中編 どれだけ食べても太らない能力

「……お前、どうしたんだ?」


 横田の家に訪れた竹村は戦慄した。


「な、なんで、そんなに痩せてるんだ?」


 数ヶ月ぶりに会う友人の変わり果てた姿に、思わず声が震えた。


 目の前にいる横田は、無駄な贅肉を物理的に削ぎ落としたのではないかと錯覚するほど痩身だった。


「ははは。見違えたでしょ?」


 そう言って横田は得意げに笑った。


「お前……死ぬのか?」

「違う違う。病気じゃないよ」

「じゃあ何をやったらたったの数ヶ月でそんなに痩せられるんだ!」


 竹村が絶叫するのも無理はなかった。


 高校時代ですら横田はここまで痩せていなかった。彼の性格的に今更食事制限や運動を始めたとは思えない。いや、たとえダイエットに励んだとしてもここまでは痩せられないだろう。


 混乱する竹村に対して、横田は自慢げに言い放つ。


「どれだけ食べても太らない能力だよ」

「はあ?」

「前に話しただろ? 枕元に女神様が立っていたって。あれは夢じゃなかったんだ! どれだけ食べても太らない能力は本物だったんだよ!」


 能力の実在に気付いたのは、前回竹村に女神様の話をしてから数週間経ってからのことだった。


 あの時以来食欲が増した。どれだけ食べても胃がもたれず、胃袋がいっぱいになって苦しいという感覚がなくなった。


 その時ばかりは流石の横田も危機感を覚えた。元々人一倍食べる性分だった自分が、さらに食べるようになれば健康にいいはずもない。


 しかしどれだけ食べようが体に不調はなく、むしろ不思議と体調が良くなっている気がした。


 そして遂に、彼は埃をかぶっていた体重計に乗った。


 するとどうだ? なんと体重が落ちているではないか。


 以前は100キログラムを超えていた体重が、今や90キログラム前半にまで減っていた。


 まさか、あの女神様は夢じゃなく、能力の話も本当だったのか? そんな非現実的な考えが頭をよぎる。


 しかし現に、とても現実とは思えないような現象が起きているのだ。


 それから毎日自身の体重を記録した。


 日を追うごとにみるみる減っていく体重。それと反比例するように増えていく食事量。


 横田は自身が持つどれだけ食べても太らない能力が本物であることを確信した。


「ーーというわけさ」


 横田はこれまでの経緯を、竹村に説明した。


 その間横田は自身が作った料理をばくばくと食べていたが(本日は中華だ)竹村はショックのあまり一口も手をつけられなかった。


「そんなまさか……女神だの能力だの……」

「いい加減認めなよ。僕が短時間でこんなに痩せられるわけないじゃないか」


 これ以上ない説得力だった。


 その言葉を聞いた竹村は、数回自身を落ち着かせるために深呼吸をする。


「よし、わかった。お前の話が本当だと認めてやる。で、そんな急激に痩せて大丈夫なのか?」

「僕も気になったんで一応かかりつけの医者に診てもらったよ。くくく、あの医者。僕の姿を見るなり慌てて全身を調べてきたよ」

「だろうな」


 彼の姿を見れば誰だってまず病気を疑う。


「検査の結果、一切問題なし。これ以上ないくらい健康だって」

「まじか」

「医者も頭抱えてたよ」


 容易に想像できる。


「僕の持つ能力はね、普段生活する上で必要なカロリーや栄養を超過すると、それを世界の誰かに押し付けることができる能力なんだ。人間が体調を崩す大きな原因の一つは、カロリーや栄養が足りていないか、もしくは取りすぎているかのどっちかだと思うんだ」

「塩分が足りていないと熱中症みたいな症状が出るが、取りすぎていると高血圧になる。そういうことか?」

「そうそう。僕はカロリーだけじゃなく、あらゆる塩分、ビタミン、カルシウム、鉄分、プリン体なんかの栄養素を、適切な量体に取り込んだら、それ以上は僕の体から消えるんだ。そりゃ健康にもなるよ」


