2-4 VS教授

「パルケッ!」

「ぐぇっ!?」


 右手でパルケの襟首を引っ張り、不意打ちの攻撃を逃れさせる。左手で魔剣のグリップを掴むと、間髪入れずに繰り出された剪定バサミを受け止めた。

 後ろでパルケが咳き込んでいるが、謝罪する暇など無い。渾身の力で剪定バサミを押し返し、車輪刃は二本目の魔剣で受け止め、剣身で刃部分を引っかけて回転を止めた。

 教授の体重を乗せた一撃は重かったが、すぐさま押し返し叩きつけるように横に薙いだ。

 大きくバランスを崩した教授は転げそうになり、なんとかこらえるが無理のある体勢になっていた。マクベスはつかさず脚に魔力を込め、蹴りを食らわせる。

 鋼鉄の体だが、魔力で強化されたキックは教授を容易く後方へと吹っ飛ばした。机の上に落下し、書類と本、様々な筆記用具が周囲に散らばる。


「ゲホッ、ゲホッ!」

「わりぃな。怪我はねぇか?」

「あ、ああ……」


 マクベスはどこか上の空なパルケに引っかかりを感じるが、教授が起き上がったので警戒を強めた。


「おいテメェ、今すぐ武器を収めやがれ」


 武器を構える教授に対し、マクベスは双剣を軽く振り、魔力の風と冷気を纏わせ睨みつける。


「やけに目立つ容姿のエルフ……我が主から聞いたことがある。君が天下無双のマクベスかな?」


 話しかけられ、マクベスは癪に障る笑みを浮かべる。


「ああ、そのとおりだぜ」

「やはりそうか! 優れた容貌と戦闘能力でいい気になっている、クソムカつくエルフということだったが……そのとおりだな!」

「ソアン! 戻ったらぶちのめしてやるから覚悟しやがれ!」


 マクベスは天井を見上げ、指を差して向こう側にいる図書館館長に怒鳴った。


「さて教授とやら、おとなしくオレの言うことを聞きやがれ。勝てねぇ戦いに挑む必要はねぇだろ?」


 教授が寄越した返事は、車輪刃の回転をさらに早めることで示した。


「たとえそうだとしても退しりぞくわけにはいかない。彼は生き証人のはずなのだ、邪魔をするな!」


 机の上で地団駄を踏む教授。マクベスは教授の言葉に疑問を抱いた。


「生き証人?」


 なんの話なのかとマクベスはパルケに視線を寄越すが、パルケは肩をすくめた。


「興奮してるところわりぃけど、一から説明してくんねぇ? パルケがどうしたってんだ?」


 穏便に済ませるならきちんと教授の話を聞くべきだと判断し、マクベスは魔剣こそ収めなかったが、パルケに執着する理由を問う。


「先ほど調べたのだが、彼の齢は千五百を超えている」

「ふーん、千五百ねぇ……って、千五百歳!?」


 マクベスは驚愕し、今度はパルケに顔を向けた。当人はマクベスがなぜ驚いているのか理解できないようで、怪訝そうな顔をしていた。


「千五百ってことは、つまり……」

「この数がいかに重要なのかをわかっているようで安心したぞ」


 関心、関心と言って教授が何度も頷く。


「パルケ君が少なくとも千五百年は生きているということは……彼は聖戦の全貌を知る生き証人なのだ! 先ほど、吾輩の前で難解なはずの古代語を母国語のように読んでみせた。この推測に間違いは無いっ!」


