2-5 衝撃の事実

「ふぎゃぁぁああっ!?」


 教授は開いたページを両手で覆うと、転がってのたうち回った。


「わ、吾輩の二百十ページから二百五十四ページがああぁぁあああ!!」


 水を吸収したページはふやけ、他のページにピッタリとくっついていた。足をジタバタさせ、なんとか乾かそうとページの引き剥がしを試みる。しかし動揺しているせいか、魔力で制御している球体関節が不具合を起こして動作に支障が出ていた。


「うるせー! ぶっ殺されなかっただけマシだと思えっての!」


 マクベスは指差しながら怒鳴り、マントをひるがえすとパルケの傍に駆け寄った。パルケは意識を取り戻してはいるが、両膝と片手を床に着き、側頭部を押さえていた。曇った表情で、じっと床の一点を見つめている。


「大丈夫か?」


 未だ顔色の悪いパルケにマクベスが声をかけると、ハッとした様子で顔を上げた。


「あ、ああ……少し頭は痛いけど、もう大丈夫だ」

「急にどうしたんだよ? まだ風邪治ってなかったのか?」


 マクベスの質問に、パルケは困惑した表情で目をらした。


「いや、風邪は治ってる。ただ……」


 何か言おうとしたが、パルケは口をつぐむ。辺りを見回し、


「あいつは?」


 教授の所在を訊いた。


「反省させてるところだぜ」


 顎で指し示すと、叫びながらページとページを引き離す、或いは破いてしまっている教授にパルケは目を向けた。碧眼を細め、マクベスに向き直る。


「なんで殺さないんだ?」

「はぁ?」


 物騒な質問をされ、マクベスは頭の後ろを掻いて答える。


「あのな、オレはソアンから“奴の凶行を止めに行け”って頼まれたんだぜ。殺すわけにはいかねぇよ」

「…………」


 納得いかないと顔に書いてあり、マクベスはどう説明をすべきか頭を悩ませた。

 死神という存在の性質なのか、それとも生まれ持った個人の性質なのか。パルケは生死に関する倫理観が人とは異なっているように見える。


死神アンタにとっては変な話かもしれねぇが、人の命はそうやすやすと奪っていいもんじゃねぇんだよ」


 それにと言って、マクベスは手を差し伸べる。手を引いてもらい、パルケはゆっくりと立ち上がった。


「教授に訊きてぇことがあるんだろ? だったらなおさらだろ」


 そう言ってマクベスは歩き始めた。パルケも続き、教授のところへ向かった。

 二人が到着したとき、教授は放心状態になっていた。辺りには湿って破れた紙がいくつか落ちてあり、四肢を大の字にして真っ黒な天井を眺めている。


「吾輩の……二百三十七ページと二百三十八ページが永久に失われてしまった……」


 本の顔から、あるはずのない鼻をすする音が発せられる。マクベスは片膝を曲げ、肩を軽く叩いて上の空な教授の意識を現実へと引き戻す。


「おい教授、パルケがアンタに訊きてぇことがあるんだとよ」

「訊きたいこと? こんな吾輩に何を訊こうというのだ……?」


 すっかりネガティブになってしまった教授はわずかに上体を起こし、パルケに訊き返した。


「なぁ、聖戦の英雄ってなんだ?」


 激しい頭痛を引き起こした原因となった言葉を質問すると、すぐに教授は答える。


「君たち人族を勝利へ導いた立役者たちのことだ。こちらも情報はほとんど残されていないが、一部の英雄はその名を地名として残しているらしい。これも眉唾物だがね……」

「そうか。本当に聖戦って謎だらけなんだな」


 大した情報を得られず、パルケが残念そうに目を伏せる。


「聖戦の英雄がどうかしたのかよ?」


 パルケがなぜ聖戦の英雄に興味を持っているのか、マクベスは想像がつかなかった。


「さっきの話を聞いたとき、何かの景色が思い浮かんだんだ」

「何かの景色?」


 パルケは頷き、頬を掻きながら話を続けた。


「誰かと一緒にいたんだけどさ。その人が誰なのか、場所がどこなのかも知らないんだ。いきなり頭も痛くなるし、訳がわからないな」

「…………」


 マクベスは視線を上へやり、しばらく考え込む。


(これって、まさか……)


 これまでのパルケの発言を振り返り、マクベスは一つの可能性に行きついた。

 正義は必ず勝つという持論を教えた者、自身の年齢、世界規模で起きたはずの戦争に関する記憶、今の話──何一つ覚えていないその理由は、じっくり考察すれば自ずとその答えは出された。


