第39話 思いの丈とチョコレート

 バレンタインデー当日の放課後、星南はそわそわしながら中庭のベンチに座っていた。遠くから、帰宅する生徒たちの声や部活をする生徒たちの声が聞こえて来る。その声が右から左へ流す程度には、星南は緊張していた。

 妹の光理に比べ、平々凡々な容姿と容貌を持つことが今ほど疎ましく思ったことはない。美人だという自信があれば、もっと堂々とすることが出来たのかもしれないと星南は考えても仕方のないことを考えてしまった。


(ど、どうしよう……)


 星南は己の緊張で体が熱く、二月の寒さを感じないでいた。しかし、風が吹いて思わずくしゃみをする。


「……くしゅんっ」

「――わるい、待たせたな」

「わあぁっ」


 びくっと肩を震わせて顔を上げると、星南の目の前に驚いた顔をした陽が立っていた。自分が声を上げたから驚かせたのだと気付き、星南は慌てて口を両手で覆う。それで声が戻るわけもないのだが、咄嗟の行動だった。

 そんな星南を見つめ、陽は「何だよ、その顔」と軽く吹き出す。笑われて顔を赤らめた星南と一人分の隙間を空けて隣に座った陽は、星南に「それで?」と首を傾げた。


「何か、用があったんだろ? 寒いのに、待たせてすまなかった。寒気とかないか?」

「だっ、大丈夫!」


 人一人分の距離があるとはいえ、至近距離に陽がいる。しかも自分を見つめているとなれば、星南の緊張と恥ずかしさはピークに達した。今にも倒れるか逃げ出したい衝動に駆られるが、じっと堪える。

 鞄の中にはいろはがいて、あれが振動で崩れないように守ってくれていた。体にくっつけた鞄からトンッと突っつかれ、星南は覚悟を決めた。


「……あのね、今日絶対に渡したいものがあったの。そ、爽子ちゃんと一緒に作ったから、おいしいと思う」

「それって……」


 何を渡されるのか、陽は察したらしい。目を丸くする彼の前に、星南は鞄の中から取り出した箱を差し出した。そこには青いリボンがかけられていて、『FOR YOU』と書かれたタグがついている。


「ちょ、チョコレートケーキ。よかったらだけど、貰ってくれると嬉しい……なって」

「そりゃ、嬉しいけど……。おれで良いのか? おれは陰キャだし、藤高みたいに文武両道じゃないし、柳みたいに美形でもない」

「そんなこと、わたしには何の関係もないよ。わたしが……その、好きなのは、佐野森くん自身なんだから」

「まじか……」


 真っ赤な顔で、陽は星南の手から箱を受け取った。しかしそれをどうして良いのかわからず、迷った挙げ句に膝の上に乗せる。


「……どうしよう、目茶苦茶嬉しい。おれも」

「えっ?」

「おれも、前から岩永のことが好きだった。……前世の記憶が戻る前から、お前のこと見てたんだ」

「――っ」


 カッと耳まで赤くして、星南は俯く。ドッドッドッと弾む心臓が痛くて、口から飛び出してしまうのではないかと危惧した。それ程までに嬉しくて、恥ずかしくて、どうしようもない感情に翻弄される。


「えっと……」

「……」


 しどろもどろになってしまった星南を、陽は愛おしそうに眺める。そして星南の前髪に触れようとして、その手を止めた。


「あのさ、触れても良いかな?」

「……んっ」


 星南は精一杯頷き、おそるおそる触れてきた陽の指にゆだねる。陽は俯いて顔にかかった前髪をかき上げ、そのまま星南の頬に触れた。


「……っ!」

「熱くなってる。だけど、外は寒いからな。帰ろう」

「え? あ、うん」

「……ほら」


 手を差し出され、星南は目を丸くして陽を見上げた。すると陽は空いている指で頬をかきつつ、明後日の方向を見る。


「嫌じゃなかったら、と思っただけだ。気にしないでく……」

「嫌なんかじゃないっ」


 星南は咄嗟に陽の手を掴み、照れくさそうに微笑んだ彼に引き上げられる。そして、ゆっくりと指を絡めた。


「もう、大抵のやつは家に帰るか部活だろ」

「うん、そう……だね」

「……帰ろう。このままいたら、ちょっとやばい」


 苦笑して陽は星南の手を引いた。その力は決して強くなく、星南は俯き加減のままでそれに従う。顔も手も熱く、ドキドキという心臓の音が五月蝿くて他の音が耳に届かない。


「……あ、あのっ」

「どうかしたか?」


 信号が赤になり、立ち止まる。その時、星南は言葉に詰まりながら意識して顔を上げた。いつもより一層柔らかく見える陽の表情に、鼓動が止まるのではないかと思う程に速まる。


(でも、これだけは言っておかないと)


