『雪虫』
メルバニアン
雪虫
それは底冷えする秋口のこと。
北風に舞い散るかれ葉の裏から、アブラムシの
小さな白い
まだ柔らかくて頼りない
幾らか時を待って、雪虫は翅を広げついにふわりふわり飛びはじめました。
小さいうえに軽い雪虫は、ちょっとの強い風に吹かれただけでも遠くに飛ばされてしまいます。
それでも
しばらく進むと冬支度を済ませたアリとであいました。
「おやおや。白くて小さいからもう雪が降ったかと思ったら、珍しい。雪虫じゃあないか」
アリは雪虫を見ると嫌そうな顔をしました。
「こんにちはアリさん。そうなんです、さっき起きたばっかりなんです」
「そうかいそうかい。それじゃあオレは凍え死ぬ前にとっとと家にもぐろうかな。あんたも達者でな」
早口にそう言うと、一度だけ身体をぶるりと震わせて背を向けました。
まるで1秒でもここにいたくないと言いたげです。
「はい、おやすみなさいアリさん。良い春を」
雪虫はアリが巣穴に戻るまで見送ると、また進みはじめました。
太陽は真上から少し傾き、さっきより冷え込んできました。
黒くて厚い雲も見えてきましたが寒さに強い雪虫はへっちゃらです。
そのままふわりふわりと何処かを目指して飛んでいきます。
次に出逢ったのはクモでした。
クモは寒さをしのぐために、民家の屋根裏へと入り込もうとしていた所でした。
「おお、さむいさむい!こうも寒くちゃ
「こんにちはクモさん。今日はそんなに寒いですか?」
「おや、これはこれは。雪かと思ったら雪虫じゃあないか!どおりで寒いはずだ!そうとも今日は今年で1番の寒ささ」
「そうなんですか、僕には心地いいくらいですけど」
「そりゃ君はそうだろう。そんなにあったかそうな格好していたらね。だけど見てごらん、私なんてこんなに短い産毛しかないし手足なんて丸見えだ。目玉も8つあるから渇いた風が吹けば目に染みてしまうのさ」
「それは、大変ですね」
雪虫は生まれたばかりで外のことはほとんど知りません。
クモの言っていることは今ひとつ分かりませんでしたが、真面目そうにうなずいておきました。
「ところで君はどこへ向かうつもりなんだい?」
突然クモに問われて、雪虫は困った顔をしました。
「分かりません。なんとなくこっちに来なければいけない気がして、そのとおりに漂ってきただけなんです。……いけませんでしたか?」
雪虫は、
自分は何か、とても大事な役目があったはずなのだけれど、
そういうと、クモは今までの人好きのする笑みとは別の、おもわず背筋がピンと伸びてしまうような声でニンマリと笑いました。
「そうかいそうかい。雪虫くんはその"なにか"に引き寄せられてここまで来たんだね?もしかしたら、その"なにか"は、私のことかもしれない」
「え!そうなんですか?」
「そうとも。私は今、とても困っているんだ。そしてなんとかできるのは君だけなんだよ」
「そうなんだ、僕にしか出来ない事なんだ!」
わあっ!と雪虫は喜びます。
雪虫は自分にしか出来ないという特別な響きを聞いて、うれしくなってその辺をふわふわ上下に飛んだり沈んだりして喜びました。
やっと自分の仕事を見つけたのです。
クモは雪虫の様子をその8つの目玉でじっと見つめます。
「それでクモさん、僕にしか出来ないことってなぁに?」
雪虫が聞くと、クモは屋根裏から身体を伸ばします。
そして、ちょっとだけ後ろ向きにのけ反りながら言いました。
「嗚呼、今言うとも。だけど話しやすいようにもうすこぉし、こちらに来てくれないか」
「軒下ですか?でもそこは風が強くて僕はすぐに飛ばされてしまいますよ」
「大丈夫さ。私の糸で君を支えてあげるからね」
「それじゃあ……」
「嗚呼、ありがとう。君は本当に素直で可愛くていい子だね」
言うや否や、クモのお尻から飛び出た糸が雪虫に絡みつきます。
ネバネバした糸のせいで、小さくて薄い翅はもう少しで破けてしまうところでした。
「やめて!いたい、いたいよっ!」
雪虫は叫びますがクモは聞く耳を持ちません。
そのままするすると糸をたぐりよせます。
動かすたびに、雪虫はもがくので、余計に傷ついてしまいます。
「ひどいよ、どうしてこんなことをするの、僕が何をしたって言うの?」
雪虫はすすり泣くように、すがるように言います。
「お前にしか出来ない仕事だといっただろう。私はこの秋にコバエを捕まえたっきりなにも食べてないんだ。腹ペコで、もう屋根裏で冷たくなって死んでいくしかないと思っていた。だが今頃になってから起き出す虫がいたことを失念していたよ。私は本当についている」