 横田はご機嫌だった。


 長生きを望んでいないとは言っても、今すぐ首を吊りたいと思うほどではない。当然生きている間の健康状態に一抹の不安を抱えていた。


 その不安の一切を解消することができたのだ。


「いやもう、素晴らしい能力だよ。どんな暴飲暴食をしても太らないし病気にもならない。しかも、僕の胃袋に入った食べ物は一定量超えると消えちゃうんだよね」

「何?」

「胃袋がはち切れるなんてことがないんだよ。だから僕はどんどん食べることができる。こんなに嬉しいことが他にあるかい?」


 この能力で最も気に入っている点はそこだった。食べることが趣味の横田にとって、どれだけでも食べられるその力は理想的であった。


「ってことは何か? お前無限に食べられるのか?」

「あー、食べられる量はかなり増えたんだけど、実は無限ではないんだよね。なんか脳の満腹中枢は生きてるみたいでさ、ある程度食べると脳からストップがかかって気持ち悪くなっちゃうんだ」

「満腹にはならないが、満腹感はあるってことか」


 こればかりは正常に機能していて良かったと横田は思う。


 もし満腹中枢が機能していなかったら、能力と合わせてどれだけ食べても満足できない体になっていただろう。


 残りの人生を無限に食べることだけに費やす。いくら食べることが好きでも、そんな余生はゴメンだった。


「あとさ、お前から消えた過剰なカロリーや栄養ってのは、どこに行くんだ?」

「いやだから、世界でそのカロリーと栄養を最も必要としている人のところって言ったじゃん」

「だからそれが誰かって聞いてるんだよ」

「……さあ? 体重不足に悩む力士とかじゃない?」


 そのあたりは興味がなく、考えたこともなかった。


「ま、そんなことはどうでもいいじゃないか。大事なのは僕の人生が薔薇色になったことなんだから」

「……そんな呑気に考えていいのか? そんな得体の知れない能力」

「いいに決まってるじゃない。清く正しく生きてきた僕に、女神様がご褒美をくれたんだよ」

「清く正しく、ねえ」


 そんな話をしながら、その日も食事と談笑を楽しんだ。


「さて、明日は何を作ろうか?」


 竹村が帰り、あとは寝るだけとなった。

 

 体質が改善されたおかげか眠りの質も良くなった。寝る前に明日の予定を立てるのが不思議と楽しい。


 この能力のおかげだと思う。無意味で無価値な自分の人生が、ほんの少しだけ色づいた気がした。


「……そういえば、僕の余分なカロリーと栄養はどうなったんだろう?」


 ふと、友人が言っていたことが気になり出した。


 能力を得てから数ヶ月。過剰となったカロリーだけで考えても、成人男性が1日で必要とするカロリーの数十倍から数百倍にはなるだろう。


 そんなカロリーや栄養が他の人に行くということはどういうことだろう? 自分の体から消えたのとは逆に、ある日いきなり誰かの体にカロリーと栄養が宿るのだろうか?


 そんな不可思議な現象が起きていたとしたら、何らかのニュースになっていてもおかしくはない。


 考え出すと止まらなくなった横田はパソコンに向かい、検索を始めた。


「どっかにいきなり太り出した力士のニュースとかないかな?」


 そんなことを考えながら検索を続けること少し。たどり着いたのは、海外のニュースサイト。


 そのニュースサイトにある、とある動画を再生した。



 その動画は、世界で最も貧しいと言われている国で起きた、ある奇跡について述べられていた。



『3歳になる私の息子は、飢餓による栄養失調で死にかけていました』


 動画では、ひどく痩せこけた女性が記者のインタビューに答えていた。


『NPOによる治療が受けられる頃には食べ物を咀嚼して飲み込む体力もなく、点滴による栄養補給も限界があり、ただ死を待つだけ。そんな状態でした」


 しかし、死にかけていた少年に奇跡が起きた。ある日急激に栄養失調状態から回復したのだ。


『まるで体の内側から栄養が溢れたかのようでした。みるみる肌艶が良くなり、肋骨の浮いた体が少しずつ肉付いて、とうとう立ち上がれるようにまでなったんです」


 そこまで話した女性は涙ぐんだ。


『これはきっと神様の奇跡です。息子を憐んでくださった神様が、奇跡を起こしてくれたんです』


 そして震える声で続ける。


『感謝します。ありがとう、おかげで息子は救われました。ありがとう、本当にありがとうございます』


 女性は両手を組み合わせ、祈るように何度も感謝の言葉を口にした。


 動画は同様の現象が各地で起きているということを報告し、終わった。


「…………」


 その動画を見た横田は目を見開いて無言だった。


 震える指先で動画を再びクリックする。


『感謝します。ありがとう、おかげで息子は救われました。ありがとう、本当にありがとうございます』


 そして最後まで見終わると、また動画を再生した。


『ありがとう、本当にありがとうございます』

「…………」


 そしてその日は何度も何度も動画を再生して、女性の言葉をじっと聞き続けた。

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