第16話 夢に立ち現れるのは
イルカショーの後のカフェでの腹ごしらえを終え、星南と陽は水族館を出た。昼食というには甘過ぎるものだったが、栄養の偏りは今日だけは許してもらおう。
星南は水族館を振り返り、ひらひらと胸の前で小さく手を振った。特に意味があってやるわけではないが、ありがとうの気持ちを込めている。
「岩永」
「佐野森くん、待たせちゃった。ごめんね」
「いや」
待っていてくれた陽の横に星南が行くと、彼は星南に歩幅を合わせて歩いてくれる。二人は並んで歩きながら、この後どうするかと話し合った。
「この近くにショッピングモールがあるらしいけど、あいつらもそっちに行ってるみたいだな。藤高からメッセージが届いてる」
「本当だね。光理も楽しそうでよかった」
陽のメッセージアプリには、鷹良からの現状報告が幾つも送られて来ていた。曰く、ショッピングモールであれを買った、ゲームセンターに行ったといった誇らしげとも取ることの出来る報告文だ。時折送られてくる写真を見ると、皆楽しそうにはしゃいでいた。
「となると、邪魔するのは悪いかな。このまま解散するのでも良いし。佐野森くん、帰りたかったんじゃない?」
「まあ……。でも」
「?」
星南が首を傾げると、陽はポリポリとこめかみをかいて何かを考えている様子を見せる。次いで、スマホをポケットから取り出して操作し出した。
「……よかったら、ここ行ってから帰らねぇ?」
「ここって……森林公園?」
「すぐ傍……あ、あそこにある」
陽が指差したのは、水族館から見える木々の連なりだ。近付くと案内板が設置されており、季節の花々や花時計の存在、展望台があることなどが記載されていた。
「今の季節、花はあまりないかもしれないけど」
「でも、爽やかで良さそう。行ってみようか」
早速ゲートをくぐると、鬱蒼とせず適度に日差しの入る森が広がっていた。更に進めば舗装された道の両側に丁寧に世話された芝生が広がり、その先に最低限の剪定だけされた森が広がっている。
園内にある案内板を見れば、奥に花時計と展望台があるらしい。二人はそちらを目指し、歩いて行くことにした。
「気持ちがいいね」
「市内にあるのに知らなかったな」
「ふふ、本当に。……あ、あれが花時計じゃないかな」
ほとんどすれ違う人もいないまま、星南と陽は花時計の前へとやって来た。十一月ということで、春や夏のような華やかさはない。それでもパンジーの様々で鮮やかな色が可愛らしく、クリスマスローズの白さが際立つ。
周辺には桜やイチョウ、梅、椿などの木々が植えられている。椿はそろそろ花を咲かせるのか、蕾の先が赤く色付いていた。
花時計は少し高い位置に、斜面に植えられた花で形成されている。星南はその前に立ち、目を輝かせた。
「綺麗……」
「だな。空気は寒々しいのに、ここだけあったかい感じがするな」
「あったかい、か。花を見てると、穏やかな気持ちになるよね」
ふふ、と星南は笑う。手を伸ばし、パンジーの花びらに触れた。紫と黄色の花びらを持つそれは、指に触れられ小さく震える。
大きな花時計の針がゆっくりと動き、午後二時を差した。
「そろそろ行こう。向こうに展望台があるらしい」
「うん。何が見えるかな」
陽の隣を歩きながら、星南は彼を見上げる。いつも少し長い前髪にかかっている目が吹く風のお蔭で露になった。薄い茶色の目は若干の吊り目で鼻筋も通り、実は整った容貌をしているのだと気付かされる。
いつもは猫背気味だが、今は背は真っ直ぐだ。それがまさか自分が隣にいるからだなど、星南は思いも寄らない。
木々の中に造られた橋のような通路を通り、やがて展望台へ到着する。それほど高い建物であるわけではなく、階段を上ると視界が開けた。
「わぁ」
「ここから、海が見えるんだな。……風が気持ちいい」
海からは旅してきた風は思いの外強く、星南は目を閉じた。セミロングの髪がなびき、風の中に海を感じる。
二人はしばらく、森の先に見える水族館と海を眺めていた。しばらくして、陽が躊躇いがちに口を開く。
いくつもの
「……少しだけ、座って話をしても良いか?」
「勿論。あ、あそこにベンチがあるね」
座って景色を眺められるよう、展望台にはいくつものベンチが設置されていた。星南が陽の隣に腰を下ろすと、彼は「実はさ」と背もたれに背中を預ける。
「ここ最近……いや、気付いた時にはか。不思議な夢を見るんだ」
「夢?」
「そう。全部を明確に覚えているわけじゃないけど、俺は誰かの従者なんだ。主である誰かを毎日世話して、付き従う従者」
「……佐野森くん、が」
「俺が、主である誰かを『姫様』って呼ぶんだよ。呼ぶとその人は嬉しそうに振り返って、俺の名前を呼ぶ。……何て呼ばれているのかわからないし、呼ばれたはずなのに覚えていないのは寂しいけど、夢の中の俺はすごく幸せなんだ」
「……」
「幸せで、凄く切ない。戻ってきてくれて嬉しいけれど、決して俺の方は向かないから」
そうじゃない。本当のことを言いたくても、陽には当時の記憶がないのだから言えない。
星南は、既にいろはから聞いていた陽と岩長姫の従者・比呂が同一人であると知っている。だからこそ、陽が夢の中でかつての主人である岩長姫を見ていることが嬉しくも悲しくもあった。今陽の前にいるのは、岩長姫ではなくて星南だから。
(ごめん。その名前を呼んでた人は、本当は貴方に手を伸ばしたかったんだよ。伝えられなくて、苦しかったんだ。でも、出来なくて)
出来ずに、未練を残して今がある。星南にはそう思えた。
何も言えずにいる星南に、陽は苦笑を見せる。
「ごめんな、変なこと言って。こんなこと、誰にも言ったことなかったんだけど。岩永には言えたよ」
「ううん、夢って不思議なことたくさんあるから。それに……わたしには言えたって言ってもらえて……嬉しい」
「……そっか」
それからなんともしんみりとした雰囲気が流れる。どちらともなく「帰ろうか」という話になり、二人は最寄り駅でわかれた。
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