第11話 祀られた女神の物語

 鷹良の光理とのデートもどきが明日に迫った金曜日の夜、星南は珍しく早く帰った父親に呼ばれた。それは夜、九時過ぎのこと。光理は既に自分の部屋に行っており、母親も家事を終わらせのんびりと好きなドラマを見ていた。

 母親の横を通り過ぎ、星南は父の書斎の戸を叩く。


「おお、来たね」

「お父さん、どうしたの? ……って、この前わたしが頼んだことだよね」

「そうそう。子どもの頃は全く話を聞いてくれなかったけれど、興味を持ってくれて嬉しくてね」


 たくさんの資料を借りてきたんだ。父親はそう言って、星南の前に何冊かの本を並べた。そのどれもが日に当たって黄ばみ、書かれた時代の古さを浮き彫りにする。

 本の中から一冊を手に取り、星南はぱらりとページをめくった。丁寧に扱わなければ、簡単に本の形が崩れてしまいそうだ。

 本の中身は、当たり前のことながら崩し字で書かれている。崩し字を読んだ経験のない星南は、眉間にしわを寄せて首をひねった。


「お父さんから話聞きたい」

「ふふ。昔の字は読めなかったかい?」

「うん。だから、祀ってる神様について教えて欲しいです」

「わかった」


 父親は比較的新しい本を手に取ると、該当箇所を開いて口を開く。


「お父さんたちがお仕えしているのは、岩長姫という女神様だ。木花咲夜姫という妹がいて、彼女と共に瓊瓊杵尊ににぎのみことに嫁ぐ。だけど岩長姫はその容姿が瓊瓊杵尊の気に入るものでなかったため、実家に帰される。そのため、人には寿命が出来た……これが、比較的知られたエピソードだと思う」

「うん、わたしもそのあたりは知ってる。というか、最近ある人に教えてもらったんだ」

「そうか。いい友達がいるんだな」


 にこにこと嬉しそうに笑う父親を見ながら、星南はいろはを人に数えて良いのかとふと考えた。しかし、それよりも次に発せられた父親の発言に興味を惹かれる。


「これは異説というか珍説になるんだが、お父さんが勤めているお社には岩長姫様についてこんな話が伝わっているんだ」

「どんな話?」

「岩長姫様には、瓊瓊杵尊に嫁ぐ前に好ましく思っていた男がいたというんだよ」

「……つまり、望んでの結婚じゃなかったってこと?」

「昔からよくあるだろう。互いの家のため、もしくは片方の家がもう片方の家の権威を得るため、所謂政略結婚というやつだな」

「政略結婚……」


 その時、星南は胸が締め付けられるように痛くなるのを感じた。きゅっと苦しくなり、思わず胸元に手を置いて握り締める。星南の魂に刻まれた傷が痛むかのように、立っていれば崩れ落ちていたかもしれない。

 息が浅くなり、星南は血の気が引く感覚を覚えた。それでもここから逃げるわけにはいかない、と懸命に前を向く。


「星南、顔色が悪い。もう寝た方が良いんじゃないか?」

「ううん、だめ。最後まで聞かせて」

「……わかった。だが、限界が来る前に言うんだぞ」


 いつでも話してやれるんだから。そう言うと、父親は続きを話し出す。


「何処まで話したかな。……そうだ。岩長姫様は瓊瓊杵尊のもとから実家に戻った後、家にいられずに一人で人里離れた山に住んだらしい」

「一人で……」

「山の動物たちに好かれ、彼らと共に暮らしたと書かれているよ。そして、従者が一人だけ付き従った」

「それが」

「もう察しているね。そう、岩長姫が心を寄せたという男だ。彼は岩長姫の従者だったんだよ」


 父親の話す物語を聞きながら、星南は少しずつ記憶の箱が開いていく感覚に陥った。いろはに聞いていた話と相まって、すとんと腑に落ちる。


「岩長姫は、死ぬまで山で暮らしたの?」

「そう伝わっているよ。ただ、心労もあったのかそれほど長くは生きられなかったと言うけれど。従者もまた彼女にずっと付き従っていて、姫を看取ったのは彼だというよ」

「……結婚はしなかったの?」


 その問いに答えは、星南が誰よりも知っている。けれど、語り伝えられてきた物語ではどうなのだろうか。

 星南の問いに、父親は少し悲しそうに俯いた。


「生涯、互いに独身を通したらしい。最期まで、岩長姫は本当の気持ちを口にしなかった」

「……だから、なんだね」


 ぽそっという呟きは、星南の胸を納得と悲哀で満たす。星南の前世である姫君は、たった一人生涯愛した人と結ばれることはなかったのだ。だから、彼女は今世でも何処か諦めの気持ちを抱いている。誰かを愛しても、心を告げることはないのだと。


「どうした、星南?」

「……。あ、ううん。何でもないよ。教えてくれてありがとう、お父さん」


 星南の顔には憂いが浮かぶ。それに父親が気付いたかは定かでないが、彼はいつの間にか妻が用意していた湯呑みから緑茶を一口飲んだ。


「例祭なんかもしているから、その時期になったら来てみると良い。普通に祭りとしても楽しんでもらえると思うぞ」

「小さい頃、よく行ったよね。今年は行こうかな」

「楽しみにしているよ」


 もうお休み。父親に言われ、星南は話し始めてから一時間以上が経過したことに初めて気付いた。

 両親に挨拶し、星南は自分の部屋へと戻る。ベッドには既にいろはが丸くなっており、彼女はその隣に寝転がった。


「……今度こそ、幸せな恋がしたいよね」


 明日は早い。照明を消し、星南は目を閉じた。

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