第7話 そこはかとなく漂うエロス


 亮介は念のため閉じたドアノブを強めに押さえた。その状態で作戦会議。


 彼女が「あー」と眉根を寄せる。


「ごめんだけど、南町くん――うち、拳銃ないんだわぁ」


「当たり前だろう。あったら縁を切るよ」


 大体さ、そんなものを使ったとしたら、夕方のニュースに出ちゃうだろ……『モブ系男子高校生、人気クラスメイトの自宅で拳銃発砲』『彼女の部屋にいたゴブリンが凶悪な顔で睨んできたから、と語る』……ゾッとしちゃうよね。


「でもゴブリンって脳に銃弾をブチ当てないと倒せないよね?」


「それ、アンデッドの倒し方だろう?」


「あ!」


 間違いに気づき、赤面する彼女。


「やだ~、間違っちゃった~、ハズ」


「恥じるなら、ゴブリンを持ち帰った時点でおおいに恥じてほしかった」


 そう責めてはみたものの、喋っていたら段々と楽観的になってきた。


 人生で初めて経験するが、これは『ランナーズハイ』に似た『ゴブリンハイ』という現象かもしれない。普通の男子高校生が、ゴブリンという種を受け入れ始めている……。


「ねぇ菱屋さん、もう一回開けてみていい?」


 亮介は少しだけ熱を込めて質問してみた。


「え、本気?」


 彼女が困ったような顔になる。


「本気。サッと開けて、サッと閉めるから」


「えー……」


「一瞬」


「あー……」


「ちょっとだけ」


「むー……」


「怖かったらすぐやめる」


「んー……」


「一回だけ、どうしても」


「ふあー……」


「お願い」


「むふー……」


 なんでこの子、段々赤面してきているの?


「大丈夫? 菱屋さん」


「そこはかとなく漂うエロス……」


「……本当に大丈夫なのか、いい加減、病院に行け」


 そろそろドン引きだよ。


 ふと思ったんだけどさ、目の前にいる『理解不能な変態美少女』よりも、ステンレスカゴから出ることなく『分かりやすく威嚇してくるゴブリン』のほうがまだマシなんじゃない? あちらのほうが『まっとうな存在』のように感じられる。


 それでまた彼女への制裁(せいさい)の意味で、予告なくサッとドアノブを捻ってやった。


 ふたたびドアオープン……!


 これに驚いた彼女が懲(こ)りずに『ギャッ』という顔をして、ステンレスカゴの中では『シャーッ!』と威嚇してくるゴブリン。


 すごいや。数分前と寸分(すんぶん)たがわぬ光景……まさに時間の浪費!


 亮介はドアを開いたまま床に膝をつき、指をクイクイと動かしてみた。「チチチ」と小さく舌を鳴らしてみる。


 すると『シャーッ!』となっていたゴブリンが黙った。じーっとこちらを見返してくる。


「あれ……なんかよくよく見てみると可愛いなぁ」


 ちょっとだけデレる亮介。


 彼女も隣に膝をついた。


「そうだねー、耳がちょっと尖っているせいか、フォルムが小動物っぽいよね。モコモコしているわけじゃないけれど、薄目で見ると『緑色のタヌキ』みたいな」


 これを聞き、亮介はヒヤッとしてしまう。


 菱屋さん……緑色の『色』の部分は絶対に省かないでくれよ……ここだけの会話だからいいけれども、それでも企業さんに怒られそうだからな。


「背丈も八十センチくらい?」彼女が続ける。「なんちゅーか可愛いサイズだよね」


「ステンレスカゴにすっぽり入っているもんね」


「あれ、洗濯カゴなんだぁ。普通は洗濯カゴって円形で深さのあるやつを使うと思うんだけど、うちはあの四角く平べったいタイプなの」


 うわ、死ぬほどどうでもいい情報……亮介が無の表情を浮かべていると、


「よーしよし、大丈夫、私たちは敵じゃないよ~? 君を傷つけないよ~?」


 彼女が慈愛に満ちた笑みでそう言うので、亮介は呆れてしまった。


 ……君さ、さっき拳銃がないことをちょっと悔しがっていたよね? ゴブリンの脳に銃弾をブチ当てる話を、たった数分前にしていたよね?


