34.住宅相談会(後編)


 ◆


「地球を丸ごと事故物件にするって……」

 悪い冗談であってほしい、けれど……ギメイさんの言葉には真剣味があった。

 どうにもならないのならば、どうにもならないなりになんとかしようとするしかないけれど……全員死んでしまうのならば、それこそどうにもなっていないようにしか思えない。


「生きている内にどうにかしようとするから、何もかもがおかしくなるんだよ。どうせ全員死ぬのなら、死んだ後も続くようにすればいい……いや、ダメか。結局……地球に取り憑いたところで、もう一度霊的攻撃を喰らえば消滅か成仏かしらないが、地球から引き剥がされることになる……けど……やらないよりはマシか、具体的に何か……」

 ブツブツと何か呪文でも唱えるかのように、ギメイさんは何事かを考え始めた。漏れ聞こえる言葉は私には理解しづらいものだったけれど、ギメイさんを救うお経のような呪文になることはなさそうだ。ただ、ギメイさんは一度死んでしまったことでタガが外れてしまったらしい。さっきまで生きていたのに、ギメイさんにとって生はもうただの通過点になってしまった。


「ギメイさん……」

 私は両手を合わせて憐れむように祈った。

 真剣に考えてくれていることは間違いないし、もしかしたらそれは唯一の救いなのかもしれないけれど……事故物件化した地球が月に滅ぼされてないとしても、それは生前の姿だけが地球上に焼き付くだけで、大切にしたいものは何一つとして残らない気がする。少なくとも私が見た事故物件には悲しいものしか無かった。


「多分、ギメイさんのやり方は致命的に間違える気がします」

「でも、間違ってでも……やられっぱなしはイヤなんだよな、アンタも間違ってるなぁと思いながらも突き進んだでしょ……視えてるよ、僕には」


「……っ!」

 もっと強かったり、あるいは何か別の手段を取れれば……ギメイさんだって他のやり方を何か考えるのだろう。私だってそうだ。私だってそうしたかった。


 コン。コン。


 その時、ノックの音が二回鳴り響いた。


「……開いてるよ」

 ギメイさんが応じるが、その返事を待たずに扉は開いた。

 年齢のよくわからない長身の痩せた男だった。

 俵さんのマンションの時と同じ、着古したジャージ。

 髪は相変わらず、繁殖した庭の雑草みたいに野放図に伸びている。

 巨大な金塊とその下敷きになったギメイさんの死体、そして幽霊となったギメイさんを見ると、私に視線をあわせて彼は堰を切ったように話し始めた。


「やあ、どうも東城さん……あと、はじめまして、ギメイさん。なんか興味深い話をしてるっぽくて、つい入ってしまいました……いや、盗み聞きをするつもりではなかったんですけど……その一応、東城さんとどういうタイミングで再会するのが一番劇的かなって思いながらずっと尾行してたんですけど、なんかアレですね。結局ヌルって入ってきちゃうことになっちゃって……」

「アンタの名前は……?」

「西原……」

「あ、すみません。代わりに紹介してもらっちゃいましたね……」

 そう言って、西原は申し訳無さそうに笑った。


「ずっと尾行してたって……」

「いや、また会おうと言ったのは良かったんですが、お互いに連絡先もわからなかったので……恥ずかしい話なんですけど、バイトもサボってずっと尾行してました。それにほら、俺東城さんに約束したじゃないですか。人とか殺さないし、事故物件も作らないって。だから、まあ……やることもなかったんですよ。まあ、急に東城さんの目がヤバくなった時は視界に入らないようにするの、結構大変でしたけど……あ、不安ですよね……すみません。トイレとか風呂とかそういうのは覗いていないっていうか、どこにいるかを把握しておきたかっただけで、東城さんの生活自体は一切覗いてないです。こう見えても、俺一応そこらへんは紳士なんです。だから東城さんが不安に思うようなことは大丈夫です……安心して下さい」

 そう、胸を叩いた後、「いや、でも怖いですよね……すみません……」と西原は言った。


 背筋を冷たいものが走り抜けた。

 異常な男……それはわかりきっていたことだけれど、ずっと尾行していたと言われて、冷静ではいられない。


「俺も東城さんも前の続きをしたいと思うんですけど、とりあえずまずは……月の話をしませんか?東城さんだって今はコンタクト付けてないでしょう?殺せるかどうかはともかく、俺のことを殴り倒したいと思ってはいるでしょうけど……今は無理なので、一旦お互いの懸念事項について建設的に話し合い、東城さんも準備とかをして、その上で……どうでしょうか」

