レクスタリア流星雨 死神のリテラシー

たくあん魔王

プロローグ 冥界にて

 満天の星空を一切の曇りなく映した水面みなもが、終わりなく広がっている。純白な花弁を広げる花が点在し、それがなければ上か下かもわからなくなる、宇宙のような綺麗で物寂しくもある世界があった。


「おーい、ケルちゃーん! どこに行ったんだー?」


 そんな世界で、一人の青年が声を張り上げて何者かの名を呼んでいた。黒革のロングブーツが水面を歩く度に、銀河色の水飛沫が跳ねて波紋が広がる。青年の声と水面を歩く音だけが、この世界に響き渡っていた。

 青年は怪訝けげんそうな顔をして、金のくせっ毛を掻き上げる。そしてうーんと唸り、あごをさする。彼は探しているものが見つからず途方に暮れていた。どうしたものかと目を閉じて思案にふけようとした瞬間、金属を引きずるような重い音と共に、上空に巨大な扉が現れた。禍々まがまがしいオーラを放つ両開きの扉がゆっくりと開かれ、何かが飛び出してきた。その巨大な影を捉えた青年は、嬉しそうに声を上げる。


「ケルちゃん!」


 青年が探していたその生き物は、筋骨隆々とした体つきで深い藍色の肌をしていた。四肢に鋭利な爪を生やし、犬の頭が三つ並んだ四足歩行の生物。それはケルベロスと呼ばれる魔物で、おぞましく凶暴な生き物だった。

 六つの真っ赤な瞳は青年に向けられたが、すぐに顔の一つが引きずっていたものに移された。口を開いて水面に落としたそれを、青年は無視して駆け寄った。転がった者の片腕を踏みつけ、そのせいで上がった呻き声すら気にも留めずに、犬の頭の一つを撫で回す。


「一ヶ月も姿を見せないから心配したぜ。ベロちゃんもずっとソワソワしていて、慰めるの大変だったんだぞ」


 愛おしそうに語りかけながらスキンシップをする青年だったが、ブーツを掴まれて足下に視線をやった。

 青年の足を掴んでたのは、首に傷跡のあるローブ姿の男だった。見るからに悪人顔の男の近くに折れた杖が転がっている。


「誰だ?」


 男の存在に気づき、青年は不思議そうに首を傾げる。


「な、何者だお前は」


 腕や胴から血を流す男が、弱々しい声音で青年に問う。


「俺? 俺はパルケ・ライファント。死神だ」

「は……?」


 男が驚き、パルケと名乗った眼前の青年の正気を疑うのも無理はなかった。彼は冗談でもなく、さも当然のようにそう名乗ったからだった。

 死神。それは冥界と呼ばれる、死した者たちの魂が行き着く先にある世界──その管理者であった。


「で、ケルちゃん。こいつは何者?」


 ケルちゃんと呼ばれたケルベロスは、一度だけ「バウ」と大型犬のような鳴き声を上げた。


「……へぇー、こいつがケルちゃんを誘拐していたのか。それは許されることじゃないな」


 パルケは腕を水平に伸ばし、黒革のハーフグローブをつけた手を広げる。すると瞬時に身の丈ほどある巨大な鎌が出現し、グリップを握り締めた。指を差すように鎌の先端部分を男の顔に向ける。


「なぁ、お前には見えるか? 周囲を漂う魂が」


 魂? と、男が恐る恐る周囲を見渡した。銀河のような世界の中で、半透明状の何かが浮遊していることに気づく。煙のようなものを纏いながら、球体は風にさらわれた綿毛のようにふよふよと流され、しかし全てが別々のタイミングで方向を変えており、不規則な動きを見せている。


「二十……いや、三十くらいか? 穢れや罪の無い純粋な魂が、お前を憎むあまりこの冥界までついてきたようだな」

「なっ……!」


 男の目が見開き、冷や汗をかき始める。対象的にパルケは笑顔を見せた。


「おっ、身に覚えがあるって顔してるな? お前はこれだけの数の人を殺しているんだ、小さな村なら一つ滅んでいる。酷いことをするもんだ、かける言葉が見つからない──ってのは、こういうことを言うんだっけ? まぁそういうわけだ。おーい、喰っていいぞケルちゃん」


 男から鎌を離し、パルケは魔物に命令した。頭の一つが男の腕に噛みつき、つんざくような悲鳴が響く。別の顔が脇腹に噛みついたところで、男は喉が裂けんばかりに叫声を上げた。


「た、助けてくれ!! 俺は自分の意志でやったんじゃない!!」

「? どういうことだ?」


 パルケが碧眼を細め、赤く染まっていく男に問う。


「た、たしかに俺は人殺しだ。だが命令で仕方なくやったんだ!」


 男は生きながらえるため、必死になって嘘をつく。


「命令って、誰にだ?」

「それは……マクベスだ、“天下無双”のマクベス! 冒険者のエルフだ!」

「テンカムソーノ・マクベス? ふーん……変な名前だな」


 男の話に、パルケは頭を悩ませた。今の自分には男の言うことが真実か虚実かの判断がつかなかったからだ。


「うーん、言ってることは嘘っぽいけど……万が一、本当ならまずいよな」


 顔を上げて顎をさすり、考え込む。

 パルケは何かに集中すると他が見えなくなる青年だった。男の悲鳴が徐々に弱くなり、ぷつりと途絶えて咀嚼音しか聞こえなくなっても、彼は全く気づかない。


「あー、わからない! なぁお前、そのマクベスって奴はどこにいるんだ?」


 男に目を向けるが、彼は既に事切れていた。ケルベロスの食事となり、体は三分の一程度しか残っていない。広がる血溜まりは銀河を映す水と溶け合って掻き消えていき、体から放出された魂をケルベロスが喰らった。


「あー、死んじまったか。喰わせるの止めるべきだったな」


 金の髪を掻き上げ、ほどけそうになった黒い眼帯を結び直す。


「ケルちゃん、俺は今から……えっと、名前なんだっけ? ナントカーノ・マクベスって奴に会いに行くから、いい子にしてろよ?」


 ケルベロスは頷き、満足気にパルケは真ん中の頭をくしゃくしゃに撫でた。


「よしよし、ベロちゃんや他の皆にもよろしくな」


 パルケは大鎌を上段に構え、何もない空間を縦に斬る。すると突然に裂け目が生まれ、真っ暗な闇の空間を作り出す。ケルベロスに手を振り、散歩に行くかのように鼻歌を奏でながらパルケは空間へと入る。姿が見えなくなると同時に闇は消え去り、再び銀河が広がる空間だけとなった。

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