第8話 商業都市と交渉

 新満月だった双月が、ともに半月に変わるころ、ディアボリカ達はオウマに辿り着いた。


 岩峰の谷間に位置する街は緑が少なく、かわりに灰色の石を積んだ建物が密集している。大きな商業路が通っていること、山間にあって守りが固いこと、リヴレグランの南に位置するゆえに冬でも比較的冠雪かんせつが少なく、交通が滞りにくいことなどから商業都市として発展した街、それがオウマだ。


 三人は街の入り口にある馬繋に三頭の馬を預け、関所へ続く道を歩いた。オウマを出入りしているのは魔族ばかりだが、さまざまな民族が入り乱れており、髪の色も服装も多種多様だ。

 関所には衛兵が立っているものの、検問の様子はない。行き来の自由を認めつつ、問題を起こす者は街から摘まみ出すという意志の表れだろう。


「これならおれもとがめられずにすみそうだね」


 外套についた白いフードを深くかぶり、まるい耳介と金の髪を隠したアルセンがつぶやく。

 同じように黒いフードを被ったディアボリカも頷いた。魔姫がおおやけの場に出ることはほとんどなかったので顔は割れていないだろうが、闇を吸いこんだような漆黒の髪と、金と青の色違いの瞳は目立ってしまう。


 無事衛兵の目をかいくぐり、関所を通った三人は、オウマの目抜き通りに辿り着いた。


「わぁ……」


 二人にならって被り物をしたモイラが、フードの下で瞳を輝かせる。


 目抜き通りのつきあたりにある広場は繁盛していた。首都ノクイエでは、看板を下げて客の到来を待つ、整備の行き届いた商業区があったけれど、オウマでは露店や市を立てて人を呼び込む、取りとめのない猥雑わいざつな店が連なっている。


 道行く客の目を引こうとしているのだろう、山盛りの野菜や果物、吊り下げられたハーブ、瓶詰めにされたスパイス、果ては色とりどりのガラスランタンや砂糖菓子といった嗜好品までもが、所狭しと並んでいる。


「お嬢ちゃん、あまいあまーい蜜飴はいかがかね? 一袋五ルクセン! 美味しいぞ!」

「いらっしゃい、いらっしゃい! リヴレグランいちの調合薬のお店はこちら! 火傷や切り傷、頭痛や感冒かんぼう、どんな症状も改善間違いなし! 薬師があなたに合わせて薬を調合するよ!」

「今日の目玉はコプコラ菜ですよ! さっと湯通しすればシャキシャキ、肉や魚のつけあわせに相性ばっちり!」


 商人の威勢のいい声が折り重なり、オウマの広場を賑わせる。


 さっそくふらふらと店に吸い寄せられそうになっているモイラを、アルセンが襟首を引いて止めて「まずは質屋に行こう」と言った。ディアボリカは彼に同意する。そもそも着の身着のままルサールカを飛び出したのだから、今の三人は文無し同然だ。


 路地裏に店を構えた質屋を訪ねて、ディアボリカは旅装についていた銀の魔除け飾りを差し出した。片眼鏡をはめた老人の店主が、虫眼鏡でめつすがめつそれを見る。


「ふむ、リヴレグランの国章の入った魔除けか。立派なものだ。一万ルクセンでどうかな」


 店主の提案に頷きかけたディアボリカだったが、彼女を押しやってアルセンが間に入った。


「ちょっと待って。正真正銘、混じりけのない銀の魔除けだよ? 細工だって一流だ。一万じゃ話にならないね」

「しかし、名の知れた細工師ならどこかに印を残す。これは印がない半端物だ」

「あ、そう。このご令嬢のために一流の細工師がつくった特注品なんだから、印なんてあるわけないんだけど、あなたにはそんなことも分からないんだ。ならいいよ、別の質屋をあたるから。これだけ見事な魔除けなら、店の目玉商品にって、大枚はたいてくれそうな店が他にもあるだろうしね。行こう、ディア、モイラ」

「ま、待った……!! 一万二千ルクセンでどうだ!?」


 あわてて声をかけてきた店主に、店を出ようとしていたアルセンが振り返る。


「一万五千」

「ぐっ……い、一万三千でどうだ」

「質屋なら、一本道をまたいだところにもあったよね。そっちに行こう」

「待て待て待て待て!」


 結局銀の魔除け飾りは一万五千ルクセンで売れた。アルセンは他にも、旅の道中で採取していた薬草や樹脂、水袋やあまった毛皮など雑多なものを売って、小銭に換金していた。


「手慣れてるな」


 店を出たディアボリカは、内隠しに大金を押し込むアルセンに声をかける。

 彼に乗せられて大きな商いをするはめになった質屋の店主は、最後の方はすっかりしょぼくれていたので、ディアボリカは少しだけ彼を気の毒に思ったものだ。それなのに、金をむしり取った本人は飄々ひょうひょうとしている。


「んー、まぁ、それほどでも?」

「あれがそれほどでもだったら、アルセンのそれほどって、どれほど酷いんです?」

「モイラの物言いほど酷くないんじゃない?」

「むー、口が立つー」

「アルセンはセシル王子の従者だと言っていたが、こうしてよく街に下りて民とやりとりしていたのか?」


 ディアボリカが尋ねると、アルセンは曖昧あいまいに笑った。


「まあ、許される範囲で、適当にね」


 彼はそれ以上この件について言及しなかった。薄水色の瞳をディアボリカから逸らして、目抜き通りに視線をやる。


「それよりふところも潤ったことだし、何か美味い物でも買って食べようか。ずっと干し肉とか草とか木の実ばかり食べてたから、いいかげん味の濃い物が食べたいだろ、二人とも」