 興奮を表すように、剪定バサミが何度も金属音を鳴らす。


「アンタ、そんなに生きてたんだな……?」


 マクベスが震えた声で言う。


「何者なのかを訊かれたことはあっても、年齢は一度もなかったから知らなくて当然だろ?」

「ま、まぁそりゃそうか。名前と死神ってことを伝えた直後に襲いかかってきたもんな、アンタ」

「それに、自分の年齢はたった今知ったばかりだし」

「そもそも覚えてねぇのかよ! ……いや、ターゲットの名前を忘れるくらいだし、おかしくはねぇ……のか?」


 数日前にパルケと出会った日のことを思い出す。その日に溜まった疲労感が蘇り、今の状況も相まって肩を落とした。


「というわけで、吾輩には聖戦の全貌を明らかにする使命と責任があるのだ。引き下がってほしい!」


 教授は車輪刃と剪定バサミを触れさせ、火花を散らす。


「でもよ、コイツ聖戦についてなんにも知らなかったぜ? 説明してもピンと来なかったみてぇだし」


 パルケが本に吸い込まれる直前の会話を、マクベスはありのままに伝えた。しかし教授は剪定バサミを左右に振った。


「甘いぞマクベス君。彼が喋らないのには理由がある。聖戦に関する情報があまりに少ないのは、大昔の出来事だから……という訳ではないのだ!」


 車輪刃を拳のように上へ突き上げ、高らかに喋る。


「最も有力な説、それはっ!」

「昔の人類が隠蔽したから、だろ?」


 教授の動きが、時が止まったかのようにぴたりとんだ。本の顔がゆっくりとマクベスに向けられる。何も書かれていないはずだが、悲愴感が漂っているとマクベスは思った。


「そのとおりだが、言わせてほしかった……」

「ギャハハ! 教養があって悪かったなぁ〜!」


 癪に障る笑い声を上げ、マクベスは教授を憤慨させる。


「ええい! とにかく、そういった事情があるならパルケ君が口を閉ざす理由もご理解いただけただろう!」

「いや、だから俺は何も知らないって」


 パルケが頭を掻きながら面倒そうに言っても、教授の話は止まらなかった。


「ひょっとしたら、君が聖戦の英雄だったりするのだろうか? 当事者であれば黙秘を続けるのも頷ける!」

「おーい、アンタの耳ってちゃんと機能してんのかー? つーか耳どこだよ」


 マクベスにとっては戯言に過ぎない教授の言葉。しかしパルケは聞き流すことができなかった。


「聖戦の、英雄……?」


 パルケがつぶやいた瞬間、脳裏に見覚えのない光景が浮かぶ。

 草花一つ生えていない、人を模した鋼鉄の肢体がいくつも転がる荒れ果てた丘陵きゅうりょう。ほんのり紫色を帯びた、どこかおどろおどろしい夕焼け。

 背を向け佇むのは一人の青年だった。黒い髪がそよ風でなびき、手にしている剣から鮮血が滴り落ちていた。

 青年がゆっくりと振り返る。その顔はインクで塗り潰したように真っ黒に染められており、パルケに顔を認識されるのを拒絶しているようだった。


「っ!」


 突然、パルケの頭に激痛が走る。脳を直接縛られているかのような鈍痛に、思わず膝から崩れ落ちた。


「パルケ? おい、どうした!?」


 マクベスが声をかけるが、頭を押さえてうずくまるパルケは返事ができなかった。


「英雄……聖戦の、英雄……?」


 うわ言のように繰り返し、虚ろな瞳で床に視線を落としていた。


「退きたまえマクベス君! 邪魔立てするなら、まずは君の高い戦闘能力を究明することになるぞ!」


 教授はターゲットをマクベスに変えると机から下りて姿勢を低くし、いつでも動けるよう体勢を整えた。

 マクベスが手を差し伸べるよりも前に、パルケは頭を押さえ、ふらつきながらも立ち上がる。青眼が教授の姿を捉え、空いた片手に魔力を宿す。


「アンタは下がってろ」


 マクベスは即座に腕を伸ばして、パルケが教授へ近づこうとするのを阻んだ。意にそぐわない行動をされ、パルケは苦悶の表情のままマクベスを睨みつける。


「退けよ、あのオートマタに訊きたいことが──」


 話している途中でパルケの頭がさらに痛みを増した。胃から出してはならないものが込み上がり、思わず口を手で覆って唾と一緒に飲み込み押し戻す。

 脂汗を流す死神の姿に、マクベスは首を左右に振った。

 

「その様子で戦わせるわけねぇだろ」


 教授から庇うようにパルケの前に立つ。


「はぁー、今日は仕事できそうにねぇな」


 残念そうにつぶやくとマクベスの周囲が渦巻き、室内の気温が急激に低下した。


「ソアンの奴がキレるかもしれねぇが、説得しようにも聞く耳持たないなら仕方ねぇよな」


 魔力で作り出された冷気が部屋全体に行き渡り、パルケは邪魔にならないように後退した。

 マクベスは指を差すように、魔力の風に包まれた左手の魔剣を教授に向ける。

 

「面倒くせぇからぶちのめす! 覚悟しやがれ!」


 本音を叫ぶと、冷気を纏った右手の魔剣を床に突き刺した。白い亀裂が走り、教授の方へと扇状に広がっていく。氷の棘が床から四方八方に形成され、相手の行動範囲を狭める。

 魔剣を抜くと床を蹴り、魔力の風の推進力を得てマクベスは駆け出した。氷の棘を台と壁にして、縦横無尽に駆け回る。魔剣を振りかざし、風の刃で天井の氷柱を教授に落とした。


