2-2 図書館館長の怒り

 アークトゥス通りを徒歩で二十分ほどにある、住宅街の一角。そこにソアンと呼ばれる者が経営する私立図書館はある。

 四角柱を立てたような三階建ての図書館は、ベンチのある広めの庭を剣先フェンスで囲んでいた。


(あまり行きたくはねぇが、そうも言ってられねぇな)


 閉じられた玄関扉から、わずかに聞こえる複数人の声があった。図書館は防音の魔法がかけられており、かなりの大声でなければ音が漏れないことをマクベスは知っている。

 舌打ちすると門をくぐり、両開きの玄関扉を開いた。


「ソアン!」


 マクベスが図書館館長の名を叫ぶ。しかしその声は無視された。


「何度も言わせるな、即刻この図書館から出ていけ!」

「どうして駄目なの? 図書館は勉強するところだって言ったのはソアンだよー?」

「事情は話せば長くなるうえ、伝えるつもりもない。さぁ死神よ、さっさと冥界に戻るのだな!」

「それができるならそうしたいんだけどなぁ」


 壁を埋め尽くすように並べられた本棚。だが吹き抜けのおかげで威圧感は無く、むしろ広々とした印象を与えている。中央にはテーブルと椅子が置かれてあり、二人の向かい側に図書館館長の少年はいた。

 白髪のロングヘアに紫を基調とした、魔術師が好む帽子と丈の長い服。眉間にシワを寄せていなければ、美少年と言って差し支えない顔立ちをしている。

 彼は水色の瞳でパルケを睨みつけ、非難するアシェリーと口論していた。


「やだやだ、図書館は本を読んだり勉強するための場所って言ってたもん!」

「諸事情で断ると言っている! 私の視界から奴の顔を消したいのだ、早急に立ち去れ!」

「そこまで言うなら……パルケ、悪いけどこのお面かぶって! 狐さんのデザインなんだよー、カッコイイでしょ?」

「おい待て、そういう問題ではない! ふざけているのかアシェリー!」


 力強くテーブルを叩くソアンは、振動で溢れたコーヒーが袖に付着しても気に留めなかった。幸い、置かれていた本にはかからなかった。

 埒が明かない口論を止めるべく、マクベスはパルケがつけようとした狐の面を取り上げて、ソアンに話しかけた。


「よぉソアン、久々だな。最近来ねぇからドルファが心配してたぜ」


 声をかけられ、ソアンは変わらぬ表情で喋り始める。


「天下無双か。悪いが今は貴様に構っている時間は無いぞ。あとドルファには心配無用だと伝えてくれ、研究がある程度進んだら顔を出そうじゃないか」

「はいはい、研究資金が底をついたら来るんだな。そのときはちゃんとした服で来いよ」


 マクベスはベルトポーチからハンカチを取り出し、ソアンに差し出す。そこでようやく袖がコーヒーで染まっていることに気づき、ばつの悪そうな顔をしながら拭いた。あまり汚れは取れておらず、溜め息を溢すと一口だけコーヒーを飲んで息をついた。


「それで、何をそんなに怒ってんだ?」


 ハンカチを返してもらうと、状況を正確に把握するためにマクベスは訊いた。冷静さを取り戻したソアンは腕を組んで、ふてくされた子供のようにそっぽを向いた。


「怒るのは当然のことだ。突然に死神がやって来て読み書きの教えを請うのだぞ? なんの冗談だ」


 ちらりと鋭い視線がパルケに向けられるが、敵意を示された当人はなんとも思っていないらしく、膨大な数の蔵書を眺めていた。


「まぁ気持ちはわかるぜ。いきなり死神なんて名乗る奴が現れたら、いくらアンタでも戸惑うのは無理もねぇよな」


 同じように腕を組み、うんうんと何度もマクベスは頷いた。


「私は死神を嫌悪しているんだ、パルケに対して良い顔をするわけがないだろう!」

「そうだよな──ってちょっと待て、コイツが死神って信じてんのかよ!?」


 近くにある張り紙の注意事項を無視し、マクベスは思わず大声を上げた。


「事実そうなのだろう?」

「いやまぁ、そうだけどよ……」


 納得のいかないマクベスだったが、これ以上無駄な話を引っ張るわけにもいかないので黙っていることにした。


「とにかく、死神である貴様に教えてやることなど無い。さぁ早く帰るのだ!」


 しっしと追い払うように手を振り、ソアンは椅子に腰かけた。頬杖を突き、読みかけの魔導書に集中し始める。


「ねぇソアンってば、今度美味しいケーキ買ってくるから教えてあげてよー」

「そうだぞー。俺、事情があって効率的に金を稼がなきゃならないからさ、読み書きを教えてくれよソ……ソなんとかー!」


 魔導書に目を通しているソアンの左右に移動した二人は、肩を掴んで揺すった。無視を続けるソアンだったが、ものの数秒で我慢の限界が訪れる。


「ええい、しつこいぞ貴様ら! それに私はソアンだ、人の名前くらいすぐに覚えろ死神! あとアシェリーは人をケーキで釣ろうとするな!」


 三人は騒ぎ始め、この場で止められる者はマクベスただ一人となった。だが、


(め、めんどくせー……)


