後編 人生の意味

「……あいつから呼び出されるなんて珍しい」


 友人である横田の変貌を目撃してからわずか数日。竹村は横田からの『今すぐ来て欲しい』という連絡を受けて、彼の自宅へと訪れていた。


 こんなに短いスパンで友人の家を訪れるのは初めてだな。なんて思いつつ横田宅のチャイムを鳴らす。


「開いてるから入ってきてくれ!」


 わずかに焦ったかのような言葉が家の中から聞こえてくる。


 横田の言う通り鍵は開いていた。そのまま家の中へと入る。


 いつものようにリビングへと行くと、そこには異様な光景が広がっていた。


「お前……なんだこれ?」


 リビングを埋め尽くすかのように置かれた、宅配ピザの空箱。


 積み上げられた寿司桶は今にも倒れそうだった。


 あちこちにゴミが散らばり、小綺麗だった部屋は見る影もなかった。


 そして部屋の中心では、友人の横田は何かを貪り食っていた。

  

 横田が食べていた物。それが生の玉ねぎであることを理解するまで数瞬かかった。


「ああ、竹村悪いね。急に呼び出して」


 あまりに異様な友人の様子に呆然としていると、横田がこちらに気がついた。


「お願いがあってさ、何か食べるものを買ってきてくれないかな? 家にある食料がつきそうでさ」


 そんな頼みをしながらも、横田は玉ねぎを丸齧りする手を止めなかった。


「ピザやら寿司やら、近くで宅配してくれるところは一通り手を出したんだけど、何回も頼んでいるうちにイタズラだと思われたみたいでね、注文受け付けてくれなくなってさ。あ、お金はこのクレジットカード使って。暗証番号は893ーー」

「ちょっと待て!」


 一方的に話を進める横田を慌て止める。


「お前何考えてんだ、暗証番号なんて人に教えるんじゃねえ! というか、さっきから何をやってる!? お前、いつからこんなに食べ続けてるんだ!」


 料理が趣味の横田の家には、大量の食料が備蓄されていたはずだ。それが尽きそうだと? 


 保存の効く缶詰の空き缶すら部屋に転がっている。


 挙げ句の果てに部屋を埋め尽くすピザの空き箱や寿司桶。短期間で尋常ではない量の食事をとったことは容易に想像できる。


 よく見れば顔色も悪い。吐き気を我慢しているように見えた。


「満腹中枢は生きてるって言ってたな? なんでこんなバカみたいな食べ方をしてるんだ!?」


 横田が何を考えているのかがわからない。


 何かが原因で自暴自棄になってやけ食いをしているのかとも思った。しかし彼の目には使命感のようなものが宿っているように見えた。


「……わかったんだ」


 わずかに震える指先で部屋の一角にあるパソコンを指し示す。


「何が?」

「僕が摂取した余剰のカロリーと栄養がどこに行くのか。わかったんだよ」


 促された竹村はパソコンをつけ、開かれていた海外のニュースサイトにある動画を再生した。


 そして横田が何を意図していたのかを理解した。


「お前まさか、この動画の子供と同じように栄養失調で苦しんでる誰かを救おうとしてるのか?」

「そうだ。僕がこの世界から飢餓をなくす」

「……無理に決まってるだろ」


 竹村は吐き捨てる。


「できるわけねえだろ! この地球上で飢餓で苦しんでる奴が一体何万人いると思ってるんだ!? お前のそのイカれた能力があってもたかが知れてる。ほんの少し救って終わりだ!」


 竹村は途方もない無茶をしようとしている友人を止めようとした。 このままでは横田はただいたずらに苦しむだけだ。


「こうしている今にもそんな奴は増え続けてんだ! お前一人がどれだけ食おうが焼き石に水、無駄なんだよ!」

「無駄じゃない!」


 今まで聞いたこともないような大声を放つ。


 そしてそのまま、傍に置いてあった緑色のガラス瓶を手に取り、そのまま口にする。



 オリーブオイルだった。



「やめろ! 正気か!?」


 慌ててオリーブオイルの入ったガラス瓶を取り上げる。


「返せ! 僕の能力があれば飲んでも平気なんだ!」


 必死の形相で取り返そうとする横田。そんな彼を引き剥がすために振り払うと、わずかな力しか込めていないのに横田は倒れ込んだ。


 何をどれだけ食べても体に異常はないはず。しかし、吐き気を堪えながら数日にわたって食べ続けた精神的な疲弊が横田を蝕んでいた。


「……ボロボロじゃねえか。なんでだよお前? そんな奴じゃねえだろ? 世界の裏側で誰が腹すかせてようが、俺らには関係ねえだろうが」


 高校時代からどこか冷めたところのある男だった。


 何があっても基本的に我関せず。深入りすることはなく、貼り付けたような笑みでのらりくらりと距離をとりたがる。


 人付き合いが苦手と言うより、嫌っている。竹村にとって横田はそんな印象がある男だった。


 しかし今の横田はまるで別人。顔も名前も知らない誰かのために身を削る、彼の変化が信じられなかった。


「……ありがとうって言われたんだ」


 かろうじて聞き取れるほどの声で、ポツリと呟く。


「息子を救ってくれてありがとうって、奇跡を起こしてくれてありがとうって」


 横田の声は震えていた。


「初めてなんだよぅ。あんなふうに感謝されたことなんて、これまでの人生で一度もなかった」


 それは友人が初めて明かす弱音だった。


「僕という人間は無価値な存在だと思っていた。起きて、食べて、寝てを繰り返して、最後は一人で死ぬ。そんな無意味な人生を送るんだと思っていたんだ。でも、違ったんだよ」


