第三章 白紙の街にて─Those who spell out happy endings─

3-1 授業中

 とある教会で、黒い服を着た大人たちと神父が集まっていた。彼らは棺桶の中で眠る幼い少女に、雪のように白い花を添えていく。少女より少しばかり年上の少年も、片手に持った花を顔の近くに置いた。そしてもう一方の手にあった、手帳サイズの本を少女のかたわらに置いた。


「…………」


 目尻に溜まる涙をこぼすまいとしていた少年だったが、本から手を離せなかった。数秒が経過し、少年は本を掴むと教会の外へと走り出した。

 後方から親の叫び声が聞こえたが、なりふり構わず足を動かす。途中でつまずき、本を放り投げてしまった。ページが広がり、子供が書いた文字と挿絵があらわになる。

 少年が顔を上げると、少年と少し年下の少女が描かれた挿絵が目に入った。自分と棺桶で眠る少女の、楽しげな表情の絵を見て、ついにき止めていた涙が溢れ出す。

 少年の両親が彼を抱き締めるが、その滂沱ぼうだを止める術はなかった。



* * *



 早朝、マクベスはあくびをしながらアークトゥス通りを歩いていた。その理由は、パルケを迎えに行くためである。

 仕事のために珍しく早起きしたというのに、パルケは宿舎のどこにもいなかった。流星雨のロビーへ行き、ドルファに行方を訊いた。


「パルケか? 一時間ほど前に勉強道具を持って飛び出していったぞ。図書館へ行ったのではないか?」

「マジか。アイツ仕事する気あんのか?」

「お前さんが言えたセリフではないのう」

「仕方ねぇ、迎えに行ってやるか」


 マクベスはドルファのツッコミを聞かなかったことにして、連れ戻すためにソアンの図書館へと向かった。

 住宅街を通り、いくつか角を曲がり、剣先フェンスに囲まれた図書館へとたどり着く。


「ん?」


 扉に手を触れようとするが、視界の隅に人影──草むしりをしている教授の姿を捉えた。人目を気にしてか、深々とフードをかぶっている。


「よぉ、教授」

「ん? ……おお、マクベス君ではないか!」


 本の顔を上げ、作業を続けながら教授は挨拶代わりに片手を上げた。


「こんな朝っぱらから草むしりか?」

「そうだ。図書館は蔵書のラインナップもそうだが、景観も重要だ。冬でもたくましく雑草は生えてくるので、力仕事が苦手な我が主の代わりにやっているのだ!」

「そうか、アイツけっこう病弱だもんな」


 いつだったか、真っ青な顔で雑草を握りしめたまま、庭で倒れているソアンを見つけたときのことをマクベスは思い出した。


「数年ほど部屋にもっていたが、外での作業もいいものだな! ……ところでマクベス君、ひょっとしてパルケ君を迎えに来たのだろうか?」

「ああ。勉強していいとは言ったけどよ、アイツは優先順位ってやつを知らねぇみたいだな」

「ワッハッハ! 勉学に励むのはいいことだが、支障をきたすのはよろしくないな」


 愉快そうに教授は笑い声を上げる。


「だが、どうかキリのいいところまで待ってはもらえないだろうか? 彼が熱心に授業を受けているのもまた事実なのだ」

「へぇ? どれどれ……」


 確認してやろうと、マクベスはドアノッカーを叩かずに扉を開く。すぐに椅子に座ったパルケの後ろ姿が確認できた。

 図書館の一階は読書用のテーブルと椅子が中央に配置されている。今は少し位置が変わっており、いくつかのテーブルが横並びになっている。向かい側には狭いテーブルが一つあり、教壇の役割を担っている。


「む、天下無双か。悪いがもう少しそこで待ちたまえ」


 教壇に立つソアンはそう言うと、すぐに授業へと戻った。パルケは集中していて気づいていないのか、それとも勉強についていこうとして余裕が無いのか、羊皮紙にペンを走らせていて振り向くことはなかった。

 マクベスは支柱に背中を預け、二人の横顔を眺めながら待った。

 ソアンの後方、どこからか引っ張ってきたらしい黒板には、魔法に関する知識とわかりやすい図式が書かれていた。パルケはそれを真剣に書き写しているようだった。

 前屈みに、食い入るように羊皮紙へメモをとっている。しかし、下手くそな現代語で書かれているのは最初だけで、二行目からはすべて古代語で書き記されている。


(歴史の勉強じゃねぇのか。身近なことを解説して、授業に慣れさせるってことだろうな)