「なぁパルケ」

「なんだ?」


 パルケは眉をハの字にしたマクベスを見つめた。

 マクベスは自分の予想が間違っているとは思えず、言うべきだと判断して言った。


「アンタ、記憶喪失なんじゃねぇか?」


 ただでさえ寒いお勉強部屋に、さらに室温が下がったと錯覚するほどの静寂が訪れる。

 パルケは口を開けたまま、餌を待つ鯉のような間抜けづらをしていた。


「き、記憶喪失!? マクベス君、それはどういうことだ?」


 予想外の発言に思わず教授は飛び起き、戸惑い震える声で問う。


「そのままの意味だぜ。コイツ、年齢どころか自分の名前と死神ってこと以外ほとんど覚えてねぇんだよ。でも記憶喪失なら納得できるだろ?」

「おい待てマクベス。俺が記憶を失くしてるって、そんなわけないだろ」


 目を丸くして否定するパルケだったが、すぐに認めざるを得ないことを言われる。


「じゃあさ、アンタはどうやってオレたちの言葉を覚えたんだ?」

「えっ……へ?」


 質問の意図が読めず、パルケが素っ頓狂な声を上げた。しかし教授はそうではなかった。握り拳で手のひらを軽く叩く。


「そうか。我々が使う言語は聖戦の最中に世界中で使われ始めたとされている。ずっと冥界にいたから聖戦のことを知らなかったと仮定しても、現代語を扱えるのは変な話だ」


 マクベスは指をパチンと鳴らし、教授に振り向いた。


「そのとおり。だがパルケはオレたちと同じ言葉で流暢りゅうちょうに話している。つまり、戦争中か終わった後か、どこかのタイミングでパルケに現代語を教えた誰かがいたはずだぜ。それも覚えてねぇんだろ?」


 マクベスと教授がパルケの返答を待つ。パルケはうーんと唸り、顎を上げ、下を向き、また顔を上げ──


「本当だ、全然覚えてないぞ!?」


 両手で頭を押さえながら叫んだ。別の言語を覚えるまでの経過や恩師という、忘れるはずのない記憶は欠片も思い出せなかった。


「どこかで聞いたことがあるんだよ。全部じゃなくて、一部の情報だけ欠落しちまう記憶喪失があるってさ」


 いつか酒の席で誰かが話したことか、本で得たものだったか。マクベスの頭の片隅にあったうろ覚えの知識だが、パルケの現状はそれに当てはまっていた。


「お、俺は記憶喪失だったのか……どうして誰も教えてくれなかったんだ?」

「アンタ以外に死神はいないし、その様子だと交友関係のある奴もいねぇんだろ? だったら誰も指摘できねぇよ」

「……それもそうか」


 パルケは頭を抱え、うつむいた。かなりショックを受けているようで、自分から喋ることはしなかった。


「アンタが言ってた知らない光景ってのは、蘇った昔の記憶だと思うぜ」

「昔の記憶……俺が見たのは知らない奴じゃなくて、忘れてるだけで俺の知り合いってことか?」

「たぶんな。聖戦の英雄って聞いてそれを思い出したなら、シンプルに考えると英雄かその関係者だろうな」

「…………」


 パルケは困惑したまま下唇に触れた。マクベスの言うことが本当であれば、少なくとも聖戦に関わる記憶は全て失っていることになる。

 聖戦を覚えていないこと自体は、パルケにとって重大な問題ではなかった。しかし、ある疑念を抱えることになってしまった。

 それをパルケは口に出すことができなかった。嫌な汗をかき、ひたすら考えないように頭の中で否定し続けた。


「君は本当に記憶喪失だったのだな。何もわからなくて当然だ……」


 教授は肩を落とし、うれいに沈んだ。

 重い雰囲気に包まれようとしていたこの場は、すぐに変わることになる。


「そ、そうだ。もう一つお前に用事があるんだった」


 パルケは顔を上げると、両手に魔力の炎を宿らせた。

 何をするつもりなのかと教授が問う前に、満面の笑みで言い放つ。


「教授、とりあえず霊魂になってもらおうか」


 教授は甲高い悲鳴を上げ、本が飛んでいきかねないほどに首を左右に振った。マクベスは即座にパルケの後頭部をはたく。


「痛いっ!?」

「さっきのオレの話は聞いてたよな?」

「だ、だってあいつ、俺とお前を」

「二度は言わねぇぜ?」


 マクベスは眉を吊り上げ、威圧するように腕組みした。

 命の危機に曝された教授の判断力と行動力は、弓の弦を目一杯引いて放つ矢よりも速かった。彼は流れるような動作で両膝を床に着けた。


「わ、吾輩にも事情があったのだ! どうか命だけは取らないでもらえないだろうか!?」

「事情?」


 パルケは魔力の炎を消し、命乞いする教授に訊いた。


「それは……二人とも、どうか吾輩の話を聞いてはくれないか?」

「嫌だ」


 即答したパルケの足を引っかけ、


「聞いてやるぜ」


 マクベスは話すよう促した。

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