第39話

「あ、起こしちゃった⁉ ごめんなさい」

「え? 千春。なんでいるの? もしかしてもう夕方なのか?」


 千春を送り出したのが朝の9時頃。その後寝たにして、千春が帰宅するのは夕方5時くらいだったはず。

 1,2,3……8時間? 8時間近く寝てしまったのか。ぱっと暗算ができず、指折り数えてしまう。まだ頭には靄がかかっているみたいだ。


「ううん。まだお昼前だよ」

「え? じゃぁどうしているんだ? だって、今日の大会会場って近くないよな」


 確か県庁所在地にある県立スポーツ施設だって言っていたもんな。公共交通機関使ってざっくり1時間は優にかかる距離だったと思うが。


「帰ってきたんだぁ」

「帰ってきたって、会場には行かなかったのか? 試合はどうした?」


「行ったよー。行ってカオルくんに頑張ってって言ってそのまま帰ってきたぁ」

「試合見てこなかったのか?」


「うん」

「なんで?」


「カオルくんの試合は他の子でも応援できるけど、アンタの面倒を見るのはウチしかいないから。かなぁ~」


 まったく。


 往復2時間もかけて、愛しの人に一言声をかけるだけで帰ってきちまうなんて、ほんと馬鹿をやるにも程があるってもんだよ。


「……ありがと。じっさい助かる」


「ウチはアンタの奥さんだからね。気にすることじゃないよー。で、調子はどうなのよ? 寝ていたみたいだけど、少しは良くなったかなー?」


「なんとなく熱は落ち着いた気がするけど、怠いし起きるのも億劫なのは変わらない感じだな」


「ふーん。とりまお熱測っておこうねー」

 不意に毛布とシャツの裾を捲られ、体温計を脇の下に差し込まれた。


「おいっ、何するんだよ」

「いーの、いーの。アンタは何もしないでされるがままで看病させられなさいよ」


 なにが『いーの』だ。汗かいてベタついている肌に冷たい千春の手が当たってビクってなっちまったろ!


 驚いてやや気が動転したことはおくびにも出さないで悪態ついたけれど。


「うーん。熱が下がったなんてことはまったくないぞー。38度ちょうど。8分下がってもこんなの誤差だよ。それじゃ怠いに決まっているよね」


 ちょっとだけ熱が下がっただけだが、寝る前みたいに悪寒が無いだけだいぶマシだと思う。


 千春は体温計をしまうと次に俺のタンスを漁り始める。


「なぁ、何しているんだ? そんな所漁っても面白いものなんか出てこないぞ」


 エロ本とかそういった類のものは家に持ち込んでいない。今は全部デジタルだからね。


「別に面白いもの探しているわけじゃないよ。あった、シャツに下着に替えのジャージ。どれでもいいよね。ただの着替えだし、寝てるだけだもんねー」


「はい? 着替え?」


「そうだよ。今肌に触ったら汗かいているし、シャツも湿っぽくなっていたよ。着替えてまたいっぱい汗かかないと治らないよー」


 怠いし着替えなんか後ででいいのに。服脱ぐのもかったるい……。


「はい、結月クーン。ばんざーい」

「?」


「ほれ、バンザイして。シャツ脱がすから」

「やだよ。着替えさせてもらうなんて恥ずい」


「ウルサイ。恥ずい言うな。ウチも我慢しているんだからアンタも事務的にちゃっちゃか着替えるの! 病人がつべこべ言わないっ」


 なんだかわからないけど怒られた。ここで反抗する気力も起きず千春に従う。普段病気などにならないせいなのか偶の病に相当心身ともに弱っているらしい。


 Tシャツを脱がされ、どうせだからと身体をタオルで拭かれる。冷たく濡らされたタオルが熱い身体に心地いい。


「ズボンとパンツは自分で着替えてね。ウチは一旦外に出るから。でもどうしても着替えられないなら呼んでね。てつだって、あ、げ、る」


「余計なこと言わなくていいから……」


 オフザケに付き合っていられるほどこっちは元気じゃねぇっつ―の。はぁ、仕方ない。着替えるか……。


 立ち上がるとまだ頭痛がするのでベッドに寝転んだままだらしなくズボンとパンツを脱いでいく。


「終わった?」

「ああ、着替えた。ありがとうな、さっぱりした」


「良かったぁ。ねえ、お昼だけど食欲はある?」

 そういえば朝は薬を飲むのにバナナ半分がやっとだったんだよな。んー、悪寒がなくなったらちょっと腹減ったかも。


「うん、腹減った。あんまり食べれる気はしないけどね」

「じゃあ、軽く食べられるようなもの、そうだな、うどんがあったね。それを茹でてくるね」


 ありがたくて思わず千春に手を合わせてしまった。

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