第8話 唯一の人の従者
帰宅すると、キッチンからはおいしそうな匂いが漂っていた。今日の夕食は何だろうかと思いながら、二階へ上がる。鞄を机の上に置き、星南はクッションに座り込んだ。
「帰ってきた〜」
「お疲れ様でした、星南様」
「ありがと、いろは」
ぬいぐるみからうさぎに戻り、いろはが耳をそよがせる。星南はいろはの頭を撫で、立ち上がった。ゆっくりする前に、宿題を机に出しておかなければと思ったのだ。食事の前にある程度はしておきたい。
鞄からペンケースやノートを取り出しながら、星南は陽と別れた後のことを思い出す。
「いろは、佐野森くんも前世から縁のある人だって言ってたよね」
「はい。あの方は、岩長姫様に最期まで仕えて下さった唯一の人の従者にとても近い魂をお持ちです」
まだ確定は出来ませんが、と一言置く。
「……星南様は、
「ひ、こ?」
わからない、と星南は首を横に振った。前世の記憶を思い出したとはいえ、それは自分の名前や自分自身に関することくらいだ。周囲の人々については、いろはを含めてぼんやりとしか思い出せていない。
星南の反応を見て、いろはは明らかに残念そうにした。
「そうですか……」
「あの、その比古っていう人が佐野森くんによく似ているの?」
「はい。魂の色がそっくりです。しかし、彼も妹様や藤高様のように前世のことは全て忘れて転生をしているかもしれません。ですから、あまり気に病まなくていいんですよ」
「……うん」
いろはに言われ、星南は初めて自分が眉間にしわを寄せていたことに気付いた。膝の上で両手を痛いほどに握り締めており、慌ててその手を緩める。
「ちょっと感傷的になっちゃったみたい。……早く、色々思い出せると良いんだけどな。そうしたら、岩長姫様こと、彼女の夢ももっと理解してあげられるのに」
「……」
その時、階下から星南を呼ぶ声が聞こえた。星南は「はーい」と返事をすると、パンッと頬をはたいて顔を戻す。
「ご飯かも。待っててね」
「はい、行ってらっしゃいませ」
星南を見送り、いろはは人知れず息を吐く。彼の目の前にあるのは、閉じられた扉だ。
「もしかしたら、全てを思い出さない方が幸せかもしれません。……特に、比古殿とのことは」
岩長姫の悲しげな笑顔とその理由を思い、いろはは物思いにふけった。
一方、佐野森陽は自室で宿題をしていた。共働きの両親は帰りが遅く、幼い頃から夕食は一人で食べることが多い。今日も母親が作り置いてくれたカレーライスを温めて早めに食べた後、スマートフォンで音楽を流しながらシャーペンを動かす。
「これは、エックスイコール……」
ゲームのBGM集を流しながら、数学の問を片付けて行く。全て片付けたのは、一時間ほど経ってからだった。
「……そういや、あれは何だったんだ?」
ふと思い出すのは、
最近は何となく、彼女の姿を追っている自分には気付いている。しかしそれは、一人でいる時間の多い自分の羨ましい気持ちがそうさせるのだと考えていた。
(独り言にしては不審だった。誰かいたようだけど、覗いた時には誰もいなかったからな)
最近まで見たことのなかったうさぎのぬいぐるみを鞄につけている他は、特段変わったところはなかったはずだ。そこまで考えて、陽は机に突っ伏す。ガンッと額があたった。
「……これじゃ、ストーカーみたいじゃねえか。気持ち
ため息をつき、別のことへと考えをシフトさせることにした。最近眠る度に見る夢は、ここ数日鮮明さを増している。
夢の中で、陽は誰かのもとへ行こうと走っているのだ。土の道を、ギシギシと音の鳴る古びた廊下を、誰かが待っていると知っているから。
(誰よりも愛しく、遠いお方、か。あれは一体、誰なんだ?)
いつも、そのお方と会う前に目が覚める。少しずつ見える範囲は広がっているが、お方の顔までは確かめられない。
夢のことを思い出す度、陽は胸の奥がきゅっと苦しくなる。その理由もわからないまま、解像度だけが増しているのだ。
「前世、ねえ」
よく見るマンガやアニメのタイトルやテーマには、転生や前世を据えたものが数多くある。しかし、現実世界ではそうもいかない。
非現実的だと笑い飛ばせないのは、自分の見る夢にあるのかもしれない。そう自嘲しながら、陽は風呂に入るために部屋を出た。
「ただいま」
「お帰り、光理。部活お疲れ様」
「お姉ちゃん、上で食べるの? テレビ見ながら下で食べればいいのに」
星南が部屋に引き上げるために廊下に出ると、丁度光理が部活を終えて帰って来た。プレーンのシフォンケーキを一切れ皿に載せて持っていた星南は、妹の指摘を受けて苦笑する。
「宿題もう少し残ってるから、部屋で食べるよ。お母さんが、おいしそうだからって買ってきてくれたんだって」
「そうなんだ! 私も後で食べよ」
甘いものが好きな光理が目を輝かせるのを見て微笑み、星南は彼女が今に入っていくのを見送った。それから改めて階段を上り、自室のドアを開けてほっと息をつく。見れば、いろははベッドの上に丸くなって眠っていた。
「いろは、ケーキ貰って来たよ。もう少し寝かせてから起こそうかな」
いろはが起きる前に、宿題を終わらせよう。星南は机に向かい、ノートと教科書を広げる。
「……」
一時間ほどかけて終わらせた後、星南は眠っているいろはの隣に横になり、天井を見上げた。ぼんやりと考えるのは、いろはが教えてくれた従者のこと。
「比古、か……」
どんな人だったのだろうか。最期まで傍にいたというから、信頼関係を築いていたのだろう。その人と、陽がよく似ているらしい。
「思い出したいな、比呂のこと」
「……」
柔らかないろはの毛並みを撫でながら、星南は独り言ちる。
彼女が宿題をし終わった頃にぼんやりと起きていたいろはは、起きるタイミングを逃したまま呟きを聞いていた。
星南がいろはを起こして二人でケーキを食べたのは、それから五分後のことだ。
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