者にとって慣れてる宿屋ばしょを選ぶ。少なくともオレはそうするぜ」


 それにと、マクベスは呆れを含めた苦笑いを浮かべた。


「あの魔導書が何を引き起こしたのかを、ソアンなら他人のことなんざ放っといて調べようとするだろうよ。それを止められるほどクレディアの気は強くねぇ。だから無理がたたってソアンはぶっ倒れる。どちらにせよ、どこかの宿屋に一度くらいは顔を出してるはずだぜ」


 パルケは昨日の夜、ソアンに呼ばれたときの出来事を思い出した。


「そういえば昨日、ソアンが死にかけてたな」

「マジか。研究対象を見つけると、自分のことをおろそかにしがちなんだよなーアイツ……」


 頭を掻いて、世話の焼ける少年の姿を思い浮かべた。

 宿屋の前に着くと、マクベスは両開きの扉を開けて入った。それなりに広いロビーにはいくつかのソファーとテーブル、椅子が置かれていた。


「いらっしゃいませ」


 受付の若い女がニッコリと微笑む。マクベスは少し前屈みになってカウンターに寄りかかる。


「ちょっと訊きてぇことがあるんだけどよ、この宿に魔術師のガキと魔族のシスターが来なかったか?」

「お部屋なら空いてますよ」


 受付嬢は変わらぬ笑顔のまま職務をこなそうとしていた。聞こえなかったようだと思い、マクベスは事情を説明した。


「いや、わりぃけど客じゃねぇんだ。背がこれくらいの白髪の魔術師と、おどおどしてる若いシスターを探してんだけど、見覚えねぇか?」


 マクベスの問いに、受付嬢はわずかに首を傾ける。手のひらで置かれた料金表と受付簿を指すと、


「料金はこちらの表をご参照くださいね」


 にこやかな顔でそう言った。


「…………」


 マクベスは思わず眉をひそめる。受付嬢に悪意は無いようで、満面の笑みを湛えたまま返事を待っていた。同じ言語を使っているにも関わらず、声も届いているはずなのに、彼女はマクベスのセリフ全てを無視していた。


「手間取らせて悪かったな。他をあたってみるぜ」


 軽く手を振り、いぶかしんでいるパルケの肩を押して宿屋から出る。


「ったく、なんだったんだ?」


 受付嬢の反応は、誰が見ても異様だった。マクベスの存在を認知しているが、会話をしようとする意思が無いように思えた。


「とりあえず、別の宿屋を探すぜ」

「…………」


 マクベスは緩やかな坂道を進んでいく。が、パルケがついてきていないことに気づいて振り返った。パルケはどこまでも青い空を見上げていた。次にすれ違う人たちを観察し、首を傾げている。


「置いてくぞー」


 忠告してようやく気づき、駆け出した──その瞬間、女の短い悲鳴が上がった。後方から聞こえた声に反応し、二人が咄嗟とっさに顔を向けると、倒れた女の姿と小悪党を絵に描いたような男が二人、こちら側へ走ってくるのが見えた。

 マクベスのすぐ近くに、路地裏へと続く細道がある。男の一人は片手に女物のバックを握り締めており、二人組は路地裏へ逃げようとしていた。

 マクベスは瞬時に足を前に出し、バックを持った男の足に引っ掛けた。男は思い切り顎をレンガ道に打ちつけ、バックを手放した。宙を舞うバックをパルケが掴み取り、


「えいやっ!」


 バックをもう一人の男に投げつけた。見事に顔面に直撃し、男は一瞬ひるんだ。その隙にマクベスが足払いを繰り出し、彼は背中から倒れてうめき声を上げた。


「盗まれた物を投げつけるのはどうかと思うぜ」


 いくらか汚れてしまったバックを拾い、駆け寄る髪の長い女に手渡した。


「ほらよ」

「! 取り返してくれたのね。ありがとう」


 女は安心して胸を撫で下ろす。悲鳴を聞きつけた衛兵が数人駆けつけ、女が事情を説明した。


「旅の方、ご協力感謝致します!」


 敬礼し、衛兵たちは盗人をロープで縛り自由を奪うと、そのまま連行していった。


「…………」


 後ろ姿を見送った後、マクベスは王都レクスタリアの衛兵の姿を思い浮かべた。盗人を捕らえると被害者には感謝されるが、衛兵からは「よりによって捕まえたのお前かよ」と言わんばかりにげんなりとした顔をされ、喧嘩をふっかける荒くれ者に圧倒的な力を示してやれば、「またお前か! 暴力沙汰もいい加減にしろ!」と凄まじい剣幕で怒鳴られる。それが日常だったので、


「普通に感謝されたぜ!!」


 久々の感覚にむず痒くなり、思わず叫んでしまった。

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