27.修行編開始、終了


 ◆


 東京都内――山手線内ではないが、駅前の雑居ビルの前に私は立っていた。

 例の修行場だ。

 日付が変わった午前中に電話をかけ直し、よろしければ午後からいらっしゃいということになった。

 ビルの一階部分にはグラフィティアートだろうか、派手な字体で『KUSOBOKE』と描かれている。少なくとも、ビルの持ち主に許可を得て描かれたものではないだろう。古い雑居ビルだ。五階建てのビルだが、そのうち三階分の窓は割れており、壁には大きくヒビが入っている。なんだか、こんなビルが駅前に存在を許されている理由がわからなくなってきた。

 胡散臭いどころの話じゃない。ビルの中に入ったら殺されるんじゃないかとすら思う。身体は自然にビルに背を向け、足は自動的にビルから遠ざかろうとしている。


「あ、どうもどうも、アンタが東城さんですか」

 私の肩に触れる感触と同時に、聞いたことのある声がした。

 電話越しに聞いた声だ――修行場の事務対応の人なのか、あるいは修行を教えるという師匠なのか、電話口では名乗らなかったけれど、その声の主が私の肩に手を置いている。

 振り返ると怪しい男がいた。

 派手というよりは毒々しい蛍光ピンクのアロハシャツ、目深に被ったニット帽に殆ど闇を纏っているみたいな濃いサングラス。首からは十字架であるとか、おそらくはパワーストーンで出来ているであろうネックレスであるとか、あるいはドクロのネックレスであるとか、そういうものを節操なくジャラジャラと首から下げている。腕も同じだ。数珠とパワーストーンとミサンガが一つの手首に同居している。

 加護と加護が喧嘩にならないか不安になる人だ。


「えっと、貴方が……」

「ええ、電話を受けてくれた時は除霊師育成会代表の、ギメイです」

「ギメイさん、ですか……?もしかして偽の名前って書きます?」

「はい……本名を知られたくないんで、色々変えてたんですけどね……もう、面倒くさいんで、もうギメイでいいやって思って、ギメイって名乗ってるんですよ」

 そう言ってギメイさんは心底楽しそうに笑う。


「で、ウチで修行したいって」

「まあ、はい……」

 出来ればキャンセルで、と言いたい。

 ただ、そういう言葉を発する私の中の勇気は事故物件の中では発揮できても、なんでもない平和な場所では発揮出来ないらしい。ごにょごにょと曖昧に頷いて、「じゃあ、ついておいで」と先導するギメイさんの後をついて行った。


 雑居ビルの二階、窓の割れていない部屋がギメイさんの修行場らしい。

 元はバレエ教室かなにかだったのか、壁一面に鏡が張られており、さらに手すりが設置されている。異様なことに鏡面のあちこちに、なんらかの呪文が描かれた御札が張られている。