 長身の西原が少し身を屈めた。そして上目遣いで媚びるように、私に言う。


「……とりあえずは、それで」

「あー……良かったです」

「僕の意見とかは聞かない感じ?」

「そこなんですけど、まあ東城さんとはある程度お互いの納得の上で話したいとは思っているんですけど、貴方ぐらいなら、申し訳ないんですけれど、まあ……大した抵抗も出来なそうなので話を聞いたり聞かせたいなと思ったら、這いつくばらせるだけなので……」

 ギメイさんの言葉に西原は慇懃無礼にそう応じ、「あ、すみません……勿論、皆さんの方が俺にそう出来るようなら、そうしてくださっても構いませんので」と続けた。挑発の意図はなく、本人はただ事実だけを述べているらしいのが余計に腹立たしい。

 とりあえずは準備時間が与えられてしまったので、私はコンタクトレンズを装着した。


「っ!」

 思わず声を上げそうになって、私は両手で噛み殺した。

 ただどす黒い靄のようなものが、西原の全身を包んでいて、それ以外には何も視えない。


「たまに、そういう奴がいる。視る難易度の高い奴だ……」

「出来れば視たいとも思いませんけどね」

「……同感だが、そんな奴こそ視れないと困るからな……ま、とにかく集中し続けろ」

 西原は私達の会話を対して気にする様子も見せない。


「えーと、ギメイさんは……アレですよね。事故物件一級建築士の方ではないですよね。会報に載っていたこともありませんし」

「会報なんてあるのかよ」

「それ、もう私が言ったことあります」

「一応俺等、事故物件一級建築士協会っていうのに所属してて会報もあるんです」

「脱退しろよ、そんな会」

「まあ、脱退するまでもなく、そろそろ解散なんですが……」

 一瞬だけ、ちろりと嗜虐的な火が西原の瞳を舐めた。

 おそらくは何かをやったか、やっているかに違いない。


「でも、事故物件建築技術は持っている……」

「アンタらみたいに攻撃的な事故物件を作れるわけじゃないし、幽霊を調教出来たりするわけでもない。ただ俺の魂をこの場所に縛り付けただけだ。準備をすれば特に強い感情を持たなくても幽霊になって世界に残れる……それだけだけどな」

「そのやり方を使えば、地球全体を包みこんで事故物件化出来るんですか?」

 西原の問いにギメイさんは少しだけ沈黙した後に、「かもしれない」と答えた。


「かもしれない?」

「アンタは――」

 そう言って、ギメイさんはちらりと私を見た。

「見たと思うが、その札を使って囲めばどんな場所でも、幽霊になれる。最も路上にペタペタ貼って回るわけにはいかないから、僕は自分の道場に貼った。とりあえずはインターネットは繋がっているし、スマホもある。金が尽きるか、地球が滅びるまでは外と繋がっていられる」

「その札で地球をぐるっと……?」

「要するにそういうことになるが……別に札そのものが特別な素材で出来てるってわけじゃない、霊力やらなんやらを込める必要もない。そこの札もコンビニでプリントしただけだしな。大切なのはその札の図案だ。その札の図案で囲んだ場所は魂を繋ぎ止める」

「……かなり気軽にできちゃうんですね」

「ああ、かなり気軽に出来てしまう……それこそ、テレビに映るなり、スマホで画像を見るなり、それだけで札扱いになる」

「……ははあ、それを利用してなんとか地球上を覆えないかな、と」

「ま、具体的な方法に関しては何も思い浮かんではいないけどさ……」


「ちょっと嬉しいですね」

 そう言って、西原が微笑んだ。

「事故物件一級建築士の皆さんも、結局月のことは諦めてるんで……俺みたいにちゃんと月をなんとかしようって考えてる人がいるのは」

「ということは……アンタも」

「まあかなり荒っぽいやり方になりますが……まず、東城さん。『入居者の終の棲家になるタワー』のことを覚えていますか?」

「忘れられるわけないじゃないですか……」

「あ、すみません……」

 怒りを隠すこともしない私の言葉に、西原が何度も頭を下げる。


「えーっと……アレは事故物件世界大会の参加者の中でもダントツの優勝候補だったんですよ」

「事故物件世界大会!?」

 聞いてしまった言葉を咀嚼することもなく私はそのまま繰り返した。

 あの最悪な事故物件を比べ合う大会があるというのか、それも世界レベルで。

 そして、そんな大会に参加するために私のパパとママやタワーマンションの人たちは殺されたというのか。


「各国を代表する最強の事故物件を一つの都市に集めて、どの事故物件が一番人間を殺すことが出来るかを競うんですよ。代表が決まったら東京で行われる予定なんですけど……」

