第8話 ミサ、勇者にさらわれる

「だからいるんでしょ」


「ルーサー」


 ドアを押し開けて入ってきた男性に魔王が反応する。

 王弟殿下だった。彼はロープで巻いた獣人を蹴り入れる。その人物はよく見知っている顔だった。

 突然の乱入に固まる面々を他所に、殿下はテーブルに近づいて地図を丸め出す。正確にまとめられた地図が敵の手に渡れば、今後を左右しうる大きな欠点になるからだ。

 それはつまり、最悪の事態を意味していた。


「よかったね。この状況で襲ってこないってことはそこのおっさんは白いよ。もっとも下の人間はどこまで黒かわかったもんじゃないけど」


「ガ、ガッシュ!? 貴様、裏切ったのか」


「言っとくけど尋問とかしてる時間はないから」


「……いつから気づいていた?」


 魔王が問う。まだ声は落ち着いているが、その瞳は忙しなく殿下の手元を追っていた。


「気付いてなんかないよ。陛下が城に入った瞬間に狼煙が上がった。なんでだろうなってミサと影を往復してたら密告の話になるし、それで急いで捕まえたって訳」


「……この拠点は放棄する。敵が来る前に撤退するぞ」


 魔王の判断は早かった。殿下と一緒に荷物を纏め始めると指示を出す拡声魔法で砦全体を震わせていた。

 魔王が城に入ってからすでに二時間が経過している。いつ勇者が攻めてきてもおかしくない状況だった。砦には何も知らない兵士や非戦闘員もいる上に誰が内通者かも判定していない。情報を隠すことは今となってはただの無駄、怪しきも何もかもをひっくるめて素早く撤退するしかなかった。

 ……何故だ。

 それでもアーヴィンは動けなかった。

 見つめるのは床に転がる獣人の姿。轡をはめられ話せない彼は、作戦が失敗したことへ悔しげに表情をゆがませていた。

 彼の名はガッシュ、ガッシュ・ペイラー。アーヴィンの妹の夫、義弟であり、槍術の達人でもあった。

 お世辞にも政治に明るいとは言えない彼は、その腕っ節から民の信頼も厚く、伯爵の地位を争ったこともある。アーヴィンとほとんど互角の腕前であったが、魔王陛下の方針で政務も重視したためにアーヴィンが選ばれることとなった。

 負い目はなかったし、友として義弟として応援もされていた。夫婦仲、兄弟仲も良好だったはずななのに、何故裏切るような真似をしたのか、その真意を問いただすまでタチの悪い夢のような浮遊感が心を蝕んでいた。

 ……何かの間違いだ、そうだろう?

 魔族が人間族に与するなど、ありえない。千年の溝は修復不可能な程に深く刻まれているのだから。


「おっさん、そいつのことは放っておいて。ひとつ砦が落ちるよりも伯爵領全体が機能不全する方がやばいんだから」


「――それは困るな」


 激を飛ばす殿下に割り込むように声がする。


「……勇者か」


 気配に気付き、ミサを隠すように移動した魔王が剣を抜く。白銀の刃は窓に向いて微動だにしない。

 続いて殿下、遅れてアーヴィンも構えをつくる。両手を胸の前に置いて手を開く。徒手と爪撃を得意とする獣人族はそれだけで十分な武器となる。

 窓枠に腰掛けていたのは若い男だった。身軽な黒装束に身を包んだ姿は闇夜に紛れ、しなやかな黒髪が馬の尾のようにたなびいている。

 石を積んだ砦の上層にある執務室は、大木よりも高い位置にある。登ってきたにしろ飛んできたにしろ容易なことではない。息を切らした様子もない、不遜な表情にアーヴィンは警戒を一段階引き上げた。


