第10話 決着とその後

 それは剣と呼ぶにはひどく歪な形をしていた。柄から先は膨らんだ形をしており、刃などなく、誰がどう見ても――。


『……ベル?』


 見るも無残な形になった聖剣が言う。金の光沢が美しい楽器、それがミサの手の中にあった。


「おやすみなさい」


 一振り。寸前で気付いたセシルが止める間もなく、誰もいない場所に振り下ろされたベルが楽し気な音色を響かせる。構造上単音しか出ないはずなのに、幾重にも連なる大鐘が大合奏しているような音量が空気を震わせていた。


「な、なに……し、て……」


 それを至近距離で聞いてしまったセシルが剣を落としてミサにもたれかかる。穏やかな呼吸がまだ死んでいないことを示していた。

 ミサはなおも聖剣を振る。ゆっくりと地面に彼女を寝かせると異変に固まるヘルマンらのほうへ向かっていた。


「……聖剣、か?」


「はい」


「……なぜ……くそっ、それを止めよ」


「なりません。止めたらまた傷ついてしまうでしょう?」


 ヘルマンは手を伸ばすが届かない。それどころか膝をついて困惑しながらミサを見つめていた。

 ミサの村では農作業中に午睡シエスタをする文化があった。それが決まって三時、ミサの中では時計とは午睡をする時を知るためのもので、村中に響く鐘の音がその合図だった。

 誰も死んでいない。ただ眠る時間になったので安らかに眠るだけ。それがミサの解釈した時の力だった。

 魔王にすら効く力が勇者に効かないはずもなく、二人の勇者も抗えずに倒れこむ。その表情は雲上の極楽にいるように穏やかだった。


「今はおやすみなさい。傷つき疲れていては危ないですから」


「人間の……兵が――」


「大丈夫。安心して」


 ミサは抗い続ける魔王を抱きしめる。強張った身体が睡魔に負けて徐々に弛緩していた。

 ……なんとかなりましたね。

 全員が眠った中庭で、ミサも寝転がりたい気持ちをぐっと抑えていた。

 勇者の力は凄まじい。音を聞いてしまえば誰でも無効化できてしまうのだから。

 しかしその対象は無差別だった。それに――。

 ミサは座り、ヘルマンの頭を腿に乗せる。過去見たことのないほど険の取れた顔は、永久凍土と言われていることが嘘のように優しく見せていた。

 その彼の首に指を這わせる。聖剣が突き動かす衝動はそのまま手折れと突き動かすが指は撫でるほどの力しか入らない。鐘の音が響く間、一切の傷つける行為が出来なくなっていたのだ。

 安らかに眠る子を見守る以外は何もできない。だからこそ魔王にまで届く能力となっていた。

 ……さてと。

 ミサは膝枕の代わりに折り重ねたポーチをヘルマンの頭に敷く。立ち上がり、砦の外を見つめれば、赤い灯火の群れがすぐそこまで近づいていた。

 あれをどうにかしなければ、この戦争は終わらない。


「もっとこのベルの音を大きくできないでしょうか?」


『我は聖剣だ、聖剣なのだ。このような辱めを受けていいはずがない……』


「そう? かわいらしくていいと思いますよ」


 嘆く聖剣をミサはそっと撫でる。そう、傷つけるだけの武器より優しいだけの兵器のほうがずっといい。


『……ベル自体が大きければ音も大きくなるだろう。イメージすればよい』


「簡単なのですね」


 言い終わると同時にベルがひと回り大きくなる。振り続けていると拳ほどの大きさだったものが、抱えるほどの大きさまで成長していた。

 それでもまったく重くないのは、聖剣がそうさせているからだろう。


「では、出迎えに行きましょう」


『……好きにしろ』


 聖剣はあきらめたように押し黙る。

 ミサはベルを鳴らしながら散歩に出かけるように歩き出す。戦場に似つかわしくない、たった一人の勇者が万の軍勢に立ち向かっていた。




「何とかなるものですね」


 揺れる馬車の中でミサが微笑む。

 席に座っているのはミサに、仏頂面で腕を組むヘルマン。そして単身助けに戻ったルーサーだった。

 戦争は、結果として魔王軍の大敗であった。無傷のまま砦を明け渡し、敵兵を誰一人減らしていないからだ。


「悠長なこと言ってさ。助けに戻らなかったら一生聖剣振り続けるつもりだったの?」


「いえ、本当に助かりました。ありがとう」


 珍しいまっすぐな苦言に、ミサは頭を下げる。

 一万の兵士相手でも勇者の力は有効に働いていた。それどころか撤退していた魔王軍にもベルの音を聞いて突然眠りだす者が現れ、謎の奇病なのではないかと騒然としていたほどだ。

 一度眠ってしまえばある程度疲れが取れるまで起きることがないため、急な撤退で不安を抱えた魔王軍はその歩みを大きく遅らせていた。それよりも慣れない土地で一週間野営していた人間領の兵士のほうが長く眠っていたため、追撃もなく撤退出来ていた。

 ただ一番長く眠っていたのが、ミサの向かいでふてくさ、外を眺めている魔王、ヘルマンであった。

 その日数、実に三日。眠る必要のない魔人にとってそれほどまでに長い時間起きないことは異常であり、重い病気にでもかかったのかと噂されていた。目覚めた彼を取り囲む顔は心配がありありと浮かんでおり、状況を理解できていない魔王はただ困惑し、普段からは想像できないほど慌てふためいていた。

