2-6 新たな目標

「吾輩は数年前に、とある遺跡で我が主──ソアンに拾われたのだ。どうやら創造主によって記録を消去されているようで、どのような事情で作られたオートマタなのかわからないのだ。だが見てのとおり、まともな理由ではなかったのだろう……」


 そう言うと教授は両腕を見つめた。教授の腕は少なくとも車輪刃や剪定バサミ、強力な広範囲攻撃を放つハンマーに変形できる。

 どう考えても、人を傷つける目的のために取り付けられたものだった。


「我が主は行く宛の無い吾輩を図書館に住まわせてくれた。研究の合間で良ければと、記憶媒体の修復もしてくれたのだ。だが判明したのは、吾輩が遥か昔──聖戦が起きた時代に作られたという一点のみ」


 教授は本のページが床に触れるほどに、深く頭を下げる。


「パルケ君が聖戦の時代にいたと知り、彼に訊けば吾輩に関する情報が得られるのだと思っていたのだ。だから覚えていないと伝えられたとき、はぐらかされたと勘違いして激昂してしまった……本当に申し訳ない。マクベス君もすまなかった」


 発せられる弱々しい声。心の底から反省しているのは疑うまでもなかった。


「オレは別にいいけどよ」


 マクベスはパルケに視線を移す。教授の暴挙を水に流すかどうかは、一番の被害者であるパルケが決めることだった。


「うーん。俺はさ、いきなり襲ってきたお前は悪い奴だと思っている」

「よくもまぁオレの前でそのセリフが言えたな?」


 ジト目で見やるマクベスだったが、パルケは井戸端会議をする主婦のように手を振った。


「俺のは仕事だから許してくれ。これからもな」

「はいはい、何度でも己の無力さを痛感するといいぜー」


 パルケは話を戻すために、教授に視線をやった。


「でもまぁよくよく考えると、教授って別に大罪人じゃないから魂まで取るべきじゃないな。許す!」


 命を狙われたにも関わらず、親指を立ててあっさりと不問に処したパルケ。マクベスはなぜ自分は命を狙われるままなのか納得できず、死神が寛大なのか狭量なのかわからなくなっていた。


「あ、ありがとうパルケ君!」


 教授は瞬速で起き上がるとパルケの手を握り、礼を言いながら上下に激しく振った。


「ところでさ教授。俺を襲った理由はわかったけど、たぶんお前って古代の兵器なんだろ? 製造されたときのことなんか知ってどうするんだ?」


 パルケの疑問を聞いて、教授の手に力が入る。人間よりも圧倒的に強い握力にパルケは顔をしかめるが、折れるほどではなかったのでそのままにした。


「……たとえそうだとしても、吾輩は過去を知ることで自分を受け入れたいのだ。事実から目を背け、平気なふりをして心のどこかで怯え続けるなんて、そんなことは願い下げだ」


 顔が本なので声音からでしか心情を窺えないが、二人には今の教授の気持ちが手に取るようにわかる。

 それは切実な願いだった。何かの目的のために作られ、しかし捨て置かれた者の嘆きであり、同時に前へ進むための希望でもあった。


「教授……」


 マクベスは憐憫れんびんの眼差しを向けた。それはパルケも同じで、無意識に拳を握っていた。

 しんみりした空気を変えようと、教授は手を離して片手を剪定バサミに変えて指差した。


「それに、さすがにこれは兵器としてあるまじき物だ。ひょっとしたら、護衛もできる庭師として作られただけかもしれない!」


 腰に手を当てワハハと高笑いしておどけてみせた。そんな教授は、やはりどこかソアンに似通っていた。


「たしかに、その可能性は否定できねぇな。もし庭師だったらオレんとこの冒険者ギルドに勤めねぇか? ギルドマスターが庭の整備に難儀してんだよ。もちろん庭師じゃなかったとしても歓迎するぜ」

