第二章 死神と教育 ─I don’t even know myself─

2-1 ロビーにて

 この数日間、マクベスはパルケの様子を窺いに何度か自室を訪れていた。

 あるときは、パルケが床に這いつくばるように倒れていた。ベッドから転げ落ちたのかと思ったが、話を聞けばマクベスを奇襲するためクローゼットに隠れようとして、しかし高熱で体力を奪われ今に至るという。


「寝てろ」


 苛立ちを抑えながらクローゼットを閉め、パルケをベッドの上で横たわらせた。

 またあるときは、部屋にいるはずのパルケが姿を消していた。嫌な予感がして宿舎内を探していると、彼はエントランスにある積まれた木箱の裏で熱に浮かされていた。理由はやはり同じで、


「だから寝てろって言ってんだろ!」

「うへぇー。大声出すなよ、頭がガンガンするー……」


 ぶつくさ言うパルケを背負い、風邪薬を飲ませて部屋を後にした。

 あくる日の朝。マクベスは部屋を出て施錠すると、鼻歌を奏でながら鍵をくるくると回して廊下を歩く。階段に差し掛かると鍵をベルトポーチにしまい、下りていく。


「…………」


 警戒しているのを悟られないよう、ズボンのポケットに手を突っ込んで一階へと下りる。ちゃんとアーミーナイフが入っていることを確認し、渡り廊下に繋がる扉のノブに片手を触れさせる。

 瞬間、後方からわずかな物音がした。何者かが床を蹴った音とほぼ同時に、マクベスはアーミーナイフを取り出した。

 振り向きざまに折りたたまれていた刃を出現させて、果物ナイフの斬撃を受け止める。目を見張る襲撃者の腹部に蹴りを入れると、彼は「ぐえっ!」と呻き、古びたカウンターまで吹っ飛んでいった。積まれた木箱が派手な音を立て、カウンターの奥から咳き込む声がした。

 壁にかけられた絵画が落下し、襲撃者の頭を直撃した。


「痛っ!?」

「ギャハハ! 病み上がりにしちゃあ悪くねぇ動きだったぜ、パルケ」


 アーミーナイフをたたむと、マクベスは少し前屈みになって癪に障る笑みを浮かべた。


「いい加減これでわかっただろ? アンタじゃオレには勝てねぇってことがさ」


 木箱を蹴り飛ばし、不服そうな顔をしたパルケが起き上がる。絵画を元の位置に戻すと、


「やっぱり納得いかないぞ!!」


 そう叫び、恨めしそうにマクベスの赤と青の瞳を睨みつけた。


「はいはい、正義は必ず勝つはずだもんな。だったらアンタじゃなくてオレが正義なんじゃねぇの?」

「ぐっ! それは……その……」


 痛いところを突かれ、言い返せずに口をまごまごさせた。


「せ、正義は必ず勝つんだよ……最後には」

「ギャハハ! その“最後”はいつ来るんだろうな!」


 目を泳がせながらの発言を、マクベスは笑い飛ばしてやった。


「ところで、それどこから持ってきたんだよ?」

「この果物ナイフか? さっきそこの木箱の中を漁ってたら見つけたぜ」

「戻せ!」


 渋々と窃盗した果物ナイフを木箱に戻し、武器を失ったことでパルケはマクベスの動き一つ一つに注意を払わなくなった。


「風邪が治ったなら、アンタのやることは一つだぜ」

「大鎌の修理代を稼ぐために仕事をやるんだろ?」

「そのとおり。つーわけでまずはこっち来い」


 マクベスはパルケを呼び、渡り廊下の先にある流星雨のロビーまで連れてきた。

 ロビーはギルドマスターのドルファ以外に、人の姿は無かった。今は朝食には遅い時間で、他の冒険者たちは依頼を受けて流星雨を去った後だった。


「おはようさん。おや、風邪は治ったのか?」


 二人に気づき、新聞から目を離してドルファが話しかけた。


「ああ、これで武器さえあればいつでも闇討ちできるぞ」

「や、闇討ち?」


 ドルファはパルケの口から出た物騒なセリフに、困惑の表情を隠せない。


「気にすんな。それくらい元気になったってことだぜ」


 どうでもいいことだと伝えるために軽く手を振り、近い席にマクベスは座った。椅子を軽く叩き、パルケも座るよう促す。


「飯頼むぜー」

「ああ、少し待ってろ」


 ドルファは年季の入った回転椅子から立ち上がると、後方の厨房へと姿を消した。パルケも席に着き、しばらくするとドルファが一人分の朝食とその三倍はある量の朝食を運んできた。三人分の朝食はマクベスの前に置かれた。


