幕間 彼なりの気遣い

 その日の夜。パルケはアークトゥス通りの住宅街を歩いていた。

 太陽光を吸収し、暗くなると光を放つ鉱石を利用した街灯が夜道を照らし、住民や旅人たちとすれ違う。夜になると、王都レクスタリアは昼とは違う別の顔を見せてくれる。

 酒場はくだらない方法で賭博が行われたり、路地裏は表では取り扱えない物品の売買がされ、カジノは夢を掴もうとして、希望が泡のように消える者たちで溢れかえっていた。

 高壁の向こう側にあるスラム街は、物騒なことが人知れず行われていることだろう。懸命に職務に励む衛兵の一部は、たちの悪い酔っぱらいに絡まれ対処に難儀している。


「やっぱり夜が一番だな!」


 全方位に広がる夜空と、綺麗な白い花が咲く冥界の景色が重なり、パルケは夜空を見上げた。手を伸ばし、広げた指の間で星々がきらめいている。

 つい昨日まで高熱に浮かされ、夜空どころか窓外の景色を眺める余裕すら無かった。周囲の光源で妨害されてはいるが、手の届かない遥か彼方にある星を眺め、


「…………」


 冥界の景色と同時に思い浮かんだ悩み事に、その手は引っ込められた。うきうきとしていた表情に、ほの暗い影が落とされる。


「……記憶を取り戻せたらいいなぁ。いろんなことを思い出してから冥界に帰りたいぜ」


 パルケが気を取り直すように独り言をつぶやきながら、夜の王都を出歩いているのには理由がある。

 パルケは昼過ぎまで図書館で勉強した後、マクベスと共に流星雨へ戻った。すると金を稼げなかったマクベスを見かねたドルファが、二人に皿洗いと掃除を頼んだ。いつ来るかもわからない依頼人を待ったり、依頼書が掲示されていないコルクボードを睨むよりは建設的だった。

 そして夜。駄賃を手にして宿舎へ戻ると、マクベスの部屋の扉に手紙が挟まれていた。


──パルケへ。話があるから夜に一人で図書館へ来るように。と、書いても貴様はまだ読めないだろうから、天下無双に頼むとしよう。おい天下無双、パルケに図書館へ行くように伝えるのだ。絶対に一人で来るように! 貴様は付き添うなよ、何かと面倒だからな──


「聞かれて困る話なら手紙に書くなっての」


 手紙を読み上げると、マクベスは呆れながら肩をすくめる。


「なんで俺に直接伝えないんだ?」

「どうせアレだ、手紙で指示した方が密会っぽくてテンション上がるから! みてぇな理由だぜ。最後に“この紙は燃やすように”って書いてあるしな」


 このとき、ソアンが大きくくしゃみをしたことを二人が知ることはない。


「よくわからないが、とりあえず行ってくるか」


 パルケはマクベスへどのような奇襲を仕掛けようかこっそり思案していたが、名案が浮かばず気晴らしも兼ねて訪問してやることにした。それが、今から約二十分ほど前の出来事だった。


「えっと、ここを曲がって……」


 自分のことはほとんど覚えていないパルケだったが、図書館への道は正確に把握していた。室内の明かりがカーテンの隙間からわずかに漏れる、少しばかり不気味な雰囲気が漂う私立図書館へ無事に到着した。


「これを使うんだっけ?」


 門は閉じられていたので、ドアノッカーを叩いて来訪を知らせる。しばらく待つが、ソアンがやって来る気配は無い。もう一度、今度はかなり強めに鳴らすがやはり物音一つしなかった。


「うーん、入るか」


 パルケは背中から青白い魔力で形成した翼を生やすと、門を飛び越えて玄関に降り立つ。翼を消し、何度も玄関扉をノックしても、まだ反応は無かった。ドアノブを掴み、ガタガタと大きな音を鳴らそうとしたが、


