1-4 一件落着にはまだ遠い

 渡り廊下を歩き、三階建ての建物の中へと入る。やけに広いエントランスで物寂しさを紛らわすように設置されたのは、いくつかのテーブルと椅子、ソファー、無名の画家による絵画だった。十年前まではこの建物こそが宿屋であり、ここがロビーだった。

 マクベスは階段を上がり、三階の最奥──自分の部屋へと足を運ぶ。ベルトポーチから鍵を取り出し、差し込んで回す。ガチャリと音が鳴り、ドアを開けた。

 目の前に広がるのは、お世辞にも綺麗とは言い難い室内だった。ベッドのシーツは飛び起きた反動でシワだらけ。テーブルには読みかけの魔導書が数冊積まれ、椅子には予備のマントが引っ掛けられたままだった。床には走り書きのメモや何かの魔法陣を転写したものが散乱していた。

 パルケはそんな悲惨とも言える部屋を見回し、


「……手錠は?」


 そんなことをマクベスに訊いた。


「あまりにも汚すぎて独房みたいってか? ギャハハ! ぶっ飛ばすぞテメェ」


 額に血管を浮かばせながら笑顔で答え、殴り飛ばすことはしなかったが、ガンは飛ばした。


「んー……まぁいいや……」


 パルケはコートを脱ぐと床に落とし、やや乾いたマフラーをテーブルに置く。マクベスはクローゼットから着替えを渡して濡れた服を洗濯かごに入れた。ほんの少し丈の短い衣服になったパルケは、無言でベッドに横たわった。そして痛む頭を押さえて目を閉じる。


「水取ってくるからおとなしくしとけよ」


 何をするか予想がつかないので、念のために釘を刺してからマクベスはロビーへと戻った。

 ドルファから水差しとコップ、濡らしたタオルを受け取って部屋へと戻るが、パルケは既に寝息を立てていた。

 起こさないよう音を立てずに手にしていた物を置く。ブランケットをかけてやると、床に置かれた大きなズタ袋と洗濯かごを手に取り部屋を出る。

 鍵をかけて再びロビーに戻ると、ドルファがテーブルに置かれたままの大鎌を手に取り調べていた。


「仕事サボって武器の鑑定か?」

「サボっとらんわい。仕込みが終わって休憩中だ」


 マクベスに目を向けず、ドルファは真剣な眼差しで折れてしまった得物を様々な角度で見つめた。


「これは……ふむ……」

「ぶつぶつ言ってねぇでそれ貸せ」


 マクベスはふんだくるように大鎌だった物を掴み取り、ズタ袋に入れる。

 ドルファは洗濯かごの存在に気づくと、手を差し出した。


「儂がやっておこう」

「サンキュー」


 マクベスは洗濯かごを渡し、礼を言うと玄関へ向かった。ドルファは裏庭へ続く扉のドアノブに手を触れ、振り返る。


「マクベス」

「なんだよ?」


 真面目な声音で名前を呼ばれ、マクベスは立ち止まって訊いた。


「あまり深入りするでないぞ。あの青年の意思がどうであれ、人が過度に神と干渉したらろくな目に遭わん」

「ご忠告どうも。もちろんアイツにはさっさと帰ってもらうぜ。そのためにこうして行動してんだからさ」


 軽く手を振り、マクベスは流星雨から出ていく。目的地は徒歩でもそう遠くはない。

 大通りを歩き、いくらか角を曲がった先にあるのは、剣と盾が描かれた看板を下げた店──目的地である武具屋だった。マクベスは扉を開き入店する。

 店内は様々な武器が壁やテーブルに展示されており、革のベストや鎧の下に着る衣服ギャンベゾン、バックラーといった防具も所狭しと並べられている。


「おーいオッサン、いねぇのか?」


 マクベスがカウンターに向かって呼びかけると奥にある扉が開き、たくましい体つきの男が姿を現した。奥の部屋は鍛冶場となっており、若干の熱気が店内に入ってきた。


「なんだ、客と思ったらお前か」

「今日はちゃんと客として来たから安心しろ。これ、直せるか?」


 マクベスはカウンターに大鎌だった物を置いた。店主の男はいささか興味の湧いたような、そんな顔をして手に取ると様々な角度で観察し始めた。しばらくして目を細める。


「こいつは珍しい魔法の武器だな。この辺りでは採れない……いや、そもそも今となっては採掘が困難とされている鉱石がふんだんに使われている。秘宝と言っても差し支えない逸品だ」

