第9話 チャーム

「えっと、大丈夫?」


 私はしりもちをついた男子生徒の様子をうかがった。見た感じではケガをしたフインキもない。けど、その確証もないし、ぶつかってしまったのは後ろを向て歩いた私のせいだから、早く確かめたくて。そもそも気も動転していたのだと思う。大丈夫、心配ないよ――をとって。とにかく助けおこそうと、私は体を屈めて男子生徒に右腕を差しだした。


 あっけに取られていた男子生徒は、私の右手をとろうと、左手を出してきた――私はそう思ったのだけど、あっけに取られた表情のままに男子生徒は私の体へ腕をのばし、二腕のあたりを取ろうとして――つかみかけた、その時――


 横手から腕が急にのびてきて、男子生徒の左手首をつかんでいた。男子生徒が私の右側へ視線を向けたから、私もつられてそちらを見るとユウくんの顔があった。そのユウくんの顔はとても厳しいもので、それこそ男子生徒を射抜こうとするほどに鋭い目つきをしていた。


「キミ……大丈夫?!」


 ユウくんの男子生徒にかけた声も重々しくて、言葉は男子生徒を心配しているようでも、男子生徒に『何をしている?』と問いかけているようで。その言葉を投げかけられ、男子生徒はようやく自分を取りもどしたように見えた。


「さあ、立ち上がれる――かい?」

「あ――はいっ!」


 ユウくんの顔から少しだけ力が抜けたように見えた。ついさっきの言葉と違って、努めて冷静に話しているように思える。それでも迫力を感じたみたいで、男子生徒は飛びおき、身近に転がっていた学校指定のカバンからこぼれ出た教科書にスマホ、それから手提げバッグを急ぎ拾って――


「ご、ごめんなさい!」


 私やユウくんへ向けて一度二度と頭を下げ、一年の教室のある建屋の方へ走りさり――二階への階段がある方ではなく、一階の1組から4組のある方へと廊下の突きあたりを曲がって行った。私は男子生徒のフインキの変わりようにポカンとするだけになって。ユウくんは男子生徒の行動を見とどけてから私に振り返り――


「リオちゃんは大丈夫だった?」

「うん、何ともなかった」


 ユウくんがとても心配そうに声をかけるから、私も安心させたくて大丈夫と答えたのだけど、ちょっとだけ背中が痛い。学校指定カバンはリュックのようにも背おえるタイプだから背おっていた。カバンの中の教科書たちを男子生徒との間にはさんでしまったから、出っぱりに突っこんだ感じでちょっと痛む。


「リオさん、大丈夫ですか?」

「う、うん」


 私を心配して、廊下に進みでていたケーコがもどってきた。ケーコには背中の痛みがバレていそうで、少しあいまいに笑ってみせる。そしてケーコに、どうして男子生徒が倒れたのか問いただされて――


「後ろ向きに歩いては危険ですよ?」

「だね。ほんと、ごめん」

「謝るなら、ぶつかってしまった彼にです」


 そう言われてはぐうの音もでない。ケーコの言うとおり、ぶつかってしまった男子生徒に謝らないといけないと思う。ケーコは怒ると迫力があるんだもん……


「でもリオさん、どうして……」


 けれど、同時に何かについて納得いかない、そんな顔つきになり。ユウくんも妙に押しだまってしまい、静寂に満ちて。やり玉に挙げられたような状態に心あたりがなくて、私は内心で右往左往していた。ケーコは私に問おうとして――でも一度言葉を切ったのだけど――


「いそげ、いそげ、いそげ――」


 息せきを切らせて、昇降口になっちがやってきた。ランニングシューズを脱ぎカーペットに上がったところで、私たち三人が未だ昇降口にいることに気づき、その様子になっちはキョトンとしながら言葉を投げてきた。


「三人固まって何してん? もうすぐ始業のチャイム――鳴る、よ?」


 その言葉に三人でハッとした顔になり、自分たちの教室へとダッシュした――


「あー、ちょっ、待つよー」


 なっちの悲鳴を置きざりにしながら――


   ◇◆◇


「――気が動転していて、彼の名札、見てなかったの」


 一時間目が終っての休み時間に、いつものようにユウくんと私の席のあたりで――さとさとやなっちも巻きこんで、朝のできごとを相談していた。男子生徒のことは私もユウくんもケーコも知らなくて、謝罪に行こうとしても何組かが分からなかった。名札さえ記憶してれば簡単だったけれど。学年も組名も名前も載っているのだから。


「そうすると、しらみつぶしに教室を見てまわるしかねーな、リオリオよ?」

「あー、だるそー」


 さとさとには最終手段ぐらいしかないと指摘され、なっちにはドヨンとした声で面倒と切りすてられる。そうそう良い手はないと私も思ってはいたけれど。でも、悪いのは私なのだから、せめて探す努力はしてみせないと。だから――


