第44話 花火

 姉を陽に任せ、光理は鷹良と共に祭りの中心部へとやって来た。少し遠くを見れば、焼きそばの屋台の前に爽子とアルトがいるのが見える。何となく鉢合わせたくなくて、光理は鷹良を引っ張ってその場を離れた。

 境内で屋台が集まっているのはそこだけではない。光理たちは別の場所で鈴カステラとたこ焼きを買い、人の少ない木陰にあるベンチに腰掛ける。


「ほら、一個食べてみろよ。うまいぞ」

「ありがと。……ん、熱いけどおいしい」

「だろ」


 にこりと笑った鷹良の笑顔に胸を高鳴らせ、光理は先程買ったサイダーを一口飲む。喉をシュワシュワとした炭酸が下りて行き、少し目が覚めた。


「……やっと終わった。今日まで長かったな」

「よく頑張ってたもんな。岩永と……姉貴と二人で、光理は部活にも出てたし、傍目には疲れているようには見えなかったみたいだぞ」

「そりゃあ、バレるの照れるから。……ん? って言った?」


 言葉の違和感に気付いた光理が隣を見ると、鷹良が苦笑のような照れ笑いを浮かべる。へへっと少し舌を出した。


「オレは、何となくわかってたんだ。ふとした瞬間に、顔に疲れが見えて。事前に例祭で舞を披露するって聞いていたから、その練習で疲れてんだろうなって思ってたんだ」

「で、でもそんなこと一度も言わなかったじゃない!」

「光理は多分、オレが言っても素直に認めはしなかっただろ? だから、終わるまで待ってようと思ったんだ」

「……そう、なんだ。ありがとう」


 ぽかんとした光理は、頬を染めて目を逸らす。手元の紙袋から鈴カステラを一つ取り出し、口に入れた。甘いそれがじんわりと染みて、光理はクスッと笑う。


「……本当に、前とは別人みたい」

「何か言ったか?」

「何でもない。――あ、あそこの射的やってみたい。行こう!」

「ちょ、引っ張るなって!」


 幸い、たこ焼きは全て食べ終えていた。そんな鷹良の袖を引き、光理は射的の屋台へと駆けて行く。


 それから三十分程後のこと、祭りのフィナーレを飾る花火の打ち上がる時間が近付いて来た。ようやく涙が落ち着いた星南は、陽と共に社務所の裏手にある花火がよく見える空き地に座った。そこには山の上に向かうための石段があり、事前にそこがゆっくりと花火を見られる場所だと父に教えられていたのだ。

 星南は石段に腰掛け、夜風にあたってくしゃみを一つする。


「――さむっ」

「春とはいえ、流石に夜は冷えるよな。……これ着とけ」

「でも、わたしが着たら佐野森くんが寒いよ」

「でも」

「だけど」


 そうした押し問答を数回繰り返し、先に音を上げたのは陽だった。軽く息をつき、星南に「仕方ない」と言って彼女の腰に手をまわす。

 思いがけない展開に、星南はびっくりしてバランスを崩す。そのまま陽の胸に手をつき損ね、飛び込んだ形になってしまう。陽の心臓の音を間近に聞いた星南は、真っ赤に顔を染めた。


「きゃっ。あ……ご、ごめん!」

「別に、良いよ。おれが許可も得ずに触れたのが悪いんだし。くっつけば……少しはしのげるだろ。で、コートの半分は肩にかけといて」


 慌てて離れようとする星南を制し、陽は自分のコートの半分を星南の肩にかけた。男性用で大きめのそれは、くっつけば二人の体を覆ってくれる。星南は暴れまわる心臓の扱いに苦心しつつ、勇気を出して陽の肩に自分の頭を預けた。


