1-3 災難は続く

 港から離れ、流星雨への帰路の途中。マクベスの胃袋が空腹であることを主張する音を鳴らす。今度こそ飯にありつこうと、足早にアークトゥス通りを進んでいく。

 昼食を摂るには少しばかり遅い時刻になったが、いつも寝坊して朝食が遅いマクベスにとっては些細なことだった。両開きの扉を開け、ロビーに足を踏み入れる。


「よっすドルファ! 今度こそ実入りが良い仕事と安くて美味い飯を──」

「テーブルとティーカップを弁償を含めてこのくらいになるかのう」


 カウンターまでダッシュで駆け込み、身を乗り出したマクベスの額に押しつけられたのは、手書きの請求書だった。


「えー、オレが壊したわけじゃねぇのに」

「物を壊した張本人は、毎回お前さんがして兵士に引き渡すからのう」

「請求先がオレしかないって? はいはい、わかったよ」


 マクベスが請求額と昼食分をきっちり支払うと、ドルファは「少し待っておれ」と言って奥の厨房へと姿を消す。近くの席に着くと、マクベスはあぐらをかいて天井を見上げた。


(帰る途中でスリを目撃してとっ捕まえて、やっと飯にありつけると思ったら、変な奴に絡まれて戦う羽目になった。もうこれ以上面倒なことは起きるんじゃねぇぞ……)


 マクベスは静かに、あるいはドルファと他愛のない会話を楽しみながら食事をしたいと願った。が、その願いは蹴破られるような勢いで開け放たれた扉と、激しく鳴るベルの音で叶わないことを告げられた。


「なぁマクベス、お前に訊きたいことがある!」


 玄関に立っていたのは、笑顔を湛えたパルケだった。マクベスは背もたれに背中を預けたまま体重を少しかけ、逆さの世界で金髪碧眼の青年を見やる。


「…………」


 このまま無視したいというのがマクベスの本音だったが、どちらにせよ面倒事が無くなるわけではないので、手早く終わらせるために関わることにした。


「早速リベンジマッチ──ってわけでもなさそうだな。なんだよ?」


 仕方なくマクベスが訊ねると、パルケは折れた大鎌を高く掲げて言った。


「俺、どうすればいいと思う?」

「主語が無いからなんの話してるのかわかんねぇよ。つーか帰ったんじゃねぇのかよアンタ」

「もう人界ここに用事は無いと言えば無いけど、帰りたくても武器が壊れてできないんだ!」


 パルケはマクベスに近づくと、テーブルの上に折れた大鎌を置いた。


「だから相談に乗ってくれ!」

「友達みてぇなノリで来られても困るっての!」

「え? だって俺たち、俗に言う“互いに命を懸け合える仲”ってやつだろ?」

「ああそうだな、ついさっきまで斬り合ったもんな! それはそういう意味じゃねーよバーカ!!」


 思わず飛ぶように立ち上がり、したくもないツッコミをするマクベス。


「アンタが一方的に友好を示すのは勝手だが、帰れないってのはどういう意味だよ?」

「この大鎌は俺の武器だが、冥界に帰るための鍵でもある。こんな風にな、ズバッ! って空間を断ち切って移動するんだ」


 パルケは持ち手が二十センチほどしかない、刃が付いた方のパーツを上から下へと何度も振り下ろしながら説明した。口頭説明だけで良かったのにとマクベスは思ったが、好きにやらせることにした。


「だけどぶっ壊れたから使えない。だからどうすればいいか悩んでるんだ。それで、一人で考えるよりも誰かに相談した方が良いって話を思い出したから、お前を訪ねてきたというわけだ!」


 パルケの口から語られたのは、普通ならとても信じられない話だった。しかしマクベスは、彼の口調や声音、仕草や言葉の一つ一つから嘘だとは思えなかった。


(ただの戦闘狂なら、戦う術を失った時点で無防備にやって来る理由がねぇ。すぐさまリベンジしてぇなら得物を取りに行けばいいだけだ)


 大鎌の断面と断面を押しつけたりと、なんの意味も無い行動をする青年を見ながら、マクベスは腕を組んだ。

 なんとかして元に戻らないのかと考えあぐねるパルケ。右の碧眼がマクベスに向けられ、解決方法の提示を促していた。その姿は壊れた玩具おもちゃを直そうとする、純粋無垢な子供そのものだった。


(まさかコイツ、本当のことしか言ってねぇのか?)


