2-3 教授と死神

「うわっ!」


 光に包まれ、視界を奪われたパルケ。体が何かに引っ張られ、数秒ほど浮遊した後に落下した。尻もちをつくような形になり、じんわりと痛む箇所をさすった。


「あれ? ここはどこだ?」


 周囲の様子が大きく変わっていることにパルケは驚愕して、キョロキョロと見回した。

 壁や床は真っ黒で、面と面の境目に白い線が走っている。白い線で象られ、大量に並べられた本棚には様々な本が収納されていた。

 遠近感が狂いそうになる空間の中、一際目立つものがあった。

 それは書物が山積みにされた机と、そこで作業している者だった。紙にペンを走らせる音が止んだと思えば、くしゃくしゃに丸めて放り投げられ、また書き始めた。

 忙しそうに片手で本を読みながら、一方の手でペンを握る者。彼はタキシードと魔術師が好むローブを足し合わせたような服を着ており、肩幅からして男のようだった。が、頭の代わりに開いた本が取り付けられていた。


「うーん……」


 頭が本になっている男は集中していて、来訪者の存在に気づいていなかった。唸っては紙を丸めて捨てていく。その繰り返しだった。

 丸められた紙の一つがパルケの目の前に転がり、拾い上げて中身を覗いた。それは流星雨で見た依頼書や図書館の本に書かれていた文字と、それとは異なる言語の二種が書かれていた。異なる言語の方に矢印が引かれ、マクベスたちが使う言語で走り書きされている。

 異なる言語に対し、補足するようにメモがされた文章。なぜかパルケには、一方の言語は手に取るように読めた。


「聖戦について?」


 一行目の、大きめに書かれた文字をその言語で読み上げる。二行目以降を流し読みしようとするが、聞き覚えの無い専門用語らしき言葉が羅列してあり、つまらないという感想を顔に出す。