「お待ちどおさん」


 スープにパン、目玉焼きとサラダ、ウインナーがテーブルに鎮座する。特に目を引く二品が、さらに食欲をそそる。目玉焼きは綺麗な半熟で、パンは絶妙な焼き加減だった。


「サンキュー」


 マクベスは礼を述べ、足を組みながらというあまり行儀が良いとは言えない姿で食事を始めた。一流の料理人に引けを取らないほどの味を堪能していると、食事をする自分をじっと観察している青い瞳に気づいた。


「なんだよ?」


 理由を訊けば、パルケは笑顔で答える。


「言っただろ? 冥界へ帰れるようになるまでお前を監視するってさ」

「はぁー。何が悲しくて男に見つめられながら食事しなきゃならねぇんだよ」


 マクベスは不機嫌そうな表情を隠そうともせず、水の入ったコップを手にした。


「つーか飯食わねぇの?」

「死神に食事は不要なんだ。すごいだろ?」


 パルケが自慢気に胸を張る。


「へぇー、便利な体だな。ってことは飯いらねぇよな? 貰うぜ」


 かさむ食費に頭を悩ませているマクベスは、死神の特殊な体質に少しばかり嫉妬の混じった羨望せんぼうの念を抱いた。


「そうだ、アンタにはいろいろ訊きそびれたことがあるんだった」


 パルケの朝食をトレイごと引き寄せ、料理を口に放り込みながらマクベスは喋った。


「冥界に帰れないって話だけどさ、仲間とか呼べねぇの?」

「な、仲間?」


 困惑した様子でパルケが訊き返す。


「他の死神に決まってんだろ。ソイツに迎えに来てもらったりとかできねぇのかよ?」


 武器が壊れて死神としての仕事も帰ることもできないとパルケは言っていたが、仲間を呼び出せば仕事は不可能でも、冥界へ帰れるのでは──そう踏んでマクベスは訊いた。


「そう言われても、死神は俺しかいないぞ。仲間ならケルちゃんとベロちゃんがいるけど、俺の言葉はあまり理解できないし、そもそも呼び出す方法が無いから無理だな」

「ケルちゃん?」


 マクベスが、死神ではない協力者らしい名前をつぶやく。


「ああ。たしかケルベロスって種族名だったっけ? うーん、合ってるかな」


 パルケは仲間の種族名が正しいのか。思い出そうと頭をひねるが、確証を得ることはできなかった。その裏で、


(あ、安直だな……)


