3-2 謎の本

 先頭を歩くパルケは、文字を書き込んだ羊皮紙を見ながら大通りを進んでいた。


「うーん……」


 時折唸りながら、首を傾げながら、熱心に文字を目で追っている。


「何してんだ?」


 気になりマクベスが訊くと、羊皮紙から目を離さずにパルケは答えた。


「文字を覚えてるところだぞ。本当は授業の内容を全部現代語で書こうとしたんだけど、やっぱりまだ覚えられなくて。えっと、これは……さかばるーまー……か?」


 酒場ルーマーと書かれた看板と羊皮紙を交互に見ながら、パルケは店の看板を見つけてはその文字を確認していた。


「熱心なこった。だけどな、本来の目的は忘れんなよ」

「ああ、わかってるって」


 パルケはやはり目を合わせないまま答えた。


(オレ、本当にコイツと仕事できるのか?)


 一抹どころではない不安を抱え、マクベスはなんとか金を捻出する算段をつけようと脳をフル回転させた。が、妙案は何も浮かばなかった。食費やその他生活費を切り詰めるのは性に合わなかった。というより、過去に何度かやったが全て失敗に終わっていた。


(実入りのいい仕事をしまくればいいや!)


 結局、計画性の欠片もない解決策に至る。

 パルケは羊皮紙をたたむと、後ろ歩きでマクベスに笑顔を向けた。


「今度はなんだよ?」

「実はさ、授業を受けてるときに思い出したことがあるんだ」


 くるりと回り、今度を前を向いて歩き始める。


「いつの出来事なのかまでは覚えてないけど、図書館ほど広くはない部屋で、誰かに魔法を教えてもらってるんだ。まぁそれだけなんだけど」


 冥界ではない場所。そこで魔法を学んだという記憶は、パルケの過去を知る手がかりとなり得る。


「なるほど。アンタは昔、死神の仕事以外の目的で人界に訪れたことがあるってわけか」

「そういうことになるな。昔は知り合いにいろいろ教わってたのかなぁ……」


 懐かしむように目を細めるパルケ。ふと、マクベスは自分もパルケのような立場になったらと想像する。

 いつの間にか大切なはずの記憶を失い、そのことすら長らく気づかず、詳細が秘匿ひとくされた千五百年前の戦争の時代に関わりがある。そして、自分を知る者は既に世界のどこにも存在しない。

 真っ先に思い浮かぶのは、“孤独”の二文字だった。


「あっ!」


 突然、パルケは大声を上げた。驚いてマクベスと周囲の通行人が顔を向ける。


「そういえば、絵本借りるの忘れてた!」

「え、絵本?」

「アシェリーが言ってたんだ、絵本は簡単な言葉で書かれてるし絵もあるから、文字を覚えるのにピッタリだって」

「たしかにいいかもな。でもよ、あんなところに絵本なんてあるか?」

「探せばあるぞ! 絶対に!」


 どこからその自信が湧いてくるのか、マクベスには理解できなかった。パルケはそんなマクベスをほうって、全速力で来た道を戻っていった。


「おい待て! それは仕事帰りとかでいいだろ!」


 既にパルケの姿は無く、蔵書の九割は魔法に関するもので埋め尽くされている図書館に、マクベスは再び向かう羽目になった。

 急いで追いかけ、図書館へ到着する。教授は庭で草むしりを続けていた。が、先ほどとは異なり凄まじい勢いで雑草を除去していた。洗練された見事な動きの邪魔になりかねないので、声をかけることはしなかった。

 図書館の玄関扉は開けられたままだった。図書館へ入ると、吹き抜けを見上げては周囲をキョロキョロと見回すパルケがいた。


「…………」


 不思議そうにパルケは首を傾げ、頭の後ろを掻いた。


「絵本は探さねぇのか? 手伝ってやるけど」


 目的を忘れたのかとマクベスは思ったが、パルケは頭を左右に振った。


「変だ」

「変って何が?」

「…………」


 突然、パルケが背中から魔力の翼を広げた。質問には答えずに吹き抜けを飛んで、三階の執務室へ降り立つと勝手に扉を開けて入っていった。


「あーもう、なんだってんだよ!」


 仕方なくパルケを追い、階段を駆け上がって執務室に入った。


「あのな、クレディアとソアンが話してんだから──」


 マクベスは言いながら部屋に入るが、違和感に気づいて黙った。

 マクベスとパルケは図書館から離れたが、それはほんの十数分くらいだった。執務室にはパルケ以外の人影は無く、それだけなら二人はどこかへ出かけた可能性はある。しかしそう思えなかったのは、まだ飲まれていないコーヒーが二つ、机の上で湯気を立てているからだった。無類のコーヒー好きであるソアンが淹れたてを飲まず、どこかへ姿を消すのはあり得なかった。

 そしてもう一つ、布にくるまれていたらしい一冊の本が、異様な存在感を放っていたからだった。


(あれは……魔導書か?)


