第6話 秘密の劣等感

 昼休みになると、爽子が早速星南の席までやって来た。

「せな、今日はぎりぎりだったね」

「ははは。チャイムが鳴る五秒前に席につけたから、遅刻は免れたよ」

 今朝、星南は全力疾走で登校した。いろはに光理を見せたり父親と話したり陽と挨拶を交わしたりしている間に、いつも通りの余裕はなくなってしまったのだ。

 そんな事情を知らない爽子に「何かあったの?」と問われたが、前提条件が気軽に話せない内容のため「ぼーっとご飯食べてて」と色々すっ飛ばして答えた。爽子はそれ以上突っ込むことはせず、午前中の授業の話へと切り替える。先生の仕草を真似、それがよく似ていて星南は吹き出した。

 お弁当を食べながら、中身のない会話が続く。それが楽しくて、星南は目を細めた。


「岩永」

「藤高くん」


 そこへ、プリントを持った鷹良が現れた。プリントを一枚差し出され、これは何かと尋ねてみる。


「部活の顧問からのプリント。今日、オレ部活行けないから、妹に渡しといてくれ」

「わかった。……全員に渡して回ってるの? 凄いね」


 確か、テニス部の部員は三十人くらいはいたはずだ。それだけの人数のもとへ部長一人で回るのは酷だろう、と星南は思う。

 爽子も同じだったようで、鷹良に「手伝おうか?」と訊いた。すると、彼は「大丈夫だ」と笑う。


「顧問と副部長も配ってるし、オレはクラスメイトの関係だけ任された。このクラスにもテニス部いるしな」

「それは確かに」

「……なら、わたしに配らなくても良いんじゃ?」


 クラスメイトを担当しているのならば、星南に渡す必要はない。何故ならば、テニス部に所属しているのは妹の光理であって星南ではないのだから。

 指摘すると、鷹良はわずかに頬を染めた。


「そんなん……岩永から妹に渡して欲しいからに決まってるだろ。ちゃんとオレからって言えよ?」

「わかってます」


 そんなことだろうと思った。星南は口には出さずに苦笑すると、プリントをクリアファイルに仕舞う。これで、破れたりよれたりすることはない。

 鷹良は「それじゃ」と言って教室を出ていく。数人と一緒だったため、校庭に行くのかもしれない。

 星南はいつものことだと息をつき、食べ終わった弁当箱を鞄の中に入れようと体を傾けた。机の横に掛けているからなのだが、その時にふといろはと目が合う。


「……」

「……」


 いろはは何かを言いたげに星南を見詰めているが、ここで大っぴらに喋るわけにいかない。星南はいろはに「後でね」と囁くと、話しかけてきた爽子へと意識を向けた。


「ねえねえ、藤高くんってよくせなのところに来るよね? もしかして……」

「生憎だけど、爽子の思ってるような関係じゃないよ。藤高くんは、光理が気になるんだと思う」

「妹ちゃんかぁぁぁ……。確かに、美男美女って感じだ。学年越えて大人気だもんね」


 べたーっと机に突っ伏し、爽子が言う。

 彼女の言う通り、光理は美少女だ。ただ生まれ持ったものだけでなく、相応の努力も加えて見られる自分を演出している。星南はそんな妹を眩しく思うと共に、少しだけ劣等感を抱いてもいた。


(……劣等感なんて、人には言えないよね)


 別に鷹良が好きなわけではない。彼には友人以上の感情はなく、光理と上手く行けばいいねくらいにしか思っていないのだ。

 星南は一瞬だけ瞼を伏せると、すぐに爽子と別の話を始める。光理が先輩に告白された噂を聞いたと爽子に聞き、苦いものを含んで「またかぁ」と微笑んだ。


「……」


 教室の端で楽しげに笑う星南を、隣の席から何となく横目で見ている男子がいる。彼は友だちが少なく、それで良いと思って過ごしていた。

 けれど、最近何となく落ち着かないのは何故だろうか。理由もわからないまま、彼はふと視線を落とす。


「……?」


 人の目ではあり得ないほど低い位置から、自分を見ている視線を感じる。その主はわからないがキョロキョロするわけにもいかず、陽は眠くなって机に突っ伏した。


 やがて昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、星南は数学のテキストとノートを机の上に出した。ちらりと横を見れば、陽が眠っている。


「佐野森くん、起きて」

「……ひ……ま」

「寝言?」


 かくっと首を傾げた星南だが、寝言の内容を精査している暇はない。先生が来る前に、と星南は陽の肩を掴んで揺する。


「佐野森くんってば」

「……さま……ん?」

「あ、起きた」


 眠気眼をこすり、陽が上半身を起こす。これで安心だ、と星南は自分の席に戻ろうと身を引いた。しかし何かに服を引っ張られ、振り返る。

 振り返った先には、 ぼんやりとした顔の陽がいた。


「……佐野森くん?」

「お待ちください、姫さ……あれ?」

「寝ぼけてた? もうすぐ授業始まるよ」

「あ、ああ。ありがとう」


 ハッと我に返った陽が、謝りながら手を離す。その耳がわずかに赤くなっているように見えたのは、きっと星南の気のせいだ。

 その時、ガラガラッと教室のドアが開けられて先生が入って来た。星南を含め、立っていた生徒たちが慌てて自分の席へと戻る。


「よし、授業を始めるぞ」

「起立、礼!」


 日直の号令から午後の授業が始まる。先生の板書をノートに写しながら、星南はふと思うことがあった。


(そういえば、佐野森くんどんな夢見てたんだろう? 『姫様』だなんて、誰かの従者になった夢でも見ていたのかな)


 ちらりと陽を見ると、彼は前を向いて授業をきちんと受けていた。休み時間は寝て過ごしている姿をよく見るが、授業は真面目に受けている。試験の結果も常に上位だからか、先生たちも注意することは稀だ。

 星南もまた、手元のシャーペンを使ってノートを埋めていた。

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