第9話 ミサ、勇者となる

 一呼吸置いたハーフィーは身体を離す。憑き物が落ちたように晴れやかな顔は、しかし直ぐに影がさす。


「ごめん、でも無理なんだ」


 それは懺悔の言葉。ミサは口を挟むことなくただ頷いていた。


「他の勇者がすぐに来る。魔王もそれを許さないだろう。もう後には引けないんだよ」


 そういうと大きく息を吸い、決意を口にする。


「だからさ、あんただけでも逃げてくれよ。いや、俺と一緒に来いよ。勇者なら悪いようには――」


「駄目です。今はまだ駄目なんです。どちらかが勝ってしまっても私が守りたいものは失われてしまう。その前に変えなければいけないの」


 ミサは首を振る。陛下が傷つくことも、この若い勇者が死ぬことも望まない。

 都合のいい話だとは自覚していた。だからこそ、我を通すために立ち上がらなければならない。


「無理だ。一万人もいるんだぞ、どうやって止めるんだよ」


「わかりません! 分かりませんが、どうにかします!」


 そう叫んだ時だった。


「ミサっ!」


「魔王様」


 誰もいなくなった中庭に、漆黒の偉丈夫の姿があった。

 押さえつけられていないミサはすぐに立ち上がる。不味いと思ったのかハーフィーも立ち上がるがそれ以上前に出ることは両手を広げたミサに阻まれていた。


「……何故その男を庇う?」


 言葉は剣のように鋭く冷たい。歩にして十歩ほど離れているが、剣に添えられた手が振り抜かれれば一瞬で切り伏せられる距離だった。

 疑いの瞳にミサは真っ向から立ち向かう。


「罰は受けます。ですがこの場は見逃していただけないでしょうか」


「ならん。それよりも早く逃げろ。他の勇者が――」


「――他の勇者がどうかした?」


 その言葉を最後まで紡ぐことは叶わない。

 突如背後から白刃が煌めくと、避けきれなかったヘルマンの背中を撫でるように刃が入る。

 黒衣には赤い血が滲み、しかし跳ねて距離をとったヘルマンは淡く光る手を胸に当てていた。


「キュア……これは毒か」


 外傷を治す魔法を使っても、表情は晴れない。

 痛みに悶える様子は無いが、身に感じる違和感へ眉をひそめていた。


「そういうこと。上手く魔力が練れないでしょ。魔力体であるあんたには致命傷よね」


 そこに立っていたのは長剣を構える男女だった。肌を見せつけるような薄着は兵士と言うよりかは闘剣士を思わせる。

 ヘルマンはただゆっくりと肺の中の空気を吐き出すと、二人に向けて剣を構える。下段から中段へ、そして目の前に剣を立てた姿は騎士そのものだった。


「舐められたものだな。たかだか魔力を封じただけで勝った気になるとは。二百年君臨を続ける魔王の力、見せてやろう」


 その一言共にヘルマンは駆ける。

 ……凄い。

 縦横無尽に踊る刃を見て、ミサはそんな感想を抱いていた。

 魔法を使えないことがなんのハンデにもなっていない。一度駆け寄った後は根を張ったように一歩も動かず、手数で劣るなら押して体勢を崩し、相手の渾身の一撃は軽くいなして同士討ちを誘う。

 まるで子供のダンスを指導するように、ヘルマンは余裕を持って相手する。勇者の隙のない連携ですら、わずかなほころびを見つけては完璧にいなしていた。

 だからこそ、即座にとどめを刺さない事への違和感が募る。


「つ、つえぇ……」


 大きく後ろに下がり、一旦仕切り直しをする男性が言う。

 お互い効果的な一打は与えていないが、かたや膝をつき息が上がっているのに対して、ヘルマンは寝起きのように涼しい顔をしていた。

 魔王を睨みつけていた二人は攻め手を探していた。迷った視線は最後に中庭の隅にいるハーフィーのところで止まる。 


「ハーフィー、いつまでボケっとしてんだ。さっさと参戦しろ」


「……ごめん」


「ハーフィー様っ!」


 ミサの言葉は虚しく虚空へと消える。ワープしたハーフィーの姿は勇者ふたりの横にあった。

 そして、三人は聖剣を掲げ、


「聖剣、解放」


 呪文を唱えると、刀身が篝火のように輝きはじめる。

 形に大きな変化はないが、纏う雰囲気が一変する。春風のような澄んだ香りが三人を中心に外へと吹き荒れた。

 瞬間、三人の姿が消えたようにミサには見えていた。逃げた、のではなく一人は上空に、もう二人はヘルマンの足元に現れていた。

 なんの拍子もなく懐に入られ、それでも魔王は剣を振る。地面すれすれから振り上げられた剣を一振でいなすと返す刀で振り下ろしを受け止める。


「なっ――」


 硬い金属音が響くかと思われたが、振り下ろした剣は鞭のようにしなるとヘルマンの剣に絡みつく。咄嗟に手を離したヘルマンは、背中側から迫る刃を避けきれず、その着衣に大きな刀傷を残していた。


