第7話 ミサ、戦場へ行く
遠くの山頂が雪化粧をする季節。朝焼けの中、葉に霜が降りていた。
冬の訪れが吐息で感じられる。肌寒さを感じながら腕を擦り合わせるミサは、馬車から外の景色を眺めていた。
またこれに乗るのかと、魔王城を出て四日。ならされた砂利道を揺られては野営をし、朝になれば再び馬車に乗る。まともな行軍の知識がないミサは流されるままに運ばれていた。
目的地だけを知らされ、旅路は続く。同乗者は表情ひとつ変えずに目を閉じている魔王陛下ただ一人だ。
「あの……」
「わかっている。黙っていろ」
ミサが問いかけると、ヘルマンは先手を取って口を噤ませる。
出立してからずっとこの調子だった。最初の頃はルーサーも同乗していたが、気がたっているヘルマンを相手したくないのか次第に近寄らなくなっていた。
……戦争だもの。
血で血を洗う行為が待っているのに平常心でいられるほうがおかしいのだ。ミサは極力邪魔にならないようにじっとしている他なかった。
カタコトと馬車は走る。速くもなく遅くもなく。空に浮かぶ雲のように。
……うっ、お尻が。
度々姿勢を変えるミサも限界が近い。妙に張り詰めた空気が居心地の悪さを加速させていた。
「すまない」
ヘルマンがぽつりと呟く。その心の内が透けるような顔にミサは首を激しく横に振る。
「ど、どうしたのですか? 謝る必要なんて――」
「兵でもない者を戦場に向かわせるなど、王のすることではないだろう。それに事情も説明していなかったしな」
告げられ、確かにとミサは頷く。
当たり前だがミサに切った張ったは出来ない。精々事切れた野鳥や魚を締める程度しか経験がなかった。そんな女に訓練もなく初陣させるのは自殺行為であり周りの迷惑だった。
命令だから馬車に同乗しているのであって本心を言えば行きたくない。ただの村娘はどこまでいっても村娘以上のことは出来なかった。
その理由はまだ伝えられていない。ただ待つばかりの旅路は辛く、重苦しい。
ヘルマンは魔王然とした態度を消している。どこにでも居る若者のように悩み、そして口を開く。
「宵詠みの目というものがある。ルーサーによれば未来が一瞬だけ見えるらしい」
「はぁ……」
「ルーサーは魔人族にしてはそう強くない。宵詠みの目のせいで絶対的に魔力量が不足しているからだ」
「そう、なんですね」
「とはいえ一瞬の未来などあまり有用ではない。むしろ見えないことの方が重要なのだ」
はぐらかさせれているような言葉選びにミサは混乱していた。
灯りを照らすはずの道標はないほうが良い、その理由は遠からず語られる。
「未来が見えないということは術者が死んでいることを示す。原因は不明だが今のままではルーサーが死ぬ、その時は私も死んでいるだろう」
おぞましい内容の告白に、ミサは口を押さえて息を飲む。
そんな、まさか。大きく見開いた目がそう語っていた。
「どうにかならないのですか?」
「わからん。ルーサーはその鍵がお前だと言っていた。お前なのか、その内に眠る勇者の力なのか。生き残るにしても勝ったからとは限らんし、術者が生きているだけで結局私は死んでいる可能性もある。それでも縋るしかないのだ」
「が、頑張ります」
魔王が殺られるような相手に何か出来るわけがないが、そう答えるしかなかった。予知が本当ならば生かすために出来ることがあるはずなのだから。
その仮定が恐怖と共に深い自信をもたらす。今までは家畜のようにのんびりと生かされていた。不満などあるはずないが、なんの恩も返せていない心苦しさをひとつでも解消できるなら全力を尽くすまでだ。
ただヘルマンは両の手で拳をつくるミサを見てため息をつく。その表情は暗く、顔を横に振り否定を示すと、固く握られた手を包み、ほぐす。
「……盾になれとは言わん。危険だと判断したら逃げてもいい」
「いえ、私は――」
「ミサ、お前は軍人では無い。ただの領民なのだ。領民は領民でいればいい」
強い決意のこもった言葉を受けて、ミサは身体から力を抜く。
……そんな目をしないで。
見つめる瞳は脆く崩れてしまうのではないかと思うほど儚く光る。公人としての立場が人に頼る弱さを許さないように感じられて、鼻の先が痛んだ。
駄目なのだ。横に立つ人でなければ彼の気持ちを救うことが出来ない。その資格がないことが歯がゆくて、
「……わかりました」
ミサは気持ちを押し殺して頷くことしか出来ずにいた。
魔王領は全てを魔王が治めている訳では無い。むしろ、魔王が所持する土地などないに等しかった。
そもそも魔王とは世襲でもなければ一代が永遠に続く訳でもない。武力こそ権力が根付いている風習から、王選と呼ばれる試合が十年に一度の頻度で行われていた。
ヘルマンは王選に勝ち続け、すでに二十期を迎えている。過去最長記録を更新し続ける彼の治世は、領民に心地よい安定をもたらしていた。
しかしどれだけ優れた王でも恐ろしく広い魔王領を細部まで全て見つめることは出来ない。そのため、実効支配しているのは伯爵以下領主の役目となっていた。
西の伯爵――アーヴィン・ワイス――もその一人。子爵から準男爵まで数百名をまとめあげる、武にも知にも長けた獣人だ。
王選にも何度か挑戦している彼は、狼のように白く硬い毛並みで覆われ、獣人の特徴である長く太い四肢を持つ。下半身を覆う腰蓑以外は身につけない昔ながらの格好は、肉体美をこれでもかと見せつけていた。