 先方のゴブリンも彼女のうさん臭さに気づいたのか、ふたたび『ぐるる』状態になりかける。


「あのさ、菱屋さん」


「何かな」


「君、ちょっと黙っててくれる?」


「………………」


 なんだろう、この顔。『無』と『怒り』と『やるせなさ』をごっちゃ煮にしたような複雑な表情だな。……よく分からないから、彼女のことは放っておこう。


「あのゴブリン、お腹が空いているのかな?」


 亮介は小首を傾げながら、スクールバッグを探った。確かおやつが入っていたはず。


「あった」


 三本入りのみたらし団子のパックを取り出す。


 彼女がギョッとした顔でこちらを見た。


「南町くん、おやつのセンス渋すぎない?」


「いつもコレを食べているわけじゃない。たまたまだよ」


 パックのシールを破りながら、上蓋を開ける。


「うーん、いきなり渡しても警戒して食べないかなー」


「南町くんが先に食べてみせたら?」


「なるほど」


 団子を一本容器から出す。モチだから、はがす時の引きが若干強い。


「菱屋さんも一本どう?」


「わ、ありがと~」


 へへ、と嬉しそうに微笑む彼女はとても可憐だった。本当にさ、『ケツを揉む』とか阿呆なことさえ口走らなければ、君は学校一可憐な美少女ってことでなんら問題がないのに……なんだか残念でホロッときちゃうよ。


 亮介は視線をゴブリンのほうに転じ、手元の団子を指差しながら説明する。


「これ、串の部分は食べられないからね? オモチの部分をこうやって……食べる」


 日本語が通じるとは思えないが、ジェスチャー込みで意図は伝わるだろう。


 一番上の団子をかじると、ムチューとモチが伸びた。


 それで隣を見たらさ、なんと菱屋さんは我関せずでモグモグ普通に食べていたよ……レクチャーする気ゼロだな、この子。


「……おいち♡」


 頬を染める美少女。無駄に可愛い。そう……無駄だ。


 亮介は一本残っている団子のパックを床に置き、狙いをつけて前方に押し出した。


 部屋はフローリングが剥き出しだったので、ス――……と綺麗にパックが滑って行った。


「すご……カーリングみたい!」


 彼女が前のめりになり、目を丸くしている。


 団子パックがステンレスカゴに当たって止まり、ゴブリンはそれを眺めおろしてから、探るようにこちらをジッと見てきた。


「ほらお食べ、ゴブリンくん」


 串からこうやって団子を抜くんだぞーともう一度ジェスチャーで示してやると、ゴブリンがおっかなびっくりカゴから手を伸ばした。


 亮介と菱屋あかりは息を呑んでその光景を見守る。


 ドキドキ……。


 ゴブリンが串を器用に持ち、パックから離そうとして、その粘着力にびっくりしている。


 ……あら可愛い♡


 ふたりともニマニマしてしまう。


 ゴブリンは団子をやっと取り出すことに成功し、くんくん……と匂いを嗅いでから、カプ、と嚙みついた。


 モグモグ、ごくん。


【……――былЖдЕхбмғдНёИПЧГршкаУЮ!!!】


 ゴブリンが謎言語を口にしたあとで、食べかけの団子串を高く掲げ、瞳を輝かせた。


 テレテテッテテ~♪


 それを見守るふたりの人間たちはじんわりハートフルな気持ちになり、手のひらで口元を押さえた。


 そうかそうか、気に入ったかぁ♡ あまじょっぱくて美味しいよねぇ、みたらし団子♡


「菱屋さん、一メートルくらい距離を詰めてみようか?」


「いいね」


 ふたりは膝をついたまま、スス……と前に進んでみた。ゴブリンは団子に気を取られており、こちらを一切警戒していない。いきなり詰めすぎてキレられても怖いので、一メートルほど近づいたところでストップした。


 それからしばらくのあいだ皆で団子を食べた。


 二分後、彼女がボソリと、


「……茶が欲しい」


 足(た)るを知らず、もっと多くを望んでしまう、人の悲しき性(さが)よ――……。


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