「一人って、舐められてる?」


「舐めてなんてないさ。これだけ戦力が整ってたら勝てるなんて思えないよ――」


 男はそういうと何処からか光を纏った短剣を取り出していた。

 忌々しい聖剣だ。どのような力があるにしろ先手を打って潰さないと厄介なことになることだけは共通しているため、魔王は有無を言わさず突進していた。

 が、空振りに終わる。神速と言っても過言では無い一振は窓を、天井から床まで一緒に切り離しただけでしかなかった。

 何処に行ったのかは直ぐに判明する。唯一構えていなかった人間族の女、その背後に男はいた。無防備に晒された首筋へ短剣が光る。

 

「テレポートか」


「――魔王と正面切って戦うなんて無理さ。悪いけど人質を取らせてもらうよ」


 男に捕まった女はまだ理解ができていないのか、若干引きつった表情のままだ。その視線は助けを求めるように魔王へと注がれていた。

 ……悪手だな。

 アーヴィンはそう思い、足に力をいれる。魔王の情婦らしき女はただの人間族だ。非戦闘員を狙ったのは正解だったが、人間族を人質にしたところで魔族が躊躇するわけがなかった。

 隙を見て女ごと貫く。それで終わりだった。

 しかし、それは叶わない。


「ミサ」


 魔王が告げる。と同時に剣をしまっていた。

 ……馬鹿な。

 凍えるほど冷血な魔王とは思えない行動に、アーヴィンは驚きと憤りを感じていた。腑抜けたかと怒りを顕にした表情を浮かべていると、視界の隅で殿下も構えを解いていた。

 想定外の事態にアーヴィンが固まる。もしや、それほどまでに重要なお方だったのだろうか。聞いたことはないが、他に頷ける理由もなかった。

 名を呼ばれた女は微かに表情を柔らかくして、ただ申し訳なさそうに眉を寄せていた。


「安心しろ。すぐに助けてやる」


「信じています」


「ひゅー。かっこいいね、でもそう簡単にはさせないよ」


 男は一瞬短剣を女から離すと一振する。それだけの事で今までいた所から人質と共に、霧のように消えていた。

 ……何が起こっている?

 全てが理解不能のまま呆けるアーヴィンを捨ておいて、殿下と魔王は顔を付け合わせていた。


「……逃げられちゃったね」


「そう遠くへは行けないはずだ。目的とも一致しないしな」


「どうするの、魔王様」


「兵をまとめて先に帰っていろ。奴らの狙いは俺だ」


「さすが魔王様。気合入ってるねぇ」


「茶化すな」


 魔王は柔らかな笑みをこぼすと、殿下の頭を強引に撫でる。嫌がる素振りを見せる殿下はより年幼く見えていた。





「さてと、どうするかね……」


 ミサを攫った男は神経質に爪を噛んで息をひそめていた。

 テレポートした先は砦の中庭。見晴らしがよく、広いため普段は修練場として使われているところだった。

 魔王の拡声魔法のおかげか、兵士の姿はまばらだ。残った兵士たちも持っていける物資を急ぎ詰め込んで、その他機密情報は焚火にくべていた。

 中庭の中央で、黒煙がもうもうと上がる。遠目からは火事のようにも見えることだろう。

 撤収作業をする兵士たちは、不自然なほど男に気付かない。見つからないよう壁沿いの奥まったところにいるが、視線を完全に防げるわけではないというのに訝し気に足を止める者もいなかった。