「へぇー。で、直せるのかよ?」

「もちろん、魔法の武器なら金と時間さえあれば可能だ。一ヶ月ほどかかるが──まぁ問題は金の方だな、万年金欠のマクベスくん?」

「天下無双のマクベスだ! 変な異名を増やそうとすんな! で、いくらだ?」


 店主は手でこちらへ来いと促し、マクベスが耳を傾ける。修繕費を耳打ちされたマクベスは、思わず苦笑いをしてしまった。


「……まけてくんねぇ?」

「寝言は寝て言え」


 一蹴され、聞こえるようにわざと大きな舌打ちをしてから提示された金額をカウンターに置く。


「まぁ売上の方はともかく、腕は確かだから頼んだぜ。武器に関して一番信頼できるのはアンタだしな」

「ガハハッ! 鍛冶の腕はこのレクスタリアで一番だと自負しているからな。ハサミから馬鎧ばがいまでなんでも持ってこーい!」


 これ以上居続けると店主の自慢話が始まることを知っているマクベスは、なるべく急ぎで頼むと言って足早に店から出た。

 流星雨へ戻ると、マクベスはすっかり冷めてしまった昼食が置かれた席に着き、氷が溶けてかさが増した水を一気に飲み干した。


「どうだったか?」


 ペンを片手に書類とにらめっこしていたドルファが声をかける。


「一ヶ月くらいかかるってさ」

「おおそうか、思ったより早いな。さすがだのう」


 武具屋の店主の顔を思い浮かべ、何度も頷くドルファ。そんなギルドマスターにマクベスは一つの疑問を訊いた。


「なぁドルファ。アンタ、本当にパルケが死神って話を信じてんのか?」

「ああ、もちろんだとも」


 紙に文字を走らせながら、さも当然といった態度でドルファは肯定を示す。


「まぁ信じてくれた方が助かるんだけどよ……その結論に至った判断材料はなんだよ?」


 マクベスは腕を伸ばし、隣のテーブルにあった水差しを掴み取るとコップに注ぐ。


「お前さんと同じで、一度パルケと戦ったことがあるからのう」

「……マジで?」

「ああ」


 マクベスはドルファの発言に気を取られ、表面張力で溢れないギリギリのところまで水を注いでしまっていた。


「大鎌をよく見たときに思い出したのだ」


 ドルファはカウンター後方の棚に飾ってある、冒険者だった頃に愛用していた短剣を眺めながら語った。


「三十歳の頃だったかな。死神を名乗る金髪の青年がやって来たのだが、どうも魂を狩るべき対象の名前をド忘れしたようでな。名前が似ている気がするから、お前で合っているかを戦って決める! と言って勝負を挑まれた」