「むっ!」


 教授は軽やかな身のこなしで次々に氷柱を避けていく。落とされた氷柱や砕け散った破片で教授の視野を塞ぎ、マクベスは背後に回り込んで双剣を振り下ろす。

 教授が背を向けたまま車輪刃を下から斬り上げ、魔剣を弾く。すぐさまマクベスは距離を取り、次なるチャンスを窺う。

 車輪刃の攻撃を受け止め続ければ、いくら魔力で補強された武器でも壊れかねない。マクベスは教授を無力化させるため、まずは剪定バサミのハンドルを握る腕を狙っていた。

 魔剣と車輪刃や剪定バサミがぶつかる度に火花が散り、教授は鋭い斬撃に徐々に追い込まれていく。


「意外と堅実な立ち回りだ。ならばこれはどうかな!」


 教授は大きく距離を取り、剪定バサミの腕を元に戻すと、更なる魔力を注入した。腕が見る見るうちに背丈ほどに伸びたと思えば、前腕が光沢を放つ鋼鉄の棒に変化した。すると先端が長方形の金属の塊となり、すぐに樽のような形になる。

 片腕を巨大なハンマーに変形させた教授は、今度は足に魔力を込める。革靴とズボンの裾が裂け、噴射口付きの鉄靴へと姿を変えた。


「アンタ、戦闘の授業が一番得意だったりする? オレも習おうかな」


 軽口を叩くが、マクベスは雰囲気が変わった教授への警戒を怠らなかった。

 教授は足の噴射口から魔力を一気に放出させた。瞬間、轟音と共に散乱した本が吹き飛ばされ、凍りついた床の表面が溶けて水へと変わる。

 爆音にパルケは思わず耳を塞いだが、マクベスはそうしなかった。魔力の爆発による反動で、車輪刃を突き出した教授が目前まで迫っていたからだった。

 マクベスは自分の足を狙っていた車輪刃の攻撃を魔剣で弾いて回避した。片足を落とせないとわかると、教授は即座にハンマーを振り上げた。

 頭を砕かんとする鈍器に、マクベスは風の魔術で押し返そうとした。


「っ!」


 だが、ハンマーを捉えた視界の隅で、教授が片足を大きく後ろへ下げたのが見えた。武器を振り下ろす者がするはずのない体勢への違和感は、即座に防御すべき箇所を教えてくれた。

 教授の足に込められた魔力が爆発し、噴射口から一気に放出される。

 マクベスは囮のハンマーには目もくれず、双剣を交差させてサマーソルトを受け止めた。しかしその威力は人間の比ではなく、衝撃で後方へ吹っ飛ばされてしまった。

 それでもマクベスは魔剣のグリップから手を離すことはなく、握り拳で床を殴り、軌道を変えると体をくねらせて着地した。


「まだまだ!」


 教授は間髪入れずに次の攻撃を繰り出そうとしていた。車輪刃をマクベスに向けると、今度は肘から噴射口を出現させた。魔力が爆発し、反動で車輪刃が凄まじいスピードで放出されるとマクベスへ向かって飛んでいく。

 咄嗟に避けるが、車輪刃は壁に触れると白線を刻みながら天井へと移動した。ひとりでに動く車輪刃は天井の氷柱を砕き、今度は真上からマクベスを襲う。

 ところが、マクベスはニヤついた笑みを浮かべると双剣を上に放り投げ、指をパチンと鳴らした。それは丁度、二つの魔剣と急降下する車輪刃が一直線に並んだタイミングだった。