「うん?」


 声に反応し、本の男が顔を上げた。手を止め、パルケの存在を認識すると立ち上がり、本に栞を挟む。


「おや、古代語が読めるなんて珍しい。考古学者を志望しているのかな?」


 彼は鋼鉄の両腕を広げ、歓迎の意思表示をした。壮年の男の声は、開かれた本から発せられている。


「誰だ? 変な頭してるな」


 パルケのもっともな疑問に、本の男はあごにあたる箇所を撫でた。


「おや、君は我が主──ソアンから聞いていないのか。吾輩はソアンの司書であり、一応護衛も務めているオートマタだ。吾輩のことは教授と呼んでくれ」


 鋼鉄の体を魔力で動かす、人と同じように魂が宿る存在──オートマタから自己紹介を受ける。喋り方や仕草から、ソアンの真似をしているのだとパルケは思った。


「教授……ってことは、お前は勉強を教えるのか?」

「そのとおり!」


 白い手袋で包まれた両手を合わせ、教授と名乗ったオートマタが答える。足を組み、机に肘を立てて両手に顎を乗せた。


「さて、まずは説明することにしよう」

「説明?」


 そうだ。と言って教授は頷いた。


「どうやら君は我が主から、ろくな説明も受けずにこの“お勉強部屋”へ入れられたようだ。だから簡潔に説明するぞ」


 教授は指先に魔力をまとわせ、魔法文字を空中に描く。するとパルケの真後ろにモダン調の椅子が出現した。用意された椅子に腰を下ろし、教授の説明を受ける。


「ここはお勉強部屋と名付けられた、我が主が作り上げた特殊な空間だ。吾輩はこのお勉強部屋へ訪れた者に、その者が望む科目の授業とテストを行っている」

「じゃあ、文字の読み書きも教えてくれるんだな?」

「もちろんだとも! 読み書き以外にも魔術や他国の法律、郷土料理の作り方まで完璧にサポートしてみせよう!」


 教授は引き出しから新しい紙を取り出し、ペン先を置いた。


「では読み書きの授業を──と言いたいところだが、まずは君のことを知っておかなければ」

「別にいいけど、俺のことを知ってどうするんだ?」

「先生と生徒の円滑なコミュニケーションに必要だからだ。一概に授業といっても、ただ教えるだけでは良い授業とはいえない」


 教授はペンを握った拳を、真っ暗な天井めがけて突き上げ、熱弁を振るう。


「大事なのは信頼関係だ! 先生と生徒の信頼関係は授業のモチベーションにも繋がる。さあ、吾輩と自己紹介をしよう!」


 教授はパルケがポカンと口を開けていることに気づき、咳払いをして乱れた襟を正した。


「いけないいけない、つい張り切ってしまった。改めまして、吾輩は教授。我が主ことソアンに仕えるオートマタだ。君は?」

「俺はパルケ、死神だ」

「そうか、死神のパルケ君か。……うん?」


 メモを取り始めた教授の手はすぐに止まった。


「シニガミというのは冥界に住んでいて、魂を管理する者と伝承で語られている、あの死神……?」

「ああ、そうだぞ」


 誇らしげに胸を張り、口角を上げるパルケ。しかし対象的に、教授はうつむいて頭を抱えた。


「これはジョークなのか……?」


 わずかに教授が顔を上げ、変わらず同じポーズを取り続けるパルケを観察した。予想外の自己紹介を受けて教授は取り乱したが、気を取り直して続けることにした。


「なぁ、自己紹介って他に何を教えてやればいいんだ?」

「好きな食べ物や出身地、あとは年齢をあげる者が多いかな」


 パルケは最初に好きな食べ物を思い浮かべようとしたが、食事を不要とする体なのでわからなかった。

 次に出身地は冥界であることを伝えようとしたが、死神の伝承を知る者ならわかっているはずなので言わなかった。

 最後に残ったのは年齢だった。そこでパルケは、


「あれ、年齢……俺って何歳なんだ?」


 年齢が思い出せないことに気づいた。


「おや、わからないのか? それなら吾輩が調べてあげよう!」


 教授は楽しそうに、引き出しからある物を取り出した。


「これは古代の人類が作った道具で、これを使えば諸々の要素を計算し、大まかではあるが年齢が判定できるのだ」


 机の上の物を隅に追いやり、空いたスペースに置く。

 その道具は奇妙なものだった。海賊が好んで使う単眼鏡を短くしたものが二つ、弧を描く部品で接合されていた。いくつか見慣れないパーツが取り付けられており、側面にある歯車はネジで動かせるようだった。

 特殊な部品が付けられたそれは、双眼鏡と呼ばれる物に酷似していた。


「他にも様々なものを測定できるらしいのだが、壊れていて使えないのだ。年齢だけ計れても役に立たないのでは? と思っていたが、使う時が訪れて吾輩は嬉しいぞ!」


 段々と気持ちがたかぶぶる教授は双眼鏡を両手で持ち、


「そりゃっ!」


 接眼レンズの部分を、顔面である開かれたページに思い切り押し付けた。両手を離すと、双眼鏡はピッタリと本にくっついて離れない。

 教授は机に手を置き、片方の手でネジを巻きながら前屈みになった。ぼやける視界でズームインとズームアウトを繰り返し、パルケの姿を捉えようとしていた。


「どうだ? 俺が何歳なのかわかったか?」


 パルケは教授に訊くが、返事は来なかった。突然、教授が石像のように固まって動かなくなってしまったからだった。


「おーい、教授ー?」


 呼びかけても返事は無く、何事かと目を細めた。

 数拍置いてやっと出された教授の声は、


「これはどういうことだ? こんなデタラメな年齢であっていいはずがない! しかしこれは事実だ、変えようのないものだ……」


 パルケの年齢に対する困惑と疑念が入り混じったものだった。


「そういえば先ほど古代語を……つまり……」

「なぁ、さっきからブツブツ言ってどうしたんだ? 結局わからなかったのか?」


 教授の様子が徐々におかしくなっていることにパルケは気づかず、のんきに話しかける。


「知りたい、吾輩は知りたい……このチャンスを逃してはならない……!」


 教授は双眼鏡を投げ捨てると、片足を机に置いた。すると突然、服の袖と手袋が裂けた。右腕が刃の付いた車輪型の武器、もう一方は剪定せんていバサミに変形させたものが姿を現す。左前腕から一回り小さな鋼鉄の腕が生え、剪定バサミのハンドルを掴む。


「うん?」


 ようやく異常さに気づいたパルケは、立ち上がって邪魔な椅子を蹴り飛ばす。ソアンに喧嘩をふっかけたときと同じように、両手に自身の魔力である赤黒い炎を纏わせた。片足を後ろにやり、戦闘態勢を取る。


