第41話 祭りの始まり

 バレンタインデーから数週間が経ち、星南と光理の舞の稽古も大詰めだ。明日の夜、例祭にて岩長姫に奉納される。

 決して激しくなく、緩やかな動きで世界観を表現する。それは、現代の音楽や動きに慣れ親しんだ姉妹にとっては至難の業だった。


「それも。今日で終わりだね、お姉ちゃん」

「だね。だから、精一杯やらないと」

「……ねえ、お姉ちゃん。私さ」

「何か言った?」


 蚊の鳴くような小さな声は、春の装いを秘めた風に持ち去られた。聞き取れずに首を傾げる姉に、光理は「何でもないよ」と笑って誤魔化す。

 それよりも、と光理は飲んでいたペットボトルを隣に置いた。顔を上げて見えるのは、雲のない青空だ。


「晴れてよかったよね。そうだ、お姉ちゃんの彼氏は今日来るの?」

「――えっ」

「佐野森先輩、お姉ちゃんと付き合うことになってから、印象が柔らかくなったよね。この前校内で会ったから挨拶したら、珍しく返してくれたよ。素っ気なかったけど」

「素っ気ないのは相変わらずなんだね。でも、確かにそうかもしれない。クラスメイトともちゃんと受け答えして……」


 いつもいつも、陽は受け答えが素っ気ない。人とかかわることが億劫だというのが彼の言葉だが、最近になって必要なことはきちんと言葉にするようになった。更に、面倒くさがっていたアルトや鷹良との関係も緩和している。彼らとかかわる時、少しだけ柔らかい表情をするようになったのだ。


(それが嬉しいんだけど、少しだけ寂しいな)


 星南だけが知っていた、陽の優しい部分。それがクラスメイトに知られることは良いことなのだが、星南にとっては少しだけ複雑だ。

 星南の心情を察してか、光理はクスリと笑って姉の背中をパンッと叩いた。


「乙女してるね、お姉ちゃん」

「かっ、からかわないでよ」

「良いじゃん。……来てくれると良いね、佐野森先輩」

「……。そう、だね」


 切なげに微笑む姉は、妹である光理も見たことのない表情だ。そんな顔させる陽に少しの嫉妬心を抱きつつ、光理は休憩から戻って来た師匠の姿を見付けて気持ちを切り替えた。振り返ると、星南も先程までよりも真剣さを増した表情で立ち上がる。


「さあ、これで最後です。ついて来て下さいね」

「はい」

「はい、お願いします」


 礼儀正しく腰を折る姉妹に頷き、師匠は二人に背を向けた。対して、姉妹は舞台へと上がる。

 例祭本番まで、後三時間。出来ることは少ないが、最後まで気を抜くわけにはいかない。二人は扇を広げ、師匠の視線にさらされながら最後のチェックを行った。


 そして、いよいよ例祭が始まる。暗くなり、境内には提灯に火が入れられる。ぼんやりとしたオレンジ色の炎が辺りを照らし、幻想的な雰囲気を醸し出す。

 夕刻頃から、境内やその周辺道路には屋台が立ち始め、祭りに繰り出す人々が目立つようになる。その中に、黒いパーカーを着た陽の姿があった。


「ハル、凄い人だね」

「お前はでかいから良いけど、勝手に動くなよ」

「勿論、わかっているよ」


 陽に注意されたのは、爽子に引っ張り出されたアルトだ。星南が直接誘ったのは陽と爽子だが、そこにアルトを誘って良いかと提案したのは爽子だ。

 今夜の爽子の装いは、桜の柄の浴衣姿だ。流石にまだ春先で涼しく、その上にストールを羽織っている。

 更に光理が呼んだ鷹良もやって来て、より賑やかになる。


「藤高くんは、光理ちゃんに呼ばれたの?」

「ああ、そうなんだ。晴れの舞台だから、是非来て欲しいと言われたんだ。……それにしても、人出が多いな」

「これが日本のお祭りだね! 凄く久し振りだから、楽しみだよ!」


 テンション高く自分の背中を押すアルトに、陽は辟易していた。しかしそれが嫌だということはなく、手酷く扱うことはない。はいはいと適当に流す程度だ。


「阪西、光理たちの出番迄あとどれくらいだ?」

「んーっ、三十分ってところかな。どうする? 屋台によって軽く食べてから行くのでも良いし、舞の奉納は三十分くらいらしいし、その後で食べに来ても良いし」

「ソウコ、そう言いながらそわそわしているよ。セナの舞が楽しみなんだろう?」

「わかっちゃうかー、流石アルト。私としては、先に場所取りして良いところでせなと光理ちゃんを見たい!」

「ずっときみのことを見てきたからね」


 柔らかく微笑むアルトは、無邪気にはしゃぐ爽子の手を取った。突然の戯れに、爽子は顔を赤くして動きを止める。


「ちょっ……アル……」

「急がないと、良く見える場所が取れなくなるよ? ハル、タカヨシも行こう」

「あ、ああ」

「だな。行こう」


 ずんずんと人ごみの中を進んで行くアルトと爽子を追いながら、陽は昨晩の星南とのメッセージのやり取りを思い出していた。祭りに誘われたのは一週間程前だが、その最終確認という意味があったと思う。


『明日、舞の奉納は何時から始まるんだ?』

『午後七時からだよ。境内にはたくさん屋台が出るし、舞の後は花火も上がるから、楽しめると思う』

『……岩永とは?』

『え?』

『奉納の後、岩永たちは祭りに来ないのか?』

『すぐに解放してもらえるかわからないけど、光理は行くって』

『妹じゃなくて、姉の方』

『……佐野森くんと一緒に回りたい。終わったら連絡するね』

『わかった』


 そんなやり取りをした。我ながら攻めたなと思うが、これが限界とも言う。告白した時もそうだったが、陽は強めに出て後で恥ずかしくなってしまうタイプだ。


(キスなんて、あんな手段で迫るもんじゃないだろうに。焦ったのもあるが……)


 なにぶん、恋もキスも陽にとっては初めての経験だ。少なくとも、今世では。

 悶々と無表情下で考え込んでいた陽は、爽子の「ここだ!」という声を聞いて我に返った。

 本殿の前、屋根付きの舞台が建てられている。その周りを囲むように、見物人たちが集まっていた。

 陽は爽子たちと共に、舞を正面に近い斜めから見られる場所を確保した。そのまま、じっとその時を待つ。


「――来た」


 やがて、午後七時。舞台から太鼓と笛の音が聞こえ始め、人々の視線が本殿の方へと向く。その脇から現れたのは、巫女装束に身を包んだ星南と光理の二人だった。


「……綺麗だ」

「……」


 ぽつりと呟いた鷹良の言葉に、陽は頷くことすら忘れていた。それほどまでに星南の姿は神々しさを備え、彼の心を捉えていた。


(きっと、岩長姫を見ていた比古もこんな気持ちだったんだろうな)


 容貌を理由に離縁された悲劇の女神と、彼女の傍で死ぬまで仕え続けた従者。思いを伝え合うことのなかった二人の魂が今、時を超えて出会っている。その軌跡を思いながら、陽は恋人の姿を見つめていた。

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