 次第に人気が無くなっていく。それに合わせて遠く、人間領の方向から地鳴りと共に土煙が沸き立つ。援軍だ、先頭を勇者が走り砦に向かっていた。


「……あの」


 口元を塞ぐ手が緩み、ミサが声を漏らす。

 男に押し倒されるように壁際に押し付けられていた彼女は、ようやく満足に息を吸えたためか頬が赤く上気していた。

 その様子を一瞥した男は、藍色の瞳が揺らぐ。上から下まで穴が開くほど見つめたのちに出したのは、深いため息だった。


「あんた、なにもんだよ。人間なのに、なんで魔王と一緒にいるんだ?」


「なにもの、と言われましても……」


 問われ、ミサは苦笑する。何者だと言われて、明確な答えを持ち合わせていなかった。ただの村民ですといったところで彼の疑問が解消するはずはなかったからだ。

 なんでこうなっているのか、ミサ自身も聞きたいくらいだった。だから唯一近そうな答えとして用意したのが、


「……勇者、ぽいです」


 もっとも、聖剣を足蹴にして砕いてしまったけれど。


「えっ、味方なの!?」


「いえ……たぶん敵だと思います」


「んんっ? 勇者なんだよね?」


「……すみません」


 責められ、ミサは思わず頭を下げていた。

 魔族の敵、勇者であることは間違いないが、心情的には魔族の味方。そんな曖昧な状況をいままで放置してきたために、自分が何者であるかはっきりしないのだ。

 ただわかっているのは、魔王様に仇なすことはしないということだけ。勇者に対して思うところがないとは言えないが、戦争をしているのだから禍根を残すべきではないと考えていた。

 なぜなら、

 ……勇者だって、やりたくてやっているわけはないのよね。

 国から、女神から魔族を滅ぼせと命じられているだけで、本心ではない。祖父の、そのまた祖父よりも前から行われている戦争は、根幹の考え方から相手を憎むように教育されていた。

 それはとても悲しいことだった。そう感じたミサは朗らかな笑みを浮かべ男性を見つめる。


「名前をお聞かせ願えませんか?」


「名前? なんでだよ」


「私はミサと言います」


「……ハーフィー。あんた人の話聞かないのな」


 言いたいことを飲み込んで呆れる男性は、張り詰めた雰囲気を少しだけ解いていた。


「ハーフィー様ですね」


「様は要らねえよ」


「ハーフィーさんは魔王領に来たことはありますか?」


「いや、ないけど」


「私の住んでいたザイスィン村は春には黄色い小花の咲く丘があるのです。綺麗ですよ」


「だからなんだよ」


「せっかく魔王領まで来て何も知らずに帰るのは悲しいことですよ。剣よりも杖を持って歩いた方がいいと思いませんか?」


「あのさぁ、これ戦争なんだよ。遊びじゃないの、わかる?」


「戦争がそれほど大事なのですか? 私があなたのお母様なら身を削り心をすり減らして得たお金で生活するよりも、慎ましくも笑顔に囲まれた人生を歩んで欲しいと願うはずです」


 心から、ミサは訴える。悠長なことかもしれないがそれが今は大事だと信じて。


「……まれ」


 しかしハーフィーは途端に表情を歪め、手を伸ばす。胸ぐらを捕まれ引き寄せられたミサは彼の目に宿る火を見た。

 怒りだ。とても物悲しい怒りがミサに突き刺さる。

 ……あぁ、そうよね。

 勘違いしていたことにミサは赤面を隠せない。

 誰も悩んでいない人なんていやしないのだ。誰かに指示されたことでも、常に葛藤がある。そこへ土足で踏み荒らしたことを深く反省していた。 


「――黙れよ! 俺はそんな立派な人間じゃ――」


 場所も忘れて激昂するハーフィーに、ミサは両手を伸ばして懐に誘う。

 抵抗されると思っていた。しかし、息を飲んだだけで彼はすんなりと腕の中に収まっていた。

 鼓動を押し当てると、怒気で熱くなった吐息が胸を湿らせる。ミサはゆっくりと背中を叩きながら、泣く子をあやすように接していた。


「――立派じゃなくてもいいんです。少しだけ優しい心のままに従って行動してほしいの。貴方にはそれが出来るから」


 ミサは言う。少しだけ。そう、少しだけでいい。どうしても出来ない時だってあるし、やりたくないこともやらなければならないことだってざらである。ただいつかほんの少しの優しさが誰かの心と彼の心を救う一片ひとかけらになればいい。

 無理はしないで、優しさに潰れてしまうから。耳元で囁いた言葉に彼の身体から力が抜けていた。 


「……柔らかいな」


「最近美味しいものを食べさせていただいているのでちょっと太ってきたんです。一応気にしているんですよ?」


 サクッと心を刺されて、ミサは苦言を呈する。三十路も目前となるとちょっとの食生活で簡単に体型が崩れてしまうのだ。

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