「それは魅力的な誘いだが、我が主への恩を返すまでここから離れるつもりはないのだ。すまないな!」


 すっかり元の調子を取り戻した教授は、マクベスと共に笑い合う。 

 そんな中、パルケだけは難しい顔をして床に視線を落としていた。二人の会話が耳に入ってこないほどに、先ほどの教授の願いが印象に残って頭から離れない。

 過去を知ることで、自分を受け入れたい──教授の言葉が何度も反芻はんすうされる。


「ところでよ教授」

「何かねマクベス君?」

「オレたちソアンに謝った方がいいよな? これ」

「…………」


 マクベスと教授は部屋の惨状を再確認した。

 本棚はほぼ全てが倒れ、様々な書物が散乱していた。魔術を解除しておいたので床や天井、本にかかった氷や水は綺麗に消えている。しかし波打っていたり、教授の雷撃で日焼けのように傷んだものも散乱される。床や壁は白い線が走っていて、黒い部分の割合が少なくなっている。

 とても部屋とは呼べない、廃墟の一室と表現した方が納得できる空間が広がっていた。


「マクベス君は悪くないぞ、吾輩が暴走してしまったせいなのだ。謝罪すべきは吾輩ただ一人よ……ワハハ……」


 周囲をなるべく見ないようにして教授が力なく笑った。小刻みに震える体は、さながら小動物のようだった。

 教授は小さく詠唱をし、上へ向かって手を伸ばす。するとソアンが所持している物と同じ装丁の魔導書が出現した。


「とにかく、まずは図書館へ戻ろうではないか」


 風が吹いていないというのに、魔導書のページがひとりでにめくられていく。緻密ちみつに描かれた魔法陣のあるページで止まると、魔導書からまばゆい光が放たれる。それはパルケがお勉強部屋へ招かれたときの光で、わずかに体が浮くのも同じだった。

 だが、今度はすぐに足が床に着く。光が収束すると、図書館の階段の前に三人は立っていた。


「ソアンってばー、いい子いい子してあげるから元気出してー?」


 声のした方を見ると、アシェリーはどんよりとした雰囲気を醸し出しているソアンの頭を、ペットのように撫でてあげているところだった。

 ソアンは帽子を床に落としたまま、テーブルの上で突っ伏していた。


「あいつらにはわかるまい……魔力で一から作り上げた空間を維持するのが、どれほど困難なことなのかを……うぅっ、お勉強部屋の改良に心血を注いでいたのに……」

「大丈夫だよソアン! お勉強部屋はボロボロだけど、消滅したわけじゃないからきっと元通りになるよー!」

「だといいな、うん……」


 お勉強部屋の惨状は知っているようで、哀愁漂うオーラが背中から放出されている。

 ソアンがショックを受けるのも無理はなかった。一部の魔術師は探求に人生を捧げていると言っても過言ではなく、ソアンもその一人だった。今は収納魔法の研究にのめり込んでおり、魔力で作り上げた出入り可能な異空間──お勉強部屋の追究に余念が無かった。

 茫然自失になったソアンは、アシェリーを相手に延々と愚痴を溢した。


「わりぃなソアン。ボロボロにしちまって」

「その、本当にすまなかった我が主よ……。吾輩、どのような処罰でも受ける所存だ」


 恐る恐る話しかける教授。その態度は真摯しんし的だったが、


「ふはは、別に構わないさ……天下無双、貴様はきちんと仕事をしたことだしな。教授よ、創造物というのはいつか壊れ朽ちていくもの。私の想定より早かっただけの話だ……あまり気に病むな……」


 ソアンは顔を上げることもせず、放心状態のまま二人の謝罪を受け入れた。


「わ、我が主よーーーっ!?」


 教授は意気消沈しているソアンを前にいても立ってもいられず、全速力で駆け出すと抱きついた。椅子の背もたれがピキッという悲鳴を上げたが、構わず椅子ごと抱き締めながら主の名を叫ぶ。