「パルケ君! 今から君が先生で、吾輩が生徒だ!」

「よくわからないが、とりあえずわかった! それで?」


 矛盾した返事を意に介さず、教授は要求を提示した。


「吾輩の望みはただ一つ、聖戦が起きた時代の詳細だ! ご教示願おう!」


 剪定バサミをパルケに向け、教授が叫ぶ。


「聖戦? さっきマクベスが言ってたな。でもそんなの俺は全く知らないぞ。つい数分前に知ったばかりだし」

「…………」


 教授はがっくりと肩を落とし、落胆した。


「そうか、秘匿を貫くということか。それなら仕方ない、せめて貴重な肉体だけでも調べなくては……」


 車輪刃が高速回転し、甲高い金属音を響かせる。


「徹底解剖ォォオオオッ!!」


 教授が叫ぶと、机を蹴って間合いを一気に詰めた。


「!」


 その速度はパルケの想像を遥かに超えていた。咄嗟とっさに体を後ろに倒し、車輪刃の横薙ぎを回避する。真っ黒な床に手を着き勢いのまま後方へと跳躍するが、追撃はすぐに繰り出された。剪定バサミの突きを、今度は横へ転がるように避ける。

 獲物を逃した剪定バサミは本棚に突き刺さり、白い亀裂が走った。


「うーん、これは困ったぜ。大罪人以外の魂は奪っちゃいけないんだよな。だけど仕方ないな、これは正当防衛ってやつだ」


 マクベスに止められソアンと戦えず、不完全燃焼だったパルケは嬉しそうな顔で言う。そして大きく距離を取り、青白い魔力の翼を形成して広げた。

 しかし、その表情と翼は抱いた疑問ですぐに消えてしまった。


「ん? ちょっと待て。大罪人以外の魂は奪うなって、いったい誰が決めたんだ……?」


 死神の守るべきいくつかのルール。今まで遵守してきたそれを定めた者について、パルケは一度も考えたことがなかった。確かなことは、決めたのは自分ではないという一点だけだった。

 死神は自分以外に存在しない。交友関係を築いたことも無い。ならば、いったい誰がルールを定められるのか。これまで死神として生きてきたパルケが、初めて自分自身のことで疑念を抱いた。

 その衝撃は、パルケの判断を鈍らせるのには充分だった。教授は凄まじいスピードで走り出し、パルケの周囲にある本棚をいくつか蹴り倒して視界を奪い、姿を見失わせようとする。

 パルケは本棚を避け、しかしそのせいで教授の意図どおり、どこにいるのかわからなくなってしまった。教授は彼の背後を取ると、足にありったけの力を込めて床を蹴った。

 パルケが振り向いたときには既に、教授は車輪刃を振り上げていた──



* * *



「今の光は何? 目がチカチカするよー……」


 魔導書から放たれたまばゆい光。それが収まるとアシェリーはまぶたをこすり、明滅する視界から脱そうとしていた。

 マクベスは周囲を見回すが、パルケの姿は確認できなかった。そこで丁度、ソアンが筆記用具と紙を抱えて三階の踊り場から二人に声をかける。


「今、誰か魔法を使わなかったか? 図書館では大声と魔法の行使は禁止しているぞ」


 のんきなことを言う図書館館長に、マクベスは彼の所有物を拾い上げて指差した。


「ソアン! この魔導書はなんだよ!?」


 パルケが姿を消した原因らしい魔導書。その正体を訊こうとする。

 ソアンが頭上に疑問符を浮かべ、目を細める。魔導書を視認し、顎をさすりながら説明を始めた。


「ああ、それか。その魔導書は魔術の行使をより効率化するために、私の叡智えいちを結集して作り上げた唯一無二のものだ。そして聞いて驚くといい──なんと、それを使えば魔術だけでなく、治癒術や召喚術といったあらゆる魔法も補助できるのだ!」

「あっそ。他には?」

「えっ」


 聞きたい情報が得られず辛辣しんらつなセリフを言い放つマクベス。ソアンは目を丸くし、無言になった。


「ボク知ってるよ。ソアンって魔術は使えても治癒術とかはできないから、こういうのを“宝の持ち腐れ”って言うんだよね!」

「…………」


 アシェリーにトドメを刺され、涙ぐみながら下唇を噛む姿は非常にいたたまれないものだった。眉をハの字にし、震える声で親に反発する子供のように言い返す。


「も、もちろんそれだけではないぞ! その魔導書は“お勉強部屋”へと繋がる扉でもあるのだ!」

「お勉強部屋? なんだそりゃ」


 パルケが消えた原因に関係ありそうな予感がして、マクベスは再度質問した。自尊心を取り戻したのか、ソアンは自慢気に喋り出す。


「戦いを生業なりわいにする者の一部は、得物を収納魔法で携帯していることくらい知っているだろう? 私はその収納魔法を改良し、人の出入りが可能な広い空間を確立することに成功したのだ。今後は更なる改良を施そうと思うのだが、せっかく編み出したのだから今すぐ活用しようと考え、その結果できたのがお勉強部屋なのだ!」