 マクベスはパルケのネーミングセンスに思わず苦笑した。


「結局のところ、帰れない事実は変わんねぇってことだな」

「そういうことだ。だから引き続き監視するぞ」

「ったく、冒険者やってると変な奴に絡まれることが多くて困るぜ」


 眉間にシワを寄せながら食事をするエルフの青年を、じっと見る死神の青年。しかしそれは長くは続かなかった。パルケが徐々に不満そうな顔をしていく。

 マクベスはひとまず三人分の食事を平らげてから、その理由を訊いた。


「どうしたんだよ?」

「……なんというか、こう」


 パルケは膝の上に乗せた手で握り拳を作る。わなわなと震え、椅子を弾き飛ばして立ち上がった。


「やっぱり俺の予感は当たってるはずなんだよな。というわけでやっぱり勝負──」


 マクベスはその返答を、パルケの喉元にナイフを突きつけて返した。流れるような動作で行われた、ほんの一瞬の出来事にパルケは冷や汗をかいた。

 突き刺さったままになっているウインナーの油が、パルケの汗と同時に滴り落ちる。


「何か言ったか? 全然聞こえなかったぜ」


 勝ち誇ったように笑うマクベスの、片八重歯がキラリと光った。


「し、勝負しようと思ったけど今度にするか。そういえば武器も無いんだった」


 パルケは両手を上げ、降参した。


「おかしいな。お前からは何か嫌な感じがして、そのうえ隠し事がある。それなのにお前に敵わないなんて。正義は必ず勝つはずなんだけどな」

「ったく誰なんだよ、アンタにそんないい加減なこと吹き込んだ奴は」

「それは──」


 パルケは質問に答えようとして口を開く。しかしその先の言葉が紡がれない。


「……あれ? そういえば俺、この言葉は誰に教わったんだっけ」


 首を傾げ、思い当たる人物を探すが見つからなかった。


「なんだ、覚えてねぇのか。とっちめてやろうと思ってたのによ」


 マクベスが悪態をついたそのとき、


「あーっ! マクベス、食べ物と食器で遊んだら駄目なんだよ!」


 そう叫びながら、一人の少女が渡り廊下から二人のそばへと駆け寄ってきた。


「それに、ナイフを人に向けたら危ないよー?」


 羊皮紙の束とペンを持った少女は、頬を膨らませてマクベスを叱った。


「別に遊んでねぇよ」


 そう言いながら、マクベスはナイフに刺さったままのウインナーを頬張る。パルケは椅子を起こすと再び腰を下ろした。


「そうだったの? それならいいんだー」


 少女は頭上に生えた、獣の耳をピンと立てて動かした。


「おはようさんアシェリー。今日はいつもより遅いお目覚めだのう」

「えへへ、勉強してたらつい夜ふかししちゃったんだー」


 アシェリーと呼ばれた少女はドルファとそんなやり取りをしていたが、自分に向けられた視線に気づいてパルケを見た。


「そういえば、お兄さんは誰? 初めて見る顔だよね?」

「…………」


 パルケはアシェリーの姿を観察するのに夢中で、返事をしなかった。

 十二歳くらいに見える、黄緑のメッシュが入った白髪の少女。彼女の右側の手足は真っ白な体毛、左側の手足は真っ赤な鱗に覆われていた。四肢からは鋭い爪、頭には獣の耳以外にも左右にツノが生えている。

 一番目立つ特徴として、少女の背中には竜を彷彿とさせる赤い翼があった。


「俺の知らない間に、ドラゴンはこんなに小さくなったんだな。しかも二足歩行になっているなんて」


 パルケは脳裏に浮かぶ、最強に相応しい生物の変貌ぶりに驚きを隠せなかった。


「え? ボクはドラゴンじゃないよ。えっとね、合成獣キメラなんだよー」


 アシェリーは首と白い毛並みの尻尾を左右に振って、パルケの勘違いを訂正した。


「はじめまして、ボクはアシェリー! こう見えても流星雨の冒険者なんだよ! お兄さんは?」

「死神のパルケだ」

「死神?」


 アシェリーはキョトンとして、緑の瞳でパルケを見据える。


「ええーっ! それ本当? だってお兄さん、死神なのに人骨じゃないしローブも着てないし、鎌を持ったまま浮遊してないよ!?」

「えっ、なんだそのイメージ!?」


 驚愕して思わず大声を上げるパルケ。


「おや、儂が生まれた国では死神は人の姿をした男という話だったぞ」


 驚いたのは死神本人だけでなく、ドルファもだった。


「国によって死神のイメージは随分変わるな──ってんなもんどうでもいいっての。パルケ、こっち来い」

「ん、なんだ?」


 食事を全て平らげ、マクベスは食器の乗ったトレイを返却口に置くと、壁に掛けられたコルクボードの前に立つ。パルケはアシェリーに手を振り、マクベスの隣に立った。

 マクベスはいくつも貼られた依頼書を眺め、腰に手を添えた。


「大鎌の修理費を稼ぐ方法だが、アンタなら魔物の掃討依頼を受けるのが一番手っ取り早いと思うぜ。流星雨の冒険者じゃねぇとここに掲示されてる依頼は受けられねぇ。だがオレの手伝いってことにすれば問題は無い──だろ?」

