前世の記憶

第35話 記憶の話

 陽を前にして、いろはは大きく息を吸い込んだ。吐き出して、くりっとした目を彼に向ける。彼女の脳裏に浮かんでいたのは、在りし日の比古の姿だ。


「佐野森様の前世は、ボクの同僚でした。……比古ひこという名で、岩長姫様唯一の人間の従者として仕えた人です」

「比古、か。それが、前世でのおれの名前?」

「はい。佐野森様と比古殿の魂の色は、酷似しています。星南様を含め、前世をあの時代に持つ人々の魂は色が似ているので、ボクにはわかるのです」

「『星南様を含め』ってことは、岩永も、その、転生者ってことだよな。やっぱり」

「うん、そう。あの時、ちゃんと言えなくてごめんなさい」


 申し訳なさと罪悪感から、星南はその場で頭を下げた。もっと早く言えばよかった、と公開を口にすると、陽は首を横に振る。


「気にする必要はないよ。前世がこうだったなんて、日常会話でするのは難しい。おれだって、最初はマンガや小説の読み過ぎかと疑ったもんな」

「そっか。……あのね、わたしの前世は岩長姫っていう神話の登場人物なんだって、いろはが教えてくれた。岩長姫って知ってる? 瓊瓊杵尊ににぎのみことっていう神様に妹と一緒に嫁がせられた人で、容姿が気に入られなくて一人だけ実家に戻された豪族の娘」

「……その神話の内容なら、この前調べた時に読んだな。確か、容姿の優れた妹だけが瓊瓊杵尊の妻になったっていう内容だったよな」


 その話が、人間に寿命がある理由になっている。

 陽が岩長姫の神話を口にして、ふと考え込んだ。「え、ということは」と呟いて、彼は星南を真っ直ぐに見つめた。


「もしかして、岩永は……岩長姫の生まれ変わりだということか?」

「そう、いうことになるね。わたし自身も、そう自覚したのは最近のことなんだけど」

「つまり、俺の主――比古にとっての主が岩長姫であり、岩永だってことか」


 ふむ、と目を閉じ、陽は腕を組んだ。星南も彼の言葉を待ちながら、先に言っておくべきことを陽に向かって言う。


「前世の主だからって、今後の接し方を変える必要なんてないからね? 今、わたしは岩永星南で、岩長姫じゃない……から」

「姫様がそう望むなら……なんてな」


 冗談めかして言い、陽は「不思議だよな」と微笑んだ。


「前世なんてものが本当にあって、俺たちがその記憶を引き継いで持っていて、更に前世でかかわりがあった同士で再会するなんて」

「それなんだけど……わたしたち以外にも、生まれ変わった人たちはいるの。後二人、記憶はないみたいなんだけど」

「マジか。誰か聞いても良いのか?」


 身を乗り出した陽に、星南は光理と鷹良の名を上げる。二人がそれぞれ、木花咲夜姫このはなさくやひめと瓊瓊杵尊の生まれ変わりであると。

 それを聞いた途端、陽の眉間にしわが寄る。


「……瓊瓊杵尊っていやぁ、岩長姫様をけなしやがった野郎か。藤高がな」

「今、藤高くんには前世の記憶はないらしいから。あんまり冷たくしないであげてね」

「努力はする。……たぶん」


 ぼそりと陽によって最後に呟かれた言葉を聞き逃した星南だが、持って来たポテトチップスの袋を開けていないことに気付いて手を伸ばす。その時、陽も同じく手を伸ばした。二人の指先が触れ合い、咄嗟に同時に距離を取る。


「わ、わるい」

「こ、こっちこそ……ごめんなさい」

「……」

「……」


 それぞれに視線を逸らし、お互いに頬が赤い。二人の間で双方の様子を目にしたいろはは、一人微笑ましく見守っていた。

 そして器用にポテトチップスの袋を破くと、器の中に入れてしまう。いろはは一枚手に取ると、パリッと割って食べ始めた。


「お二人共、美味しいですよ。ポテトチップス薄塩味」

「あ、ありがとういろは。佐野森くんも是非食べて」

「あ、ああ。いただきます」


 陽も星南もしどろもどろになりながら、おやつに手を伸ばした。しばしの間、何となく無言でポテトチップスを摘まみながらジュースを飲む。


「そういえば、佐野森様はどれくらい実感しておられますか?」

「実感? 何を」

「ご自身が『比古』という別の人生を歩んだという記憶についてです」


 おかしが半分ほどになった時、いろはがふと陽に尋ねた。

 陽はいろはの問の答えを少し考えた後、肩を竦めて「実は」と切り出す。


「比古であった頃の記憶を全て思い出したわけじゃないんだ。夢を繰り返し見て、こうやって岩永やいろはと話すことでようやく実感してきた感じだな。思い出すのは、いつも岩長姫様とのことばかりだ」


 陽は、岩長姫のことを敬称をつけて呼ぶ。かつての主人であるのだから当然と言えば当然だが、星南は少し面白くない。そして、面白くないと感じてしまう自分に少々戸惑っていた。


(おかしいな。わたし、岩長姫の無念を晴らしたくて恋しようとしているはずなのに。過去の自分に、嫉妬しているみたい)


 そこまで考えて、はたと気付く。気付いてしまったがために、星南は顔に熱が集まっていることを自覚した。そして、それが二人にバレないようにとそそくさと立ち上がる。


「わ、わたし、ジュースのおかわり持って来る。二人共、ちょっと待っててね」

「お、おお」

「いってらっしゃいませ」


 陽といろはに見送られ、星南は廊下に出て階下へ降りた。そして冷蔵庫からジュースの入ったペットボトルと取り出し、居間の椅子に腰を下ろす。ペットボトルを傍に置き、肘をついて両手で顔を覆った。熱い。


「どうしよう……。もう、あの人には自由になって欲しかったのに」


 岩長姫と共にいることを選んだ、もしくは命じられたがために選ばされた比古が、陽が、今度こそ望む幸せを手に入れられるようにしたかったはずだった。それにもかかわらず、星南は自覚してしまった。

 岩長姫との記憶ばかりを思い出すと言った陽の言葉に、喜びと切なさを同時に感じる。これは、今までの積み重ねを後押ししてしまったらしい。


(わたし、やっぱりなんだ)


 どうしようもなく。これが岩長姫の記憶を持つ故なのか、それとも星南自身の気持ちなのか。それとも両方なのか。星南は自分の気持ちが本物なのかどうか、今もまだ自信が持てずにいた。



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