迷いの中で

第32話 相談事

 冬休みが終われば、週末の舞の稽古が始まる。毎週末というわけではないが、星南と蜜理は徐々に厳しくなる師匠の指導について行く。

 今日は舞の後半を中心に練習していく。何度か既にやったことのある部分だが、細かいところを指摘されて直すのだ。


「光理さん、指の先まで神経を行き渡らせて下さい」

「はい!」

「星南さん、背中が曲がっていますよ」

「は、はい!」


 光理が指をピンと伸ばし、流れるように指を曲げて扇を取り出す。衣装の裾がパッと広がり、舞に華やかさを添える。

 星南も背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を向いて音について行く。つづみや笛の音に遅れないよう、必死に手と足を動かす。考えるのではなく、体が覚えているままに動かしていく。

 週一回かそれ以下の時間しかないが、二人は確実に実力をつけていた。しかし元来器用で覚えの早い光理は特に優秀で、回数を重ねる毎に指摘を受けることは減っていく。

 反対に星南は、時折らしくないミスをしてしまう。それが重なっていき、師匠は「ふっ」とため息を付いた。


「一度休みましょうか。お茶を入れてきます」

「手伝います」

「私も」

「大丈夫。娘が台所にいますから。貴女方は休んでいて下さい」


 星南と光理の申し出をやんわりと断り、師匠は神社の社務所の方へと歩いて行った。彼女を見送り、姉妹はどちらともなく舞台の端に腰掛けた。

 いつも以上にミスを重ねてしまい、星南は項垂れる。頭の中でミスを修正した正しい動作を思い出していたが、ふと隣から光理が自分を見つめていることに気付いた。


「……な、何?」


 あまりにも見つめられ、星南は引き気味に隣に尋ねた。すると光理は、その大きな瞳いっぱいに姉を映して顔をしかめる。


「なーんか、今日のお姉ちゃん、変」

「えっ!? そ、そんなことないけど……」

「絶対変。今日っていうか、最近ずっと。……ぼーっとしてる理由、当ててあげようか?」

「り、理由なんて」


 思わず、いろはのことがバレたのかと焦る。うさぎの抜け毛は見付ければ粘着シートを使って掃除しており、その他の掃除もこまめにしていた。今まで誰にも指摘されなかったために油断したかと思ったが、妹が言ったのは別のことだ。


「お姉ちゃんのクラスメイト、佐野森先輩っていったっけ? その人のことでしょ?」

「なんだそっち……って、ええっ!?」

「動揺しすぎ」


 胸を撫で下ろしかけた星南だったが、思わぬ妹の答えに目を見開く。

 すると光理はため息をつき、あのねと肩を落とす。


「わかり易すぎ。お姉ちゃん、あの人のこと好きなんだってすぐわかった。っていうか、知ってた」

「……光理は気付いていたの? わたしが気付いたのは、ここ最近なのに」

「マジで言ってる? 私の姉、鈍感過ぎるでしょ」


 本気で呆れている妹を見て、星南は顔を真っ赤にした。自覚がなかっただけで、随分と前から他人にはわかっていたのか。そこまで考え自分に呆れ、はたと気付く。


「え? っていうことは……佐野森くんも気付いてっ!?」

「それはないと思う。だって、あの人もかなりにぶいでしょ」

「い、一刀両断……」

「なんとでも? 私がこういうのに聡いだけかもしれないけどね。……

「光理?」


 付け足すように光理が呟いたが、それはかすかな声で聞こえなかった。星南が聞き返すと、妹は「何でもない」と微笑んで答えをくれない。


「と・に・か・く! ぼーっとしてたら師匠にも叱られるし、舞にも身が入らないでしょ? さっさと告白すればいいのよ!」

「こっ!?」


 光理に人差し指を突き付けられ、星南は先ほどよりも顔を赤く染めた。耳や首まで赤くなり、湯気を出しそうだ。

 ぱくぱくと酸素を求める魚のように声を出せない姉に呆れ、光理はわざとらしく肩を竦めた。


「ニワトリになってもどうしようもないでしょ」

「こ、ここ、告白なんて……それに」

「それに、何? 妹のよしみで、相談には乗ってあげる」


 少し弾んだ声で、光理は星南に先を促す。実際、彼女は姉の恋バナという未知のものを聞くことが出来るという経験にテンションを上げていた。人と積極的にかかわろうとしない姉が、誰かに好意を寄せている。しかもその相手がわずかでも知っている人物ということで、身を乗り出してしまう。

 しかし、星南は突然表情を暗くした。赤く染めていた頬が青白くさえ見えて、光理はぎょっとする。


「な……どうしたの?」

「変なこと、聞いても良い?」

「何? 良いよ」

「……光理は、自分の気持ちが本当に自分自身のものなのか、自信がなくなったことはない?」

「自分の気持ちが本物かわからないっていうこと? 例えば、誰かが佐野森先輩を好きだと言っていたから、わたしも好きなのかもしれないとか、そういう感じ?」

「う、ん。それに近いかも」


 自分の気持ちが、他人に引きずられているだけのものかもしれない。星南の不安を、光理は「知らないわよ」とぶった切った。


「お姉ちゃんの気持ちは、お姉ちゃんにしかわからないよ。考えて考え抜くことも大事だけど、お姉ちゃんの場合はずっと考えるだけで行動が一切伴わないと思う」

「み、耳が痛い……」

「だから、四の五の言う前に当たって砕ければいいじゃない。タイムリミットを決めて、行動するの」

「砕けたくはないんだけど……」


 どうしても及び腰になる姉に、光理は呆れて再び人差し指を向けた。


「言い訳無用。バレンタインに告白、決定ね?」

「えぇっ!?」

「決定。丁度金曜日みたいだよ、今年のバレンタイン。決まりね」

「み、みつりぃぃぃぃぃっ」

「決定」


 反論を許さず、姉のスケジュールを決めてしまった光理は、丁度戻って来た師匠からお茶を手渡されて一口すすった。

 星南は真っ赤な頬に手のひらを当てて悩んでいたが、小さく「よし」と呟いて貰ったお茶を一杯一気に飲み干した。お猪口を少し大きくしたような大きさの椀に注がれたお茶だけでは、肌の熱を冷やすことは出来ない。


(バレンタインか……)


 今まで誰かにチョコレートを渡したい思ったはない。しかし今年は、と星南は決意するのだった。


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