第42話 奉納

 巫女装束に身を包み、星南は光理と共に控室を出た。楽に合わせゆっくりと歩を進め、舞台を目指す。


「……っ」

「お姉ちゃん、頑張ろ」

「うん」


 控室からは、舞台を囲む人々の輪が見えた。緊張感で固まりそうになった星南の背中を、光理が軽く叩く。妹の手が緊張で震えていることに気付き、星南はぎこちなく微笑んで頷いた。

 独特の曲調は、ともすれば眠気を誘うものだ。星南と光理はその音に導かれ、舞台へと上がる。


「……」

「……」


 ついになる動きで、二人は舞人を演じる。

 かつて共に瓊瓊杵尊へと嫁いだ姉妹は、それぞれ全く違う運命をたどった。人の一生が美しくも儚いものとなった理由には、この姉妹が深く関係していると言われている。

 星南は岩長姫を、光理は木花咲夜姫を演じ、扇を広げてゆったりと舞う。指先まで神経を使い、楽に合わせて踊るのだ。

 舞いながら、星南は自分の中にあるという岩長姫の魂に語り掛けていた。


(岩長姫様、聞こえているんでしょうか? わたし、貴女の願いを叶えられていますか? 少しでも、わたしに生まれ変わってよかったって思ってもらえるでしょうか)


 星南は少しずつ岩長姫であった頃の記憶を取り戻しつつあるが、全てを思い出したわけではない。しかし彼女の思いは深く星南の心に刻まれ、今の星南と過去の岩長姫の心が混ざっている。星南が陽への気持ちを自分のものと確信出来ない理由がここにあった。

 シャンと鈴が鳴る。光理の手にはたくさんの鈴を集めたボンボンのような楽器があり、赤と白のリボンがそこに結ばれ長く伸びている。その鈴の音が鳴る度に、星南の頭の中の霧が晴れていく。


 ――シャン


 星南の頭の中で、岩長姫と比古の出会いの場面が描き出される。

 出会いは、岩長姫がまだ幼い頃のこと。二人はほぼ同い年で、比古は豪族の長だった岩長姫たちの父によって配下の子の中から選ばれた。女の子のように愛らしい見た目をしていた比古は、岩長姫の世話係兼遊び相手として邸で暮らすことになる。

 それから十年以上が経つと、比古はかわいらしさが抜けて精悍な顔つきになっていく。

 ずっと傍にいる幼馴染が、どんどんと男らしくなっていく。それが岩長姫には衝撃的で、徐々に比古をただの世話役と思えなくなっていった。


(わたし、生まれ変わっても彼に惹かれてる。比古殿と佐野森くんは別人だけど同じ人で……。でもこの気持ちは、わたし自身のものだって信じたい)


 始まりは、前世での出会いかもしれない。その時の記憶と感情があったかもしれない。しかし今、それだけではない気持ちで陽に惹かれている。

 陽は不愛想で素っ気なく、そのため人付き合いも苦手だ。しかし本当は人の心をおもんぱかることの出来る優しい性格で、真面目な性格をしている。それを知る人は多くないが、星南には最初から見せてくれていた。


(あ……)


 ふと顔を上げた時、星南と陽の視線が交わる。

 目が合った瞬間、陽が優しく目元を緩ませた。それは愛しいものを見るのと同じ暖かい光を帯びた目で、星南の心臓をドキッとさせる。

 星南が持つのは、鈴ではなく扇だ。シンプルな木の扇に、桜の花が描かれている。柄からは赤と白のリボンが伸び、引きずらないように左手でリボンの一部を手にしたまま舞う。

 雅楽に合わせ、鈴が鳴り衣擦れの音が聞こえる。柔らかく、雅やかに二人の舞人が舞う。


「――っ」


 どくん、と突然胸が痛んだ。唐突なそれに驚き、動きを止めそうになる。しかしこんな中途半端なところで舞を中断するわけにはいかない。星南は呼吸を整えつつ、光理の動きを見ながら舞い続ける。

 その間にも、星南の頭の中には映像が流れ込み続けていた。岩長姫が離縁された瞬間の感情や実家に戻った後の気持ち、更にわずかな供をのみを連れて実家を出た日に目に映った景色など、多岐に渡る。


(これは……岩長姫の……)


 生まれ変わる前の記憶だ。彼女が幼い頃の些細なことから、成長して己の容姿が後ろ指差されるものであることに気付き、息を殺して生き、秘めた恋心を仕舞い込んだままで死ぬまで。

 現代ならば、もしかしたらその容姿は些細な問題であったかもしれない。古代の美的感覚と現代のそれとは、違う可能性が大いにあるから。それでも、当時の女性としてはショックだった。


(あれ……?)


 知らず知らずのうちに、涙が溢れる。その場にしゃがんで泣きじゃくってしまいたくなるが、今は舞台の上だと思い直す。様々な思いが溢れ、星南は扇を握る手にわずかに力を込めた。そうしなければ、座り込んでしまいそうだ。


 ――ありがとう、わたくしを思って下さって。貴女が私の生まれ変わりでよかった。


 優しい声がこだまする。星南は奥歯を噛み締め、懸命に穏やかな世界観を崩さないよう舞い踊った。


「ん……?」

「どうかした? ハル」

「いや」


 一方舞台を見上げる場所で、陽が星南の異変に気付く。誰かの声が聞こえた気がして目だけ動かし正体を探すが、声の主は見付からない。

 首を傾げ舞台を見上げれば、丁度星南が陽の目の前にいて、目にいっぱいの涙をためて扇を広げていた。思わず手を伸ばしかけるが、本番中だと思い留まる。


「どうして……」

「せな、泣いてる? 何処か痛いのかな……」


 陽の隣で、爽子が心配そうに舞台を見上げる。しかし今ここで、泣いている星南に何かをしてやることは出来ない。

 爽子の小声で星南の異変に気付いたアルトと鷹良を含め、四人はやきもきしながら舞の終わりを待った。

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