第8話 『これ美味しいモシャ』
【ЯКइआःГДТАШАнḖगСЋБР】
ゴブリンが何か言っている。でもなんて言っているか、残念なことに分からないんだよな……て、ん? あれ?
一拍遅れて、
【これ美味し――……】
意味がなんとなく理解できた気がした。亮介はハッとして菱屋あかりのほうを振り返った。
「――今さ、『これ美味しいニョロ』って言ったよね?」
彼女も同時に喋り出していた。
「――今さ、『これ美味しいモシャ』って言ったよね?」
ガーン――……不可解な語尾の食い違い……!
ふたりともなんとなく恥ずかしくなり、頬を赤らめて俯(うつむ)いてしまった。
上手く説明できないのだが、先の行き違いにより、性癖の違いがはっきりと出てしまったかのような、奇妙な気まずさを感じたのだ。
彼女が髪を耳にかけながら、あさっての方向を見て言う。
「……ゴブリンが『これ美味しい』って言ったぁ……」
あ、さっき口走った『モシャ』の部分、サラッと抹消(まっしょう)したぁ……。亮介はそのことに気づいたが、学校生活の中で他者への気遣いを学んでいたので、あえて口には出さなかった。
そういえば……と亮介はずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「そもそも菱屋さんはなんでゴブリンを家に連れ帰ったの?」
「連れ帰るつもりはなかったの」
彼女が正座になり、困ったように眉尻を下げる。
「あのね、初めは自販機の取り出し口から緑の手が出ているのを見て、『これどうなっているの?』と思ったわけ――ゴブリンどうこうじゃなく、取り出し口の狭さと、奥に収まっている体の大きさが釣り合っていない気がして」
「あー……」
確かに想像してみると、ドリンクの缶自体が、人の腕くらいの太さだものね。自販機の取り出し口は大きめに設計してあるとはいえ、そこまで広く作られているわけじゃない。目の前のゴブリンは小っちゃい子供くらいの身長があるから、どう見てもあの中には収まりきらないよなぁ……。
彼女が続ける。
「バラバラ死体って感じでもないし、何がどうなったら『あそこ』に嵌(は)まることができたのか気になって。ゴブリンの手を掴んでみたのね?」
やだもう……飛躍がすごいな……亮介は半目になる。
なんか分からないけれど、ノーベル賞を取った人の体験談を聞いているみたい。そもそもは『偶然』からスタートしたのだとしても、それを受けての二歩目の踏み出し方が普通じゃないというか。
「そしたらニュルーンて」
「ん?」
「ニュルーンて出て来ちゃって。全部一気に押し出されてきたから、もう途中で『やっぱりやめた』ができなくて」
「………………」
こちらが黙り込んだせいか、彼女がワタワタ両手を動かして慌て出す。
「私のせいじゃないもん、不可抗力――ピュンて出て来ちゃったんだもん。仕方がないから、アスファルトの上でぐったりしているゴブリンを担(かつ)いでね、警察に連れて行こうとしたの。それで道を歩いていると、向こうから近所の人が来て――『この状況をどう説明したらいいの?』ってパニクっちゃって。ちょうど自宅の前だったから、気づいた時にはゴブリンを中に連れ込んでいた」
まぁ流れは分かったんだけれど、なんていうかさ。
「そもそも菱屋さんがゴブリンの手を引っ張ったせいだよね? それでご近所さんに顔向けできない状況になった」
「でもミッチミチに取り出し口のところに詰まっていたんだよ? 構造的に気になるじゃん? 骨とかどうなってんの? みたいな」
骨と言われても……自販機の取り出し口が異世界と繋がる特異なポイントなのだろうから、地球の法則は無視されるんじゃないの? 詳しいことは分かんないけどさ。
「僕は気にならない。百歩譲って気になったとしても、ゴブリンの腕を引っ張るなんていう無謀(むぼう)なことはしない」
実際にその場にいたら菱屋さんと同じことをしたかもしれないけれど、立場上、全否定しておいた。やはり巻き込まれたほうとしてはね……彼女がゴブリンの手を好奇心で引っ張ったせいで、今ものすごく面倒なことになっているのだし。
すると彼女がむぅと膨れる。
「もー……気になるのが普通だよ。気にならないって言い切れちゃう南町くんって、サイコパスなんじゃない?」
これはひどい。ボランティアで君の家にまで来てあげたのに、『サイコパス』呼ばわりするとは。
「菱屋さん、ひどいぞ」
「南町くんがひどいんじゃん。私のことを一方的に責めるから……」
ジワ……と涙目になって訴えられ、『う』となった。
「……確かに、僕は意地悪だったかも」
ちょっと反省。確かに意地悪だった……あれ? これ、可愛い子に意地悪しちゃう的なやつ? うわぁ……もう高校生なのに恥ずかしい。
言い訳になっちゃうけれど、ゴブリンと対面するってなって、ものすごく神経を使ったんだよ……自覚している以上に精神に負荷がかかっていたのかも。
だけどそれって彼女も同じなんだよな。これまでの僕の態度は思い遣りのかけらもなかったかもしれない。
なんだか頭痛がしてきた。
「僕……自覚したことがなかったんだけど、菱屋さんが言うとおりドSなのかも」
「え?」
「どうしよう……将来結婚して、奥さんにうっかりドS対応してしまい、嫌われたら……」
「それは大丈夫だよ、ドMの女の子と結婚すればいい」
「なるほど?」
目から鱗(うろこ)! 需要と供給が完璧に釣り合っている――まぁそもそも僕が本当にドSなのか? これが一時の気の迷いなのか? という問題はあるが。
「ドSを気にすることないよ? 私はね、ドMだから」
正座で頬を染めてニコニコして、とんでもないことを言う彼女。
さっきまで涙目だったのに……突然性癖をカミングアウトするなんて、彼女もゴブリンの件で心労がたまっていたんだな。
亮介は生温い目で菱屋あかりを眺めた。
「そっか……それなら刺繍かランニングといった趣味をオススメするよ。どちらも根気――つまりMっ気(け)がないとできない」
先ほどの反省を生かして、優しく対応してみた。
穏やかな笑みで告げてやると、彼女がスン……と無表情になり。
おお、さすが美少女。笑みを消すと、人形のように整った顔立ちが強調されるなぁ。
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