「ああ、そのとおりだ」


 マクベスが問うと、ドルファは頷いて答えた。


「つーわけで、できそうな依頼をアンタが選べよな」


 パルケは依頼書に書かれた文字を、なぜかいぶかしむような顔をしながら隅々まで見る。


「マクベス」

「なんだよ?」


 パルケは依頼書を指差した。


「これ、なんて読むんだ?」

「どれどれ……」


 その言葉に、マクベスは特に驚くことも呆れることもしなかった。この王都レクスタリアに住む者たちの識字率は非常に高いが、国外からやって来る人も多いこの王都で、文盲な者がいるのはそう珍しいことではなかった。

 指された依頼書を読み、簡単に説明した。


「ゴブリンの掃討依頼だぜ。どうやら畑の作物を荒らしてるらしい」

「掃討……ってことはたおすんだよな? あんなに弱い魔物の討伐を他人にやらせるのか?」


 目を丸くするパルケに、マクベスは諭すように話す。


「オレたちにとっては弱い魔物でも、戦い慣れてねぇ奴らにはゴブリンだろうがトロールだろうが、凶悪な魔物に違いねぇのさ」


 マクベスの話に納得いかないらしく、パルケは少しばかり眉をひそめて反論した。


「自分の身を自分で守れないような、そんな奴らを助けて何になるんだ?」


 死神と人とでは価値観やものの考え方は異なる。パルケは“正義は必ず勝つ”という信念のもと、戦闘を仕掛けてくるような死神ではあるが、悪気は無いのだとマクベスはわかっていた。

 だがそれでも、腹を立ててしまうのは止められなかった。


「アンタの価値観はよくわかんねぇが、少なくともこの王都レクスタリアでは、魔物と戦える奴が偉いわけじゃねぇんだよ」


 ぶつかり合う視線の先で、火花が散ってもおかしくはない雰囲気の中。二人の青年の間に、一回り小さな影が割り込んだ。


「ねぇパルケ。さっき聞こえたんだけど、文字が読めないの?」


 二人の間に割り込んだのはアシェリーだった。彼女はわずかに小首を傾げて、パルケの顔を覗き込む。


「そうだけど?」


 邪魔をするなと訴えかける青い右目は、天真爛漫な少女の笑顔には全く効かなかった。


「だったらさ、図書館に行って勉強しようよ! ボクも手伝ってあげる!」

「図書館? なんだそれ?」

「本がたくさんあるところ! 行けばわかるよー!」


 アシェリーはテーブルの上に置いていた、羊皮紙とペンをベルトポーチに入れた。そして同意を得る前にパルケの腕を掴み、走り出す。

 パルケは振り解こうとするが、愛らしい少女の見た目に反した腕力には敵わなかった。


「図書館って……おい、まさかアイツのところに行くのかよ!?」

「そうだよー!」


 アシェリーは立ち止まらずに返事をし、パルケを引っ張ったまま流星雨の玄関から飛び出していった。


「アシェリーだっけ? どうして俺に勉強させようとするんだ?」


 少女の意図が読めず、パルケは不思議そうに問う。アシェリーは人差し指を立て、真っ白な尻尾と一緒に左右に振った。


「それはもちろん、読み書きできた方が効率的だからだよー」

「効率的……それは金を稼ぐのにも、か?」

「うん! それにね、いろんな本が読めるようになるから楽しいよー!」


 アシェリーはにこやかな笑顔を向けた。


「そうか、だったらできるようにならないとな。というわけで案内しろ!」

「もっちろん!」


 アシェリーが翼を広げ、後ろに回り込む。パルケの肩を掴むと空を飛び、図書館へと向かっていった。


「アシェリー! ……あーあ、行っちまった」


 息を吐くと、マクベスはがっくりと肩を落とす。


「ソアンの図書館へ行くのか?」


 別の新聞を読みながら、ドルファは嫌な顔をするマクベスに訊いた。


「ああ、連れ戻さねぇと何が起きるかわかったもんじゃねぇ」

「ははは、否定できんな。そうだ、ついでにたまには顔を見せろと伝えてくれんか?」

「了解。さて、行くか」


 頭を掻き、マクベスは流星雨から出る。紺色のマントをたなびかせながら、図書館への道を走っていった。

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