「ソアンー、食べ物を食べると元気出るんだよ。今は非常食用の乾パンしかないけど、これあげるねー!」

「修復に二ヶ月はかかるかな……その間、私は何をして知的好奇心を満たせばいいのだ……?」

「うわぁぁああん! 我が主よ、お気を確かにーっ!」


 アシェリーはベルトポーチから缶を取り出し、中から固く焼かれたビスケットをつまむと、笑顔でソアンに差し出す。

 教授はソアンの体を揺すり、慰める方法が見つからず嘆き悲しむばかりだった。


「…………」


 そんな光景を見つめるのは、オッドアイのエルフと碧眼の死神だった。


「なぁパルケ」

「どうした?」

「オレ、もうツッコミ入れるのやめていいよな? ぶっちゃけオレってボケとツッコミならボケる側なんだよ」

「よくわからないが、お前がそう思うならいいんじゃないか?」


 無責任な返事を寄越されたが、何であれ同意を求めていたので良しとした。


「よし、じゃあ帰るか」


 パルケの背中を軽く押し、抑揚の無い声でマクベスは流星雨へ戻ろうとしていた。

 玄関扉を開けると、門と剣先フェンスの向こう側に王都の日常が広がっていた。老若男女が住宅街の大通りを進み、枝分かれするように伸びる道を歩いていく。

 外へ出ようとしたとき、パルケがついて来ていないことに気づいた。振り返ると、パルケはうつむいたまま動こうとしなかった。


「パルケ?」


 呼びかけると、我に返ったパルケは肩をビクリと跳ねさせる。誰がどう見ても思い悩んでいる様子だった。急いでマクベスの方へと歩き始め──足を止めた。


「…………」


 何か言いたげにマクベスを見つめる。どこか困っているような、悩んでいるような、神妙な面持ちだった。


「言いたいことは早めに言った方がいいぜ。何かあるんだろ?」

「…………」


 促されるとパルケは意を決し、自身の意思を喋った。

 

「マクベス。俺、ここで読み書き……いや、それ以外も勉強していいか? ちゃんと仕事もするからさ」


 真剣な物言いで話すパルケ。今、マクベスの目の前にいるのはふざけた理由で命を狙う、金髪碧眼の死神ではなかった。固い意思で前に進もうとする、一人の青年だった。


「さっき言ってただろ? 俺は記憶を失くしているんだって。実を言うと、死神のルール──大罪人以外の魂を消滅させてはならない。って決まりがあるんだけど、それは俺が作ったものじゃない。覚えていないだけで、本当は仲間がいたのかもしれない」


 目を伏せ語る言葉の端々に、怯えたように声がわずかに震えているのを、マクベスは聞き逃さなかった。


「教授みたいに、俺も自分のことが知りたくなったんだ。さっき思い浮かんだ場所はどこなのか、そのとき目の前にいたのは誰なのかを思い出したい。今は聖戦や俺のことはわからなくても、他の何かがきっかけでわかるかもしれない。そのきっかけの一つが勉強のような気がするんだよ」


 パルケはなんだかむず痒くなり、頬を掻いて目線を逸らした。


「ま、まぁちょっと気になっただけだ! 大鎌の修理費の方が大事だしな!」


 本当は自分のことが知りたくて仕方ないのに、気恥ずかしくなった子供みたいに誤魔化したことは、火を見るよりも明らかだった。

 マクベスはフッと笑い、


「あのな、それはアンタが決めることであってオレが許可するもんじゃねぇよ。負担した大鎌の修理代さえ払ってくれるなら、犯罪でもない限りアンタが何しようが咎めたりするもんかよ」


 そう言うと、パルケの顔が明るくなった。その次の瞬間だった。


「それだっ!!」


 突然ソアンが椅子を弾き飛ばすように立ち上がる。アシェリーと教授を押し退け、マクベスの脇を通り過ぎるとパルケの傍に近づいた。パルケはがっしりと手を握られ、爛々とした薄い青色の瞳で覗き込まれる。