 そうとしか思えない現状に、マクベスは苦笑いを浮かべるしかなかった。


「さっきからなんの騒ぎかのう?」


 カレーライスと氷水が入ったコップを乗せたトレイを手に、ドルファが厨房から顔を出す。


「ってお前さんはさっきの! ……あれ、二人とも何故普通に接しておるのだ?」

「俺とマクベスは、互いに命を懸け合える仲だからな!」

「…………」


 パルケが何を言っているのか、その説明を求めるように無言でマクベスを見つめるドルファ。


「えっとだな、まぁ要するに──」


 ロビーで武器を振りかざすまでは、彼をただの客と思っていたドルファに、マクベスは簡潔に説明をした。

 死神であるパルケは勘違いでマクベスを襲い、用は済んだが武器が壊れたせいで冥界へ帰ることができないことを。

 はたから聞けば眉唾物の話ではあったが、ドルファなら自分と同じようにパルケが嘘などついていないことを察してくれるはずだと、マクベスは信じた。


「話は支離滅裂だと思うが……パルケだったかな? 儂はお前さんがデタラメな嘘をつく人には見えん」


 ドルファはテーブルに昼食を置き、そう言い切った。厄介者の多い冒険者の面倒を見ているだけあると、マクベスは安堵して軽く息をついた。


「だって本当のことだからな。えっと、名前なんだっけ?」

「ドルファだ」

「なぁドルファ、どうすればいいと思う?」


 ドルファは顎をさすり、視線をテーブルに置かれた得物へと移動させた。


「武器が壊れたなら鍛冶屋で直してもらう必要がある。見たところ、お前さんの大鎌は魔力が込められた武器だろう? それなら打ち直せると思うぞ」

「!」


 青い瞳を爛々と輝かせるパルケ。


「だが、打ち直すには必要なもんがあるぜ」


 マクベスは腕組みをして、パルケにしたり顔をしてみせた。


「なぁパルケ、どのくらい持ってるか? ジャンプしてみろ」

「カツアゲかな?」


 ドルファのツッコミを無視し、マクベスは手を叩きながら早く早くとかす。理由がわからないと顔に書いてあるまま、パルケはその場で何度かジャンプした。金属が擦れる音も、ポケットの中に何かが入っているような音も何も鳴らず、ブーツが床を叩く音だけが響く。


「まさかとは思ったが、アンタ金持ってねぇんだな」

「金?」


 パルケが文鳥のように軽く首を傾げる。


「ああ。ただの鉄製の武器ならまだしも、魔法武器の修復なんてかなりの金と時間がかかるんだぜ」

「そうか。つまり俺は今から、武器を直してもらうために金を手に入れたらいいんだな!」


 手のひらを握り拳でポンっと叩き、満面の笑顔で言うパルケ。しばしの沈黙が流れ、パルケはそのポーズを保ったまま、今度は反対側に首を傾ける。


「どうやって?」


 ドルファは目を丸くして驚愕し、マクベスはその場ですっ転んだ。


「おお、古典的かつ数多くの者たちに親しまれてきた驚き方だのう。久々に見たわい」

「悪かったな反応が古臭くて!!」


 瞬時に飛び起き、唾がかかりかねないほどに顔を近づかせて叫ぶマクベス。今度はパルケに向き直る。


「手持ちに無いだけと思ってたら、マジで一文無しかよ!」

「冥界に金は無いし」

「そうなんだろうけど、じゃあどうすんだよ!」

「それは……」


 先ほどのドルファの真似をするように、パルケは顎に手をやり目を閉じて考える。が、二人がいつまで待ってもパルケの口が開かれる気配がしなかった。それどころか、体を小刻みに震わせ始め、うつむいて顔を上げようとしない。どうしたのかと二人が顔を見合わせる。


「パルケ?」


 マクベスが名を呼ぶが、それでも強張こわばったようにパルケはなんの反応も示さない。


「なんだか変な感覚がする……」

「どういうことだよ?」

「熱いようで寒いような──」


 言い終わる前に、パルケは反射的に大きく息を吸った。


「ぶえっくしゅんッ!!」

「風邪ひいてんじゃねーか!!」


 昼食をトレイごと持ち上げ、飛ばされたくしゃみを避けて叫ぶマクベス。ドルファはポケットからハンカチを取り出して、肩に付着した粘液を拭き取った。


「風邪? なんで?」

「初冬の海にダイブしたのに、濡れたコートとマフラー身に着けたままだからに決まってんだろ!!」


 鼻水を垂らし、空気を吸うついでにそれを鼻の中に収めるパルケ。よく見れば彼の顔は少し赤くなっていた。


「えっと、風邪ひいたらどうすればいいんだっけ?」


 熱でうなされあまり頭が回っていないらしく、少しふらつき額を押さえながらパルケがつぶやく。


「んなもんさっさと帰っ──」


 言いかけてマクベスは口をつぐむ。


「……なぁドルファ、空いてる部屋ってある?」

「祭りが近いから満室だな。宿舎は掃除すれば空けられるが」

「すぐに使える部屋はねぇんだな。ったく、しゃーねーな」


 マクベスはわざとらしく溜め息をこぼし、


「こっち来い」


 トレイを置くとパルケに肩を貸してやった。おぼつかない足取りのせいで少々引きずるような形になったが、どうにか渡り廊下へ繋がる扉のドアノブを掴んだ。


「どこへ行くのだ?」

「オレの部屋。ちょっと散らかってるが、埃まみれよりはマシってもんだぜ」


 当然だろと言いたげな顔をして、マクベスはドアノブを回した。


「ついさっきまで命のやり取りをしていた相手ではなかったのか?」


 ドルファに問われ、マクベスは一瞬だけ動きを止めた。


「……もうコイツに戦意はねぇから心配いらねぇよ」


 振り返り、マクベスは不機嫌そうな表情をしてみせた。


「あと、超めちゃくちゃとってもすっげーマジで誠に遺憾だが! コイツが帰れなくなったのも風邪ひいちまったのも、まぁオレのせいではあるし?」

「す、すごく不服そうだのう」

「当たり前だろ。武器の件はともかく、風邪に関しては普通は着替えるっての!」


 それに。と付け加えて、マクベスはドアノブを握ったまま、澄ました顔で答えた。


「このオレを誰だと思ってやがる。天下無双のマクベスだぜ? たとえコイツの気が変わって、不意打ち食らったとしても負けやしねぇよ」


 そう断言して扉を開け、渡り廊下を歩いていった。


「それでも、自分の命を狙っていた相手の世話なんてしないと思うがね」


 ドルファが感心したように微笑みながらつぶやいた言葉は、パルケが熱に浮かされた声で消されてマクベスの耳には届かなかった。

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