「わっ、いいですねっ!」


 モイラがぴょんと飛び跳ねて賛同した。


 さっそく目抜き通りに戻って、食べ物を提供している露店を見てまわる。店を指さしながらモイラと話すアルセンを、ディアボリカは一歩後ろからじっと見つめた。


(……話をはぐらかされた気がする)


 今回に限ったことではない。身柄や過去に関することに触れるたびに、アルセンはその話題から巧みに逃げていた。そのときは話したくないことを聞いてしまったのかと思ったが、それにしては今回といい、あまりにも避ける話題が多すぎる。


(私は、信頼されてないのだろうか)


 彼はディアボリカの信頼を勝ち取ると言ってのけた。けれど彼から見たディアボリカはどうなのだろう。「あなたは命の恩人だ」などと言っていたけれど、身の上話を避けるくらいに魔姫を警戒しているのかもしれない。


(そもそも私は、この男の首に手をかけたんだ。用心するのも当然と言えば当然か)


 恩があって、なりゆきで旅に同行しているだけで──

 ディアボリカは眉をしかめた。みぞおちのあたりがモヤモヤする。


「あっ、ディア様! あそこの木苺のパイ食べません!? 美味しそうですっ」


 モイラが、あまい匂いのこぼれる露店を見て声を上げた。店主が卓の上に並べたパイは、卵液でつやつやときつね色に輝いている。

 ディアボリカは首を横に振った。


「私はいい。君は好きに食べておいで、モイラ」

「ええっ、ディア様、いらないんですか?」

「私は……あまり空腹でなくてな」


 笑顔を取りつくろうと、モイラが心配そうに顔を覗きこんでくる。


「お疲れですか? 先に宿を確保した方が良さそうですねえ」

「いや、そこまで疲れていない。単にあまり食欲がないだけだ」

「さっきまでモイラと似たような眼で露店を眺めていたのに、どうしたの」


 アルセンの指摘に、ディアボリカは思わず息を詰めた。


「……よく見ているな」


 アルセンは「まあね」と言って笑ってみせた。


(私達の様子をよく見ているのも、警戒のためか……?)


 隙のない完璧な笑みを前にかんぐってしまう。その笑顔も、彼の考えを覗こうとする者を拒絶するための武装なのだろうか。


 いつもより寡黙なディアボリカを見て、モイラが声を上げた。


「やっぱり先に宿を決めましょう? 落ちつく先を決めておいた方が、お買い物だってやりやすいですし……」

「確かにそうだね。じゃあ広場から離れようか」


 モイラの提案に、アルセンは同意した。


 オウマはすり鉢状に街が広がっている。すり鉢の底にあたる平地には、露店や市が立つ広場があり、ふもとの坂道には住居が構えられていた。山を登るにつれて大きな建物が増えていく。山腹には議事堂や図書館、衛兵の詰め所や鍛錬所などが並び、いっとう景観がよい、片方の岩峰の鞍部の正面が宿場になっていた。

 三人は地元民の食堂も兼ねた、オウマで一番大きな宿屋に部屋をとる。ここなら食事を摂りながら情報収集もできるだろう。


 部屋を確保して、また市の立つ広場に戻り、傷薬や剣の砥石など、こまごまとした日用品を補充する。ついでに毛皮の水袋の代わりになる、金属でできたスキットルを人数分買い揃えた。アルセンの剣が刃こぼれしていたので、モイラに護身用の短剣を買うときに一緒に買い替える。銀の魔除け飾りを売って手に入れた大金の大半が、あっという間に飛んでいった。


「もう日暮れなんですね。早いなあ」


 モイラが木苺のパイをかじりながら、空を仰ぐ。

 彼女の言う通り、ひとしきり買い物をするうちに、太陽が西の岩峰に沈みかけていた。広場の端で壁にもたれていた三人は、オウマの市の喧騒と、人々が茜色に照らされるさまを眺める。


 おもむろにアルセンが伸びをした。


「そろそろ宿に戻ろうか。ずっと野宿だったから、今日はふかふかの寝台でゆっくり休もう」

「……そうだな」


 ディアボリカは静かに同意する。


 あちこち見てまわるうちに、少しだけ溜飲りゅういんが下がった気がする。アルセンの本心は定かではないけれど、彼は旅のあいだじゅうずっと、今だって、ディアボリカとモイラができるだけ不自由しないよう、心を砕いてくれている。それならディアボリカもディアボリカなりに、彼に真摯しんしに接するだけだ。


 この結論が出るまでに随分と遠回りしたような気もするが、遠回りした分だけ気づいたこともある。


(私は、アルセンを信用したいと思っているんだ)


 出会ったばかりの敵国の男、それも種族も違う人間だけれど。


 広場から離れようとするディアボリカとアルセンを見て、モイラはあわてて木苺のパイを口に押し込んだ。口の端にパイのかけらをつけて、頬袋をふくらませて咀嚼そしゃくするモイラのすがたに、ディアボリカは眉を下げる。


「あわてるな。ゆっくりでいい」


 モイラの頬に手を伸ばし、パイのかけらを払ってやる。

 ──そう、ゆっくりでいいのだ。信頼は一朝一夕では成り立たない。


 ディアボリカの笑顔を見て、モイラはぱちぱちとまばたきした。パイをこくんと飲み下し、それから相好そうこうを崩して「えへへ……」と笑う。


「ディア様はいつもお優しいです。モイラは、そんなディア様が大好きです」

「そうだね。おれもそう思う。おれもディアが好きだよ」

「な」

「はぁっ!?」


 ディアボリカの絶句と、モイラの啖呵たんかが重なった。

 アルセンは二人に気圧されながら「仲間としてだってば」と、あわてて弁明したのだった。

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