「何っ!?」


 教授が人の顔をしていれば、目を見張ることになっただろう。魔剣から氷の板が放たれ、二つの氷の板は車輪刃を挟んで無力化することに成功した。

 マクベスが落下地点から数歩下がり、正方形の氷が床に落とされる。落ちてきた双剣を掴むと、狼狽ろうばいする教授に勝ち誇った笑みを浮かべた。


「ギャハハ! 残念だったな!」


 教授は車輪刃が無くなった腕をぷるぷると震わせる。しかし、観念する意思は皆無のようだった。


「おのれ……もう容赦はしないぞ!」


 もう既に容赦してなかったじゃねぇか──そうツッコミを入れたくなったが、息と共に吐いて捨てた。

 教授がハンマーを掲げると、青白い雷が教授を包むように走った。ハンマーが魔力の光に包まれると、


「うおっ!?」


 両手の魔剣が教授の方へと引き寄せられた。危うく手放しそうになるが、強く握り直す。しかし魔剣を掴んだままだと体ごと引っ張られ、数歩ほどの距離を動く。

 いくつもの蔵書や氷の欠片が、教授側へと飛んでいき、ハンマーの光に吸収されていく。

 次の瞬間。ハンマーの頭部が巨大化し、青白い雷光を纏って雷鳴を轟かせる。


「そぉおおれッ!!」


 教授がハンマーを床に振り下ろした瞬間。雷光に包まれたハンマーの頭部が元の大きさに戻り、光の中へ消えていった本が放出される。同時に、床の亀裂から雷撃が駆け抜けた。

 亀裂から溢れ出し、のたうち回るように暴れ狂う魔力の雷。マクベスは前方に魔力の障壁を張ることで逃れる。しかし、


「ぐぁっ!」


 後ろから聞こえた短い悲鳴に、思わず振り返った。

 マクベスが見たのは、自分と同じように作ったはずの半透明状の障壁が砕け散り、本棚に体を叩きつけたパルケの姿だった。


「パルケ!」


 死神の名前を叫ぶが、彼はわずかにうめき声を発するだけで、うつ伏せになったまま動かなかった。


「ふふん、魔力とはすなわち精神の力! 取り乱した者の魔術障壁など、吾輩のつちに敵うものか!」


 再び教授がハンマーを掲げた。マクベスはパルケの前に立ち、双剣を交差させて障壁を展開させる。

 ハンマーは先ほどと同じように巨大化し、青白い雷を纏わせた。すると再び魔剣が引っ張られ、マクベスも少し引き寄せられていく。


(ん?)


 大量の魔導書が飛び交う中。マクベスは車輪刃を閉じ込めた氷も、わずかではあるが教授の方へと動いていることに気づいた。

 教授がハンマーを掲げる動作で、強力な雷を放つためのチャージを行っているのは明白だった。その際、魔剣や一部の本、魔力の氷が教授の方へと移動している。

 教授側へと引き寄せられる物──それには共通点があるように見えた。

 ハンマーが振り下ろされ、マクベスの障壁は解き放たれた雷の魔力を今回も防ぐ。

 反撃したいところだったが、広範囲の魔術攻撃からパルケを守るためにこの場から離れられなかった。魔術で攻撃しようにも、教授の周囲にあった氷は全て破壊され、氷柱で妨害することはできない。今の位置から魔術を放っても、教授の雷撃で相殺されるのは目に見えていた。

 何か手を打たなければ防戦一方になってしまい、マクベスは眉をひそめる。


「いつまでそうしていられるかな!」


 教授が叫び、ハンマーを振り上げた。


(オレの予想が正しいとすれば、チャンスは一度きりだ)


 マクベスに策が無いわけではなかった。成功すれば教授に接近できるほどの隙ができる。しかし、その予想の確信を得るには少々情報量が物足りない。

 危険な賭けであったとしても、マクベスは決して怖気づくことはなく、むしろ片八重歯が見えるほどに笑ってみせた。


(やってやろうじゃねぇか!)


 教授の周囲に、わずかに電撃が走る。それはハンマーのチャージが開始される合図だった。


「食らいやがれッ!」


 その瞬間、マクベスは自分の周囲にある氷を溶かして水に変えた。同時に教授がハンマーのチャージを開始し、まばゆい雷光が走る。

 ハンマーが引き寄せているもの。それはマクベスが想像したとおり、お勉強部屋に漂う魔力だった。ソアンが作ったこの部屋は収納魔法を改良した空間で、空間を維持するための魔力で満ち満ちていた。

 教授がそれを使い、雷撃を放っていることも予想どおりだった。

 ハンマーへ込める魔力をわずかな時間で吸収するために、魔力を宿した物体も動かしてしまう。マクベスの得物や氷、魔法の行使を補助する役割もある魔導書が、教授の方へと向かっていこうとするのはそれが原因だった。

 しかし、チャージの際に引き寄せてしまう物が他にもあることに、教授は飛んできた物体を視認するまで忘れていた。

 その物体──マクベスが少し前に氷の中に閉じ込めた車輪刃が、魔導書と共に戻ってきていた。


「ぬおうっ!?」


 マクベスから距離を詰められないよう、最速で魔力の充填を行ったのが仇となっていた。高速で放たれた車輪刃から逃れようと、教授はハンマーの魔術を解除した。しかし車輪刃の勢いは止まらず、大きく体をらせてやり過ごす他なかった。

 くの字に曲がった体勢を戻したときには既に、マクベスが片足を大きく後ろへ下げているところだった。


「お返しするぜ!」


 マクベスが華麗な動きで放ったサマーソルトは美しい弧を描き、人の顎の部分にあたる本の下部に直撃した。両者は空中で一回転し、でこぼこになった床に上手く着地できたのはマクベスだけだった。

 教授の両腕が元の形状に戻り、仰向けになって背中から倒れる。うめき声を上げながら、指をピクピクと動かしていた。

 マクベスは双剣を腰のホルダーに戻すと、見下ろすように立って教授の頭に手をかざした。


「少し頭を冷やしやがれ!」


 マクベスは詠唱を行わず、単純な魔術を使った。魔力を水に変換するだけの魔術を、教授は顔面に食らってしまった。

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