 まっすぐ竹村の目を見据える。


「どれだけ食べても太らない能力。この力さえあれば世界の誰かを救うことができる。わかってるさ、僕一人がどれだけ食べても限界はあるって。でも無駄じゃない。きっと無駄じゃないんだよ」


 その事実をあの動画で知ったのだ。


「やっとわかったんだ。女神様が僕に能力を与えた理由が……僕の人生の意味が。僕はきっと、このために生まれてきたんだ」


 横田の目には、かつてないほどの覚悟と決意が宿っていた。


「お願いだ。僕の人生の意味を奪わないでくれ。もう無価値な人間にはなりたくないんだ。頼む」


 そう言って、竹村が取り上げたオリーブオイルの瓶に手を伸ばす。


「……だめだ」


 竹村はその手を振り払った。


「竹村?」


 横田は信じられない思いで竹村を見つめる。


 その縋り付くような視線に苛立ちながら、竹村はため息を吐いた。


「……カードよこせ。暗証番号は? クソが、こんなもん飲もうとすんじゃねえよ。せめて美味いもんを食え」




 それからの日々は食事だけに費やしたと言っても過言ではない。


 友人の協力を得ながら、文字通り寝る間も惜しんで食べ続けた。


 正直に言えば苦行だった。


 食事が娯楽ではなく、作業になる日が来るなんて思いもしなかった。

 

 慢性的に襲いかかってくる吐き気、脳から送られる満腹だという信号。精神が限界を迎え始めたのか、能力を持っていながらも体に異常が現れるようになり始めた。


 しかし、横田はそれでも食べ続けた。


 食べ物の味が感じられなくなろうとも、好物だった肉料理を前にして体が震えるようになろうとも、食べる事をやめなかった。


 何人救えただろう?

 

 誰を救えたのだろう?


 そればかりを考えながら、ひたすらに食べ続けた。


 狂気的とすら言える献身。


 傍から見ればとっくの昔に限界を超えていた。いつ倒れてもおかしくはなかった。


 しかしそんな生活は、横田が倒れるよりも前に終わりを迎えた。


 

 ある日突然、どれだけ食べても太らない能力が消えたのだ。



「あ……ああ」


 なぜ消えたのか、どうしてそのことに気付けたのかはわからない。


 ただ消えたと言う事実が本能で理解できた。


「ああ……あああっ!」


 横田は泣き崩れた。


 能力を失ったのは飢餓がこの世界から消えたからだ、なんて楽観的な考え方はできなかった。


 自分が能力によって救えた人物はわずかで、飢餓で苦しんでいる人はまだまだいる。


 なのに能力を失ってしまってはもう誰も救えないではないか。


「嫌だ……嫌だ!」


 また以前の無価値な自分に戻るのか? 何もなす事ができない無意味な人生を送るのか?


 そう考えた時の絶望はこれまで感じたこともないほどだった。


 どうすればいい? どうすれば能力を取り戻せる? そんなことが可能なのか? 能力のない自分に何ができる?


 思考を張り巡らせる。


 必死に考え続けた時、ふと気づいた。


 能力が消え、誰かを救う手段を失った自分。


 以前と同じ、無意味な人生を送る無価値な自分。


 だがまだ金はある、と。

 



「あいつが日本を出てもう半年か」


 そこから横田の動きは迅速だった。


 世界から飢餓をなくす。


 そのことを目的としたNPO法人を立ち上げたのだ。


 必要な人員をSNSを通じて集め、行政に働きかけることで最短で法人を設立した。


 活動資金は彼の有り余る資産を惜しみなく注ぎ込んだ。


 あそこまで精力的に動き回る友人の姿は、今まで見た事がないものだった。


 そして今では貧困地域での食糧支援を行なっている。

 

 横田自身も法人のトップという身でありながら、特技を活かして炊き出しなどを行っているとのこと。


「本当に変わったな。あいつ」


 能力を得た横田が女神に言われたセリフ。


『世界を少しでも良いものへと変えてください』


 あの能力のおかげで世界が変わったのかどうかはわからない。

 

 だが、少なくとも横田の世界はすっかり変わってしまったのだろう。竹村はそう考えていた。


 竹村の元に送られたダイレクトメール。


 そこには近況と、一枚の写真が添えられていた。


 その写真を見て呟く。


「……また太ったな、お前」


 最後に会った時よりわずかに肥えてよく日に焼けた友人が、子供達と一緒に笑顔で写っていた。





 

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もし金持ちのデブが、どれだけ食べても太らない能力を手に入れたら ツネキチ @tsunekiti

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