最終話 時を超える片想い

「岩長姫様」

「……いろは」


 それは、ある気持ちの良い春の日のこと。邸の中に主の姿を見付けることが出来ずに探していたいろはは、ようやく庭で彼女を見付けた。近付き声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ振り向く。

 振り向いた岩長姫は、目を真っ赤にしていた。つい先程まで泣いていたとわかるその顔に、いろははびっくりして耳を立てる。


「どうなされたんですか、姫様!? 何処かお加減が悪いのですか? 痛むのですか?」

「そ、そうではないの。でも……そう、ここがずきずきと痛むの」


 ここと岩長姫が示したのは、自身の胸だ。胸を両手の指で押さえ、庭の奥を眺めて切なげに目を細める。

 岩長姫の視線の先に何があるのかと、いろはは小さな体を目いっぱい伸ばして草むらの向こう側を見た。すると離れたところで、いろはと同じく姫に使える青年が一人で武術の鍛錬をしている。

 青年を見つめる岩長姫の瞳に籠められた想いを知るいろはは、そっと主に寄り添う。少しでも自分の柔らかな毛並みが、主を癒してくれることを願って。


「……ありがとう、いろは」

「姫様、本当におっしゃらなくて良いのですか?」


 もうすぐ、岩長姫は聖なる方のもとへと嫁ぐことが決まっている。それも、妹と二人で。

 岩長姫の心に以前からある人の面影があることを知っているいろはは、最後の問いかけだとばかりに尋ねる。すると岩長姫は、一度目を閉じてから頷く。


「……わたくしは、一族のために嫁がなければなりません。そこにわたくし自身の想いなど、必要ないのです」

「岩長姫様……」

「さあ、この話はおしまいです。案じさせてしまってごめんなさい、いろは。戻りましょうか」


 いろはを抱き上げ、岩長姫は邸へと戻る。その後ろ姿を、衣擦れの音で彼女の存在に気付いた青年―比古―が見送った。


「――姫様」


 その切ない胸の内が吐露されることは、生きているうちに一度もなかった。ただ見送ることしか、当時の彼には許されなかったのである。



 隣に並ぶ妹―木花咲夜姫―の容貌を目にする度に、岩長姫はため息をかみ殺す。誰も彼もが美しいと称する妹は、この度も相手の男を魅了するだろう。

 自分にはないものを持ち、全てを持ち去ってしまう妹。しかし彼女は姉を敬愛してくれ、それだけが岩長姫を留めさせた。


(――わたくしも、あののように可愛らしい見た目をしていれば愛されたのだろうか。一度で良い。誰かに心から愛されたかった)


 切なる願いは、魂が時を超えて姿かたちを変えることによって花開く。

 花火の夜。木の影から星南と陽の様子を見ていたいろはは、いつかいつかと願っていた光景に喜びを噛み締めていた。


「よかった。ようございましたね、姫様」


 いろはは背を向け、社務所を目指して石段を下りた。そこにある星南の鞄の傍で、彼女の帰りを待つのだ。

 花火が終わり夜に星空が戻ってからも、しばらく二つの影は寄り添っていた。


 ――了

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