第34話 星南の部屋で

 約束の日、土曜日がやって来た。

 その日、午前中から両親は久し振りに映画を見に行くのだと言って出かけた。二人が戻って来るのは、夕方以降になる。

 光理も朝から部活の朝練に行き、そのまま鷹良とお昼を食べて遊びに行くと言っていた。デートかと星南が尋ねると、妹は顔を真っ赤にして「うるさいな」と弱々しく応じたものだ。


「だから、ボクが自由に動けるんですね」


 午前十時過ぎ、星南はいろはと共に一階の居間にいた。普段は星南の部屋から出ないいろはだが、時折家族が誰もいない時には星南と一緒に昼食を食べたりテレビを見たりして過ごす。

 現在も、居間のソファに置かれたクッションの上にちょこんと座っている。そんないろはの隣に座り、星南はいろはの頭を撫でた。


「それもあるけど、ちょっと緊張してるから。撫でさせてもらいたくて」

「ふふっ。あと十分程で、お迎えに行かなくてはならないのでは?」

「そう、なの。近くのスーパーまで迎えに行くって約束したんだ」


 互いの家の場所を知らないため、星南から提案した。高校が同じであっても、その校区はないに等しく、生徒の中にはバスや電車で通学する者もいる。

 星南の家の近くにあるスーパーマーケットは比較的市内でも大きい部類で、マップアプリでも目印にしやすい。陽もその位置は知っていたため、待ち合わせ場所に選んだのだ。

 待ち合わせ時間まで、後十分。そろそろ出かけなければ、と星南はいろはに留守番を頼む。


「佐野森くんと帰って来るから、少しの間お願いね」

「鍵はかけて行ってくださいね。番犬にはなれませんから」

「うん、かけて行くよ。いってきます」

「いってらっしゃい」


 パタン、と玄関の扉が閉まった。足音が遠退くのを聞きながら、いろははふっと柔らかくうさぎらしからぬ表情で微笑んだ。


「とうとう、お二人が再会するのですね。岩長姫様、貴女様のお導きですか?」


 答える声などないと知っていたが、いろはは問わずにはいられなかった。何処からか、大昔に聞くことのなくなった優しい声が聞こえる気がして。


 一方、星南は息を切らせて待ち合わせ場所のスーパーマーケットにたどり着く。膝に手を置き、荒い息を整えた。


「――っ、佐野森くんは」

「あ、岩永」

「!」


 ドクン、と息切れとは違う意味で心臓が跳ねる。星南が振り返ると、そこにはいつもと同じく黒いマスクをした陽が立っていた。勿論制服ではなく、黒いコートを羽織っている。


「佐野森くん」

「ごめん、ちょっと道に迷った。ぎりぎりだったよな?」

「そんなことないよ。わたしも……走って来たから」


 スマートフォンをショルダーバッグから取り出すと、丁度待ち合わせ予定時刻だ。星南がその画面を陽に見せると、彼はふっと微笑んだ。


「よかった、間に合って。道案内頼む」

「うん。こっちだよ」


 緊張を悟られないよう、星南は笑みを浮かべて陽を先導した。


 玄関の鍵を開け、陽に「どうぞ」と言って先に入ってもらう。すると家の中から、いろはの「お帰りなさい。あと、いらっしゃいませ」というかわいらしい声が聞こえた。


「お前、いろはだな?」

「そうですよ、ひ……いえ、佐野森様。きちんとご挨拶するのは、これが初めてですね」


 いろはは居住まいを正し、真っすぐに陽を見上げた。陽もまた、いろはの真剣さに応じてしゃがみ、視線を合わせる。


「今日は、おれの見る夢について教えて欲しい。よろしく頼む、いろは」

「勿論です。ボクが知る限りのことを、星南様と一緒にお教えします」

「ああ。岩永もよろしく」

「う、うん」


 星南はいろはに自室への陽の案内を頼み、キッチンに行ってジュースとお菓子を準備する。その最中も、心臓はドクドクと早鐘を打つ。


(佐野森くんが、わたしの家に……。緊張する。でもそれ以上に)


 天井を見上げ、星南はふと呟いた。


「佐野森くん、自分が岩長姫の従者だったって知ったら……わたしから離れてしまうのかな」


 前世での主人とわかれば、陽は自分と距離を置いてしまうのではないか。星南にとって、今一番の懸念事項はそれだった。気持ちを伝えるのが先でも、前世について話すのが先でも、どちらにしろ不安は拭えないのだと初めて知った。

 それでも、来てくれた陽の疑問には答えなければならない。星南はリンゴジュースとチョコレート菓子をお盆に載せ、階段を上がった。


「いろ……ん?」


 部屋の戸を開けようとした直後、中からいろはと陽の話し声が聞こえて来た。なんとなく気にかかり、星南はドアノブに触れる手を止める。


「……ですよ、佐野森様」

「勝手に触るかよ。それより、おれのことは別に様付けしなくても良いぞ。同僚みたいなもんだったんだろ?」

「ですが、今は星南様の大切なご友人です。例は尽すべきかと」

「なんか、そういうきちっとしてるの懐かしく感じるな。これが、前世の記憶ってやつか?」


 ふっ、と息をつくような陽の笑いが漏れた。


(佐野森くん、いろはと話してる。……気味悪がられなくてよかった)


 星南はほっと肩の力を抜き、ドアノブを回す。部屋に入ると、陽が部屋の奥、勉強机の上に乗ったいろはと言葉を交わしているところだった。


「あ、すまない。お構いなく」

「誘ったのはわたしだから、気にしないで。……っと、座って。立ってたら寒いよ」

「あ、ああ」


 星南の部屋には、ふわふわのカーペットが敷いてある。昨日の時点で天日干しして丁寧に掃除機をかけたため、変なものは落ちていないはずだ。

 陽は星南に促されるままに、座布団代わりのクッションに腰を下ろした。それを見て、星南は出しておいた折り畳みのテーブルにお盆を置き、自分も座る。するといろはも傍にやって来て、星南の膝に乗った。


「さ、よかったら食べて。食べながら、お話しよ?」

「ちょっと色んなことを話さないといけないでしょうから、お菓子があるのは嬉しいですね。星南様、ありがとうございます」

「……うさぎなのに、ポテチとか食うんだな」


 おっかなびっくりの陽に、いろはは「すごいでしょう?」と胸を張る。それで気持ちが和らいだのか、陽はジュースを一口飲んでから口を開いた。


「最近、夢が鮮明になってきたんだ。同時に、それがただの夢じゃないんだって自覚もある。だから、教えて欲しい」


 陽の真剣な言葉に、星南といろはは頷いた。

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