「私は死神のことは嫌いだが、死神のルーツや聖戦の詳細に興味が無いわけではない!」

「そうか。それで?」

「なに、簡単な取引さ。私が知識を与える代わりに、死神や聖戦について何かしらの記憶を取り戻したら、貴様はそれを私に伝える。それだけだ!」


 ぐいっと顔を近づけ、さらにつま先立ちをして迫った。


「協力し合おうじゃないか! さぁ、さぁ!」

「んー、でも聖戦の内容を知られたくないから、昔の奴らは記録を残さなかったんだろ? 思い出したことを他人に喋ってもいいのか?」

「悪いが古代人類の事情など私の知ったことではないし、情報さえ得られるならそれ以上は求めていない。だから安心して返事を寄越すといいぞ!」


 パルケはしばらく沈黙すると、頷いてソアンの提案を呑んだ。


「たとえ思い出せなくても文句言うなよ」

「賢い選択だぞ! さて早速──」


 ソアンがテーブルへ向かうのを、マクベスは肩を掴んで止めた。やけに力がこもっていて、ソアンは顔をしかめた。


「いやぁ〜元気が出て何よりだぜソアン。ということで遠慮なく」

「いだだだだだっ!?」


 マクベスがソアンの頭頂部にチョップを何度も叩き込む。同じ数のたんこぶを作られ、ソアンは涙目になりながら頭を押さえた。


「アンタ、教授にオレのことをどんな奴って教えたんだ? 詳しく聞かせてもらうぜ」


 胸ぐらを掴むマクベスの笑顔は、澄み渡る青空のような晴れやかさだが、それは怒りを隠すためのベールに過ぎなかった。


「ま、まぁあれだ。主観で話した影響で、多少は事実と異なることも吹き込んだのは認めてやらんでもないぞ。きちんと後で訂正するからその手を離すのだ、頼むから」


 ソアンは不服そうにしながらも、一応の謝罪の言葉を述べた。


「へいへい、許してやるぜ。これでおあいこだな」


 マクベスは手を離して自由にしてやった。


「おっと、一つ伝え忘れていた」


 解放されたソアンは胸を張り、指を振りながらパルケに言葉をかける。


「どのような理由であれ、勉学に励むのは良いことだ! 知識を蓄え、見識を深めることで見えてくるものもあるだろう!」


 片手をテーブルに触れ、招くようにもう一方の手を前に出した。


「いつでも訪れるといいぞ。図書館は貴様を歓迎する!」


 ふははと高笑いをしたソアンは、心の底から楽しそうだった。勉強道具を広げ、椅子を叩いて座るよう急かした。


「ボクも手伝うー!」

「吾輩は……そうだな。休憩時に食べる菓子を焼いてくるぞ!」


 アシェリーはパルケの手を引いて席に着き、まずはソアンと共にペンの持ち方から教え始めた。教授は階段脇の部屋へ駆け込み、キッチンで菓子作りの準備を始める。

 微笑ましい光景だが、マクベスは一つ憂いを抱えていた。


(あれ……これって教授より面倒な奴がパルケに興味持っちまってねぇか?)


 盲目的になるほどの研究対象を得た魔術師という存在は、一般的にあまり良いイメージは無かった。新しいおもちゃを手に入れた子供のように、決して手放そうとしないのだ。

 中には研究の成果を奪われぬよう、人里離れた洞窟に居を構え、事故や正気を失ったりしていつの間にかこの世から旅立っていた。というのもよくある話だった。

 ソアンは図書館から滅多に出ないことをマクベスは知っているので、研究対象パルケと共にどこかへ消え失せる心配は無い。しかし本人が満足するまで研究対象を手放す気は無いこともわかっていた。

 高い天井を見上げながら、パルケをある程度ソアンから離した方が良いのではないかと考える。そんなとき、四人の声が耳に入ってくる。


「しまった、三グラムも多く入れてしまった! 早急に調整しなければ……ああっ、また失敗した! こうなったら吾輩のオリジナルレシピに変更だ!」

「ちょっとソアンってばー、ボクが先に教えるんだから退いてよー」

「ええい、私が先にすると決めたのだ。絶対に譲らないぞ!」

「二十三、二十四、二十五……」


 ドタバタとやけに騒がしいキッチン。自分が教えると言って、互いに一歩も譲らない少年と少女。授業が一向に始まらないので、暇潰しに無数にある本の冊数を数え始めた死神。

 それぞれが好き勝手に行動を起こす姿を見ていると、マクベスはなんだか真面目に考えるのも馬鹿らしくなったので、


(まぁいっか!)


 何か問題が起きたらそのときに対処してやればいい──そう決めると、放置すれば悲惨なことになるであろうキッチンへと向かった。

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