「そ、そいつは災難だったな」

「災難どころではないぞ、本当に殺されかけたのだから。まぁ戦いの途中で名前を思い出したようで、あっさり引き下がっていったが……確かに、パルケはそのときの青年だ」


 ドルファは向き直り、コップをテーブルに置いたまま水を少しずつすするマクベスに告げる。


「そのときからどこか浮世離れしているというか……まぁ神やそれに準ずる存在というのは得てしてそういうものなのだろうが──」

「だから気をつけろってさっき忠告したんだな?」

「そのとおり」


 ドルファはそう言うと書類の束を紐でくくり、引き出しにしまうとパイプを片手に立ち上がる。


「もう一度言うが、あまり深く関わるべきではないぞ」

「さっきも言っただろ? 大丈夫だって。さっさと帰ってもらうだけだからさ。……いや、それだけじゃねぇな」


 マクベスは腕を組み、天井を仰いだ。


「帰る前に武器の修繕費とテーブルとティーカップを弁償させねぇとな」

「パルケは金を持っておらんぞ?」

「んなもん働かせるに決まってんだろ。こっちはおかげで今月の家賃、アンタに払える保証が無くなっちまったんだぜ。何がなんでも折半させてやる」

「な、なんというか……お前さん、肝が据わっておるのう……」


 いつの間にか取り出していた紙に、手書きの請求書をしたため始めたマクベスに、ドルファは少しばかり憂心ゆうしんを抱いた。


「ん、ちょっと待て。家賃を折半?」

「パルケに帰る場所がねぇんだから仕方ねぇだろ。それにアンタも部屋を貸す気はあったみてぇだし?」


 階段脇に置かれた、倉庫から引っ張り出してきたらしいマットレスに視線を流し、マクベスはニヤリと笑みを浮かべる。


「あまり関わるなと言っておきながらぁ〜? 自分は影でこっそり寝場所を提供しようとするんだなぁ〜?」

「なんだか家賃を倍額にしたくなったのう」

「ギルドマスターが心優しすぎて感涙しちまうな! こうして救われた人は数知れず──マジで王都レクスタリアの誇りだぜ!」

「まったく、調子の良い奴め」


 ロビーは禁煙であるため、ドルファはパイプを片手に裏庭へ続く扉を開けて出ていった。

 マクベスは一割ほど金額の膨れた請求額を書き記すと、それをベルトポーチにしまってスプーンを摘む。冷えきってしまってはいるが、胃袋に何も入れずに過ごすわけにはいかなかった。


「さてと、いただきま──」


 マクベスがカレーをすくい上げたスプーンを口に運ぼうとした瞬間だった。宿舎から騒がしく廊下を駆ける音がして、扉が勢い良く開かれる。


「マクベス! 俺は決めたぜ!」


 寒さに震えながら鼻をすすり、突然にパルケが叫ぶ。マクベスは勘弁してくれと思いながら、真っ直ぐに自分を見つめる碧眼を睨んでスプーンを向けた。


「テメェいい加減にしやがれ!!」

「俺、冥界へ帰れるようになるまでお前を監視する!」


 パルケはマクベスの声を完全に無視し、拳を固く握り締めて宣言した。


「はぁっ!? なんでそうなるんだよ!?」

「大鎌が無いと死神の仕事はできないし、何よりもお前を殺すべきだって予感が間違っているとは思えない」

「それはさっきの正義は必ず勝つ! とかいうわけわかんねぇ持論で片付いたんじゃねぇのかよ!」


 理不尽極まりないと怒鳴るマクベスだったが、パルケはどこか困惑した様子だった。


「それで片付けるつもりだったんだぞ? なのにどうしてもお前から嫌な感じが消えないんだよな。なぁマクベス、何か隠し事とかしてないのか?」


 真剣な表情で投げかけられたその言葉に、マクベスは目を見張り、一瞬だけ視線をそらした。


(隠し事、ねぇ……)


 ほんのわずかに、マクベスの表情に影が落とされる。


「隠し事の無い冒険者の方がいねぇっての」


 向き直ると吐き捨てるように言い、スプーンに乗ったカレーを食べた。


「あ、やっぱり何かあるんだな? それがなんなのか教えてもら……」


 パルケは途中で黙り、マクベスは眉間にシワを寄せて言葉の続きを待った。が、パルケはふらりと倒れてしまった。


「あ、頭痛い……体もなんだか重い……」

「だから休んでおけって言ったんだよ!」


 マクベスはまたもや肩を貸してやり、パルケをベッドへと戻すのだった。

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