 パルケの懸命な後ろ姿に敬意を払い、マクベスはキリのいいところまで待ってやることにした。


「魔力は人の精神と密接な関係にあることは、先ほど話したとおりだ。人や魔物が身に宿す、魔力というエネルギーを使って火をおこしたり怪我を治したり。そういった奇跡の総称を、我々は“魔法”と呼んでいる」


 わずかにソアンの手が、かすかな揺らめきのあるオーラ──魔力に包まれた。すると、魔力が指先に集まると小さな火球が出現した。

 ソアンがちらりとマクベスに目配せする。意図を察し、マクベスは指先からソアンと同じ魔術──初歩的な火の魔術を唱えた。同じ大きさの火球を生成し、飛ばす。同時にソアンも火球をぶつけさせる。二つの火球は接した瞬間に火花を散らし、花火のように弾けて跡形もなく消えた。


「さて、死神よ。私と天下無双が作り出した火球が合わさることなく、このように対消滅した理由はわかるか?」

「はいはーい!!」


 パルケは満面の笑みで挙手した。


「全然わからないぞ!」

「元気な返事だけは評価してやろう!」


 ソアンが指をピンと立てて解説を始める。


「答えは“人の強い意思が介入しているから”だ。魔法で生成した火は、火打ち石でおこした火と性質は変わらない。火を生み出すだけなら、人の意思は要らないからな」


 パルケは視線を上に向け、首を傾げて目を細める。


「だが火を操り敵へ攻撃する場合、敵意という意思が織り交ぜられ、ただの火ではなくなる。先ほど話したとおり、魔法の行使に必要な魔力は人の精神に深い関わりがある。精神は各々のものであり、他人と一つになることはない。だから何かしらの意思が介入した時点で、同じ魔法だとしても一つに合わさることはないのだ」

「うーん?」


 よくわからないらしく、パルケは完全にペンを動かすのを止めてしまう。


「そうだな……要するに、自分が扱う魔法は他人と反発すると思えばいい。基本的に強力な魔法の方が打ち勝つというのは、貴様のような戦闘に長けた者なら理解しているだろう。いくつか例外もあるのだが、それは次回解説してやろう」

「よし、わかった」


 ソアンは楽しそうに再びペンを走らせるパルケを見守り、ちゃんと書き留められているかどうか確認していた。字が下手なうえに古代語なので、マクベスにはわからない。


「すごくためになるなぁ」

「私はそんな基礎的なことも知らずに、魔法を使う貴様に驚いたがな」


 授業を聞いていたマクベスも、何度も頷き同意する。


「だって教わった記憶ないし。あーあ、こんなにためになる授業を放っておくなんて、アシェリーは惜しいことをしてるな」

「そうだ、そもそもこの授業はアシェリーのために準備したものだというのに、当の本人はどこへ行ったのだ!」


 その理由をマクベスは知っており、本人の代わりに伝えてやることにした。


「アシェリーなら足首ひねって療養中だぜ」

「まったく、困った生徒だ」


 あまり怒っていないのは、授業自体は行えたから満足しているのだろうとマクベスは察した。


「今回の授業は終わりだ。死神、次はアシェリーを連れてきたまえ」

「ああ、わかった」


 パルケはどこで手に入れたのか、ほつれた荷物袋に勉強道具をしまい、片付け始める。

 丁度授業が終わったとき、誰かが玄関扉をノックした。


「ソアンさん、力を貸して欲しいんです。お時間ありますか?」


 そう言ってゆっくり扉を開いたのは、シスター服を身にまとった若い女だった。紫色の長い髪を腰の辺りで緩く結び、腰からコウモリのような翼と、爬虫類のような細長い尻尾を生やしていた。手には布でくるまれた、長方形状の何かを持っている。