「うん?」


 玄関の方は施錠されていなかったようで、すんなりと扉が開いた。


「ソアン、来たぞー」


 開いているなら話は早いと、パルケは早速図書館へと足を踏み入れた。

 さすがに昼間ほどではないが、壁にかけられた灯具ランプが室内を照らし、本を読むくらいなら支障のない程度に光源が確保されていた。

 しんと静まり返った図書館。その階段付近にあるものが転がっていることに気づいた。近づいて様子を見るが、それは赤い魔導書に手を触れたまま、うつ伏せに倒れて動かない。


「ソアンー? どうしたんだ?」


 パルケが声をかけても、倒れていたソアンは指先一つ動かさなかった。

 肩を揺すっても一切の反応を示さず、パルケは困った顔をした。


「うーん……。悪いな、大鎌がないと魂を冥界に送ることもできないんだ。あと一ヶ月くらい待ってくれ」


 パルケはそう言って図書館から出ようとするが、突然に足を掴まれた。


「か、勝手に殺すな死神! このような事態に遭遇した場合、まずは呼吸と脈の確認をするものだぞ!」


 足下を見ると、凄まじい剣幕でロングブーツを握るソアンがいた。しかしその顔は青ざめ、顔を逸らすと咳き込み血を吐いた。赤いカーペットに落ちた血は、すぐに目立たなくなった。


「やっぱり生きてたか。魂はあるから妙だとは思ってたんだよな」

「いろいろ言いたいことはあるが、今はそれどころではない。貴様、三階の執務室で、机の引き出しにある小瓶を今すぐ持ってこい。中身のあるやつだぞ」


 ソアンは手を離し、口を手の甲で拭うと浅い呼吸を繰り返す。しかしパルケはすぐに動かなかった。


「え、なんで俺に? 教授にさせたらいいだろ」

「貴様と二人きりで話すために、しばらく外出してもらっている。不服ではあるが貴様を頼る他ない……というか人が死にかけているのに説明させるな! げほっ!」


 窮地に陥っても癖は直らないようで、長々と喋ったソアンは再度咳をし、生温かい血を手で受け止めた。手袋が赤く染まり、床に滴り落ちる。


「わかったわかった。えっと、机の引き出しにある小瓶だな」


 パルケは翼を出現させ、一気に三階へと移動した。執務室と書かれたプレートは読めないが、三階の部屋は一つしかないので迷わずに扉を開ける。

 執務室も壁が本棚で埋め尽くされ、机の上も本が積まれていた。しかし掃除はまめにしているようで、隅々まで綺麗なものだった。

 部屋の窓際に高級そうなシーツが敷かれた木造ベッドがあり、寝室も兼ねているようだった。収納棚の上に色とりどりの花を生けた花瓶があり、シックな内装に華やかさを持たせるために一役買っていた。

 パルケは机の引き出しを開け、目的の物を探す。いくつか開けていると、ソアンが言っていた物が見つかった。

 数個ほど空になっているが、引き出しの中に真っ赤な液体が入った小瓶が収められていた。つまんで揺らしてみると、室内灯で照らされたそれは、見惚れるほどに鮮やかな赤だった。しかし見慣れていたパルケは、


「血液? 何に使うんだ?」


 小瓶の中身の正体に一切の衝撃を受けず、純粋に使用用途がわからず首を傾げた。

 しかし、よく観察すると血液にしては彩度が高く、揺らすとわずかに粘り気があった。赤い液体は血液に似た別の何かであることが窺える。


「まぁいいや、これ持っていけばいいらしいし」


 小瓶を手に、パルケは執務室を出る。三階の手すりを飛び越えて、ソアンのそばに着地した。


「持ってきたぞ」


 どうにか起き上がったようで、ソアンは頭を押さえながら本棚を背に座り込んでいた。小瓶を手渡すが、すぐに胸元に押しつけられた。


「?」


 パルケは首を傾げ、きょとんとした顔になった。


「き、気を利かせて蓋を開けるものだろう……普通は……」


 震える手で小瓶を突き返すソアン。受け取ったパルケは、


「気を利かせる……」


 ソアンのセリフを復唱し、自分なりの親切を行動で示した。コルクを開け、それをソアンに渡す──ことはしなかった。


「!?」


 ソアンは突然、あごを持ち上げられた。小瓶を口の中へ突っ込まれ、強制的に液体を飲まされる。小瓶の中身はすぐに消え、ソアンは思いきりパルケを蹴り飛ばした。手から離れた小瓶が床を転がっていく。


