第一章 初めましてのファーストアタック─A watcher who calls himself the Grim Reaper─
1-1 冒険者と死神
レクスター王国の王都であるレクスタリア。高壁の周りに街が連なるように広がっている大都市であり、高壁の中は五つの大通りで仕切られている。その一つである、住宅地が大半を占めるアークトゥス通りで、
「待ちやがれこのヤロォォオオッ!!」
人混みを華麗に
どうにか逃げ切ろうとする男だったが、昼下がりで人が多いこともあり、通行人を掻き分けながら進むのは困難だった。
「な、なんなんだよお前はーっ!?」
財布を握り締めた男は滝のような涙を流しながら必死に逃げるが、エルフの若者が跳躍し、その背中に鋭い蹴りを入れる。悲鳴を上げ、何度も回転しながら前進する男は、街路樹に叩きつけられてようやく止まった。
世界がぐにゃりと歪み、胃から込み上げてくるものをなんとか抑えたが、そのせいでエルフの若者の接近を許してしまっていた。
「オレの名前? そんなに知りてぇなら教えてやろうか?」
エルフの若者は男から財布を奪い取る。その財布は「エリー」と大きく文字が書かれており、犬の形をしている可愛らしい物だった。男の胸ぐらを掴み、顔を近づける。赤と青の
「オレは“天下無双”のマクベス! 冒険者ギルド“流星雨”に所属している冒険者だぜ!」
「げっ、お前があのレクスタリアの問題児──」
「て、ん、か、む、そ、う、の! マクベスだっ!!」
「ひいっ!」
不機嫌そうな顔をさらに近づけ、鼻先が触れそうな距離で叫ぶ。エルフの若者、マクベスは溜め息をつくと後方に財布を投げる。それをキャッチしたのは、齢が十にも満たない女の子だった。
「さて、アンタは巷で噂になってるスリ野郎だろ? 牢獄で書く反省文の内容は考えてるか? なんならオレが添削してやるぜ? ギャハハ!」
財布を持った女の子はゆっくり一歩ずつ近づいて、マクベスのマントを引っ張った。
「ん、どうした?」
振り向き、マクベスが訊く。
「あの、お兄ちゃん……ありがとう。お財布を取り戻してくれて」
「どうってことねぇよ。もう盗まれたりするんじゃねぇぞ」
ウィンクをしてみせると、マクベスは近くを通りかかった兵士に男を突き出した。事情の説明を女の子や目撃者がしたおかげで、すぐに男は連行されていった。
母親と共に帰っていく女の子に手を振り、マクベスはアークトゥス通りを歩いていく。すると腹が鳴る音がして、がっくりと肩を落とした。
「あー、腹減った……早く帰って飯食いてぇ……」
帰るべき場所へと戻るべく、最短距離を進んでいく。
アークトゥス通りには住宅街だけでなく、様々な施設も建ち並んでいる。その一つが冒険者ギルドと呼ばれるもので、魔物の掃討や未開の地の調査、迷子探しといった様々な依頼を受けて生計を立てる者──冒険者が集う場所である。
マクベスが所属しているのは流星雨という名の冒険者ギルドで、王都の南側に位置している。元は宿屋であったため、主に食堂として王都の住民は慣れ親しんでいる。
ベッドと酒の絵が掛けられた、三階建ての建物の窓から漂う料理の匂いがマクベスの
「よっすドルファ! 実入りが良い仕事と安くて美味い飯をくれ!」
流星雨の責任者である初老の男の名を呼ぶが、ロビーで仕事をしているはずのその人は返事を寄越さなかった。
ロビーには依頼書が貼られたコルクボード、食事や依頼人とのやり取りを行うためのテーブルや椅子、ソファーが設置されている。冒険者たちの宿舎に繋がる扉、商人や旅人に提供している寝室へ続く階段等もある。
「そう何回も言われてもな。いつ戻ってくるか
「うーん、そうか。じゃあもう少し待つとするか」
ロビーにはマクベス以外の人の姿が二つあった。一つはカウンターで客と話をしている、深い緑の髪を一つに結んだ初老の男。仕事の
もう一人は見知らぬ青年。後ろ姿しか見えないが、コートにズボン、ハーフグローブに靴──衣服が全て黒色で統一されており、そのせいか金のくせっ毛と真っ赤なマフラーがやけに目立つ。
二人に近づくと、先にドルファが気づいて青年の肩を軽く叩いた。
「おや、噂をすればなんとやら。マクベス、お客さんだ」
ドルファと話していた青年がマクベスへと振り返る。綺麗な碧眼は左眼を眼帯で覆っており、マクベスを見た瞬間にその青い瞳は丸くなった。じっと見つめられたかと思えば、顔を少し
「えっと、お前がテンカムソーノ・マクベスか?」
マクベスに付けられた異名を言ったときの、青年の発音は少しおかしかったが、疲れているマクベスは特に言及しなかった。
「ああ、オレが天下無双のマクベスだぜ。アンタにはわりぃけど仕事の話なら食事の後に──」
「そうか。早速だが俺と殺り合おうぜ!」
「は?」
