古の縁は続く

第5話 岩長姫のみならず

 いろはを迎えた翌日、星南はいつものように高校へ行く支度を進めていた。制服に着替え、朝食を食べ、出かける。今は顔を洗って着替えているところだ。

 すっかり気に入ったクッションの上で、いろはが星南を見上げながら言う。


「そういえば、妹君とは昨日会いませんでしたね」

「そうだね。光理はテニス部の練習で遅く帰って来ることも多くて、わたしが部屋に引き上げた頃に帰って来ることもよくあるから。……まあ、藤高くんあたりに引き留められているのかもしれないけれど」


 実際、昨晩は星南が夕食を終えて歯を磨いていた時に帰宅した。大会が近く、毎日鬼のように練習に明け暮れているのだとぼやく光理の姿を眺めた記憶がある。

 それを言うと、いろはは頷いた。


「そうなのですね。あの、星南様」

「何?」


 言いにくそうにするいろはに、星南は「言ってみて?」と先を促す。


「怒らないよ?」

「一度で良いので、ボクを妹君の傍まで連れて行ってもらえませんか?」

「それは良いけど……」


 じゃあ、鞄に入っていてね。星南が鞄を開くと、いろははぬいぐるみの振りをしてコロンと入り込む。星南はいろはの頭に付いたボールチェーンを鞄の持ち手に通した。


「行ってきます」

「いってらっしゃい。気を付けてね」


 階段を降りて行くと、先に家を出る光理が出かけて行くところだった。これはチャンスだ、と星南はいつもよりも若干足を速く動かす。駆け下りながら、開けていた鞄を見ると、いつの間にか外に出ているいろはがぶら下がっていた。

 若干スピードを緩め、階下に足をつく。顔を上げると、丁度ドアの方に体を向けようとした光理と目が合った。


「光理」

「何、お姉ちゃん。今日は降りてくるの早いじゃん?」

「少し、ね。いってらっしゃい、光理」

「……行ってきます」


 わずかに眉を寄せた光理だが、玄関のドアを力任せに閉めるようなことはない。パタン、と閉じたドアを見詰めていた星南だが、母親がキッチンに戻ると同時に鞄を階段の下から三段目に置いてしゃがみ込む。

 いろはがどんな理由があって妹を見たいと言ったかはわからない。しかし昨日の今日で、何か自分に関係があるかもしれないと星南は思っていた。

 星南は声を抑え、こっそりと尋ねる。


「いろは、見れた?」

「はい。申し訳ありません、星南様。無茶なお願いをしてしまって」

「ううん。丁度あの子が学校に行く時でよかった」


 ひそひそと話していた二人だが、不審に思ったらしい母親がひょいっと廊下に顔を出したことで中断される。


「何してるの、星南?」

「あっとぉ……何でもない!」

「そう? ご飯、用意できてるわよ」

「ありがとう!」


 星南はいそいそと鞄を持ち、居間に入って朝食を食べた。テレビのニュース番組をBGMにして食パンをかじる。


(聞きそびれちゃったな。後で、学校に行きながらでも聞いてもみようか)


 ヨーグルトにイチゴジャムを混ぜ、スプーンですくいながらそんなことを思った。


「いってきます」

「いってらっしゃい」


 靴を履き、鞄を肩にかける。星南は母親の見送りを背に出かけようとしたが、時を同じくして傍にある両親の寝室のふすまが開いた音に驚いた。

 出てきたのは、パジャマ代わりのスウェットを着た父親だ。


「おお、星南。もう行くのか」

「お父さん、おはよう。そうだよ。お父さんは、今日は遅め?」

「そうなんだ。来週例祭だから、その準備を夜にするんだよ」


 星南と光理の父親は、神社に勤めている。毎年の行事、例祭が近付くと一気にあわただしくなるのだ。帰りも遅くなり、起きるのも遅くなる。

 眼鏡をかけ直し、父親は「いってらっしゃい」と手を振って居間へと行こうとする。その背中に、星南は思い付きで「ちょっと待って」と呼び止めた。


「どうした、星南? 珍しいな」

「あのね、お父さん。時間のある時に、お父さんの勤めている神社で祀っている神様について教えて欲しいんだけど……」


 こんなことを父親に頼んだことは一度もない。何度か姉妹そろって話を聞かされたことはあるが、その時は幼かったこともあり真面目に聞かないで終わった。その時の反省があるのか、父親はその後一度も家で神社の話はしていない。

 まさか星南から話題を振るとは思っていなかったのか、父親はずり落ちた眼鏡をくいっと引き上げた。目が覚めたらしく、猫背だった姿勢が真っすぐになる。


「いいよ、星南。今日は時間がないが……金曜の夜なら、早く帰って来るから。その時、話をしようか」

「うん、お願いします」


 パタン、と玄関のドアが閉じた後、父親は嬉しそうに布団を片付けに戻った。そんな夫を見送り、母親はクスッと笑い肩を竦める。夫が娘に自分の仕事に興味を持ってくれたことが嬉しいのだとわかるから。


 一方、星南は高校に向かって歩きながら小さな声でいろはと話していた。幸いこの時間、家の近所は歩いている人が少ない。駅や学校近くになれば一人で喋る女子生徒は怪しいため、切り上げようとは思っていたが。


「ねえ、いろは。どうして光理を見たいなんて言ったの?」


 人通りが多くなる場所まで、十分程の距離だ。あまり多くを話すことは出来ない。星南の問いに、いろはは「実は」と続けた。


「星南様の近くに、木花咲夜姫このはなさくやひめ様と瓊瓊杵尊ににぎのみこと様の気配を感じたのです。お二方が今どうしておられるのか気になり、可能性を探るために一度お見掛けしたかったのです」

「その二人が、岩長姫と同じように転生しているってこと?」

「おそらくは」


 いろはは鞄に揺られながら、瞬きをした。

 コノハナサクヤヒメとニニギノミコト。名前だけは聞いたことがあったが、星南自身はどんな人物なのかわからない。しかし彼女の記憶は岩長姫と共有されており、そちらがわずかにざわめいた気がした。


「……?」

「推測でしたが、お見掛けして……星南様?」

「え? あ、大丈夫大丈夫。ごめ……」

「何が大丈夫なんだ、岩永?」

「わあっ!?」

「わっ」


 星南が声を上げると、声をかけた張本人である佐野森陽さのもりはるも小さめの声を上げた。


「悪い。そんなに驚かせるとは思わなかった」

「いや、わたしも……。驚かせてごめんね」


 ぎゅっと鞄を抱き締め、星南は苦笑いを浮かべる。うさぎのぬいぐるみが喋ったことがバレていないか、と焦ったのだ。

 そんな星南を不審がることもなく、陽は「じゃあ、教室で」と言って先に行ってしまった。


「――焦ったぁ」


 崩れ落ちそうになり、星南は慌てて踏ん張った。ふと腕時計を見れば、走らなければ遅刻する時間になっている。


「やばいっ」


 入学以来、一度も遅刻したことはない。星南は陽が来てから何も話さないいろはが気になったが、まずは遅刻しないために全力で足を動かした。

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