 そう考えると、星南の気持ちに冷たい風が吹く。ふと熱が落ち着く心地がして、星南は深呼吸した。そして、もう一度「あのね」と呟く。


「……わたし、自分の気持ちが本当に自分の気持ちなのか自身がなかったんだ」

「どういうことだ?」

「佐野森くんのことが好きだって自覚したのは、いろはと出会ってわたしが岩長姫の生まれ変わりなんだって気付いてからだった。佐野森くんが比古の生まれ変わりだってことも知った後だったから、もしかしたらこの気持ちはわたしのものじゃなくて、岩長姫の気持ちに引きずられているだけなのかもしれないって」


 えへへと頰をかく星南を見つめていた陽は、信号が青になったことを告げる音楽がなっていることに気付く。それは星南も同じで、彼女は陽に向かって「行こう」と笑いかける。


「――っ! 佐野森くん!?」

「……」


 しかし、陽は無言で星南の手を引く。少しだけ力の強いそれに引きずられるようにして、星南は横断歩道を渡った先にある公園へと足を踏み入れた。

 そのまま公園のベンチに座らされる。ベンチは通りからは見えにくい位置にあり、丁度公園内には誰もいない。

 星南はベンチに腰掛けた状態で瞬きをすると、恐る恐る目の前で影を作る陽を見上げる。


「あの……佐野森くん?」

「もしかしたら、岩永は前世に遠慮しているのかもしれないとは思っていたんだ。それがあたっているとは思わなかったけど」


 そう言って、陽はそっと星南の頬に手を伸ばす。二月の気温で冷えてしまった指先が星南の肌に触れ、星南はびくっと体を震わせる。


「佐野森、くん?」

「……岩永。キス、しても良いか?」

「えっ」


 思いがけない陽からの申し出に、星南の思考はショートする。彼の言った意味を理解し、一気に顔に熱が集まる。


「何を、言ってっ!?」

「キス、させて欲しい。おれも得意じゃないけど、お前が自分の気持ちを信じられないんだったら……おれのこと、お前自身に好きになってもらいたい。だから……っ、キ、キスしたら少しはおれの本気度が伝わるよなって思った」

「~~~~~っ」


 やめて。そんなに真剣な顔で言わないで。星南は両手で顔を覆い、俯いて悶える。

 陽はいつも長めの前髪で顔が隠れているため、表情は見えない。しかし、彼の容貌は鷹良に引けを取らないほど整っている。それを知っているのは、学校では星南くらいのものかもしれない。

 俯き顔を隠して微動だにしない星南を案じ、陽は不安になって彼女の前髪に触れた。


「岩永?」

「待って。わたしは中の下以下というか、下の下だから。佐野森くんが眩し過ぎ……」

「そんなことは聞いていない。それに……岩永はかわいい」

「恥ずかしさで死んじゃうから……」


 林檎のように真っ赤な顔をして、星南は顔を上げた。すると目の前で、陽が自分の贈った箱のリボンを解いている。そして、箱を開けた。

 中に入っているのは、作った中で最も綺麗に出来たチョコレートケーキの一ピース。生地の間には生クリームを挟み、上にも絞っている。陽は甘いものが苦手ではないと聞いていたから、きっと大丈夫だと爽子に背中を押されたのだ。


「あの、それ……」

「せっかく作ってくれたから……早めに感想伝えた方が良いかと、思った」

「そ、そっか」


 ベンチに二人で腰かけていて、周囲には誰もいない。新たな緊張の中にいる星南の前で、陽はチョコレートケーキを一口かじった。そして、口元にケーキの欠片をつけて微笑む。


「うまいよ、岩永」

「……ありがとう。あ、ちょっと動かないでね」

「? ……え、あ、岩永!?」


 星南は手を伸ばし、陽の口元についていた欠片を払い落とす。そして「よし」と顔を上げた瞬間、星南は陽との距離が数センチであることに気付く。


「あ……」

「ごめん、後でひっぱたいても良いから」

「何そ……っ」


 問い終わる前に、星南の唇が塞がれる。それはほんのわずかの時間で、呆然としている間に離れてしまった。そして、そのまま星南は陽の腕に閉じ込められる。


(チョコの味し……え? 今キ……)


 脳内がパンクし、処理が出来ない。星南は眩暈を覚えながら、暴れまわる心臓の扱いに困惑していた。

 すると、星南の耳に陽の心臓の音が聞こえて来る。それは彼女と同じくらい速い鼓動で、彼も余裕があるわけではないのだと知った。


「あの、さの……」

「ごめん。おれ今、色々限界だ」

「……わたしも、だよ」


 心臓の音が五月蝿くて、自分の声すら真面に聞こえない。星南は恥ずかしさと緊張の中に、嬉しさが混じっていることを自覚した。そして陽の胸に抱かれている感覚が心地良くて、彼が腕を解くまで星南はじっとしていた。

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