もし金持ちのデブが、どれだけ食べても太らない能力を手に入れたら
ツネキチ
前編 夢の中の女神様
『あなたに、どれだけ食べても太らない能力を授けます』
「……は?」
『この能力を使って、世界を少しでも良いものへと変えてください』
ピンポンと、チャイムが鳴らされる。
「はいはい、今行くよ」
そう言いながら、横田カズオはドスドスと足音を響かせながら玄関へと向かった。
扉を開けると、仏頂面の男が立っていた。横田の高校からの友人である竹村だ。
「やあ、久しぶり。前にあったのは2ヶ月前だっけ?」
「……お前、また太ったな」
丸々と肥えた横田を見て顔を顰めながら竹村はそう告げた。
「まあね、健康的だろ?」
「健康的な人間の体型じゃないだろ」
歯に衣着せぬ物言いだが、横田は気にした様子がなかった。
「それで、今日は何の用?」
「なんか食わせろ」
「そうだと思った」
竹村の遠慮のない要求に笑いながら、横田は自宅へと招き入れた。
広い一軒家だった。
都心から少し離れた場所にある家だが、同い年でこれだけ立派な家を持つ男はそういないだろう。この家を訪れるたびに竹村はそう考えていた。
横田カズオは金持ちだ。
20歳を少しすぎた時に資産家であった両親が亡くなり、その遺産が全て彼の元へ転がり込んできた。
横田はその有り余る金をすぐさま使い潰すようなことはせず、株や投資などに注ぎ込んだ。
その結果。彼は20代でありながら、何もせずとも勝手に金が懐にやってくるような生活を手に入れた。
「ちょっと待ってて、今適当に作るから」
「ああ、頼む」
当然横田は働いていない。有り余る時間を彼は唯一の趣味である料理に費やした。
綺麗に整頓された大きなキッチン。そこで彼は手際よく調理する。
「はい、鶏肉のポワレ。マスタードソース付き」
「相変わらずよくわからん横文字の料理だな」
「ははは、最近フレンチに凝っててね」
食べることが好きだった彼にとっては有意義な趣味だった。
しかしこれ以外の趣味はなく、基本的に出不精で外に出歩く機会も少ない横田に、この趣味との相性は悪かった。
高校時代はややポッチャリといった体型だったのだが、今や球体に近い体つきをしている。
日に当たらないため色白で、やや童顔な顔つきと合わさって、今の横田は何かのマスコットのように見えた。
「うん、我ながら美味しい」
「……そんなに食えるのか?」
横田の作ってきた料理は丁寧に皿に盛り付けられ、テーブルの上に並べられた。
竹村には適量の鶏肉。しかし横田はその数倍の量があった。
「これくらいは余裕だよ。伊達に何年もデブやってないからね」
「自分で言っちゃおしまいだな」
何より問題なのは、横田自身痩せようと言う気が一切ないことだった。
自身の体型を悲観することすらなく、むしろ自虐ネタとしてひけらかす始末だった。
「お前、今体重いくつだ?」
「100超えてからは測ってないな」
「はあ、ったく」
どこか人ごとのような物言いに、竹村はため息をついた。
「お前なあ、そろそろ何とかしないと早死にするぞ?」
「別にいいよ。長生きしたいとも思わないしね」
冗談めかした言い方。
しかしそれは本心だった。
横田の人生は孤独なものだ。
資産家の両親に愛を与えられた記憶はない。虐待やネグレクトを受けていたわけではないが、愛の代わりに金を与える、そんな両親だった。
そんな育てられ方をした横田は人付き合いが苦手だ。
自分と接点を持ってくれる友人は、目の前の竹村だけだった。
ずけずけと家に入り込んでは、腹が減ったから何か作ってくれと要求する図々しさを持ちながらも、竹村は一度たりとも金を貸してくれとは言わない。
そんな彼の潔癖なところが好ましく、自分なんかと友人でいてくれる彼には感謝していた。
だけど、それだけ。
金とたった一人の友人。それ以外、横田の人生には何もない。
横田にとって、自分の人生は無意味なものだった。
若くして金に困らない生活を手に入れたことも悪く作用している。人生における目標なんて、今更持つこともできない。
他者と、世界との繋がりが希薄な人生。果たしてそんな人生に価値はあるのだろうか?
横田にとって、有り余る時間を無為に過ごすだけの人生は苦痛だった。
「……そんなことよりさ。今日、変な夢を見たんだよね」
誤魔化すように話題を切り替える。
「夢?」
「うん。枕元に女神様が立ってたんだよ」
「は?」
竹村は怪訝そうな表情を見せた。
「それでさ、女神様が僕にこう言ったんだよ『あなたに、どれだけ食べても太らない能力を授けます』って」
「なんじゃそら」
「何でもその能力は、僕が摂取した過剰なエネルギーや栄養を、世界の誰かに押し付けることができる能力なんだって」
「誰かって誰だよ?」
「なんでも、そのエネルギーや栄養を一番必要としている誰かだって」
「ほーん」
興味なさげな相槌。
「随分とまあ、お前に都合のいい夢だな。お前も人並みに痩せたい願望でもあったんだな」
「かなあ? 随分と鮮明な夢でね。あ、あとこうも言ってたんだよ『この能力を使って、世界を少しでも良いものへと変えてください』って」
「どうやったらその能力で世界をよくできるんだよ?」
ため息をつかれた。
「そんな夢に逃避してないで、現実でしっかり痩せろよ」
「おやあ? 女神様の言ったことは本当かもしれないよ? 現に今結構食べてるけど、僕にはまだまだ食べられそうだよ。もしかしたら世界の誰かに、この鶏肉からとれるカロリーを押し付けてるのかもね」
「それはお前の食い意地が張ってるだけだ、デブ」
容赦のない暴言に、横田は高らかに笑った。
食事が終わると、竹村はぞんざいな挨拶と共に帰宅した。
横田は久しぶりに会った友人との談笑の余韻に浸りながら、片付けを始める。
「久しぶりに楽しかったな。さて、今日の夜は何にするかな?」
皿洗いをしながらそんなことを呟くと、ふと気がつく。
「……いつもより食べたんだけどな?」
流石の自分もこれだけ食べれば腹がはち切れそうになって、胸焼けがするはずだった。しかし、今はお腹が膨れたような感覚はなく、まだまだ入りそうだった。
「あれ?」
自分の体に生じた違和感。
この違和感の正体に気づくのは、それから数週間経ってからだった。
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