マクベスは昼食のことで頭がいっぱいで、思わず己の聴覚を疑ったが、青年が瞬時に召喚した大鎌の存在を認識した瞬間、横薙ぎの一撃目を屈んで避けた。距離を取るため、床を蹴り上げ後方へと跳ねるように移動する。すぐさま縦振りの二撃目が襲い、一つに結んだ赤いメッシュの入ったクリーム色の髪が、数本切れて空中を舞った。テーブルは真っ二つに斬られ、巨大な刃が床にめり込む。重力に逆らえず、誰かが片付け忘れたティーカップが落下して砕け散った。
華麗な身のこなしで玄関まで退避したマクベスは、マントが少し裂けているのを見て舌打ちした。突然の出来事にドルファの顔が青ざめ、カウンターを飛び越えて破片を拾い上げた。
「お、お気に入りのティーカップがっ!!」
「オレの心配は!?」
思わず敵ではなくドルファに目を向けるマクベスだったが、青年も叫び声に驚いたのか同じ人物を見ていた。
「ええい、どうせまた何かやらかしたのだろう!?」
「何もしてねぇって! ……数時間くらい前まではな!」
「ほーら言わんこっちゃない! たまには刺客が来ない月があってもいいと儂は思うがね!」
「はいはい、努力はしてやるぜ!」
二人がそんなやり取りをしている間、床から大鎌が引き抜かれる。青年は心底楽しそうに、無邪気にも見える笑みを湛えた。
「殺ると先に宣言していたとはいえ、俺の攻撃を避けるなんてな。お前って強い?」
「そりゃあな。これくらいできねぇと、異名持ちの冒険者なんてやってらんねぇし」
ドルファとの言い合いを終えたマクベスは、次なる攻撃に備える。
「で、アンタは何者だ? 見たことねぇし、いつどこで恨みを買ったか見当がつかねぇんだけど」
「見たことがないのは当然だ、初対面なんだから。ついでに個人的な恨みもない。あと訊いてたのは……名前だっけ?」
青年は立てた親指を自身に向けた。
「俺はパルケ・ライファント、死神だ。よろしくな!」
青年が名乗り、マクベスが眉間にシワを寄せる。
(死神? なんの冗談だよと言いてぇところだが、ギャグで言ってるつもりはねぇのな)
パルケと名乗った死神は、それが事実で自身の誇りであるかのように胸を張っていた。大鎌を一回転させ、おどろおどろしい赤黒い炎が刃に
本当に死神なのか、それとも伝承上の存在を名乗る狂人なのか──判断はつかないが、どちらにせよこれからマクベスがやることに変わりはなかった。
「死神ねぇ……神話とか伝承でしか聞いたことねぇけど、そう簡単にオレの魂が奪えると思うなよ!」
ここで戦うわけにはいかず、マクベスは開けっ放しの扉から外へと飛び出した。
「あ、逃げるな! 待て!」
慌ててパルケも玄関から飛び出していき、二人は後ろから弁償しろという老人の怒声が聞こえたが、無視した。
マクベスはアークトゥス通りを駆け抜け、路地裏を走っていく。パルケの狙いはマクベスだけで、王都に住む者たちに危害は一切加えなかった。壊したテーブルとティーカップ代をこいつは払ってくれるのかと不安になりながらも、ある場所へと向かって走る。
この王都で誰よりも強く、速く走れると自負しているマクベスだったが、少なくとも速度に関してはパルケも負けてはいなかった。昼間に路地裏を全力疾走する二人の青年は、その距離を離すことも縮めることもなかった。
曲がりくねった道を行き、表通りへ出る。そこにあったのは港だった。船の姿は少なく、マクベスは船が一隻も停留していない桟橋へと駆ける。長い桟橋の先には海で、逃げ場などなかった。
「おいおい、自ら退路を断ってどうするんだ? 泳いで逃げる気か?」
パルケは走る速度を全く落とさないマクベスに疑問を持つ。
「知りてぇか? こうするんだぜ!」
マクベスは右手で腰に吊り下げた剣を抜くと、
──この世界には魔法が存在する。魔法というのは、人が持つ魔力と呼ばれるエネルギーを消費して起こす奇跡のようなものである。先ほどパルケが大鎌を出現させ赤黒い炎を纏わせたように、マクベスも魔法を扱える。その一つは、冷気や水に関するものだった。
マクベスは剣を覆う魔力の冷気を、球体状に収縮させると桟橋の先に放った。冷気は海に触れた瞬間、氷の細い道を瞬時に作り上げた。氷の道の先に形成されたのは円形のフィールド。それはマクベスが設けた、なるべく被害が及ばぬよう陸地から隔絶させた戦場だった。
フィールドの中央でマクベスは振り向き左手でもう一方の剣を抜いた。その剣は冷気ではなく風が纏い、双剣を構えてパルケを待ち構えた。この場所でなら、マクベスは王都の住人を巻き込まずに戦える。
「ここなら存分に暴れられるぜ! さぁかかってきやがれ!」
「なるほど、自分にとって有利な地形で戦うのは戦士の
パルケは喋りながら氷の道を駆け抜け──数歩進んだその瞬間、氷は水へと変えられた。
「え? ──うわぁぁああ!?」
わずかな浮遊感の直後に襲い来るのは初冬の海の冷たさだった。叫び声を上げ、派手な水飛沫を立てながらパルケは海に沈んだ。
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