19 後悔のないように






 アイザックは頭をかき、数秒の間をおいて、気まずそうに私を見遣った。


「アイリス、大丈夫か? 身体は……痛いところは?」

「だい、じょうぶよ」


 私が答えると、アイザックは大きく息を吐きながら、ベッドに顔を突っ伏した。

 そして、ぽつりぽつりと話し出す。


「……おれが部屋に入ったときには、アイリスひとりだったけど―――あの時、モトーリオに捕まってたんだろ?」


 ロニーは私に、《誰にされたのか》ということは聞いてこなかった。しかしふたりとも、予想はつけていたようだ。


 私は頷き、会場からトイレに行き、その後起こったことについて説明をした。

 アイザックはますます項垂れ、掠れた声を出す。


「おれが近くに居たのに、なんて謝っていいか……」

「大丈夫。縛られてはいたけど……なにかされたわけじゃないから」

「でも、でも、制服がはだけてた!!」

「そ、それも……未遂だから。だいじょうぶ」

「ほんとに!?」

「うん、大丈夫。……心配かけて、ごめんね」


 アイザックの瞳は、ゆらゆらと潤んでいた。

 こんなふうに心配されるようなことをされたのだと、ようやく自分の状況を理解する。そのとたん、自然と指先が震えだした。


「それでも……怖かったよな。守れなくて、ごめん」


 小さく震える私の指先に、アイザックはそっと手を重ねた。手のぬくもりが心地よくて、気持ちがまた、落ち着いてゆく。


「……守ってくれたよ。鳥さん、飛ばしてくれたんでしょ」

「あれはアイリスが作ってくれたものだ。おれが何かしたわけじゃない」

「術を発動しなければ、あの鳥は勝手に動くわけじゃない。アイザック、あなたが私を見つけてくれたの」


 私は、アイザックの手を握り返す。


「本当に、ありがとう」


 アイザックはますます目を潤ませて、唇をかんだ。


「つらくないか?」

「だいじょうぶ」

『痛くないか。泣きたくはないか。どうしたら君の気持ちを、軽くできる?』

『大丈夫よ、アイザック。あなたのほうが、つらそう』

『つらいよ。

 大切な人が傷つけられて、つらい。心底つらい。時間が戻せたらと思うくらい』


 アイザックはもどかしくなったのか、途中からヨキオット語で話し出した。

 自分を責めるように言いながら、私の手を両手で包み、ぎゅっと力をこめる。


『アイリス。おれは、君のことが好きなんだ』


 飾らない、まっすぐな言葉に、胸が痛む。

 もう恋はしないと決めた、その想いが、なぜか揺らいでしまう。


『アイザック……』

『卒業するまで、返事はいらない。今まで通り、接してくれたらいい』


 あとに続いたのは、思いがけないセリフだった。


『そ、卒業って、まだ2年以上もあるのに?』

『本当はアイリスが……もう一度恋愛をしてもいいと心から思えるようになるまで、待つつもりだったんだ。

 でも……いま言っておかないと、後悔しそうだったから―――』


 あまりにも誠実なアイザックの言葉に、私はなにも返せなかった。

 私の思いを汲みとり、そのうえで、2年も待つと言ってくれているのだ。


『あぁっ、でも、いまの時点ですごく嫌悪感があるとかなら、言ってくれ!!

 おれたぶん、アイリスを好きなの、隠せないと思うし……』

『け、嫌悪感なんて、そんなのあったら、デートなんて行かないよ』

『えっ、あ、そっか』


 アイザックは顔を真っ赤にしながら、頭を掻いた。

 私は戸惑いながらも、アイザックに尋ねる。


『前も聞いたけど……気にならないの? 私は本当はあなたより年上だし、離婚歴もあるのに』

『うーん……目の前のアイリスは同い年にしか見えないし、実感がわかないってのもあるけど』


 ベッドに預けた腕に頬を寄せながら、アイザックはやさしい瞳をむける。


『おれはアイリスの見た目とか、身分とか、過去とか、そんなのに惚れたんじゃない。

 おれが接してきたアイリスそのものが、好きなんだ。過去のこともひっくるめて、アイリスのことなら、受け止められる』


 ぎゅうっと、胸が、わしづかみされる。


『それじゃ、ダメ?』


 アイザックは、ずっと私にやさしかった。いつだって誠実で、まっすぐ私に向き合ってくれた。

 私の過去を聞いても引くどころか、私が強くなれるよう、立ち向かえるよう、力を与えてくれた。


(こわい、けど。ここで逃げてしまうのも、ちがう気がする)


 私はアイザックの手を引き立ち上がらせると、ベッドサイドに座るよう促した。

 迷いながら、ぽつぽつ、ことばを紡ぐ。


『今はまだ、恋人をつくるとか……考えられないけど。アイザックの気持ちは……』

『おれの気持ちは?』

『い、いやじゃないし、う……うれしい……』


 だから待ってて、と。そう言おうとしたけれど。


『かわいいっっ!!!』

『きゃあっ!!』


 大喜びで私に抱きついてきたアイザックに、遮られてしまった。

 ぎゅうぎゅうとアイザックの腕の中で押しつぶされながら、なんとかもがいて抜け出す。


『待って、待って! そもそもあなた、何者なの!?

 こんな、大使館を出入りできるなんて……どういうこと!?』

『ロニーがその説明をしなかったのなら、おれからは言えない』

『な、なんで!』

『余計なこと言ったら、国に送り返されちゃうから』

『国にぃ!?』


 結局アイザックの話は、要領を得ず。

 ロニーにもやんわり尋ねてみたけど、「そのうちわかります」とだけ言われはぐらかされた。





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