 介入する労力を考慮した結果、二人が諦めるかソアンが折れるまで成り行きを見守ることにした。

 本棚から一冊引き抜き、支柱に背中を預けてページをめくった。興味の無い料理本だったが、暇潰しくらいにはなった。

 数分にわたる口論の後、パルケが行動を起こした。


「うーん、こうなったら方法はあれしかない」


 ソアンと数メートルの距離を取ると、両手に魔力のオーラをまとわせた。ファイティングポーズを取るパルケを中心に風が渦巻き、ソアンが読んでいた本のページがめくられていく。


「実力行使だ、文句無いだろ?」

「えぇー! ボク、暴力反対ー!」


 頬を膨らませ、パルケの行動を咎めるアシェリー。対してソアンは不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。


「ふふっ、悲しいかな……痛みを伴わなければ理解できないとは。ならばその身を持って思い知るといい──この私を相手に、魔術で勝負を挑むのは愚策であったと!」


 ソアンは手袋をつけたままだったが、指をこするように弾くとパチンと音が鳴った。魔術で瞬時に、置かれた物ごとテーブルと椅子を消した。同時に赤い魔導書を出現させ、手にすると戦闘態勢を取る。ソアンの体から溢れ出る魔力が風を起こし、同じように逆巻いた。


「喧嘩はよくな──」


 戦う姿勢を見せた二人を止めるべくアシェリーが割り込もうとするが、先にマクベスが動いた。アシェリーの肩を引き寄せて下がらせると、もう一冊本を取り出して、


「とりゃあっ!!」


 二冊同時に投擲とうてきした。 

 分厚い本の角はパルケとソアンの側頭部に命中し、二人はくぐもった悲鳴を上げると赤いカーペットの上に倒れ伏した。


「て、天下無双……貴様、サシの勝負に介入するなど、常識というものが無いのか? ストレス発散ができると思っていたのに……」

「酷いぞマクベス、せっかく戦う口実ができたのに……」

「うるせー! おとなしくしやがれ戦闘狂ども!」


 マクベスは怒鳴りつけると投げた本を回収し、元の場所に戻した。


「おいパルケ、さっさと帰って仕事するぞ!」

「嫌だー!」


 パルケはうつ伏せのままカーペットにしがみつき、コートを引っ張られても決して離さなかった。


「駄々こねる犬みたいなことしてんじゃねぇ!」


 二人の構図は、散歩から帰ろうとしない犬に手を焼く飼い主そのものだった。

 力任せに少し引きずったところで、マクベスの服の裾が引っ張られた。振り向くと、アシェリーが真っ直ぐにマクベスを見つめていた。


「ねぇマクベス。ボク、読み書きができるようにしてあげたいよー」


 赤い鱗に覆われた竜の手に、わずかな力が込められる。


「文字は読めた方が何かと便利だよ? お買い物に困らないし、依頼書の内容だってわかるようになるよ!」


 アシェリーの訴えかける緑の瞳に対し、マクベスは困った顔をしながら頭を掻いた。


「パルケには早く金を稼いでもらわねぇと困るんだっての」


 だが、とマクベスは話を続けた。


「まぁ、読み書きぐらいならいいか」


 同意を示すと、アシェリーの顔がぱあっと明るくなった。


「まったく、大変な目に遭った……。今日は閉館だ! 三人とも早急に立ち去るように!」


 ソアンは軽くズボンをはたくと階段を上り、施錠するため鍵がある三階の執務室へ戻ろうとしていた。

 すっかり不機嫌になったソアンを相手に、マクベスは二人のために一肌脱ぐことにした。


「仕方ねぇ。こうなったら必殺技を使うとすっか」


 必殺技? と、二人が顔を見合わせる。

 パルケから手を離し、ゴホンと咳払いをして喉の調子を整える。パルケは立ち上がり、コートに付いた埃を払った。

 準備が終わるとマクベスは息を吸い、声を張り上げた。


「あー、なんてこった! ソアンしか頼れる奴がいねぇのに断られちまったぜ!」


 劇場の役者のように、動作の一つ一つから悲嘆の意が感じ取れる演技をしてみせた。わざとらしさは隠しきれていないが、重要なのは演技ではなくセリフの方であった。

 効果はてきめんで、次の段差に足を置いたソアンの耳がピクリと動く。


「私しか頼れる者がいない……?」


