第43話 引きずられた

 舞台は成功し、観客の拍手に送られた姉妹は社務所に戻った。しかし、星南の涙は止まる気配がない。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「ごめんね、光理。涙止まんなくって……」


 光理に手を借り、星南は椅子に腰掛けた。そして、何度も何度も衣装の端で涙を拭う。

 そこへ、舞の師匠が娘と共にやって来た。星南の様子にぎょっとしたが、それほど取り乱さずに鞄からハンカチを取り出す。


「二人共、素晴らしかったですよ。さあ、これを使って」

「すみません、師匠。ありがとうございます」

「目も真っ赤ではありませんか。二人は着替えたら、後は自由だと聞いています。光理さんは着替えておいでなさい。その間、ここには私がおりましょう」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


 ペコリと頭を下げ、光理が控室へと去る。

 舞の師匠は、へたりこんだままの星南の隣に腰掛け、ぽんぽんと優しく背中を叩く。リズムを刻むように、ぽんぽんと。


「ゆっくり呼吸して下さい。……そう、うまいですよ。舞に込められた思いに引きずられてしまいましたか?」

「舞に込められた、思いですか?」

「そうです。この舞は、岩長姫たちの世からしばらく後に作り出されたそうです。その時、なんと岩長姫と木花咲夜姫の子孫を名乗る人々がいたとか」

「……!」

「驚きでしょう? 神話では岩長姫は子を残さなかったはずですから、どこまで本当かは、もう調べる術はありませんけれど」


 子孫であったとしてもそうでなかったとしても、その人々は二人の女神に並々ならぬ思いがあったのだろうと師匠は語る。だからこそ、美しい舞を残したのだと。


「彼らの思いが今も舞の中に残っているのでしょう。的外れかもしれませんが、貴女はそれを敏感に感じ取ったのかも」

「……舞に込められた思い」


 ぽたぽたと膝に落ちる涙は、今も止まらない。しかし星南は、師匠の言葉に納得する部分があった。


(作った人々が残した思いに共感したのかはわからないけれど、わたしは多分、少なくとも残っていた岩長姫の思いに自分を重ねたんだ)


 思いを吞み込み、沈黙を守って生きた女性。彼女が口に出来なかった思いが、おそらく舞の中に込められている。きっと舞っている間に聞こえた気がした声は、同調した自分の中から聞こえたものだと星南は思った。

 師匠の温かい手になぐさめられていた星南の耳に、バタバタという複数の足音が聞こえてきた。徐々に大きくなるそれがピタリと止まった時、何故か師匠が自分から離れる。何故かと尋ねようと星南が顔を上げた直後、彼女の視界が何かによって覆われた。

 正しくは、何かに引っ張られて暖かいものに受け止められた。それが何かを知って、星南は耳まで真っ赤に染める。


「――っ!?」

「岩永、お疲れ。よく頑張ったな」

「さ……佐野森くん?」


 止まらなかった涙が止まるくらいには驚いた。胸が苦しくなる程強く抱き締められて、星南は自分の心臓の音が陽に聞こえてしまうのではないかと危ぶんだ。

 比較的細身の陽だが、抱き締められると男子の大きさをより実感させられる。びっくりして固まっていた星南だが、陽が優しく頭を撫でてくれるがために再び目頭が熱くなっていった。


「岩長姫の思いも背負って、よく頑張ったな」

「さの……もりく……っ」


 もう枯れたと思っていた涙が、再び流れ落ちる。きっと酷い顔をしているなと、何処か冷静なもう一人の自分が分析するがすぐに消えてしまった。

 肩を震わせ、星南は陽にしがみつく。陽はそんな彼女を愛しげに見つめていた。


「……光理、お前もお疲れ様だったな」


 二人から少し離れたところで、鷹良が光理に言う。

 実は光理は着替えた後、境内にいた鷹良たちを探して連れて来たのだ。様子のおかしかった姉には、おそらく自分ではなく恋人が寄り添ってあげるべきだろうと思い実行した。

 鷹良にねぎらわれ、光理は軽く胸を張る。そうでしょうと微笑んで見せた。


「お姉ちゃんと、去年からずっと練習していたから。……ねえ、私の舞、どうだったかな?」

「……綺麗だった。いつもと全然違う、大人の雰囲気で。何処かに行ってしまうんじゃないかと思うくらい儚くて、不安になってしまうくらいには」

「私は何処にも行かないよ。その……ありがとう、来てくれて」

「ああ」


 鷹良が光理と目を合わせるために若干膝を曲げ、彼女の顔を覗き込んで笑った。恥ずかしそうに目を逸らした光理の手を取って、鷹良は立ち上がってから光理の手を引く。


「ここは、佐野森に任せて置いたら良いだろ」

「うん。……あ、阪西先輩たちはどうしますか?」

「私たちは屋台飯を幾つか食べに行くよ。ね、アルト」

「イェス。日本の祭りと屋台、楽しみにしていたんだ。ソウコがおすすめを教えてくれると言っていたから」

「じゃ、一旦解散かな? 佐野森先輩、お姉ちゃんをお願いします」

「わかった」


 爽子とハルが最初に去り、光理と鷹良も手を繋いで祭りの中へと消えていく。陽は星南が落ち着くまで彼女を抱き締めていた。


「……ありがと、佐野森くん。やっと落ち着いたよ」

「よかった。少し休んだら……祭りを見ていくか? それとも歩いて帰るか」

「……まだ帰りたくないから、見ていく」

「……わかった」


 星南と陽はしばらく肩を寄せ合って座っていたが、花火の音が聞こえて来るとそれが見える場所まで移動した。美しい光のステージがよく見える場所に移動し、星南は泣きはらした顔で、大輪の花びらを見られそうな夜の空を見つめていた。

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