25.それでも戦わないといけないけれど


 ◆


 私は両親の仇を撃てなかった――殺して下さいとも言えなかった。

 ただ、そういうものを悟って私を試しているのではないのだろう――ただ、自己完結で自分の問いに答えを出すためだけに私を試している。

 彼が具体的に私の前で何かをしたというわけではない、こういうことを平然と出来てしまう人間は間違いなく危険だ――そういう説得力がある。


 あの時は殺せなくて良かったと思った。

 殺すのは最悪だ。

 パパとママを撃った時、無機質な冷たい引き金に血は通っていないはずなのに、私は生暖かい体温と人の柔らかな部分に触れているかのような感触を覚えた。

 弾丸が放たれた時、それと同じ速度で私の腹の底から何かがこみ上げて食道を通り抜け、喉を焼き、私の口の中を酸っぱい感覚でいっぱいにした。


 けれどそれ以上には殺さなくて済んだ、俵さんが私を守ってくれたから。

 今、私の傍に俵さんはいない。

 その代わりに、無抵抗で、心臓が剥き出しで――そして生かしておけば、きっと私と同じような人間を生み出す存在が私の前にいる。


 私は切っ先を西原さんの心臓に向けた。

 大人しく元の日常に戻っておけばよかったのか。

 そうすれば、生かすか殺すかの世界とは永遠に無縁でいられた。俵さんが私をそういう世界に戻してくれた。


 切っ先が震えている。

 柄を握る私の手が震えているからだ。

 両手で握ったって震えは止まらない。

 その感触を想像してしまう。


「なんで……貴方はそんなことが出来てしまうんですか?」

 視界が滲んでいた。

 意思とは無関係に涙が出てしまう。

 滲んだ世界の中で西原さんの身体は曖昧になってしまったけれど、私の身体は剣を持ったまま動かなかった。


「……あ、そうか。そうですよね。すみません」

 やはり、西原さんは困ったなとでも言いたげな顔で慇懃に頭を下げた。


「試してみたくなってしまうんですよ、俺……屋台のくじ引き全部引いて、あたりは入っているのか、とか、どれぐらいしたら自分が相手を嫌うのか、とか。どれぐらいしたら、人間は壊れてしまうのか、とか。本に載っている答えなら一々、求めなくていいんですけど、人間一人一人の説明書なんてものは、この世の中にはなくて、実際に……やってみるしかない……」

 試してみたいんです。

 西原さんはそう言って、割かれた皮膚の断面と断面を寄せ合って、こよりを作るかのように捻った。不細工で、どう考えても間違っているのに――西原さんの中身は再び西原さんの中に収まっていった。


「俺が間違ってましたよ、東城さん」

「ずっと間違ってましたよ……」

 絶対に、これだけは確信できる。

 目の前の彼は、ただ自己完結しただけで心を改めたというわけじゃないのだろう。

 彼の心を改めさせるほどの何かを私はしていない。

 ただ、怯えて、そして出来なかっただけだ。

 そして、それを見て自分の過ちを悟るような人間ならば、多分こんな変な場所で出会うようなことにはなっていない。


「……俺は東城さんの前で悪人っぽいことを一切してませんでした。勿論、事故物件一級建築士アピールはしていましたけれど、俺が殺すべき悪人であるという実感はなかったと思います……」

「は?」

「次に、こういう選択を迫る時はちゃんと東城さんにフェアであるように、人質でも取るか、あるいは目の前で何人かぶっ殺すか、そういうアピールを欠かさずに行いたいと思います」

 剣が地面に落ちて、からりとやけに軽い音を立てた。

 先程まで柄を握っていた私の手には、今はただ純粋な力だけが握られている。

 握り拳――俵さんに使い方を教わった武器だ。

 私の怒りが西原の痩せた頬を打っていた。

 避けようと思えば感嘆に避けることが出来ただろうその拳はいともたやすく、西原に命中していた。


「……フフ」

 命中した瞬間、私は拳を引いていた。

 その手を掴むこともせず、西原は笑った。


「とりあえず、これで禊ということで……探索を続けましょう、東城さん」

「どういう神経をしているんですか?」

 もはや、怒気は隠しようもなかった。

 戦えるわけではない、けれど、戦わないわけにはいかない。

 もう、そういうところに私はいる。


「……あー、わかりました。決着をつけないと、そうですよね。とてもじゃないけれど、一緒に行動はできない、けれど、俺から目を離すことだって出来ない。だから、もう……戦うしか無い、みたいな」

「……ッ」

「でも、俺は東城さんを殺したくないし……今の東城さんはめちゃくちゃ怒ってるっぽいけど、それでも俺は殺せないし……多分、つけることができませんよ、決着」

 握りしめた両の拳を私は視線の先に置き、構えを取る。


「……うん、じゃあアレですね。俺のほうが――」

 私の放った顔面へのストレートは頭部を動かすだけでたやすく回避されてしまった。

 胴体へのワン「気を――」ツー、「遣って――」パンチ、体裁きに無駄がない。最小限の左右への足運びで回避されてしまう。「やさ」ただ、避けられるとは思っていた。拳を放ちながら前へ、前へ「しく」西原との距離を詰めていく。


「倒してあげれば良いんですね」

 吐き気がこみ上げて、目眩がした。頭の中でいつまでもぐるぐると何かが回っている。顎に衝撃があった。遅れてそれに気づいた。それはそうだろう。納得した。相手の攻撃は目にも映らない速さで、私は、普通の、人間で、それでも許せなくて、怒っていて、でも……駄目で……

 私の身体は膝から崩れ落ち、視界は徐々に暗くなっていく。

 せめて最後まで目の前の相手を睨みつけていたかったけれど、どうもそれは無理みたいで、視界の中の西原は困ったように眉を曇らせていた。

 ただ、ただ、ただ、ただ悔しかった。


【つづく】

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