「……んで、東城さん……アレ、事故物件を攻略したいみたいな」

「まあ、そういう感じですね……」

 我ながら、何故事故物件という言葉に攻略がくっついているのか理解に苦しむところであるが、しかし事故物件を攻略しなければならないのだからしょうがない。


「それも一週間コースで」

「まあ、時間あんまりありませんから……」

「まあ、そうだね。意味もなく霊能者になりたい人間には無限の時間があるけど、意味があって霊能者になりたい人間はだいたい手遅れだからね」

 そう言って、ギメイさんがブハハと笑う。

 一応私は手遅れではないが、目の前の先生はそういうデリカシーのない冗談を飛ばすタイプらしい。


「ん、じゃあアレだね……まずはこれだね」

 修行道具を取ってくる、そう言って部屋の隅の物置からギメイさんが持ってきたのは白い粉がたっぷりと詰まったツボと、なみなみと水をたたえたツボの二つだった。


「ちょっと塩のツボのほうに手を入れてみて手首まで入るぐらいね」

「あ、はい……あの……」

 塩のツボ――らしい、手に傷が無くて安心したなと思いながら私は言われた通り、ツボの中に手を突っ込む。


「塩なんですか」

「まあ、清めの塩だね」

「ははあ……」

「じゃあ、塩突っ込んだ手をこっちの聖水のツボで洗って……手首までね」

「あっはい……」

 やはり言われた通りに、聖水のツボに塩まみれになった私の手を手首まで突っ込む。


「一日中、これを繰り返す」

「これを……?」

「東城さん、毒手って知ってる?」

「いえ……?」

「ま、簡単に言うと手に毒を含ませて、触れたら相手が死ぬ毒の手を作るの……そういうのを漫画で読んだの、僕ね」

「……漫画ですか」

「まあ、医者の漫画を読んで医者になる人もいるからね。僕は漫画もなかなか馬鹿にできないと思うよ、日本は漫画大国だしね」

「……帰っていいですか?」

「ま、ま、ま、僕って受講費返さないタイプだから……騙されたなと思って、清めの塩と聖水で素手の攻撃力上げていこうよ」

「あの……」

「なにかな?」

「いや、これ……成分を手に染み込ませなくても、聖水と清めの塩を持っていけばいいだけじゃないですか?」

「あー……でも、素手の攻撃力は間違いなく上がるよ」

 私は頭の中で西原の姿を思い起こす。

 そもそも、手の攻撃力を上げたところで、攻撃を当てることが出来るのだろうか。


「ちなみにその手が完成するまでどれぐらいかかるんしょうか」

「一応、一週間コースなんでね。七日七晩不眠不休で漬け続けて……っていう感じかね」

「……とりあえず、この手はやめて、聖水と塩だけ貰っていいですか」

「それなら、持ち帰り用の塩と聖水を買っていきなさいよ、それなら家でも手の修行ができるようになるから」

 これが霊感商法の部類だとして……ここまで下手な人間っていうのはこの世にいて良いんだろうか。もっと上手いことこなすもんなんじゃないだろうか。


「じゃあ、まあアレだ……アンタは手よりも目の方がいいかもね」

「目っていうのはいわゆる霊視みたいな……」

「まあ、あんまりオススメはしないけどね……見たいものは見えるけど、見たくないものも見えてしまうからね……」

「見たくないものっていうのは……?」

「絶望」

 底冷えするような声だった。

 サングラスのまま、天井を見上げ、ギメイさんはそう言った。

 もしかしたら彼の目は天井を透視して、空を――空にある何かを見ているのかもしれない。


「タワマン大変だったね、霊だって親は親だ。いい気分にゃならないよね……」

 天井から視線を落とし、ギメイさんが私の顔をまじまじと見て同情するように言った。

 

「なんで、それを!?」

 それを知っているのは俵さんだけだ。


「一応、僕が本当に視えるっていうことだけは知っといてほしくてねぇ。いや、本当に申し訳ないんだけど……まあ、視してもらったよ」 

 霊視でそれを見たというのならば、ギメイさんは本物の霊視能力者だ。

 もしも俵さんに話を聞いたというのならば、それはそれで――信頼してもいいような気がする。


「……事故物件一級建築士は皆、絶望を見てる。僕も同じものを見て結構どうでも良くなってる……東城さん、アンタも何もかもどうでも良くなるかもね」

 西原も言っていた、知っちゃった存在である、と。


「……空に何かがあるんですか?」

「ま、アンタが一端の霊視能力者になったら……見えるようになってしまうかもね」

 ギメイさんの言葉には薄っすらとした後悔と諦念が滲んでいた。


「けど、少なくとも僕はそれを口に出して言いたくない、多分、アンタは信じてはくれると思うけど、けれどなんていうか心からの理解は示してくれないと思うからね……僕はそういうの人並みに気にしちゃうから」

 少なくとも言葉で説明できるものではあるらしい。

 もし修行が上手く行ったならば、私は何を見ることになるのだろう。


「どうする?」

「……今までの私は絶望と後悔しか見えませんでした」

 見たくないものを見ることになるって言われても、私の視界にはそんなものしか映ってませんでしたよ、私はそう言って自嘲するように笑う。


「目、お願いします」

「うん……じゃあ、アレだね」

 やはり「道具を取ってくる」と言って、ギメイさんは物置からコンタクトケースを持って戻ってきた。


「ウチで扱える霊視は三種類、第三の目を開くか、テレパシーで感じ取って脳に送り込んだ情報を視覚として処理するか、あるいはもともとの目を視えるものに変えるか」

「第三の目ですか」

「ま、簡単に言うと霊視に特化した三つ目の目ん玉だね。だいたいの人間は額に開くもんだけど――僕はここに開いてしまった」

 そう言って、ギメイさんがサングラスを外した。

 右目に瞳が二つ、黒いものと金色のものがあった。

 一瞬だけ、それを私に見せた後、ギメイさんは再びサングラスを装着した。


「まあ、めちゃくちゃよく見えるけど……僕みたいに目ん玉に新しく開くのは勿論、額に開いても今日日隠すのに困るし……そもそも長い修業が必要になるから、一応説明だけということで」

「ふーむ」

「同じくテレパシーなんだけど、そもそも使えないやつは使えるように修行しないといけないし、使えるようになってからが修行の本番になる……まあ、テレパシーだって、別にスマホがあるから無理に使える必要はないでしょう……というわけで」

 ギメイさんが取ってきたコンタクトケースを開く。

 そこには甘い匂いのする薔薇色の液体で洗浄されている金色のカラーコンタクトが入っていた。


「というわけでこのコンタクトレンズをアンタには装着してもらうよ」

「視力矯正は」

「必要なし、どうせ霊視出来るようになるしね」

「……成程」

「さて、このコンタクトレンズは補助輪だ」

 コンタクトレンズを指に取り、目に装着――しようとして思わず目を閉じてしまう。それを繰り返している私を気にしてかしないか、ギメイさんが話し始める。

「これを装着するだけで、もう視えるようになる。アンタが見たいようなものはだいたいね……このコンタクトレンズに関しては訓練は実施だ、塩ツボに手を入れるようなことはしなくていい、外に出たり、事故物件に行ったり、そういうのだけで良い。それだけで視えるものが増えていって、そのうちに……裸眼の方がよく見えるようになってしまう……」

「……あ、ゴロゴロします」

 ようやく片目の装着を終えた私が、奇妙な感覚に思わず呟いてしまう。


「……とりあえず、このコンタクトレンズを装着したら、もう僕から教えられることは、通常のコンタクトレンズの使用注意ぐらいしかないね。眠る時はちゃんと外して欲しい」

「あ、はい」

 そんなに付けていて嬉しい感覚じゃない、外して良いものならば外しておきたいな……そんなことを思いながら、私は天井を見上げた。見て良いものではない、きっとそうなのだろう。だが、見えてしまうというのならば、今見えるものならば、見てしまいたい。


「……絶望は見えたかな?」

「いえ、天井だけでした」

「だろうね……でも、いつかアンタは見ることになるだろうね。そん時を……楽しみに、いや……まあ、いいや。お会計にしよう。コンタクト代と洗浄液、塩と聖水は別料金で百二十八万円」

「今、見えてます絶望……」


【つづく】

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