「それでね。さとさとにも、なっちにも、教室を見てまわるのにお付きあい――お願いできない?」


 そう言葉を告げながら、私は頭を下げた。さとさととなっちは、二人顔を見あわせて、それから私に向きなおり――


「はあ、しゃーねーなぁ。そこまでされて受けないなら、さとさとの名折れだぜ」

「ま、次の休み時間でよけりゃ、付きあったげる」

「二人ともありがとう」

「ぼくからもお礼を言わせてもらうよ」


 二人は聞き容れてくれて。私は――ユウくんも――二人に感謝を伝えた。それまで多くは語らなかったケーコから提案があって――


「でしたら、私は三組を回るときには、同じバド部の子にも話を聞いてみますね。部活でペアを組んでますから」

「そういうことなら、おれは四組のときにサッカー部の連中に聞いてみる」

「じゃ、あたしは二組の女バスの子ね」


 ただ見てまわるだだけでなく、各教室の知りあいに聞きこみをしてみようとなって――すべてを三人に委ねるわけにもいかないから――


「一組はぼくらで何とかするよ」


 一組なら卓球部つながりでお話しできる子もいるから、ユウくんや私でも何とか聞きこみはできそうで。二時間目の休み時間から一階の一組から四組を回ることになった。


 お話はまとまった――そう思い、解散の意味も込めて『次の休み時間から、よろしくお願いします』と声を出そうとしたとき――


「お話がまとまったところで、リオさんにお少しお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」


 そう、先にケーコが切りだした。反射的に私はうなずいて、問われたのは――


「彼を助けおこそうとされたとき、何をお考えでいらっしゃいましたか。お聞かせ願えませんか?」


 そういえば朝のときも、ケーコは何かを聞きたそうにしていた。あらためて聞いてくるケーコの意図が分からなくて。あの時は気が動転したぐらい内心大あわてだったし、何からすれば良いかと困っていたし、結局はケガをしていないか確かめないと、そう思っただけ……のはず。だから、考えをまとめながら話すことにして――


「聞いてきた意味がよく分かんないけど……彼がケガをしてないか早く確かめたいと思って……ああ、そうだ……目に見えてのケガは無さそうだったから、彼に安心してほしい……と思って、そう思えるように表情を……」


 思い返して見えれば。ぶつかってしまった男子生徒も、自分の身に起きたことにとまどったはずで。急なことに男子生徒も自身のことに思いが及んでいないように見えたし。だから、目にみえたケガはないと安心感を与えたいとも思ったんだ。言葉が途ぎれつつも、そう話をつなげていると――


「ありがとうございます、リオさん。もう結構ですよ」

「――えっ」


 どこか探るような目つきに見えたケーコも、表情をもどし――うんん、笑顔を作っているようで――


「彼を助けおこそうとしたとき、どうしてのか、とても気になっていたのです。それも大変にまばゆい笑顔でしたので」


 ケーコの言葉を受けて、私は思わず自分の顔をペタペタ触っていた。そして、ユウくんも、なっちも、何かに納得がいったという顔つきでうなずいていて。ただ、さとさとだけが、的を得られないと言いたげな表情になって――


「ツシツシよ、もう少し分かりやすく頼む。リオリオが笑顔を見せると、どうなるんだ?」

「あくまで可能性のお話ではありますが、くだんの彼がリオさんにご好意をお持ちになってしまいます。そうなっては大変に面倒なことですから」


 ケーコの説明に、さとさとは今度こそ的を得たという顔を作り、握った手をもう片方の手のひらに軽く打ちおろしていた。私も横で聞いていて、中学校の入学前にさよ姉から受けた注意のことを思いだしていた。自分自身のことはいえ、そう簡単に直せそうもないクセに頭を抱えたくなった。


「それに、リオさんに浮気心がなくて安心しました」

「いや、それは――」


 さらにケーコは笑みを深めて爆弾を落とした。ユウくん以外の男子に笑顔を見せるのは、そういう意味での場合もあるかもしれない。でも、私にはその気は全くない。反射的に、ありえないと、言い返そうとしたのだけど――ケーコはぴしゃりと私の言葉を断ちきり――


「今朝の登校のときもお話いたしましたけれど、リオさんは時にご自覚が薄いようですから、周囲でも気をつけておきましょう。リオさんも表情をお作りになるときは、知人か他人かご意識なされますよう、お願いいたしますね」

「あ、はい」


 ひさびさのケーコのご高説を拝した私は、コクコクうなずきながら返事をして。みんなもまたウンウンとうなずいていた。


「それでは次の――二時間目の休み時間から、くだんの彼を探しに参りましょう」


 いつの間にか、ケーコに朝のできごとの相談の場を閉められていた――

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