 その原因がミサであることを伝えられて以降、ヘルマンはずっとこの調子だった。


「で、陛下はいつまでふてくされてんの? 二百歳のおっさんがやっても可愛くないんだけど」


「……ふてくされてなどいない」


「えっと……かわいらしかったですよ」


 ミサはあの時の寝顔を思いだして感想を述べると、ルーサーは堪えきれずに笑う。その横で頬を淡く染めたヘルマンが地獄の前に立ったかのように険しく眉を寄せていた。

 ガチャリと馬車の扉が開く。


「降りろ」


 ヘルマンが短く告げると、ルーサーはなにかに引っ張られるように転がり落ちていく。


「だ、大丈夫ですか!?」


「こらっ、暴力反対!」


 馬車に置いていかれ、遠くなっていく声は扉が閉まり完全に聞こえなくなる。

 二人きり。ヘルマンの機嫌が直らないせいで雰囲気は重苦しい。


「……すみません」


「何がだ」


「結局、砦は守れませんでした。余計なことをしてしまいましたね」


「気にするな。元より策にはめられたのだ、撤退していたことに変わりはない」


 慰めが、痛い。

 もっと上手く出来たのではないかと考えていると、


「……借りていた。綺麗にして返した方がいいか?」


 差し出されたのはシワのよった薄汚いポーチだった。

 ミサは思わず受け取り、


「……これは元の夫がくれたものでした」


「……死別か?」


 ミサは首を横に振る。


「いえ、夫は別の村から来た男性で、村と村の結び付きを強くするための契約でもありました。ただ二年の間に子供は授かれず、不妊者には男をやれぬと別の村から圧力があって。あの人も同じ意見で離婚という結果になりました」


「……村には居づらいだろう」


「でも他に行くところもありませんでしたし、村のことは好きでしたので。こんな私でも離れに居を置き続けることは許されていましたから」


 ミサがぼんやりとした笑みを浮かべる。

 言葉より村での生活は悲惨だった。村長肝いりの交友に泥を塗ったのだから仕方がないとはいえ、粉挽き場すらまともに使わせて貰えず、一人農作業を多く強いられていた。夜は暇だろうからと内職を強要され、出来上がったものがミサの懐に入ることは無い。金銭的な余裕などなく、結婚当初に買った服を着回していたため、擦り切れて穴があいては何度も縫い繋いでいた。

 ひもじいが、仕方がないと感情に封をしていた。他に寄る辺などどこにもないからだ。


「陛下の前で色々と言ってしまいましたが、私は誰かに認めて貰いたかったのです。誰かのためになるなら、それで過去の贖罪になると勝手に思っていた卑しい女なのです」


 ミサは自嘲気味に微笑む。痛々しい笑みに、ヘルマンは手を伸ばす。

 頬に触れ、引き寄せる。硬い胸板に顔を押し付けられていた。

 ……暖かい。

 身体が、心が。ミサは目を閉じて心音を聞く。


「私はいずれ殺される。一切の変化がない魔人はその運命を辿ることが決まっているのだ。この度も人間は有効な作戦を立ててきた。それがいつか致命的になることが怖い」


「どうにかならないのですか?」


「ならん。王座を狙う同族すらいるのだ、いつか私よりも強い魔人族が現れるかもしれん。私には周りが敵しかいないように見えるのだ」


 言葉を紡ぐにつれ、心音が速く、大きくなる。


「ミサ、お前を生かしたのはただの戯れだった。未来を切り開くとほざく女に興味があったのだ。しかし勇者に覚醒して興が削がれた。あぁこやつも変わる側の者なのだとな。だと言うのにうるさいと剣を踏み砕いた時は驚きを隠せなかったぞ」


「はしたない所をお見せしました」


 おおよそ淑女とは言い難い行動を思い返して、ミサは呟く。ヘルマンは短く、構わんと笑っていた。


「ミサ」


「はい」


 肩に手が触れていた。男性らしい硬く、しかし美しい指が食い込む。


「戦争は嫌いか?」


「はい」


「私も先代も、その先代も勇者を殺してきた。その勇者ですら数え切れない程の魔族を殺している。千年だ、積もりに積もった怨嗟の声を晴らせると本当に思っているのか?」


 優しい声色とは裏腹に言葉の意味はきつい。ただ試されているのではなく、求められているような気がしてミサは顔を胸から離した。

 背を張り、正面に魔王を見据える。


「はい。私一人では無理でも、人は未来に託せるのですから」


 心から溢れ出た思いが空気を震わす。あの日あの時をなぞらえた言葉にヘルマンは水に揺蕩うように頬を緩ませていた。

 ……あっ。

 思いがけない表情にミサは少しだけ視線を逸らす。もう資格はないと昔に捨てたはずの感情が意図せず頬を染めていた。

 ……駄目です。そんな……。

 思い上がりも甚だしいと自分を叱咤する。この空間は危険だと身を守る亀のように縮こまっていた。


 馬車は進む。兵士を引連れて。

 魔王城まではもうすぐだった。 

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