アーヴィンは見慣れた執務室でテーブルに広げられた地図を見下ろしていた。
魔王領西部、それも国境付近を拡大したものだ。こと細かに地形が記入された羊皮紙の上には、駒と戦績を示すコインがいくつか置かれていた。
眺めるのは彼ひとりではない。黒衣に身を包む魔王とその従者のように連れ従う女性の姿もある。
「……小競り合いだな」
魔王は感想をこぼす。盤外に用意された手付かずの駒のひとつを手に持って弄んでいた。
「兵の数は多いですがね」
「妙だな……」
魔王の危惧がそのまま口から出ていた。戦線が開かれてから十日あまりが経過していたが、日に数度斥候同士が剣を交えるのみで、三倍はいる敵の本体は眠ったように静かだ。主力である勇者もまだ姿を見せていない。
魔王の援軍が到着する前に全軍をもって砦を落とすと思われた戦争は、不気味な小康状態を続けていた。
……わからねえな。
アーヴィンは視線を地図に向けながら考えていた。もう幾度となく思案したことだが相変わらず敵の考えが予想できない。包囲しているわけではないため干上がることもなく、時間はどちらの味方にもならない。巧妙に隠された思惑を探るために、手を変え品を変えちょっかいを出しても、相手が石のように留まる限りは成果など表れるはずもなかった。
魔王なら何かわかるかもと期待していたが、ヘルマンの苦々しい顔を見て、諦める。下手な作戦など正面から叩き潰すのが王道だが相手との兵数差を見ると、安易な判断が出来なかった。
待機している兵にもストレスが溜まっている。現状を打破する解決策が早急に必要だった。
「囮なんでしょうけど……本命の連絡は?」
何度も考察したことを問いかけるが、ヘルマンは無力に首を振る。
時間と戦力を釘付けにし、水面下で他所へ電撃戦を仕掛ける。真っ先に疑ったそれは空振りに終わっている。他の国境に人間領から兵は出ておらず、そもそも一万という物量は囮にしては多すぎる。
「人間の考えることは分かんねぇな……そこのもんはどう考える?」
「わ、私ですか!?」
従者の女が素っ頓狂な声をあげていた。同じ人間ならあるいはと考えての言動だったが、ただの娘にしか見えない彼女には無理難題だったようだ。
……ていうか誰なんだ?
情婦だとしたらむしろ喜ばしいことだった。世襲制ではないにしろ女の影ひとつない魔王にもそういう感情があったと民は安心する。あまりに格別した存在は神格化されて恐れを呼ぶからだ。
ただ、趣味が悪いとアーヴィンはほくそ笑む。わざわざ人間族を連れ歩くということがどういうことかわからない魔王ではないのに。
その魔王はしばらく思案した後、地図から目を離して従者を見る。アーヴィンには優しく微笑んでいるようにも見えていた。
「……このままなら主力も出ずに長引くだけだ。まあいいだろう」
言外に、当てにしていないと言われているようだった。それでも従者は皆と同じように地図をしばらく見つめていた。
パフォーマンスか、否か。アーヴィンは人間族だからと差別はしない。統治する位が高くなればなるほどに、税を納める領民に違いはないと考える傾向が強くなり、ただの数字でしか見られなくなっていた。
「……あの、魔王様ってよく戦場に出られるのですか?」
五分が経った頃、従者の女が魔王へ視線を投げかけ、口を開く。
何か閃いたのかと、アーヴィンは横から口を挟んでいた。
「いや。勇者がいる時くらいだな。一人二人ならこっちの戦力でもどうにかなるが流石に三人以上になるときつい。特に回復役がいるとな」
苦い思い出が言葉に乗っていた。
人間族よりも力で勝る魔族にとって、勇者一人は脅威ではない。眼は前方に向き、手はふたつ。囲んで叩いてしまえば打ち取ることも容易だった。
しかし連携が可能となれば話は別だ。わかりやすい死角が減り、攻め方も苛烈になる。いくら傷つけようとも片っ端から回復されてしまえばこちらの犠牲を積み重ねるだけだった。
それを聞いて女は駒を手に取ると、今いる砦に置く。そして乳母のように優しく寝かせると、もうひとつ駒を取って寝かせたそれのそばに立たせていた。
「……私の村には血に慣れた猛獣が襲ってくる時があります。その時は手負いの野鳥を撒いて罠とします。誘われてきた猛獣を討伐するために」
「おいおい、俺たちが手負いの野鳥だって言うのか? そう簡単にやられるようなヤワな鍛え方はしてねえぞ」
心外だとアーヴィンは顔を赤くする。戦争とは基本的に攻めるより守るほうが容易いのだ。仮に魔王城からの応援がなくともひと月は持ちこたえる準備ができていた。
しかし、それを遮ったのは魔王だった。
「有り得る、か」
ぽつりとつぶやいた後、盤外から駒を手に取り砦の裏口に置く。
「暗殺は暗殺と気付いていないからこそ効果がある。もしそれだけに賭けているとしたら、こんな作戦を立てるのも考えられる」
「ありえねえでしょう」
アーヴィンは即座に否定する。
ありえない。よほどの馬鹿でも立てない作戦を真剣に見つめる二人を笑いながら、
「それをするには、来るかどうかもわからない魔王様のために挙兵をして貴重な勇者を三人も用意し、なおかつ誰にも気付かれずに潜入して暗殺をしなきゃならねえ。内通者でもいなきゃどんな豪運持ちでも分が悪すぎる」
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