クモの言い分を聞いて、雪虫は恐る恐る訊き返しました。
「それって、それって。僕を食べるってこと?」
「どの道お前さんのような弱い虫は冬を越せないさ。そんな身も骨もなさそうな君を食べてやるといった私に感謝して欲しいくらいだね」
先ほどまでの優しく気安い感じはなくなり、北風より冷たい声でクモは言い捨てました。
自分が他の虫より弱いことは生まれる前から分かっていました。
ある意味、雪虫にしか出来ない仕事だというのも理解出来ました。
しかし、まだ羽化して数時間しかたっていない雪虫はこんなにすぐ死んでしまうなんて思ってもみなかったのです。
ただ行かなければいけないところがあったはず。
心の声のとおりに来ただけなのに、どうして……。
あと少しで
ひときわ強い突風が吹き、クモの糸がぷっつり切れて雪虫は助かりました。
「嗚呼!!」
クモの悲痛そうな叫びが遠のいていき、北風に乗る雪虫はまた知らない土地へ飛んで行きました。
いろんなことがいっぺんに起きて、雪虫の身体に重く、
脚を動かすこともままならないほどです。
しかし、自分の力で飛ばすとも風が運んでくれますので、雪虫はそのまま身を任せました。
どうしてこんなに、ツライのかを考えながら。
風はゆるゆるとおさまり、やがて山の
眼下では、人間の子どもたちが大きな建物から出て行くところが見られます。
学校が終わり、帰る途中のようです。
「あ、雪虫!」
ひとりの女の子が雪虫を見つけました。
まだ幼い女の子は、無邪気に手のひらで包み込むように雪虫を捕まえました。
女の子の手のひらにおさまった雪虫は、まるで本物の雪をすくったかのように真っ白で可愛らしく、女の子は嬉しそうに笑います。
ですが、小さいうえに弱く
「あついよぉ、いたいよぉーぅ、くるしいよぉう!」
いま自分は、焼かれているのでしょうか。
それとも溶けているのでしょうか。
雪虫にはわかりません。
ただ、身体の端っこから自分が無くなっていくような感覚に、恐ろしさを覚えました。
雪虫はだんだんみじめな気持ちになってきました。
どうしてこんなに薄くて小さな翅で、何処までも飛んでいけると思ったのだろう。
どうして自分は、人間の体温で溶けてしうほど、弱々しい身体で生まれてきたんだろう。
こんな僕に一体何ができるんだろう?
使命なんてそんなのただの勘違いだったんじゃないのか?
もし、雪虫が人間だったら涙を流していたことでしょう。
しかし雪虫は人間ではなく虫なので泣けません。
ただただ女の子の手のひらのうえで弱っていくことしかできません。
そんな時でした。
雪虫を捕まえた女の子のお友達が、女の子が話しかけした。
「雪虫が降りてきたってことは、もうすぐ雪が降るね」
「ほんとう?楽しみだなぁ!」
女の子たちの弾んだ声に、雪虫は驚きました。
だって今まで出逢ったアリもクモも冬を嫌っていたからです。
それなのに女の子たちは"楽しみ"だなんていうのです。
――僕が雪虫だから……?
そのことに辿り着いたとき、雪虫は今度こそ泣けるんじゃないかと思いました。
嬉しくて嬉しくて、身体中からしとしとと、涙が溢れました。
心は反対に、とても晴れやかな気分です。
女の子の手の中で、スーっと白い体毛が溶けて消えていくごとに、なんだかふわふわと心地良い気分になるのです。
――おかしいなぁ。翅は破れて湿ってて、ちっとも飛べやしないのに。
そんなことを思いながら、雪虫は女の子の手のひらへ吸い込まれていきました。
あっというまに、手のひらの中には誰もいなくなりました。
女の子は首をかしげました。
友達と話している隙に、あの可愛らしい雪の使いが消えてしまったのです。
女の子はちょっぴり残念に思いましたが、じきに興味がなくなり帰り道を急ぎます。
胸のあたりがひんやりと、だけどとても優しくなる。
不思議な不思議な気持ちになりながら。
-終-
――――――――――――
ここまでお読みいただきありがとうございます。
感想などありましたらお聞かせください。
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追記
素敵なレビューとコメントをありがとうございます。
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『雪虫』 メルバニアン @mel82an
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