 あのタワーマンションだけでも都民を全滅させ、いや――日本だって滅んでいたかもしれない。そんな厄災だった。そのようなものが世界中から集まってくるというのに、西原の声に大した熱量はなかった。まるで町内で行なわれる自分が参加しない盆踊りについて語るようだ。


「なんで……そんなことを?」

 何故、殺せるのだろう。何故、そんなことを競えるのだろう。

 人の命を何だと思っているのだろう。

 私は悲しんでいるし、怒っている。

 心の震えがそのまま身体を震わせている。


「勿論、人によっては事故物件を作ったり、競わせたりする理由は違うと思いますよ。命を蹂躙するのが楽しいという人もいれば、自分の隣にぬくぬくと生命が存在しているというのが、心の底から許せないという人もいます。ただ単純に事故物件を作るのが楽しくて……結果として人が死ぬというのもありますね。ただ、世界大会に参加するような人は皆、世界が滅ぶ前に世界を滅ぼしたがっているんだと思います」

 事故物件一級建築士は皆、月を見たのだという。

 そこは同情に値する。私だって、どうなっていたかわからない。

 それでも……それは他人を蹂躙する理由にはならない。


「俺達もわかるんですよ、そろそろ月が本格的に活動を開始するって」

 そう言って西原はギメイさんを見やった。


「どうせ世界が滅びるならば、自分の手でやりたい。後から来るものが皿の上に残った粉すら食べられないように、舐り尽くしたい……まあ、そういう気持ちなんでしょうね。皆、頑張っていました……あ、見損なわないで下さいね。僕はあんな大会参加したりはしませんから」

 ああ、西原は事故物件世界大会に参加しないんだ、そうなんだ、良かったとはならない。なるわけがない。


「そういう大会があるって紹介したかっただけじゃないですよね」

「あ、すみません……まあ、世界から寄りすぐりの事故物件が集まってくるわけなんですけど……その事故物件同士でただ争わせるなんて勿体なくないですか?」

「そもそもそんな家を作ること自体が……」

「まあ、確かに東城さんはそう思われるかもしれませんけれど……まあ、出来ちゃったものはしょうがないので……もう、戦い合うよりも皆さんで協力した方が良いとそう思ったんですよね」

「……つまり、アンタは事故物件世界大会に参加する事故物件を集めて、月に立ち向かう事故物件団地にしようと?」

「そうですね、これからの時代は憎み合うよりも手を取り合った方が良いですから……それに気になるでしょう?事故物件一級建築士の皆が力を合わせたらどれだけ絶望に抗えるのか」

 これから西原が何を言おうとしているのか、厭な予感しかしない。


「誰も協力してくれなかったんですよね。皆さんは月に対して心が折れてしまっていて……結局、二位決定戦をやるだけで満足してしまっているんです。じゃあもうしょうがないなぁ……と思って、俺は世界大会に参加してる事故物件を事故物件一級建築士ごとぶっ壊して回ってもいたんです」

 どこまでこの男は自分本位なんだろう。

 他者への蹂躙がとどまるところを知らない。


「ただ、別にお仕置きとか、八つ当たりとか、そういうので壊しているわけじゃないんです。手を取り合うのは無理でしたけど、皆さんの力を一つに合わせるのはまだ行けるんじゃないか……壊した事故物件を合体させて一つの超最強事故物件を作れないかなって……

 とりあえず本体の方は事故物件一級建築士協会が東京に運んでくれるので、組み立てはそれを待ってからになるんですけど……ほら見て下さい……ちょっと残骸を持ってきたんです。これは空中浮遊ひし形ピラミッドに無量大数里のクソ長城にウィンチェスター・ミステリー・ハウスⅡ、まだまだありますよ」

 そう言って、西原がジャージのポケットから事故物件の残骸らしきものを無造作に床に並べていく。


「ちょっと待った」

 疑問に思ったのだろう、ギメイさんが声を上げる。

「なんでしょうか?」

 ギメイさんの言葉に応じながらも、西原は床に残骸を並べていく手を止めない。


「視えた」

 幽霊のギメイさんの頬を一筋の汗が伝った。

「……何が視えたんですか?」

「アメリカの事故物件を破壊した次の瞬間、お前がエジプトにいる姿が、そしてエジプトの事故物件を破壊したかと思えば、次は中国だ……別の日のことじゃない、どういう手段で瞬間移動なんてやっているんだ?」