「おっ、元気になったな!」


 仰向けに倒れたパルケは嬉しそうに言ったが、ソアンに馬乗りにされると魔導書の角で額を叩かれた。


「いてっ!」


 あまり力は込められていなかったが、赤い跡ができる程度の威力はあった。

 図書館館長は身の毛がよだつほどの、憤怒に満ちた表情で死神を睨む。


「どうやら死にたいようだな?」

「えー、なんで怒られてるんだ? 飲ませるのは間違ってた?」


 ふてくされる子供のように、パルケは片側の頬を膨らませた。


「合ってはいるが、私が非難しているのは飲ませ方だ!」

「でもさ、元気になったならいいだろ?」

「そういう問題ではない! そもそもこんな話をするために貴様を呼んだわけではないのだ、貴重な時間を浪費させるな!」


 いろいろ言いたいことがあるソアンだったが、本題を済ませたいのでとりあえず水に流した。

 ソアンは中央のテーブルに置かれた微温ぬるいコーヒーを飲んだ。口に残る鉄のような味を消してから椅子に座り、パルケが向かい側に腰を下ろすまで一言も喋らなかった。


「だがまぁ、助けられたのは事実だ。礼くらいは述べてやろう」

「別にいいのに。それにしても、お前って変なもの飲んでるんだな」


 ソアンは目を逸らし、カーペットに転がったままの小瓶を見て、


「……まがい物は、紛い物なりに苦労をしているということだ」


 吐き捨てるように言った。


「まがいもの?」


 パルケはソアンの言っていることがわからなかった。それを察したのか、ソアンはバツの悪そうな顔をしてコーヒーを飲み干した。


「わかってはいたが、常識を知らない者の相手は面倒だな! いいか、私は人間ではない。ホムンクルスと呼ばれる種族だ」


 どうせ訊かれることだと、ソアンは間髪入れずに話を続ける。


「ホムンクルスとは、他の種族を凌駕する能力を持つ生命体を作るという目的で、主に錬金術師の手によって生み出されていた人工生命体だ。だが総じて肉体が脆弱でね。私はこうして定期的に薬を飲まなくてはならないのだ」

「大変なんだな。……ん、待てよ。ひょっとしてソアンには何かすごい力を持ってたりするのか? なぁなぁ、どんなものなんだ?」

「……さて、なんだろうな」


 このとき、パルケはソアンの語気から漏れた、やり場の無い激情に気づけなかった。


「そんなことより、貴様を呼んだ理由について話そう。一つ訊きたいことがある」


 ソアンは頬杖を突き、本題に入る。


「死神、貴様は覚悟の上で記憶を取り戻すつもりなのだろうな?」

「? 覚悟の上って、どういうことだ?」


 いつの間にか失くしてしまった自分の記憶を取り戻す。パルケはただそれだけのことを、やけに警戒しながら問うソアンの意図が読めなかった。

 そんな反応を見て、ソアンは「やはりそうか」とつぶやくと、横を向いてため息を溢した。背もたれに身を預けると足を組み、高圧的な姿勢をとる。


「世話の焼ける死神だ。いいか、別に記憶を失くすこと自体は何も珍しいことではない。転倒したり殴打されたり、頭部に衝撃が加わることで一時的に記憶喪失になる──というのはよく聞く話だ」


 ソアンの話を、パルケは膝に手を置いておとなしく聞いていた。逆に気味が悪いとソアンは思ったが、言い出さずに話を続ける。


「私が読み漁った、記憶喪失に関する論文の内容を詳しく説明してやってもいいが、機嫌が悪いので割愛させてもらう」

「ええー」

「ぶつくさ言うな。貴様が原因なのだぞ」


 抗議の声を制し、腕を組んだソアンは人差し指で何度も腕を叩いた。


「話を戻そう。同じ記憶喪失でも、貴様はそのよくあるパターンではない。おそらく別の原因がそうさせている」

「記憶喪失にも種類があるんだな。その別の原因っていうのは?」

「心的外傷──トラウマによるものだ」


 話す姿勢はそのままに、ソアンはいつになく静かに、淡々と語る。


「これから話すことはあくまで私の予想だ。そこは念頭に置くように。……貴様が記憶を失ったのは、端的に言えば忘れたままの方が都合が良いからだ」


 記憶を取り戻すと決めたパルケにとって、ソアンの話は信じ難いものだった。失くしたものを取り戻す。その行為にデメリットが生じるなど思ってもみなかった。


「貴様が言っていた、見知らぬ景色と男の姿。それを思い出して頭痛と吐き気に苛まれたということは、貴様にとってその男の存在は無視できないものだ。もちろん、悪い意味でな」