 立ち止まったのを見て、マクベスはさらに芝居を続ける。


「あー、マジでどうすればいいんだー! 行く宛がねぇなぁー! 超困ったぜー!」


 次は何を言って気を引こうかと考えるマクベスだったが、もうその必要はなかった。

 マントを派手にたなびかせるようにソアンが振り返った。その目は実際に光を放ってもおかしくないほどに輝いていた。


「ふふっ! そこまで頼られてしまったら断る理由の方が見つからないな! よく考えれば知識を授ける者を選定してしまっては、知識は家宝などとのたまい魔術の発展を阻害する、愚かな魔術師となんら変わりないではないか! 貴様は幸運な男だぞ死神、この図書館で学ぶ機会を得たのだからな! だが私は貴様を良く思っていない点は留意しておくことだ!」


 すっかりご機嫌になったソアンは指を鳴らしてテーブルと椅子を再出現させた。必要な道具を取りに行くと告げて、高笑いをしながら駆け足で階段を上がっていった。


「良かったねパルケ! お勉強できるよー!」

「ああ、これで仕事が効率的になるな」


 嬉しそうに尻尾を振るアシェリーに、パルケは微笑んでみせた。


「そうだ。なぁマクベス、俺を海に落とした直後に言ってた話の長い知り合いって、ひょっとしてソアンのことだったのか?」

「よく覚えてんな? そうだぜ」


 階段の踊り場の手すりから身を乗り出し、二人の会話にソアンは異議を唱える。


「それは事実と異なるぞ。私の話が長いのではない、マクベスの気が短いだけだ。まったく、近頃の若者というのは──」

「な、話し出すと止まらねぇだろ?」

「だな」


 ソアンは一通り喋って満足すると、三階にある執務室へと入っていった。

 アシェリーは椅子に座り、獣と竜の爪でカーペットを傷つけないよう注意を払いながら、足をぶらぶらさせてソアンを待つ。マクベスは先ほどとは別の本を手に取って読み始めた。


「…………」


 パルケも何かしようと辺りを見回した。本棚の前で立ち止まると、なんとなくで選んだ本を手に取り、開く。

 文字が読めないのに何をしているのかと、気になったマクベスが目で追う。彼は本の中に描かれた挿絵に興味を示していた。

 雲の上に住む者たちとの争いを描いているようで、武器を構える人間やエルフ、獣人といった様々な種族が描写されていた。タイトルを見ると、マクベスの予想どおりの文字が記してあった。


「聖戦、か」


 表紙の文字をつぶやくと、パルケが顔を向けて首を傾げる。頭上には疑問符が浮かんでいた。


「知らねぇのか? 聖戦ってのは大昔にあった、世界全土を巻き込んだ戦争のことだぜ。まぁそれだけの規模にも関わらず、文献がほとんど残ってないせいで詳細は不明なんだけどな」

「へぇー……」


 マクベスは本の続きに目を通し、パルケはしばらく挿絵を見つめた。

 雲の上にいる人たちの一部には、背中に蝶々のような羽根を生やした者がいた。他の何よりも羽根を生やす者たちが気になり、しかしその理由がわからなかった。胸がざわつくような、妙な感覚に囚われる。


「なぁ、この絵の──」


 パルケが挿絵について訊こうとしたとき、視界の隅にある物が映った。ソアンがパルケと戦闘する直前に出現させた、赤い表紙に魔法陣が描かれた魔導書だった。

 パルケがその魔導書に近づき、拾い上げる。ソアンに渡すためではなく、単に中身を覗いてやろうとしたからだった。興味の対象は、挿絵から魔導書へとすんなり変わった。

 開こうとするが、なぜかピッタリと固く閉じられていた。意地でもこじ開けようと、パルケはありったけの力を込めた。熱が入り、小さなうめき声を上げる。

 マクベスの耳がその声を拾い、


(アイツ何やってんだ?)


 本を開こうと手を震わせている死神に声をかけた。


「パルケ?」

「あ、あと少し……」


 渾身の力で、ついにパルケは本を開いた。

 その瞬間、魔導書からまばゆい光が放たれた。それは一瞬のうちに部屋全体を包み込み、マクベスは思わず目をつむる。光が収まり、両目を開けたときにはパルケの姿はどこにも無かった。ただ、床に彼が手にしていたはずの魔導書が転がっているだけだった。

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