第38話 渡したい
二月十四日は、今週の金曜日はいよいよバレンタインデーだ。更に、その一週間後には春休みが始まる。ここで彼氏彼女を作って休みを一緒に過ごしたい、そう考える生徒は少なからずいるのだ。
そんな生徒は、このクラスにも。朝のホームルーム前、そわそわとする男子生徒の声が響く。
「いいよなぁ、藤高は。可愛い彼女がいてさ!」
「それな。学年一、いや学校一可愛い女子じゃん。ほんと、モテるやつは良いよなぁ」
「お前ら……俺が難なく彼女に認めてもらったみたいに言うのヤメろ。これでも無茶苦茶大変だったんだからな。ってかお前ら知ってるだろうが」
「知ってても羨ましいもんは羨ましいわ」
「そうだぞ。モテ男、自覚しろー」
星南の席からも、鷹良に楽しそうに文句を言う男子生徒二人の声が聞こえた。彼らは、光理と鷹良が付き合うきっかけとなった水族館デートについて来た鷹良の友人たちだ。ぐちぐちと言いながらも、その目は優しい。
「そわそわするよね、この時期って」
爽子がいたずらっぽく笑って言う。それに頷いた星南は、ちらりと隣の席を見た。そこにいるはずの男子生徒は、まだ登校していない。
(佐野森くん、まだかな)
ちらちらと隣を見ている星南に気付き、爽子は苦情を浮かべた。そして、よしよしと親友の頭を撫でる。
星南は瞬きを繰り返し、上目遣いに爽子を見上げた。
「そ、爽子ちゃん?」
「なんか、頭撫でたくなった。心配しなくても、佐野森くんはいつもの時間に来るよ。いつも、そんなに早く来ないでしょ?」
「気にしてるわけじゃ……。はい、すみません」
「素直になりなよ。大丈夫だから」
「う~」
頭をぽんぽんとされ、星南は大人しくされるがままになる。それから数分後、教室の戸が開いて陽が教室に入って来た。
「よう、岩永」
「おはよう、佐野森くん」
「おはよ、佐野森くん」
「……おはよう、阪西」
「ふふっ、私にも挨拶してくれるようになったよね」
爽子が満足そうに笑うと、陽は少し視線を外した。
丁度その時、静かに近付いて来ていたアルトが陽の背中にのしかかった。ずんっと重さがかかり、陽は思わず肘を机に付く。そして、恨めしそうな顔で振り返った。
その時何故か教室の端から悲鳴が上がったが、星南たちはあえてそちらを無視する。
「……柳」
「おはよう、ハル。何を怒っているんだい?」
「お前、絶対楽しんでるだろ」
「ナンノコトカナ?」
ワタシニホンゴワカラナイ。そう言いたげに、アルトはすっとぼけながら陽の背中から退く。
いつの間にか、陽はアルトの過度なスキンシップを適当に流す技を身に着けていた。最初は鬱陶しがって無視していた陽だが、アルトは一切めげずに陽に付きまとったらしい。それは後に星南たちは聞いた話だが、今では不思議な友人関係を結んでいる。
陽はため息をついて、アルトに「さっさと授業の準備しとけよ」と言って自分も鞄からテキスト類を取り出した。
「……星南」
「わ、わかってる」
爽子に肘でつつかれ、星南はわずかに浅く頷く。
放課後までに、陽にバレンタインのチョコレートを手渡す。そのために星南は、陽と二人きりになるタイミングを作らなければならない。
「あ、あの……佐野森くん」
「ん? どうかしたか、岩永」
「えと。今日のほう……」
――キーンコーンカーンコーン
「みんな、おはよう」
最悪のタイミングでチャイムが鳴り、担任教師が教室に入って来た。日直が「起立、礼」と言えば、もう話をすることは出来ない。
星南は頭を抱えたい気持ちになりながらも、きちんと日直の言うことを聞く。そして流れるように始まるホームルームに、耳を傾けざるを得なくなった。
(駄目だ。しばらく勇気出そうにないよ……)
しゅんと密かに項垂れた星南の横顔を、陽は黙って横目で眺めていた。
「――せな、もう言えた?」
その日の昼休み、爽子が昼食を食べながら隣に座る星南に尋ねた。場所は中庭の秘密のベンチで、他には女子たちの襲撃から逃れたアルトがいる。
「ううん、まだ。……どうしよう。もう時間がないよ」
「諦めるのはまだ早いよ。隣の席だし、タイミングはあるはずだよ! っていうか、いつもならもっと二人きりになることあるのにね」
「今日は……ちょっと意識してるからかな」
バレンタインデーに告白する。それは星南自身が決めたリミットであり、光理との約束でもあった。今日中に、陽に鞄の中のものを渡さなくてはならない。
いつ、どうやって呼び出して手渡すか。そればかりを考えてしまい、授業に身が入らない。
どうしたものか。食欲も湧かず、星南はいつもの半分で手を置いた。幸い今日は売店のパンだったため、残ったもう一つを食べ盛りのアルトに渡す。
「アルトくん、良かったら食べてくれないかな?」
「貰うけど……良いのかい? 一つしか食べていないじゃないか」
「食欲が湧かなくて。食べてくれると嬉しいかな」
「わかったよ、セナ」
いただきます。受け取ったあんぱんをかじったアルトは、食べ終わってからすっと音もなく立ち上がった。そして、星南の前に片膝をつく。
「えっと……アルトくん?」
「オレなら、きみにそんな顔をさせないよ? セナ、ハルじゃなくてオレを……」
「はい、ストーップ」
「痛いっ」
爽子のチョップを受け、アルトが悲鳴を上げる。うずくまる彼を、爽子はため息をつきながら仁王立ちして見下ろした。
「アルト、ステイ」
「オレは犬じゃないよ、ソウコ」
「それでも、セナに詰め寄りすぎ。私が許さん」
「ソウコ~」
頬を膨らませ、爽子がアルトをねめつける。それに白旗を揚げ、アルトは渋々といった様子で立ち上がる。しかしその間一瞬、星南の耳元に囁き声を残す。
「ソウコは素直ではないからね。もう少し、付き合って欲しいな」
「――え?」
星南が顔を上げた時には、既にアルトはもといたベンチに腰かけていた。その隣に座った爽子が、不機嫌そうに横目で彼を見上げている。
(もしかして……?)
アルトの本心に気付いた星南は、少し微笑ましい気持ちでベンチに戻った。目の前では漫才のような掛け合いが繰り広げられ、星南の悩みは何処かへいってしまっている。
だからこそ、星南は一人冷静になることが出来た。
(……直接が出来ないなら)
ふと、手にしていたスマートフォンを見つめた。ここには、陽の連絡先が登録されている。星南はほとんど無意識にメッセージアプリを開き、陽との会話画面を表示させた。
「――あっ」
手を止め、少し考える。そして、意を決してメッセージを送った。ドクドクという心臓の音が、やけに五月蠅い。
――放課後、中庭のベンチに来て欲しいです。どうしても今日、渡したいものがあります。
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