「……ありがとう。あったかい」

「そっか。……ああ、始まるみたいだな」


 陽の言う通り、神社の境内にアナウンスが響き渡る。これから花火大会が始まるというものだ。花火師たちの作品の数々をご堪能下さい、と言って締める。

 アナウンスが終わった途端、ヒューッという花火の上がっていく音が聞こえた。一つ目が夜空に弾け、赤や黄色、緑の光を飛び散らせる。

 一つ目の大玉を皮切りに、数え切れない数の花火が夜空を彩る。音が先か咲くのが先か、最早わからない。


「……」

「……」


 何処かでBGMが鳴っている。音楽に合わせ、花火が上がっていく。その美しさに、星南と陽は息を呑んだ。


「……綺麗、だね」

「ああ」

「なんだか、不思議。舞を披露して、ここで佐野森くんと花火見てる。……これも、前世の縁なのかな」

「だとしたら、おれは比古が前世でよかった。自分のことだっていう自覚は今はあるから余計にだな。……思い出さなかったら、こうやって岩永と一緒に花火を見上げることなんてなかっただろうし」

「ふふ、そうかも。岩長姫が、前世の記憶が、佐野森くんと引き合わせてくれた。……好きな人ともう一度会えるなんて、また一緒にいられるなんて奇跡だよね」


 花火を見上げ、星南は目を細めた。隣を見ると、陽も同じように夜空を見上げている。その瞳に映り込む花火の光を綺麗だと思った星南は、ふと自分が舞の途中で見たものを彼に話してみようと決めた。


「――わたし、舞の途中で不思議なものを見たんだ」

「不思議なもの? もしかして、それが泣いた理由か?」

「そうかもしれない。……あのね、岩長姫が見えたの」

「岩長姫が?」

「うん。……佐野森くんたちのずっと後ろで、わたしたちを見て微笑んでた。わたしと目が合って、嬉しそうに笑ったんだ。その顔、神話に語られるような不細工なんかじゃないかったし、とっても可愛かった」


 整った顔立ちとは言えないかもしれない。しかし、人の顔など千差万別で当たり前だ。更に美的感覚も現代とは違うのだから、受ける印象が違って当然だろう。

 星南は岩長姫の笑顔を思い出し、切なげに微笑した。また泣きそうになり、慌てて手の甲で目元を拭う。


「ずっと、夢に出て来る岩長姫は寂しそうにしてたんだ。前世を思い出してからも時々夢を見ていたけど、その度に胸が苦しくなって。いろはにも話してはいたけど、自分が泣いているのは辛かった」


 でも、それももう大丈夫。星南はそう言って、陽に向かって微笑む。


「岩長姫の未練、少しは晴らせたんだと思う。前世の、わたしの未練は……大好きな人に想いを告げられずに死んだことだったから」

「岩永……」

「わたし、もう一度佐野森くんに、比古に出会えて、恋に落ちて、こうやって一緒に居られて幸せだよ。……恥ずかしいけど、これがわたしの気持――わっ」

「――おれもだ、岩永」


 陽に抱き締められ、星南は目を見開く。我慢していた涙が一粒流れ落ち、陽の胸元を濡らす。

 強く腕の中の恋人を抱き締め、陽はかすれた声で彼女の耳元に囁いた。


「ずっと、前世からずっと見ていた。近くにいたのに、見ていることしか出来なかった。お前が苦しんでいる時も、悲しんでいる時も、素知らぬ顔をして世話をすることしか出来なくて。そんな自分が腹立たしくて。それでも傍にいられるならそれで良いと思っていたけれど、今世まで同じではいられなかった」

「さのもりく……っ」

「手を伸ばしちゃいけない人だった。身分が違った。だから、諦めていた。……もう、手放すことは出来ない。千年以上の片想い、覚悟しろよ?」

「――うん。……


 互いの背中に手をまわし、抱き締め合う。互いの心臓の音が疾走していることを知り、笑い合った。それからどちらともなく目を閉じたのは、自然な成り行きだろう。

 二人の影が重なった時、一際大きな歓声が上がる。花火大会最後の大玉が打ち上げられ、虹色の花火が夜空を包み込んだ。

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