「魔王様っ!」


「構うな、早く逃げろ。まだ近くにルーサーがいるはずだ」


 武器がなくなり傷ついても、ヘルマンは一撃を入れた女性の腹に鋭い蹴りを叩き込み、その反動で距離をとる。二回の不意打ちに毒の効果で、その表情から余裕さが抜けていた。

 ……どうしましょう。

 出来ることなどないと、わかっていても待っているだけなど耐えられなかった。

 勇者達の動きは見違えるほどに速く、豪雨のように刃が降り注ぐ。そのひとつひとつをかわし、時には手で剣の腹を払い除けるヘルマンだが、武器をとられたせいか次第に手傷を負うようになっていた。


「……なるほど、ワープに形状変化、それと痛み分けか。それと毒の効果、確かに知らなければ殺られていたかもしれんな」


「随分と余裕そうだなっ!」


「種が割れるまでが勇者の厄介なところだが、割れてしまえばどうということは無い」


 一撃。ワープしてきた男性の腹部に吸い込まれるように拳が突き刺さる。

 その衝撃は彼の身が吹き飛ぶことで証明されていた。ボールの如く飛んでいく男性はそのまま女性を下敷きにする。


「痛み分けは仲間にも効くのか?」


「ニコ! セシル!」


 ハーフィーの声を受けてどうにか立ち上がる二人。しかし一人は腹部に大きな痣を作り、呼吸も怪しい。内臓か骨に大きなダメージがあるようだ。


「簡単には、勝てねえか……」


 腹を押さえる男性が呟く。

 ……いけない。

 ミサは見守りながら考えていた。魔王様が負けることはないだろう。この時点で予知は外れたことになる。しかし、ここで勇者を殺せば魔族と勇者の関係がまた悪化する。延々とこの殺し合いが続くことが悲しくて、ミサの瞳に憂いが宿っていた。

 と、その時だった。

 男性の下敷きなっていた女性が投げる支線に気付いて、ミサは首を傾げる。その口は美酒を飲み干した時のように恍惚に歪んでいた。


「ハーフィー、飛ばしな!」


 短い命令が飛ぶ。彼女の指さした先を見ずにハーフィーが能力を使うと、魔王から離れた所に現れた。

 逃げた訳では無い。目標はすぐ近くにあった。


「きゃっ!?」


 ミサは悲鳴をあげる。目の前に現れた女性が髪を掴んで後ろに回ったからだ。


「ミサっ!?」


 どう考えても人質である。ついさっきぶり、二度目の首筋に冷たいものが触れる感触に、ミサは表情をゆがませていた。

 ……嫌になるわ。

 ヘルマンは戦闘をそっちのけでミサを見つめていた。明らかに動きが鈍くなった彼に、勇者の男性は好機と見て剣を振り上げる。大振りでもまともな反撃もなく、魔王の体に刻まれる傷はより深くなっていた。

 ……やめて!

 少しづつ追い詰められていく姿に、ミサの瞳がうるむ。服が裂け、血が吹き出す。ひとつひとつ命が削られていく様子をただ黙って見ているしか出来なかった。


「人質って効果あんだね」


「セシル! 彼女は民間人だぞ」


「だから何だよ。効果があるなら何でも使う、戦争なんだ、それが普通でしょ?」


 耳元で怒鳴る女性にミサは足がすくむ。

 ……でも、何とかしなきゃ。

 その時だった。


『……力が欲しいか?』


 脳裏で声が鳴る。動けないミサは手癖で愛用のポーチを握りしめていた。中にあったのは、聖剣の柄。


 ……力があるの?


 ミサは問う。


『求めれば』


 いいわ、どうすればいいの?


『想像せよ、時の力を』


 ……。

 ……時の力ってなに!?


 思わず指に力が入っていた。

 ミサには学がなかった。文字が読めず、勉強もしたことが無い。村では本を持っているものなど村長ら数人で、物語に触れる機会など全くなかった。

 だから曖昧な表現をされると思考が止まるのだ。


『時の力は時の力だ』


 だから分からないの!


 ミサが心の中で叫ぶと、聖剣からため息にま似た緩い雰囲気が漂う。


『時間と言って思い浮かぶものは?』


 ……時計。


『ならそれを強く意識せよ』


 ……時計を?

 言われ、ミサは想像する。長針と短針がくるくると回る姿。村に一台しかなかったそれを見るのは決まってある時間を知るためだった。

 ……それなら。

 イメージが固まるのに合わせて聖剣から流れてくるものがある。暖かく、多幸感に感情を殴られながら、ミサは剣の形を作っていく。

 ポーチの中から僅かに光が漏れていたが、背後の女性はいたぶられるヘルマンに向いていて気づけなかった。ミサは口を縛る糸を器用に解くと、中から神々しい聖剣を取り出していた。

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