「……ああ、それは地球に取り憑いているからです」

「……は?」

 思わず、声が漏れた。

「一応、週三でコンビニの夜勤でバイトに入っているんですけど……まあ、家賃に光熱費に食費に、と……まあ、贅沢をするつもりはなくても最低限はかかってしまうお金というのが煩わしい、だったら死んだら浮くんじゃないかって、けど死んでしまったら一つの場所に囚われて……事故物件活動も出来ないし、バイトにも行けない。それで、まあ……試してみることにしたんです。月に取り憑く悪霊がいるのなら、地球を家と認識して、取り憑くことは出来ないかな、って……やったら、案外出来たので良かったです」

 サングラス越しでもわかるほどに、ギメイさんの表情が引き攣っている。

 きっと、私も同じ顔をしているのだろう。

 何度でも言うことになるのだろう、なんなんだこの男は。


「あ、だからと言って……死なないから、東城さんを試したわけじゃないので誤解しないでください。事故物件の剣ですから、ちゃんと刺されたら死にます。あの時の俺は心臓が剥き出しになっていましたし」

 しばらく、西原は私からの返答を待っていたが、何の言葉も返ってこなかったので「すみません」と言って再び話し始めた。


「まあ、そういうわけで月のことは俺に任せておいてくれたら大丈夫だと思います。勿論、失敗する可能性はあります……というか、勝率は良くて一割って感じだと思います、まあ、けど……皆の力を合わせた事故物件ととりあえず殺れるだけの人間を燃料にして、動かす俺の事故物件なら……案外、奇跡って起こるのかもしれません。いえ、起こしてみせます。そうと決まったら……とりあえず、俺は今すぐにでも外に出て片っ端から殺して回るつもりです。いや、安心して下さい……彼らはちゃんと合体事故物件の中で殺します」


 許せないと思っている。

 身体の奥底が熱い、腸が煮えくり返りそうだ。

 目の前の西原にも怒っているし、私自身にも怒っている。

 具体的にはどのようなものかはわからないけれど、超事故物件を動かして月と戦ってくれるのだという。そして、もしも西原が勝ったらこの恐怖から解放される……そう思って安堵する自分がいて、それが何よりも腹立たしい。

 自分に何が出来るわけでもない、多分いちばん人が死なない可能性があるのは目の前の西原が行おうとしている計画なのかもしれない。

 自分は綺麗事しか言えない人間で、それを実行に移すことすら出来ないけれど、それでも許せない。


「……あったまってますね、東城さん」

 私の怒りを困ったような微笑みで受け止めて、西原が言った。


「ただ、すみません……やってしまいました。前回の続き……つまり俺は害悪存在の事故物件一級建築士で、理不尽に他人を殺す俺を、貴方が正義感とか他人への優しさで殺してみせることが出来るかどうかを試してみたかったのですが……今、東城さんに俺の試し行動を取ったら、怒りのために人間が生き残る可能性を破壊してしまうのか……になってしまいますね」

 そう言って、西原は自分の皮膚と筋肉を毟り取って……剥き出しの心臓を私に見せつけた。額に脂汗を浮かべ、苦しさを誤魔化すかのように笑っている。

「痛いもんは痛いんですよ……本当に……」


「……この場合、ギメイさんを消してしまったほうが良いんでしょうか……それともギメイさんを人質に取って……死んだ知り合いと天秤にかけさせるとか……」


 頭がもう燃えるようだった。

 もうどうしようもないほどの殺意がある。

 なんだそれ、ここで西原を見逃したら見ず知らずの誰かはもう私が殺したようなものじゃないか。そういう選択を選んだってことになるじゃないか。

 けれど、西原を殺したら……間違いなく全員死ぬ、奇跡が起きる余地すら無くなってしまう。でも西原がそういう奇跡を起こしたからって……私は一生、おばあちゃんになっても今の後悔を抱えて生きていくのだろう。


 保留という選択肢は無い。

 私が何か全ての問題が解決するような名案を思いついたから……じゃあ、西原の方には死んで頂いて……というわけにはいかない。

 もう、この時点の全てを西原は試している。


 今にも叫びたい「助けて欲しい」と。

 どうしようもなく絶望的に理不尽な状況を、理不尽に解決してくれる誰かが欲しい。

 けれど、助けてくれる誰かはいない。


「ときめきます……東城さん、人間の心が揺れ動く……さまって……本当に好きなんです……」

 西原が嘲笑う。

「じゃあ、俺のことは嫌いだろうな」

「あっ……」

 扉の開く音がした。

 咄嗟に、西原が振り返り……凄まじい打撃音の後、その身体が宙を舞い、壁に叩きつけられた。


「俵さん……」

 入口に、誰よりも頼れる人が立っていた。


【つづく】

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