 ソアンの長い話はまだまだ終わらなかった。


「困ったことに、勉学に励むと言いながら怠ってばかりの者も少なくはない。お勉強部屋は、そのような有言不実行の愚か者を更生させるために利用している。さらに教師として、数年前に保護したオートマタを住まわせているのだ! だが彼はなかなか癖のある者でね。生徒によっては少しばかり張り切り過ぎてしまうのさ。だから間違ってもその本に触れ、開いてはいけないぞ! 部屋に入れる者を私が判断しなければ一大事だからな!」


 言いたいことを一方的に言い終え、満足したソアン。そこでようやく、パルケの姿が見当たらないことに気づいた。


「おや、パルケは?」

「たぶん、そのお勉強部屋とやらに行ったぜ」


 魔導書を指の腹で叩くマクベス。ソアンはわずかに眉をひそめた。


「む、この私が直々に教示してやろうと思ったのに。だが生徒が訪れず、オートマタも寂しがっていることだろう。彼に一任するとしようか」

「でもさっき、入れる人を選ばないと危ないって言ってたよねー?」


 アシェリーの異議に、ソアンは指を左右に振って答えた。


「たしかにああ言ったが、彼が人に危害を加えるような暴走を起こしたことなど、これまでに一度も無いから安心するといい。そんなに心配なら魔導書に耳を当てたらどうだ? 万一に備え、お勉強部屋にいる者の声が届くようにしてある」

「そうか。どれどれ」


 マクベスは耳を魔導書に当て、目を閉じて音を拾った。


「徹底解剖ォォオオオッ!!」


 聞き覚えの無い男の叫び声に、マクベスは半開きの双眸そうぼうでソアンを見やる。


「おーいソアン。徹底解剖なんて物騒なワードが聞こえたが、オレの気のせいか?」

「物ごとを解説する際によく使われるうたい文句だ。なんの問題も無いだろう?」

「ギュィィイン!! って物理的に介入しそうな音は幻聴ってことか?」

「おや、彼が武器を持ち出すなんて珍しい。ということは、これはつまり……」


 三人の間に沈黙が流れる。


「しまった、一大事だ!」

「だろうな!」


 ソアンは大慌てで一階へと戻り、勉強道具を乱雑に置くと魔導書を受け取った。手のひらをかざすと、ソアンの手と魔導書がわずかに光に包まれる。


「おい教授、今すぐ武器を収めろ! ……駄目だ、聞いちゃいない。直接入って止めるしかないようだ」

「ならさっさとしやがれ!」


 マクベスが叫ぶが、ソアンは大袈裟に首を横に振った。


「何を言う、魔術師が迂闊に近接戦闘なんてできるものか! そういう荒事は貴様の専門だろう、さぁ早く奴の凶行を止めに行け!」

「んなことしなくたって、パルケだけでもこっちに戻せばいいだろうが!」

「お勉強部屋の退出は教授に任せている。私の方から退室させることもできるが、部屋にいる全員が対象だ。暴走中の教授を出してみろ、この図書館はお終いだぞ!」

「なんでそういう時の対策を用意してねぇんだよ! バカじゃねぇの!?」

「ぐっ、貴様にだけは言われたくないな!」


 二人が言い争っていると、アシェリーが椅子から立ち上がり胸をどんっと叩いた。


「大丈夫、ボクが助けに行ってくるよ!」


 アシェリーは魔導書に手を伸ばすが、マクベスに肩を押されて止められる。


「危ねぇ場所にアンタを行かせられっかよ! つーかよく考えたら、ソイツを止められそうなのオレしかいねぇじゃねーかクソッタレ!!」


 マクベスは乱暴に魔導書を奪うと、目線でソアンに合図を送った。


「奴を誘え!」


 ソアンが指先に魔力を込め、呪文を唱えて魔術を発動させる。魔導書が光り輝き、視界が真っ白になった。次の瞬間、床が抜けたように足場が消え、マクベスは重力のままに落下した。

 光が消えると、視界に広がるのは真っ黒な世界に白い線が引かれた巨大な空間だった。

 落下するマクベスが見たのは、倒れた本棚と何かの衝撃で位置がずれた机。背後を取られていることに気づかないパルケと、頭が本になっているオートマタ──教授だった。

 マクベスは瞬時に状況を把握し、受け身をとると即座に駆け出した。パルケが振り返り、教授の車輪刃が振り上げられた。

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