第31話 自覚と混乱

 放課後、星南は帰宅しようと席から立ち上がりかけた。しかし目の前に爽子が立ち、動きを止める。


「爽子ちゃん?」

「この後時間ある?」

「ある、けど……」


 押しが強い。ずいずいと迫って来る爽子の圧に押され、星南なコクコクと頷いた。

 すると爽子は「よしっ」と満足げに頷き、星南の手を取る。戸惑う星南にニッと笑いかけ、教室の外へと引っぱり出した。


「ちょーっと聞きたいことがあるから、一緒に帰るよ!」

「え、あ、はい」

「佐野森くんもアルトもいないしね」


 陽はホームルームが終わると同時に席を立ち、アルトは部活の見学に行くと言って早々にいなくなっている。教室には何組か残っているが、大半はもうそれぞれに移動した。

 星南は爽子に引っ張られながら高校を出て、並んで歩き出す。そして爽子に乞われるがまま、昼休みの出来事を話した。


「――何それ!? もっと怒っていいよ、せな。私が許す!」

「はは……。怒りよりも怖いって気持ちの方が強かったから、何も言い返せなかったよ」

「せな……」

「だから偶然とはいえ、佐野森くんが助けてくれてほっとしたんだ」


 あの時の安心感は、表現し切れない。独りではないんだと陽の体温が証明してくれるようで、星南は心からホッとしたのだ。

 その時のことを思い出し、星南は頬を染める。星南の様子を眺め、爽子は優しい表情で笑った。


「せな、ほんとに……」

「ほんとに?」

「やっぱ、なんでもない」

「え?」


 きょとんとする星南に、爽子は意味ありげに笑ってみせた。


「自分で気付かなきゃ、意味ないよ!」

「え? ……ちょっと、一体何なの!? 爽子ちゃん!」

「他人の私が気付くんだもん。せなもすぐに自分で気付くよ」


 それから何度星南が訊いても、爽子は答えを濁すばかりで教えてはくれなかった。二人はそのまま分かれ道で別れ、星南は一人家路につく。


「……もう、何なんだろ」

「星南様」

「いろは」


 星南は鞄に下げていたいろはを手に乗せ、うさぎに戻った彼女を胸に抱いた。ふわふわもふもふのいろはに触れていると、気持ちまで柔らかくなる気がする。

 しばらくもふもふを堪能していた星南は、黙って触らせてくれていたいろはに「ねえ」と話しかけた。


「どうしたんですか?」

「……佐野森くんって、わたしが彼の前世での主の生まれ変わりだと気付いてるのかな?」

「……」

「夢の中で、誰かに仕えている自分がいたって言っていた。それを話したのは、わたしが初めてだって。……あのね、いろは」

「はい」


 いつの間にか、家に帰ってきた。丁度誰もおらず、星南はいろはを抱き締めたままで自室へ上がる。ベッドにいろはを下ろし、星南もぼふっと腰を下ろした。


「わたし、佐野森くんに今日助けてもらったんだ。柳くんのことが好きらしい子たちに因縁つけられたんだけど、その時に守ってくれた」

「良かったですね。ボクは傍にいられなくて、すみませんでした。……一緒にいたら、噛みついてやったのに」

「ぬいぐるみに噛みつかれたら、あの子たちすぐに逃げちゃったかもね」


 動くはずのないものに襲われたとしたら、どうなっていただろうか。星南は想像してくすっと笑い、仰向けに寝転がった。


「叩かれそうになって、咄嗟に目を閉じたら、佐野森くんに腕を引かれて。……どうしよ。思い出したら、恥ずかしくなってきた」


 顔を真っ赤にして、星南は腕を交差させて顔を隠す。思い出すのは、陽に抱き寄せられて見上げた彼の表情と体温。険しい顔で相手を睨みつけながらも、その手はしっかりと星南の肩を抱いていた。


(ああ、すきだな……あれ?)


 自然と心に浮かんだ言葉に、星南は目を瞬かせる。慌てて上半身を起こして手のひらで顔を覆う星南に、いろはが大きな目をくりっと丸くした。


「星南様?」

「あれ……? わたし……」

「何処か悪いのですか? 胸を押えて……苦しいのですか?」

「苦しい……そうかもしれない。ねえ、いろは」

「はい」

「どうしよう……」


 ポタポタと溢れ出した涙が、ベッドを濡らす。涙が溢れる毎に、星南の中で記憶の箱のふたが開いていく。

 ――比古。貴方を好きになってしまって、ごめんなさい。

 前世の自分の声が、頭の中で響く。その時の感情までも思い出し、胸の苦しさに拍車をかける。


「わたし、佐野森くんのこと……すき、なんだ」

「自覚なさったんですね、星南様」

「うん」


 嗚咽おえつを堪え、星南は肩を震わせる。ただ恋に気付いたのならば、おそらくベッドで悶えるくらいだったかもしれない。しかし、彼女には千年以上昔に生きた記憶までもが蘇っていた。

 苦しくて、辛くて、でも幸せでもあった頃の記憶。怒涛どとうのように押し寄せるそれに息つく暇を奪われながら、星南は自分の中で比古と陽が重なったことを自覚した。


「……でも」

「星南様?」


 ふと呟かれた言葉は重々しく、いろはは首を傾げる。


「この気持ちって……?」

「星南様……」

「今ね、比古と佐野森くんの面差しが重なったの。それで、好きだなって思った。けど」

「けど?」

「岩長姫が比古のことを好きだったから、わたしも佐野森くんのこと……? わからない」


 陽のことを考えると、胸が苦しくなる。同じ様に、比古を思うと苦しさが増す。どちらも同じ気持ちのようで、星南は混乱した。


「わたしの気持ちは……?」

「星南様……」


 先程とはまた別の意味を持つ涙を流す星南に寄り添い、いろはは「そうならなければよかった」と独り言た。


(いつか、わからなくなるかもしれないと思っていました。もし同じ魂に惹かれたとして、貴女は苦しみ悩むのではないかと)


 泣き疲れて眠ってしまうまで、いろはは星南の傍らに居続けた。

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