 パルケの脳裏に再び、黒髪の青年の姿がよぎる。


「それでも、取り戻したいと願うか?」


 今朝とはうって変わり、気遣わしげな表情でパルケは目を伏せた。森閑しんかんとした図書館で、ただ時間だけが流れていく。

 ソアンは返事を急かすような真似はしなかった。おかげでパルケはじっくりと考えることができた。

 記憶を失っていても、死神としての仕事には何も支障は無い。大罪人の魂を消し去るだけで、他人と深い関係を築く必要は皆無だった。パルケはどこかのタイミングで記憶喪失になったが、数え切れないほどの歳月を何不自由なく過ごせていたのがその証拠だった。

 しかし、それでも──パルケの答えは変わらなかった。


「ああ、取り戻したい。他にも仲間がいるのか、どうして記憶を失くしたのか……お前の言うとおり、忘れたままの方が良いとしても、知りたいんだ」

「……そうか。ならいい、もう用は無いから帰りたまえ」


 ソアンはパルケの意思を確認すると、しっしと手を振り帰そうとした。が、パルケはじっとソアンの水色の瞳を覗いていた。


「でもさ、なんでそんなことを訊くんだ? もし俺がやっぱりやめる! って言ったら、お前は死神や聖戦のことを知る機会が無くなるぞ?」

「…………」


 ソアンの眉が吊り上がる。指摘されたくないことだったらしい。パルケは首を傾げ──瞬間、脳に電流が走った。目を丸くし、天啓のように降りてきた予想をはしゃぎながら言った。


「わかったぞ! 取り戻した記憶が良くないものだったらショックを受けるから、心構えをさせるために気を利かせてくれたんだろ? きっとそうだ! なーんだ、お前って実は良い奴なんだな!」


 その瞬間、ソアンの顔が怒りと別の感情で真っ赤になった。机を両手で強く叩き、マグカップが揺れた。


「ええい貴様! 私が恥を忍んで必死にしてやった気遣いをなんだと思っている! 言ってしまうのは無粋というものだぞ!!」


 握られた拳がわなわなと震え、ソアンは叫ぶ。


「おのれ天下無双め! 普段はふざけているくせに、こういうときは率先して人助けをして……私も空気を読んで気遣ってやらねばと思い込んでしまったではないか! だから勘違いするなよ死神、貴様のためではなく、天下無双より下に見られたくないという一身上の都合で──」

「でもさっき、恥を忍んで必死にしてやった気遣いって言ってたぞ?」

「用は済んだ、さぁ出ていけ! 貴様の顔など見たくもない!!」


 ソアンがまくし立てるように出ていけと連呼するので、不思議に思いながらもパルケは立ち上がって玄関へ向かう。


「じゃあなソアン、またな!」


 腕を組み、背を向けて見送りもしないソアンに手を振り、パルケは図書館から出ていった。

 流星雨への帰路につくと、街灯に照らされた道を歩き、夜空に手を伸ばす。指の間で瞬く星々の一つ一つを、じっくりと観察する。

 白く光るもの、青く揺らめくもの、ほのかに赤く煌めくもの──パルケは冥界で、大きさもわずかに異なる無数の点を、こうして眺めるのが好きだった。

 たとえ、夜空を見上げるのが好きな理由すら忘れているとしても。


「……あれ?」


 遥か彼方にある星を見ていると、パルケの胸中に漠然とした違和感が生まれた。いだいたことのない不思議な感覚に、自然と視線を横にやった。


「何か足りない……?」


 隣に何も無い。それが違和感の正体だった。誰もいない空間を凝視し、埋まらないパーツは何かと考え込む。

 しかしどれだけ時間をかけても、手がかりになるようなことすら思い出せなかった。


「うーん……考えたら頭が痛くなってきたぞ」


 知恵熱と呼ばれるらしい、勉強したときと同じ症状が表れる。額に触れ、不服そうな顔をしながらパルケは流星雨へと帰っていった。

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