「おや、クレディアか」


 来訪者の姿を見て、意外そうにソアンは目を丸くした。


「よぉ、アンタがここに来るなんて珍しいな」


 マクベスがシスター服の若い女、クレディアに声をかけると彼女も意外そうな顔をした。


「あれ、マクベスさん? それはこちらのセリフですよ。今日は珍しく早起きなんですね」

「本気出せばニワトリよりも早く起きれるぜ。いつも惰眠をむさぼっているだけで」

「そんなだから、微妙な報酬の依頼しか残ってないって嘆いているんじゃないですか……?」


 クレディアは桃色の瞳を細めて苦笑いを浮かべる。


「なんだ、お前の知り合いか?」


 片付けを終えたパルケが、親しげな様子を見て訊いた。


「ああ、オレと同じ流星雨の冒険者だぜ。せっかくだし紹介しとくか。クレディア、コイツは──」

「俺はパルケ、死神だ!」


 マクベスが説明するよりも早く、パルケは胸を張りながら堂々と名乗った。


「へぇー、死神さんなんですね。初めまして、あたしはクレディアって言います。流星雨に所属している冒険者で、たまに神官として教会でお手伝いをさせてもらってます」


 クレディアも名乗り、ぺこりと頭を下げた。


「って死神!?」


 が、下げた頭は勢い良く上げられ、驚愕の表情で悲鳴を上げる。


「あ、あたし何も悪いことしていません! 人違いですーっ!!」


 両手と首を激しく左右に振り、大袈裟な身振り手振りで否定した。腰に吊り下ろしていた、二丁の魔法銃が揺れる。


「お前に用は無いぞ。あるのはマクベスだ」

「ちょちょちょ、ちょっとどういうことですかマクベスさん!? 今度は何をやらかしたんですか!?」

「何もやってねぇって! いろいろあったんだよ!」


 マクベスは騒ぐクレディアに、この数日間の出来事を話した。死神であるパルケは大鎌が直るまで冥界へ帰れないこと、大鎌の修理費を稼ぐため、しばらく働くことになったこと、失った記憶を取り戻すためにも勉強をしていることを。

 落ち着きを取り戻したクレディアは、相槌を打ちながらそれらの話を聞いていた。


「つーわけで、こうして世話してやってんだよ」

「なるほどなるほど……で納得できませんよっ!?」


 何度かうなずくクレディアだったが、声を荒らげた。


「どうして何度も命を狙われて平気でいられるんですか!?」


 もっともな質問に、マクベスは癪に障る笑い方で答えた。


「ギャハハ! 奇襲の対処はかなりいいトレーニングになるんだぜ!」

「そんな命がけの鍛錬しないでください! そもそも説明になっていませんっ!」

「まぁ落ち着けってクレディア。よく考えてみろよ、オレ以外の誰がアイツの面倒見れるってんだ?」

「それもそうですけど……」


 ちらりとパルケを見やるクレディア。喪服のような真っ黒な色の服装に眼帯、血のように真っ赤なマフラー。目が合い、パルケは少し首を傾げて微笑んだ。

 クレディアはパルケに背を向け、マクベスに顔を近づけてヒソヒソと話す。


「な、なんと言いますか……見た目は大人なのに、子供のような澄んだ目をしていますね。なんだが放っておけないです……」

「だろ? はたから見ると危ねぇ奴ではあるんだけどよ、狂人ってわけじゃなくて、常識がわからない子供みてぇな奴なんだよ。たぶんな」

「だからって、自分の命を狙う人の世話なんて普通できませんよ……」


 クレディアは深い溜め息をついた。


「でもほっとけねぇ理由はあるんだぜ? アイツ風邪ひいてたときに寝言で──」


 言い終える前に、その声はソアンによって遮られた。


「おいクレディア、天下無双に会いに来ただけならお引き取り願おうか」


 面倒臭いと顔に書いてある、お手本のような怪訝けげんな表情でソアンは用件をうかがった。


「違います! 実は……あっ、ひょっとしてお取り込み中でしたか?」

「いや、今終わったところだ。用件を聞こう」


 ソアンは円を描くように人差し指を回すと、黒板は瞬時に消え、テーブルや椅子は元の位置に戻っていった。


「パルケ、仕事しに行くぜ」

「ああ、わかった。今日はありがとなー、ソアン!」


 パルケは一足先に図書館から出ていく。マクベスも二人に軽く手を振り、外へ出ようとしたが、


「マクベスさん」


 クレディアに呼び止められた。


「あの、何か手伝えることがあれば協力しますから、遠慮せずに言ってくださいね」


 そう言って、ソアンのいる階段の方へと駆けていった。


「サンキュー、そのときが来たら頼むぜ」


 クレディアが振り向き、笑顔を見せる。マクベスは善意を受け取り、玄関扉を閉めた。

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