 一目見るだけでは、表紙が何も書かれていないだけの本にしか見えない。手帳ほどの大きさで、どこにでも売られているような品だった。

 しかし執務室に漂うわずかな魔力の気配が、なんの変哲もないはずの本から発せられているのをマクベスは感じ取った。

 そしてその本を、


「これだな」


 ひょいっとパルケが持ち上げた。


「何してんだテメェーーーッ!!」


 瞬時に握り拳をパルケの後頭部に叩き込み、本を取り上げ布の上に戻す。


「いってぇ!?」

「アンタもこの本が怪しいってのはわかるだろ! 無警戒に触ってんじゃねぇ!!」


 本を指差し、胸ぐらを掴んで怒鳴るマクベスに、パルケは涙目で異議を唱える。


「だ、だってソアンと……えっと、クレナントカって冒険者の気配がこの本からするんだ。この中にいると思ったから触ってなんとかしようと思ったのに……」

「ソアンの魔導書みたく、これがお勉強部屋のような異空間に繋がってるってか?」

「そうそう、そういうことだ!」


 原因のわかりきった頭痛が襲い、マクベスは手を離すと頭を抱える。背を向け、赤と青の双眸そうぼうを閉じた。

 魔導書が布の上に置かれていたことから、クレディアが持っていた物がこの本であることは間違いないだろう。魔術に通ずるソアンに力を貸してほしいと言っており、彼女はこの魔導書に関して訊きたいことがあったらしい。


(または本にかけられた魔術を解除してほしかったか……。どちらにせよ、魔術師に見せて少しでも情報を得ねぇとな)


 今、近くにいる魔術師は草むしりに熱中している教授で、彼に見せるべきだと判断した。


「なぁマクベス、絵本あったぞ」


 弾んだパルケの声がかかる。


「そうか、それはよかったな」

「しかもソアンと、さっきのクレディアって人が描いてあるんだ」

「へぇ、それは──」


 目を見張り振り返ると、先ほどの本を開いて内容を見せるパルケがいた。


「よくねぇぇええッ!!」

「ぐえっ!!」


 ドロップキックをお見舞いすると、パルケの体と魔導書が吹っ飛んでいき、ドスンと音を立てて床に落ちる。


「触んなっつったばかりだろーが! 人の話は聞けって習わなかったのかよ!?」

「うん」

「だろうな! でもテメェが悪い!」

「えー」


 起き上がり、不貞腐ふてくされるように片側の頬を膨らませるパルケに、もう一度キックをぶちかましたい気持ちをなんとか押さえた。マクベスは開かれた魔導書を手に取る。

 パルケの言うとおり、本には数行の文字の他に子供が描いたような可愛らしい挿絵が描かれており、服装と身体的特徴からソアンとクレディアに違いなかった。

 やや古ぼけたページをめくると、今度は小麦畑を歩く二人の絵があった。文章は、「こうしてソアンとクレディアの二人は、白紙の街へと行くことになりました」と添えられている。

 最初のページを見ると、そこには何も書かれていなかった。まっさらな状態で、タイトルも著者もわからない。次のページをめくると、少しばかり絵柄が異なる挿絵が添えられ、字も少しは綺麗なものになっていた。二人の幼い少年少女が、家を出て冒険をする──そんな物語の導入が書かれている。


「いったいどうなってんだ……?」


 手にした物は、魔導書というより呪われたアイテムに近いものを感じ取る。若干の寒気と、込められた魔力の気配。まともな物ではないのは明白だった。


「まさか二人が主役の絵本があるなんて。実は有名人だったのか?」

「ちげーよ、たぶんアイツらは本に閉じ込められちまったんだ。それに、主役はどっちかっつーと……」


 ちらりと、笑顔が愛らしい少年と少女の絵を見やった。


「なぁなぁ、冒険者って人を助けたら金を貰えるんだろ? だったら二人を本から出してやろうぜ!」


 パルケは本を奪い取ると、上に掲げて呼びかけた。


「おーい魔導書! ソアンとクレディアを出せー! それが嫌なら俺たちも入って暴れてやるぞー!」

「そんなことしても意味ねぇ──っ!?」


 呆れてツッコミを入れようとした瞬間、魔導書からまばゆい光が放たれた。思わず目を閉じるが、強烈な光はすぐには収まらない。

 まぶた越しで見える熾火おきびのような光が消え、ゆっくりと目を開く。


「…………」


 マクベスは眼前に広がる光景に、二つの意味で溜め息を溢した。

 肌寒いそよ風が頬を撫で、黄金色こがねいろの小麦畑が揺れる。遠方には白い街並みと、背の低い山がつらなっているのが見えた。

 溜め息の理由。その一つはなごやかな景色に対する感嘆であり、もう一つは、


「……今日も仕事はできそうにねぇや」


 金を稼げないことによる落胆だった。

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